162 / 417
アクアリウム
5.
しおりを挟む
彼女は先ほどまで乾たちが飲んでいたバーの入り口で、ドアにもたれるように立っていた。どんな顔で、どんな服装だったのか、覚えてもいない。ただ、その艶のある唇が、誘うように弓型にしなったのを見たのが、最後だった。
ハッと我に返った時、乾の目に飛び込んできたのは、床に乱れた彼女の髪の毛と、白いうなじにくっきりと残った紅い噛み痕だった。
モノトーンのタイルの床の模様を、なぜか鮮明に覚えている。それなのに、どうやってそこまでたどりついたのかも分からない。ただそこには、自分がバーのトイレで彼女を襲い、番にしたという状況証拠だけが、言い逃れのできない雄弁さで残されていた。
恐怖と混乱で、身体が震えた。自分が何をしでかしたのか、考えるのも嫌だった。
逃げたい、と思った。
何もなかったことにして逃げたい。
ひどく狼狽した乾が乱れた着衣を直そうとすると、床に伏せていた彼女がゆっくりと鎌首を上げて振り向いた。
「責任、取ってくれるわよね?乾さん?」
汗で額にはりついた前髪をかき上げ、勝ち誇ったように笑った彼女は、これ見よがしに自分の下腹を両手で押さえた。
「発情誘発剤、というものがあるのを、ご存じですか?」
乾が訊くと、津田は戸惑ったように目を泳がせた。
「名前、だけは…… 」
その答えに、自分もそうだった、と乾は思う。
発情誘発剤は、違法ドラッグだ。Ωに投与すると、ホルモンに作用して数十分で発情を引き起こす。Ωを扱った性ビジネス業界では日常的に使用され、ネット通販などでも入手できるという。
乾がその存在を知ったのは、彼女を番にしてしまった後だった。
「ブラックキャップ…… だったんです…… 」
乾はうなだれて、津田の顔を見ずに言葉をつないだ。
ハッと我に返った時、乾の目に飛び込んできたのは、床に乱れた彼女の髪の毛と、白いうなじにくっきりと残った紅い噛み痕だった。
モノトーンのタイルの床の模様を、なぜか鮮明に覚えている。それなのに、どうやってそこまでたどりついたのかも分からない。ただそこには、自分がバーのトイレで彼女を襲い、番にしたという状況証拠だけが、言い逃れのできない雄弁さで残されていた。
恐怖と混乱で、身体が震えた。自分が何をしでかしたのか、考えるのも嫌だった。
逃げたい、と思った。
何もなかったことにして逃げたい。
ひどく狼狽した乾が乱れた着衣を直そうとすると、床に伏せていた彼女がゆっくりと鎌首を上げて振り向いた。
「責任、取ってくれるわよね?乾さん?」
汗で額にはりついた前髪をかき上げ、勝ち誇ったように笑った彼女は、これ見よがしに自分の下腹を両手で押さえた。
「発情誘発剤、というものがあるのを、ご存じですか?」
乾が訊くと、津田は戸惑ったように目を泳がせた。
「名前、だけは…… 」
その答えに、自分もそうだった、と乾は思う。
発情誘発剤は、違法ドラッグだ。Ωに投与すると、ホルモンに作用して数十分で発情を引き起こす。Ωを扱った性ビジネス業界では日常的に使用され、ネット通販などでも入手できるという。
乾がその存在を知ったのは、彼女を番にしてしまった後だった。
「ブラックキャップ…… だったんです…… 」
乾はうなだれて、津田の顔を見ずに言葉をつないだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
650
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる