14 / 53
増えていく日々
約束が増えた日 ✴︎イラスト有
しおりを挟む
「イーサン殿下」
私とマドリーン様は揃って挨拶をする。休憩を迎えたばかりの廊下を、食堂へと急ぐ生徒たちが通り過ぎていく。
「ランチを一緒にどうかな」
初めて話し掛けられた日から、殿下は時おり、こうして一緒に居る時間を作ろうとしてくれる。その申し出を断る理由は何もない。
「もちろん……」
「申し訳ありません、私は約束がございますのでお二人でどうぞ」
私が了承するよりも早くマドリーン様は断りを告げると、ちょうどやって来た同じクラスのグループに合流して行ってしまった。
後に残された私たちは無言で顔を見合わせる。
「──気を遣わせてしまったかな」
「そうかもしれません……わね」
殿下が申し訳なさそうに呟く。しかし頬には隠しきれない喜びを滲ませていた。口角が微かに上を向いている。意外と表情が豊かなのだ。
その自然に溢れる喜びの感情に、ひどく安心する。口でどれほど大切だと言っていても、好意は無いのだと透けて見えていたかつての婚約者。彼には無かったもの。
◆
「ニーナさんは、芸術の単位は何を選択している?」
「美術史ですわ」
ひとつ上の学年であるイーサン殿下は授業内容や試験の対策についてなど、さりげなくアドバイスをくれる。
今回もテスト対策について話していたところで選択教科を訊ねられ答えたのだが、私の答えになぜかイーサン殿下はパッと顔を明るくした。
「それなら、良かったら一緒に行かないか?」
そう言って、殿下は胸ポケットから2枚のチケットを取り出した。テーブルに置かれたそれを確認すれば、美術展のチケットだった。
「セーブル! ちょうどレポート課題のテーマになっていますわ!」
展示会は美術史で現在学んでいる作家のものだった。資料だけでもレポートは書けるが、実物の絵を見ながら作品にまつわる歴史やエピソードを学べる機会があるなら是非とも行きたい。
「やはり今年もセーブルか」
殿下は食いついた私に満足そうに微笑む。
「このタイミングで王都で展示会をやってくれて良かった」
「殿下も美術史だったのですか?」
「いや、音楽の実技だったが、同じクラスの友人が頭を抱えていたのを思い出した。セーブルは年代によって作風がころころ変わるからまとめ難いと」
「では、私の選択が美術史ではなかったら……」
私が問いかけると、殿下は一瞬固まった後に、ゆっくりとジャケットの内ポケットに手を入れた。おもむろに差し出された手には、チケットが4枚。
王立楽団のコンサートチケットが2枚と、演劇のチケットが2枚。つまり。
「私の選択科目が演劇論だった場合はこちらの演劇、そして音楽実技か音楽鑑賞だった場合はこのコンサートチケットを出してくださった……?」
「そうだな」
コホン、と咳払いしながら殿下が気まずそうに肯定する。
どうしよう。
高貴な方にこんなことを思うのは不敬だけども、けれどもすごく。
すごくかわいいわ。この王弟殿下。
「ありがとうございます……」
言いながら俯いてしまう。頬が赤くなるのが自分でもわかる。例え殿下にとって打算的な関係だとしてもこんな、こんなに一緒に過ごす時間を作ろうとして貰ったことなど無かった。
バーニーの婚約者だった時、デートに誘うのはいつも私だった。
ドレスを見に行きたい、植物園を散策したい、食事に行きたい、観劇に行きたい。どれもバーニーは快く応じてくれた。けれど。
彼の方から一緒に居たいと言ってくれたことは、一度も無かった。
「ニーナさん」
赤くなって俯いてしまった私を見て、殿下が言う。
「その、良かったら、観劇も、演奏会も、一緒にどうだろう、か?」
私に釣られて殿下もほんのりと頬を染めている。
真実の恋を見つけたと言うバーニー。対して、私と殿下は恋を始めたわけではない。婚姻に良い相手を求めて巡り合った。
それでもお互いに歩み寄る気持ちがあれば、身を焦がす恋でなくてもこんなに温かな気持ちを持つことができる。
「はい、殿下。喜んで」
顔を上げて微笑む。自然と溢れた笑みだった。今はただ、増えていく約束が嬉しい。
なぜかイーサン殿下は、私と入れ替わるように俯いてしまったけれど。
私とマドリーン様は揃って挨拶をする。休憩を迎えたばかりの廊下を、食堂へと急ぐ生徒たちが通り過ぎていく。
「ランチを一緒にどうかな」
初めて話し掛けられた日から、殿下は時おり、こうして一緒に居る時間を作ろうとしてくれる。その申し出を断る理由は何もない。
「もちろん……」
「申し訳ありません、私は約束がございますのでお二人でどうぞ」
私が了承するよりも早くマドリーン様は断りを告げると、ちょうどやって来た同じクラスのグループに合流して行ってしまった。
後に残された私たちは無言で顔を見合わせる。
「──気を遣わせてしまったかな」
「そうかもしれません……わね」
殿下が申し訳なさそうに呟く。しかし頬には隠しきれない喜びを滲ませていた。口角が微かに上を向いている。意外と表情が豊かなのだ。
その自然に溢れる喜びの感情に、ひどく安心する。口でどれほど大切だと言っていても、好意は無いのだと透けて見えていたかつての婚約者。彼には無かったもの。
◆
「ニーナさんは、芸術の単位は何を選択している?」
「美術史ですわ」
