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He whispered me“I missed you so much.”

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 手の上の重みは、それが本物の金だということを嫌でも分からせてくれた。二本の金をって作られた細い鎖はそれ自体が職人芸を駆使した価値ある逸品だ。僕はそれを突っ返すわけにもいかずに、首にかけておくことにした。

 売り言葉に買い言葉、ではないけれど、僕はあのときウッカリ愛人契約を結んでしまったらしい。僕を言い値で買うだなんて、どこまで本気なんだか……。

 とにかくまずは仕事だ。ガイエン国の動向についての報告書を読んでまとめないと。それで、センパイたちの顔に叩きつけてやるんだ。……無理だけどさ。ちょっぴりやさぐれた気持ちになりつつも、僕は紙束の上から順に目を通し始めた。そういえば、ダントン様と再会したときも、こうやって書類の整理をしていた気がする。





 三ヶ月前のあの日、僕は埃っぽい書庫で五年前の「豊作物時特例増税の目安」という資料を探すのに気を取られていた。誰かがバラけさせたまま箱に突っ込んだせいでいつまで経っても終わらなくて、注意力も散漫になっていた。だから、戸口から誰かが覗き込んでいたのにも気がつかなかった。

「……ハリー・リズボン?」
「はい?」

 そんな感じで名前を呼ばれて、相手が誰だか確かめもせずに返事をしてしまったのだ。

「本当に、本当にハリーなのか?」
「……え?」

 顔を上げると、びっくりしたような表情で戸口に突っ立っていたのは、僕より少し年上に見える貴族の男だった。着崩した派手な上衣に匂いの強い整髪料、ひょろひょろした体型に似合わず、その立ち方は何かしら武術をやっているように見える。濃い茶の髪をうなじで纏めていた。僕はそれがダントン様だとは、すぐには分からなかった。

「えっと、どちら様で……っ!?」

 愛想笑いを浮かべ、名前を尋ねようと立ち上がったら、その男に抱きすくめられていた。書類で手が塞がっていて対応が遅れてしまったっていうのは言い訳、かな。僕の問いに、その男は前髪を掻き上げて唇の端を吊り上げて笑った。その右の頬だけに笑窪が出来ていて、在りし日の面影を僕は認めた。

「ダントン……ノレッジ!」
「ご挨拶だな、ハリー。ずいぶんと探したんだぜぇ?」
「なっ……!?」

 何で今になって僕を探しているのかとか、一方的に僕の信頼を裏切ったくせにとか、言いたいことはたくさんあった。それなのにそのときは言葉がまったく出てこなかったんだ。おまけにアイツの放ったひとこと!

「十五年前の、あの続きをしようぜ、ハリー」
「はぁ?」
「ヤらせろ。オレのこの執着が何なのか、答えを見つけなきゃ寝られもしねぇ。なぁ、ハリー。やっぱりオレは、お前を愛してるのか?」

 僕は思わずアイツを突き飛ばして逃げていた。それが正解だったと思うし、今でも後悔なんてしていない。

 アイツは、ダントン様は、僕がお仕えするべき君主たり得ない! 僕はアウストラルを離れて長くマルクートで仕事をしていたけど、たとえ捨てられたとはいえ僕も騎士見習い、あのひとのことを忘れたことはなかった。外遊中だったアウグスト様に拾われてアウストラルに戻って来てから、ダントン様については色々聞いて回ったんだ。すると出るわ出るわ、男遊びの噂の数々。おまけに権力やお金に物を言わせてかなり強引に迫っているらしい。

 こんな奴を野放しにしておいてもいいのかと、トマスセンパイには当然聞いてみたけれど、本当に無理やりしているわけじゃないから何もできないって……。

 それからというもの、ゼイルードの城下町に宿を取ったらしいダントン様は毎日のように城にやって来て、僕にちょっかいをかけるようになった。ううん、僕だけじゃない、色んな若い騎士や見習いにセクハラしてる!

