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好きなことで悩みたい。悩みたくないことで悩みたくない。
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中学生か高校生の頃、「将来は男装して男性っぽい振る舞いをしようかな!?」とか考えていました。
理由は、化粧をしたくなかったから。どうすれば化粧をしなくても許されるのか、わりと長々と考えていたような。
だって化粧したら目もこすれないし、化粧しないと外に出られないなら、思いつきでパッと外出したりできない気がするし。夏に虫を追ったら汗もダラダラかくし、化粧していたら不便そうです。
まさか女は、通勤中とかに虫を追うのもできないってこと? 化粧が崩れる度に直すというのもダルすぎる。
化粧に興味がないけれど、「女は化粧するのがマナーだ!」とか言われそうで怖かったので、「じゃあ男なら……」と思っていたのかもしれません。「男なら虫を追いかけていても不思議ではない」みたいな思い込みもあったのかも。
子供の頃いっとき、男の子の群れに混じって、あちこち探検したり生き物をつかまえたり、ポケモンで遊んだのも楽しかったから。女の子と一緒にそういう遊びをしたことがなかったので(でも中学校の頃に一回、学校で隠れて女の子とポケモン交換したけど……)。
結局今は、ほとんど化粧も毛剃りもしたことないけれど、一応女として生きています。幸か不幸かブサイクなので、女扱いされて動揺することもなければ、化粧しろと言われることもありません。
学生の頃以降、たしか一度もスカートを履いていません。「女性=スカート」という感覚は、現代ではだいぶ薄れていますね。そんな感じで、「女はこういうものが好き」といったイメージが急速に薄れていったし、古いことを言う側が悪である風潮も高まったので、「男だったら良かったのかも」という思いも薄れたのかもしれません。
結局私は、髪を伸ばしたりもしています。伸ばしているというか、切るの面倒なだけですが。1年に1回くらい、バッサリ切っています。ヒゲ(というか産毛)はうっすら生えていますが、マスクを付けるので、これ幸いと、ほとんど剃っていません。
もし私が「男性になりたかった」のであれば、髪を伸ばすのも嫌なはずだし、そうじゃないということは、ただのものぐさかもしれません。……いや、男性でも髪を伸ばす人、いるけど……。
男性もヒゲを剃らなきゃいけないそうですが、男性に生まれたとしても私は、ヒゲ剃りを面倒がったかも。すると性別云々より、身だしなみを整えたくないだけですね。
しかし、毛剃りしない私たちのような者がすべてただの「ズボラ」かというと……。それをスタイルだとか、主義主張に変えている人もいるようです。
以前見た覚えがあるので今検索してみたら、「ジャニュヘアリー運動」と呼ばれるものがありました。女性が、脇毛や体毛が生えている写真をアップすること、らしいです。女性にも体毛があるんだぞ~、あって何が悪い、って感じでしょうか。こうなってくると勇気もいるし、ズボラというより主義であり反骨精神であり革命ですかね……。
何がズボラか。何がマナーか。男なら良くて女ならダメ、またはその逆の風潮は。
「男でないと許されないことがある」「女でないと許されないことがある」そういうことがあるならば、性別変わりたいなと思う人はもっと多くなるかもしれませんね。
私が生まれてしばらくの頃はまだ、「女のくせに」「男のくせに」みたいなセリフはまかり通っていたんじゃないかと思います。が、子どもだったのでそこまでキツいこと言われなかったし、同学年の子とほとんど会話もせず逃げ回って暮らしているうちに、世は多様性時代になってきました。やったね。
今は女だからといって性的にどうこうという支障も特にないので、女がどうとか男がどうとか、何事かアクションを取ろうというほどの思いはありません。元から空想程度だったのかもしれないけど。でもわりと本気で何事かを気にしていたときは、女性っぽい自分の本名が、もうちょっと男性的、あるいは中性的であったら良かったのにと思っていました。
性犯罪やら男性からのいじめやら家庭の不和やらあったから、男性への過剰反応はひどいけど、そこはもう仕方ないじゃんと開き直っています。私は悪くない、世の中が悪い。
それで、横暴に振る舞える男性への悔しさ……いや、憧れがあったのかもしれません。
