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一人の時間が幸せ
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SNSでのフォローにせよ、現実での関わりにせよ、誰かとの繋がりができるというのは、ゲームソフトを一本始めるのに似ている。
「こんなゲームがあるんだな」と思いながら見ているうちは、ゲームは始まらない。
人でも同じ。遠くから見ているうちは、なんやかんや話す関係は始まらない。
ゲームを始めたら、時間がかかる。レベルを上げ、ストーリーが進み、強敵との戦いがあり、衝撃の展開が待ち受ける。
子どもの頃は「ゲームに時間がかかる」などという視点はなかった。ただ面白そうで、遊びたくてしょうがないだけ。
人間関係も同じ。子どもの頃はただ遊びたくてしょうがない、純粋に知りたい、それだけ。
けれど人と関わるってのは時間がかかることだ。フォロワー様が一人、二人と増え、話す人が増えていくうちに、一時間、二時間、三時間と費やしている。
人間にはストーリーがある。イベントもある。どんどんそれらが発生する。ただし、「地球上の生物である」という、世界の「設定」からは外れられない。だから大抵人の言うことは、「美味しかった」とか「病気になった」とか、肉体があることを前提にしたものである。「不食に挑戦する」とか、「生身で水の上を歩く」とか、「空を飛ぶ」とか、そんな突拍子もないチャレンジはしにくいし、体を張って戦争を止めに行くという、マンガのようなこともできない。幽霊を可視化して存在を証明する機械の開発、なんてこともできない。
多くの一般市民にとって一番良いのは、息抜きをし、明日のために眠ること。
悲しいとき、辛いときは、声をかけて励まし合ってこその仲間だ。よく話すフォロワー様が100人になるということは、100人の健康観察をし、見回り・見守りをするに等しい。
正直興味のない話にも時間を裂くことがあるだろう。何かに誘われて、断るのが心苦しくて、あるいは何か引っかかることを言われて悶々とすることもあるだろう。体調・状況・その他に影響されたりも。
SNSを巡回していると、わりと始めたばかりの人が多い印象で、しばらくマメに活動していた人も、そのうち姿を消すイメージである。
「SNS依存症になってきたな」と思ったときに、人はSNSを去るのだろうか。SNSを始めたばかりのときにすごく熱心に活動していた人ほど、そのうちいなくなるような。
一度人間関係の渦に足を突っ込むと、手に負えないほど広がる場合がある。マメな交流を維持し続けるのは、なかなかに難しいのではないか。
私の場合、以前ほんのひとときバズった頃、幸か不幸か拠点にしていたSNSがサービス終了し、それ以来バズることはなかった。
「投稿する」ということにのみ重きを置いている人は、交流もそこそこに、黙々と何年も投稿し続けていたりするイメージだけど。コミュニケーションに重点を置いている人はけっこう辞めていくような。
しかし黙々と投稿を続けている人も正直、あんまり人気を得られていないようだったり。どういうペースが良いのかなぁ。
「夢叶う気配がない」と思ったときに人は諦めるのだろうか。それとも他に何か……。
私は以前より、ゲームから少し離れた。またゲームに没頭することはあるかもしれないけど。
ゲームを始めたら、ゲームの中で様々な登場人物との出会い、そして戦いがあるだろう。
ワクワクするような音楽とも出会い、一晩中音楽を聴くことがある。現実でゲーム仲間と出会い、対戦をするかもしれない。
ゲームをすればゲームの世界が広がる。ゲームは素晴らしい文化だ。それを知っている。
けれど、ゲームをして、テレビを見て、と、受け身であるうちに、一日、また一日と日は過ぎてゆく。
人間関係もそうだ。「どう話そう」「どう関わろう」「どう声をかけよう」と考えているうちに、刻一刻と時は流れる。出会わなければ考えなかったことに、時間をかけてゆく。世の中いろんな人がいること、現実では出会わないようなタイプの人がいることも知ってゆく。
「世界が広がる」とも言える。が、それはビッグバンのような無限の広がりで、一個人では追いきれない。処理しきれないことだろう。ならばすべてに対処しようとする必要など、最初からなかったのかもしれない。
私が書いたことに対して「なんてひどい!」と思う人は、仲間思いなのだろう。打算的に人と付き合っておらず、日々お世辞とかではなく本心を言う人じゃなかろうか。そして人が好きなのだろう。素敵なことだ。そういう人は、私のような卑怯者に振り回されず、心ある人に出会って、人好きを貫いてほしい。私はどこか人を軽んじ、利用しようとしているのかもしれないから。
朝。自由ならば、「今日は何をしよう?」と考える。
私の好きなファンタジーアニメ映画を観に行こうか。そして帰りには、好きなものを食べようか。それとも一日、創作に没頭しようか。
何をしよう。一分一秒自由だ。
一方、繋がりを大切にしていれば、朝はメッセージチェックから始まる。スキマ時間はそれに費やさないと、回りきれない。
あんまり興味のないメッセージやお誘いがくる。断って良さそうなものは断る。
友達から、あんまり興味のない場所や映画に誘われ、考える。「自分の好きなものばかり見て、好きな話ばかり聞いていたら、世界が広がらないかもな」と。あるいは断る理由が見つからない、断ると矛盾が生じる、など。
それで「人とどう関わろう」と、返信内容を考えているうちに、時間が過ぎてゆくのだ。
そう思うと一人は良い。
誰かに寄り添うこともせず生きたなら、最期は一人であること、体を壊しても人恋しくなっても、誰も寄り添ってくれないことは覚悟しなければならないが……。「以前は人気だった芸術家が晩年は寂しく過ごしたようだ」みたいな話を聞くと、「寄り添えば寄り添ってもらえる」といったお返しも期待できないなと思う。
とりあえず一人を味わい、透明な足枷を外していきたい。マイルールに縛られなければ、本当は自由なんだから。
そう誓いつつ私は、Twitterの通知チェックに向かった。
「こんなゲームがあるんだな」と思いながら見ているうちは、ゲームは始まらない。
人でも同じ。遠くから見ているうちは、なんやかんや話す関係は始まらない。
ゲームを始めたら、時間がかかる。レベルを上げ、ストーリーが進み、強敵との戦いがあり、衝撃の展開が待ち受ける。
子どもの頃は「ゲームに時間がかかる」などという視点はなかった。ただ面白そうで、遊びたくてしょうがないだけ。
人間関係も同じ。子どもの頃はただ遊びたくてしょうがない、純粋に知りたい、それだけ。
けれど人と関わるってのは時間がかかることだ。フォロワー様が一人、二人と増え、話す人が増えていくうちに、一時間、二時間、三時間と費やしている。
人間にはストーリーがある。イベントもある。どんどんそれらが発生する。ただし、「地球上の生物である」という、世界の「設定」からは外れられない。だから大抵人の言うことは、「美味しかった」とか「病気になった」とか、肉体があることを前提にしたものである。「不食に挑戦する」とか、「生身で水の上を歩く」とか、「空を飛ぶ」とか、そんな突拍子もないチャレンジはしにくいし、体を張って戦争を止めに行くという、マンガのようなこともできない。幽霊を可視化して存在を証明する機械の開発、なんてこともできない。
多くの一般市民にとって一番良いのは、息抜きをし、明日のために眠ること。
悲しいとき、辛いときは、声をかけて励まし合ってこその仲間だ。よく話すフォロワー様が100人になるということは、100人の健康観察をし、見回り・見守りをするに等しい。
正直興味のない話にも時間を裂くことがあるだろう。何かに誘われて、断るのが心苦しくて、あるいは何か引っかかることを言われて悶々とすることもあるだろう。体調・状況・その他に影響されたりも。
SNSを巡回していると、わりと始めたばかりの人が多い印象で、しばらくマメに活動していた人も、そのうち姿を消すイメージである。