ひとつ上の学年であるイーサン殿下は授業内容や試験の対策についてなど、さりげなくアドバイスをくれる。
今回もテスト対策について話していたところで選択教科を訊ねられ答えたのだが、私の答えになぜかイーサン殿下はパッと顔を明るくした。
「それなら、良かったら一緒に行かないか?」
そう言って、殿下は胸ポケットから2枚のチケットを取り出した。テーブルに置かれたそれを確認すれば、美術展のチケットだった。
「セーブル! ちょうどレポート課題のテーマになっていますわ!」
展示会は美術史で現在学んでいる作家のものだった。資料だけでもレポートは書けるが、実物の絵を見ながら作品にまつわる歴史やエピソードを学べる機会があるなら是非とも行きたい。
「やはり今年もセーブルか」
殿下は食いついた私に満足そうに微笑む。
「このタイミングで王都で展示会をやってくれて良かった」
「殿下も美術史だったのですか?」
「いや、音楽の実技だったが、同じクラスの友人が頭を抱えていたのを思い出した。セーブルは年代によって作風がころころ変わるからまとめ難いと」
「では、私の選択が美術史ではなかったら……」
私が問いかけると、殿下は一瞬固まった後に、ゆっくりとジャケットの内ポケットに手を入れた。おもむろに差し出された手には、チケットが4枚。
王立楽団のコンサートチケットが2枚と、演劇のチケットが2枚。つまり。
「私の選択科目が演劇論だった場合はこちらの演劇、そして音楽実技か音楽鑑賞だった場合はこのコンサートチケットを出してくださった……?」
「そうだな」
コホン、と咳払いしながら殿下が気まずそうに肯定する。
どうしよう。
高貴な方にこんなことを思うのは不敬だけども、けれどもすごく。
すごくかわいいわ。この王弟殿下。
「ありがとうございます……」
言いながら俯いてしまう。頬が赤くなるのが自分でもわかる。例え殿下にとって打算的な関係だとしてもこんな、こんなに一緒に過ごす時間を作ろうとして貰ったことなど無かった。
バーニーの婚約者だった時、デートに誘うのはいつも私だった。
ドレスを見に行きたい、植物園を散策したい、食事に行きたい、観劇に行きたい。どれもバーニーは快く応じてくれた。けれど。
彼の方から一緒に居たいと言ってくれたことは、一度も無かった。
「ニーナさん」
赤くなって俯いてしまった私を見て、殿下が言う。
「その、良かったら、観劇も、演奏会も、一緒にどうだろう、か?」
私に釣られて殿下もほんのりと頬を染めている。
真実の恋を見つけたと言うバーニー。対して、私と殿下は恋を始めたわけではない。婚姻に良い相手を求めて巡り合った。
それでもお互いに歩み寄る気持ちがあれば、身を焦がす恋でなくてもこんなに温かな気持ちを持つことができる。
「はい、殿下。喜んで」
顔を上げて微笑む。自然と溢れた笑みだった。今はただ、増えていく約束が嬉しい。
なぜかイーサン殿下は、私と入れ替わるように俯いてしまったけれど。
3,777
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
平民とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の王と結婚しました
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・ベルフォード、これまでの婚約は白紙に戻す」
その言葉を聞いた瞬間、私はようやく――心のどこかで予感していた結末に、静かに息を吐いた。
王太子アルベルト殿下。金糸の髪に、これ見よがしな笑み。彼の隣には、私が知っている顔がある。
――侯爵令嬢、ミレーユ・カスタニア。
学園で何かと殿下に寄り添い、私を「高慢な婚約者」と陰で嘲っていた令嬢だ。
「殿下、どういうことでしょう?」
私の声は驚くほど落ち着いていた。
「わたくしは、あなたの婚約者としてこれまで――」
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
『二流』と言われて婚約破棄されたので、ざまぁしてやります!
志熊みゅう
恋愛
「どうして君は何をやらせても『二流』なんだ!」
皇太子レイモン殿下に、公衆の面前で婚約破棄された侯爵令嬢ソフィ。皇妃の命で地味な装いに徹し、妃教育にすべてを捧げた五年間は、あっさり否定された。それでも、ソフィはくじけない。婚約破棄をきっかけに、学生生活を楽しむと決めた彼女は、一気にイメチェン、大好きだったヴァイオリンを再開し、成績も急上昇!気づけばファンクラブまでできて、学生たちの注目の的に。
そして、音楽を通して親しくなった隣国の留学生・ジョルジュの正体は、なんと……?
『二流』と蔑まれた令嬢が、“恋”と“努力”で見返す爽快逆転ストーリー!
【12月末日公開終了】これは裏切りですか?
たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。
だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。
そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