思うに、それなりの割合の方が、自分の性別についてどうこう考えて、「異性だったらなぁ……」とか思ったことあるんじゃないでしょうか。というのも、思春期の頃、「私って男っぽい性格だから」とおっしゃる女の子をちらほら見た気がするからです。でも申し訳ないけど私は、「男っぽい性格」「女っぽい性格」がよく分からないので、「私、男っぽいから」と言われても「そう……かな?」とか思いながら見ていました。男っぽい、女っぽいとは何でしょう。
私は今も、女性扱いされるのが得意ではありません。あと以前は、女性相手でも、生理の話をするのが嫌でした。胸が膨らんできたのもちょっと嫌だったような。
ただそれは、男性へのトラウマがあったこともあり、「女である=また嫌な目に遭う」という危機感だったのかもしれません。それで体毛を生やしたり、無意識に、女として見られないようにしているのかも。そうなると、性別違和とは別のような。最初に言った「男装したい」も、カモフラージュのような。
また、男になりたいかというと、失礼ですが男性への嫌悪もちょっとあったので、男になりたいわけではなかったような。
……いや、けどうーん……女性っぽいオシャレより、男性的な格好の方がカッコ良くて憧れていた、そっちに惹かれていたというのは実際あります。けどそれって普通に女性が男性をカッコいいと思うのと同じ感覚の部分もあるでしょうね。対人経験がなさすぎて、世間一般の感覚が分からん……。
昔、「中性的になりたい」という思いがあり、いっとき「半陰陽」とかよく検索していました。
そのとき描いていたキャラはけっこうな割合で、男性的でもあり女性的でもある、みたいな子だったような。今はあんまりそっち方面、探求していませんが。
「中性的になりたい」思いをリアルの自分として考えるならば、「男性でもあり女性でもある」のか、「男性にもなりたくないし女性でもありたくない」のか。そのあたりに近そうな概念といえば、Xジェンダー、両性愛者、アセクシュアルやアロマンティックのような。
ただ私の思いのほとんどは、いっときのトラウマや発達の過程による混乱であり、一過性のものであった気がします。今の性癖はというと、表向きは人間にはあまり興味なく人外萌え……まさかこのまま行くとズーフィリアや対物性愛などの領域に? それも良い気がします。が、普通に男性のが好きだったりもします。
でも男性優位・女性が「支配権を握られている」とか、男性が征服感を感じるとかいう一般的な男尊女卑(?)より、男性が女性に虐げられているSMの方が好きなような。
というか私もしかして主体性がなく、ラジオの電波みたいにどこかで拾った誰かの概念を(本や映画のワンシーンに無意識に影響を受けたとか)自分のものとして認識しているのでは? メチャクチャ影響されやすいし。
そうなると「エンパス」かもしれない、なんて思ったこともありますが、「共感性が高い」かというと、それも違う気がします。人の気持ちが分からないし。気が利かないし。人に迷惑をかけても無理をさせても気づかないし。
その他、発達障害、スターピープルなど、「人と違う」ことについて調べましたが、自分自身が人と違うのか、そういう方たちに憧れがあっただけか、もはや不明です。現実逃避の一環だったのかも。
以前は「自分って変人だ……」って思っていましたが、今は多様化の世の中なので、自分は平凡だと思います。……気質は平凡だけど現状は負け組、でも負け組も平凡ですかね……。
多様性の時代ではありますが、あまり生半可な気持ちで性別とかについて語っていいわけでもない気がしますね。「あー、男になりたいなぁ」なんて言ったら、「今話題のジェンダーの人か?」「思いつきでそういうこと言うのは無神経じゃない?」というような目を向けられそうな。それ相応の覚悟がある人だけ口にしても良いような。「こうかもなぁ」「ああかもなぁ」程度の思いでは……。
現代にはユーチューバーという職業があるので、ユーチューバーを見れば、「ユーチューバーになりたい」と思う人もいます。ということは私も時代の空気に多少影響されたのでは。ユーチューバーという職業がなかった頃はユーチューバーを目指すこともないだろうし、多様性の時代でなければ、自分の在り方を疑うこともなかったかもしれません。
けれど人は、時代の影響を受けるもの。影響を受けたことも、また個性。ユーチューバーを見てユーチューバーになりたいと思ったなら、それも個性でしょう。じゃあ私は……?