「SNS依存症になってきたな」と思ったときに、人はSNSを去るのだろうか。SNSを始めたばかりのときにすごく熱心に活動していた人ほど、そのうちいなくなるような。
一度人間関係の渦に足を突っ込むと、手に負えないほど広がる場合がある。マメな交流を維持し続けるのは、なかなかに難しいのではないか。
私の場合、以前ほんのひとときバズった頃、幸か不幸か拠点にしていたSNSがサービス終了し、それ以来バズることはなかった。
「投稿する」ということにのみ重きを置いている人は、交流もそこそこに、黙々と何年も投稿し続けていたりするイメージだけど。コミュニケーションに重点を置いている人はけっこう辞めていくような。
しかし黙々と投稿を続けている人も正直、あんまり人気を得られていないようだったり。どういうペースが良いのかなぁ。
「夢叶う気配がない」と思ったときに人は諦めるのだろうか。それとも他に何か……。
私は以前より、ゲームから少し離れた。またゲームに没頭することはあるかもしれないけど。
ゲームを始めたら、ゲームの中で様々な登場人物との出会い、そして戦いがあるだろう。
ワクワクするような音楽とも出会い、一晩中音楽を聴くことがある。現実でゲーム仲間と出会い、対戦をするかもしれない。
ゲームをすればゲームの世界が広がる。ゲームは素晴らしい文化だ。それを知っている。
けれど、ゲームをして、テレビを見て、と、受け身であるうちに、一日、また一日と日は過ぎてゆく。
人間関係もそうだ。「どう話そう」「どう関わろう」「どう声をかけよう」と考えているうちに、刻一刻と時は流れる。出会わなければ考えなかったことに、時間をかけてゆく。世の中いろんな人がいること、現実では出会わないようなタイプの人がいることも知ってゆく。
「世界が広がる」とも言える。が、それはビッグバンのような無限の広がりで、一個人では追いきれない。処理しきれないことだろう。ならばすべてに対処しようとする必要など、最初からなかったのかもしれない。
私が書いたことに対して「なんてひどい!」と思う人は、仲間思いなのだろう。打算的に人と付き合っておらず、日々お世辞とかではなく本心を言う人じゃなかろうか。そして人が好きなのだろう。素敵なことだ。そういう人は、私のような卑怯者に振り回されず、心ある人に出会って、人好きを貫いてほしい。私はどこか人を軽んじ、利用しようとしているのかもしれないから。
朝。自由ならば、「今日は何をしよう?」と考える。
私の好きなファンタジーアニメ映画を観に行こうか。そして帰りには、好きなものを食べようか。それとも一日、創作に没頭しようか。
何をしよう。一分一秒自由だ。
一方、繋がりを大切にしていれば、朝はメッセージチェックから始まる。スキマ時間はそれに費やさないと、回りきれない。
あんまり興味のないメッセージやお誘いがくる。断って良さそうなものは断る。
友達から、あんまり興味のない場所や映画に誘われ、考える。「自分の好きなものばかり見て、好きな話ばかり聞いていたら、世界が広がらないかもな」と。あるいは断る理由が見つからない、断ると矛盾が生じる、など。
それで「人とどう関わろう」と、返信内容を考えているうちに、時間が過ぎてゆくのだ。
そう思うと一人は良い。
誰かに寄り添うこともせず生きたなら、最期は一人であること、体を壊しても人恋しくなっても、誰も寄り添ってくれないことは覚悟しなければならないが……。「以前は人気だった芸術家が晩年は寂しく過ごしたようだ」みたいな話を聞くと、「寄り添えば寄り添ってもらえる」といったお返しも期待できないなと思う。
とりあえず一人を味わい、透明な足枷を外していきたい。マイルールに縛られなければ、本当は自由なんだから。
そう誓いつつ私は、Twitterの通知チェックに向かった。
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みんなの感想(1件)
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