 おまけに我が物顔で城の中を歩き回って、アウグスト様のやることに口出しするし、便利な魔道具で買収しようとするし。トマスセンパイときたら、僕さえ与えておけばダントン様の便利な魔道具と権力を使いたい放題だと思っている節があるし……!

 冗談じゃない、あんな、体だけが目的のヤツ!

 僕に執着するのだって、僕が自分に靡かないから、ただそれだけのことに過ぎないんだ。そうに決まってる。だって、そうじゃなきゃどうして僕を遠ざけたんだ。僕をあのひとの騎士にしてくれなかったんだ。

 一度抱かれてしまえば、もう二度とつきまとわれないだろう。そう思うとなぜか胸が痛かった。





 仕事をして頭が冷えた。
 そもそも何で僕が抱かれなきゃいけないんだよ! 前提からしておかしいんだよ。僕はノーマルだ、女性が好きなんだ。それもできれば自分と同年代の。……僕が童顔過ぎていつもフラレるけど。

 僕はあのひととは違う。男同士に偏見はないし、デイヴィスとトマスセンパイのことだって応援してる。デイヴィスは僕から見ても格好いいし可愛いし……ってぇ、違う違う! ダントン様にキスされて嫌じゃなかったとか、そんなこと考えるな!!

「あ~~、もう! そうだ、休憩にしよう! そろそろ夕食に取り掛からなくっちゃ」

 僕は夕食の支度を手伝うために一階へと下りていった。台所からはスパイスのいい匂いがしている。これから盛りつけられるであろう生野菜はカゴに入っているし、スープ鍋には芋のポタージュが、オーブンにはきっとパイか何かが入っているに違いない。これ全部ダントン様が作ったんだとしたら、家を勘当されてもどっかよそで生きていけるよ、あのひと。

 と、ここの主である当のダントン様はどこへ行ったかと思えば、台所の片隅に置いてある椅子に座り、背中を壁にもたせかけて熟睡していた。

 昔から割りと整った顔立ちをしていたけれど、十五年経った今でも充分にいい男だよね。形の良い鼻も、顎も、しゅっとした頬のラインも。長く会わなかった年月は、彼を大人の男にした。僕だけが、まるで時間に置き去りにされたかのようにあの日のままで……。

 魔力がひとより多いせいだと言われるけど、それは違う。僕は弱い。普通の人間と同じくらい弱いのに、普通の人間と一緒ではいられない。

 だったら僕は、何のためにこんな姿をしているんだろう……。

「っ…………! お腹空いた! お腹が空くから変なことばっか考えちゃうんだよ、もう! ダントン様、起きてくださいよ、今すぐ夕食にしましょうよ~」

 悶々と考えている暇があったら動くのが僕。今はとにかくお腹を膨らませてゆっくりしたかった。それなのに、ダントン様を起こそうと声をかけてもちっとも目を覚まさない。

「ちょっと、ダントン様? 起きてください。起きろ~! 起きろってば、このタラシ、タレ目! 詐欺師~!!」

 寝ているのをいいことにここまでする僕も僕だけど、胸倉掴んで揺すぶっても起きないのってどうなの。ちょっと寝汚いにもほどがあるんじゃ? 暢気なひとだと呆れていたら、引き寄せられてキスされていた。

「んんっ!」

 ピシャリと頬を打ってやれば、ようやくそれで拘束が解かれた。こんなの不意打ちだ、卑怯だ。それなのに、反応しかけている自分が悔しい……。

「謝りませんから! もう、いい加減にしてよ!」
「……怒った顔も可愛いなぁ、やっぱ」
「はぁっ!?」
「なぁ、あのとき、お前の気持ちはどうだったんだ? それだけでも教えろよ、ハリー」
「……………」

 そんなの、言えるわけなかった。
 だって、だって、僕には……ダントン様の言う「あのとき」がいつのことか、分からなかったんだもの。
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