もしかしたら私は、机上の空論みたいなのを、現実に当てはめようとしているだけかもしれません。
時々思います。もしも、私が「女だから」愛してくれた人がいたとして、来世で自分か相手の性別が変わったら、もう愛してもらえないのかなと。同性か、異性か、そんなことで揺らいでしまう「愛」って何なのだろうと。
すると両性愛こそが真実に思えてきます。が、同時に、「最終的に一人だけを愛さなきゃいけない」というのも妙に思えてきます。一対一こそが本当の愛でしょうか? それだと愛が広がらない。愛はそんな限定的なものか。もっと多くの人が多くの人を愛せば良いのでは(実際それやったら、性病が蔓延し、親権を放棄された子どもたちが溢れるのでしょうか)。
さらには、もし来世人間ではなく虫や動物に生まれたら? 永遠の愛を誓った相手から、見向きもされなくなるでしょうか。
最後のは極端なようでありつつ、わりと本気で思っています。ちょっとズレるかもしれませんが、金魚を可愛がって育てていたとして、その子がもし死後にゴキブリに生まれ変わって会いに来たら、ゴキブリだから殺すのでしょうか。犬や猫が、牛や豚に生まれ変わることはないのでしょうか。
そのように、「何気なく殺している相手」の「魂の正体」を、我々は知りません。今大量に殺している害虫や害獣の魂はどこから来たのか。かつて人に愛されたペットの生まれ変わりである可能性がないと言えるでしょうか。
もうちょっと人間的な路線に戻ると、もし私が今美人、あるいはタイプだったとして、それを誰かが愛してくれたとしても、来世で姿が変わり、好みじゃなくなったら、もう愛してもらえないでしょうか。
「姿が変わる」「タイプが変わる」は今生でも起こるでしょうけどね。
そういうふうに、机上の「真実の愛」みたいなものを脳内で追っていると、訳が分からなくなってきます。それが現実の私の考えに影響し、女性扱いをされたときなどに「私は何故女なのだろう。女であるとは一体何だろう」とか思うのかもしれません。
けど。自分が生きた時代にどんな職業が存在するか、または世の風潮によって「夢」すら変わるように、「それを考えるきっかけ」があるかないかで、思考は変わるでしょう。
たとえば私が、外国に移り住んだら。中には日本人のことを良く思わない人もいるかもしれません。すると、日本にいた間は日本人であることを意識しなかった私が、途端に「何故私は日本人に生まれたのだろう。日本人としてどう振る舞えば良いんだろう」と悩み出す可能性があります。
他にも、不謹慎だけど、もし何かの病気になったら。それが人生の一部になりますよね。かかった病気、起こった出来事と向き合う。そうやって、人生で過ごす時間の内容、調べること、気になること、思うことが変わっていく。
私が文章を書きまくっているのは、自分で自分の説明書を作り上げているようなものかもしれません。あんまり読む方はいないので、主に自分に向けて、ということになるかも。
けど自分を語り尽くし、自分を明らかにする必要あるのでしょうか、とも思います。自分の場合。
この間紅白で聞いた、セカオワの「Habit」が刺さりました。以前から好きな合唱曲の「次元」も、歌詞的に似たようなことを言っているのかも。
どういうタイプか。何者か。自分がハッキリ分かるのも一つの個性だし、「分からない」というのもまた、良いのかも。
私はメスですが、今後それを使う予定はありません。ということは、余程予想外なことでも起こらなければ、一生「私が女である」ことは人生に関係ないはずなのです。まぁ使いもしないのに生理があるのは不便ですが。
この世では一応、交尾のために凹凸みたいなものがある、それをオス・メスって言っているんですよね。もちろんそれだけじゃない、性は多様だって意見もあるでしょうが。
力の差がある、生理がある、男性の方が性犯罪を起こしやすいほど性欲が強い(あるいは実行できるほどの力がある?)、なんかそのへんの体調的な違いが存在するのはしょうがないですが、自然界では毛剃りもしないし(毛繕いするけど)、スカートも履かないし、なんていうか……何が男らしさとか女らしさとか、人間が勝手に決めてることが多いだろうなって。
私がゴキブリと向き合っているときに、私が女であることとか、それ以外の特性とか、どういう人間であるかとか、関係あるでしょうか。あんまり関係ない気がします。
そういえばそう。大体人間と向き合って、自分の考えや好きなこと、スタイルを「それっておかしいよ」と否定されたり、あんまり誰にも分かってもらえず浮いたりして、考え出すのです。「私ってどういう人間なんだろう」と。
