ラストオーダーは午後9時半

tamameso

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前編

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 その店のラストオーダーは、午後9時半だと言う。
――「あの角」を曲がったところに、『忘れたい恋』を忘れられる店があるらしい。



 そんな噂を聞いて入った店。

 キセルを咥えた女がいた。

 「え、五千円…札?」

 「誰が津田梅子じゃい!」

 「いや、樋口一葉かと……」

 「ふん?ならば良し」

 店主と思しき女は、キセルを咥えながら、

 「もうラストオーダー過ぎてんだけど?」

と宣った。

 「いま、21:25です」

 「うちは21:30ラストオーダーなんだ。過ぎてんだけど」

 「は?」

 ここで引き下がっては、一生立ち直れないかもしれない。遠慮なく、喋ることにした。

 「俺、受付の白石さんに振られて、」

 「えー?!勝手に話し始める系?それで?」

 ぶはぁーと、煙を吐き出した。
 目が痛い。

 「『ごめんね』ってだけ言われて。何で振られたのか分からなくて…」

 「ほぉう?」

 キセルをクイクイッと動かす。続けて良いんだ。

 「結構、一緒にご飯行ったり、たまには飲みに行ったりしてたんすよ」


 「それで『イケる』と、」

 「告ったわけです」

 店主は、キセルの雁首を返すと、灰を落とした。

 「その女、あんた以外に結構気を持たせた男どもがいるよ?じゃあさ、その告白の事実を忘れたいの?それとも、その女の特別じゃなかった事実?もしくは、女があんたの健気さをーーー嗤ってたこと?」

 「やめて下さい」

 「よし、ここからは有償になるよ」

 樋口一葉もどきは続けた。

 「明日この時間、あんたが持ってるモンの中で、いっちばんつまんねーモンを持ってきな」

 「…お金じゃないんですか?」

 「金なんか。見飽きてるっつーの」

 何かを丸めて、キセルに詰め出した。刻み煙草か。

 (つまんねーモン。分からないな…)

 「あるだろ。万年床の下とか」

 「…俺んち、ベッドなんだけど」

 「ふうん?」

と、煙草に火をつけてひと吸い。
 また、ぶはぁーっと煙を吐き出した。
 今度は避けた。

 「会社の自分の机にのってる変な、小物とかさ、」

 「…っ」

 白石さんからもらった、ガチャの景品を思い出した。

 「心当たり、あっただろ?」

 女が、ニヤリと笑った。



 翌朝、いつものように受付の前を通った。
白石さんも、いつものように朝の準備をしていた。

 「金井原くん、おはよう」

 俺を見て、いつものように挨拶してきた。やっぱり心臓が痛い。早く忘れなくちゃ。

  「お、おはようございます」

 目を伏せて、なるべく早口で言った。
 白石さんがどんな表情してるかなんて、見れるわけがない。



 仕事に集中していると、その間は楽でいられる。
 一段落したので、メールチェックでも、とメールのアイコンをクリックしようとしたところで、ダイレクトメッセージのポップが浮かんだ。

 (まさか、)

 心臓が、一瞬跳ねた気がする。

 白石さんだった。

 『涼くん、今夜飲み行こ❤️』

 (涼くんて、営業の嘉内さん?でもあの人ーーー)

 既婚者だったよな?

 慌ててポップをクリックして、本文メッセージを開くと、

―――メッセージの送信が削除されました

の文章を残して、あのメッセージは消えていた。

 白石さんからもらった、ゆるキャラのフィギュアが、すごくつまんねーモンに見えた。

 俺は、フィギュアを捨てたい気持ちを、少し我慢して鞄のポケットに突っ込んだ。




 「ほぉ?ラストオーダー前に来れたじゃん」

 「どーも、樋口さん」

 「樋口一葉、定着させんなよ」

 そう言いながらも、店主はニヤニヤとキセルを持って煙を吐いた。

 鞄のポケットからつまんねーモンを出して台に置いた。
 やっぱり、どう見てもつまんねーモン。

 「コレで」

 「良いつまらなさ加減」

 店主は上機嫌で頷いた。




 店を出て、駅まで歩く。
 金木犀の香りが、した。

 (あ、公園。あったっけ)
 (そうか、10月だもんな。秋だなぁ)

と唐突に季節感を思い出した。

 (公園の中、歩いて行くか)

 少し歩く距離が増えるけど、金木犀の香りを堪能したい気持ちが強い。
 ベンチに人がいた。
 長い髪をふんわり巻いて、上半分を後ろでまとめてる綺麗な髪。
 顔を両手で覆って、泣いているみたいだ。

 (あちゃー、ちょっと後ろ通るか)

 歩く方向を微妙に斜めにしようとしたところで、その人が顔を上げた。

 白石さんだった。

 泣いていても、キレイな顔だなとか、髪の毛とか爪とか相変わらずちゃんとしてるんだな、と思ったけど、不思議と心は動かなかった。

(うわぁ…、目が合っちゃった)

 俺は、会釈だけしてサッサと通り過ぎる事にした。

 「ねえ、金井原くん」

 背中に縋るような声がした。
 振り向いたら、白石さんがこっちを見ている。

 「ね、ちょっと、時間ある?」

 上目遣いで聞いてきた。

 「今日はないっすねー。多分、明日も明後日も」

 「は?え?」

 「白石さん、泣きたいほど忘れたい事があるのなら、」

 「え、」

 「この道のあの角を入ったとこに良い店あるんすよ。
 樋口一葉もどきの、キセル持ったねーちゃんが店主の」

と、ひと呼吸置いて

 「つまんねーモンを対価に、忘れさせてくれるんですよ」

 言い切った俺は、今度こそ駅に向かって歩き出した。

 コンビニ寄ったら、肉まんとピザまん、どちらを買うか悩みながら。
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