自分のことを誰かに語って否定されるのでなくても、生きていれば様々な言葉が目に飛び込んできます。色んな否定を目にして、流されたり、流されまいとしたり。
言葉が存在するから、逆らいたくも語りたくもなる。ぼんやりと雲を眺めているような時間がすべてなら、主義主張を語る必要も、「自分は何者か」などという探求も必要ないのかも。私の場合。
ならば私のやりたいことは、自分の説明書を完成させること以外にいっぱいあるのでは。私の興味はあまり、人間には向かない気がするのです。
人と語り、関わりたいならば、人として自分が何者であるか、どう振る舞いたいかというのは重要かもしれません。でも虫の観察がやりたいことなら、そこはあまり関係ないかも。
私はどのような存在になっても、人間である限り、しっくりくることはないのかもしれません。最終的に「なんで人間なんだろう」とか言い出すかも。
女で、日本人で……まぁ一応そうだけど……なんか違う気もするけど……何かを主張できるほどの主義もありません。
もっと経てば、「なんで私は生物なんだろう」って言い出すかもしれません。
どうして性があるのか。どうして食べないといけないのか。どうして働き、死んでゆくのか。「水や空気や電気のように漂っていたかった」とか言い出すかも。
セカオワのHabitの「俺たちはもっと曖昧で複雑で不明瞭なナニカ」が刺さります。
明らかにすることに人生使うか、別のことに時間を使うか。それぞれで良いのかもしれませんね。
理由は、化粧をしたくなかったから。どうすれば化粧をしなくても許されるのか、わりと長々と考えていたような。
だって化粧したら目もこすれないし、化粧しないと外に出られないなら、思いつきでパッと外出したりできない気がするし。夏に虫を追ったら汗もダラダラかくし、化粧していたら不便そうです。
まさか女は、通勤中とかに虫を追うのもできないってこと? 化粧が崩れる度に直すというのもダルすぎる。
化粧に興味がないけれど、「女は化粧するのがマナーだ!」とか言われそうで怖かったので、「じゃあ男なら……」と思っていたのかもしれません。「男なら虫を追いかけていても不思議ではない」みたいな思い込みもあったのかも。
子供の頃いっとき、男の子の群れに混じって、あちこち探検したり生き物をつかまえたり、ポケモンで遊んだのも楽しかったから。女の子と一緒にそういう遊びをしたことがなかったので(でも中学校の頃に一回、学校で隠れて女の子とポケモン交換したけど……)。
結局今は、ほとんど化粧も毛剃りもしたことないけれど、一応女として生きています。幸か不幸かブサイクなので、女扱いされて動揺することもなければ、化粧しろと言われることもありません。
学生の頃以降、たしか一度もスカートを履いていません。「女性=スカート」という感覚は、現代ではだいぶ薄れていますね。そんな感じで、「女はこういうものが好き」といったイメージが急速に薄れていったし、古いことを言う側が悪である風潮も高まったので、「男だったら良かったのかも」という思いも薄れたのかもしれません。
結局私は、髪を伸ばしたりもしています。伸ばしているというか、切るの面倒なだけですが。1年に1回くらい、バッサリ切っています。ヒゲ(というか産毛)はうっすら生えていますが、マスクを付けるので、これ幸いと、ほとんど剃っていません。
もし私が「男性になりたかった」のであれば、髪を伸ばすのも嫌なはずだし、そうじゃないということは、ただのものぐさかもしれません。……いや、男性でも髪を伸ばす人、いるけど……。
男性もヒゲを剃らなきゃいけないそうですが、男性に生まれたとしても私は、ヒゲ剃りを面倒がったかも。すると性別云々より、身だしなみを整えたくないだけですね。
しかし、毛剃りしない私たちのような者がすべてただの「ズボラ」かというと……。それをスタイルだとか、主義主張に変えている人もいるようです。
以前見た覚えがあるので今検索してみたら、「ジャニュヘアリー運動」と呼ばれるものがありました。女性が、脇毛や体毛が生えている写真をアップすること、らしいです。女性にも体毛があるんだぞ~、あって何が悪い、って感じでしょうか。こうなってくると勇気もいるし、ズボラというより主義であり反骨精神であり革命ですかね……。
何がズボラか。何がマナーか。男なら良くて女ならダメ、またはその逆の風潮は。
「男でないと許されないことがある」「女でないと許されないことがある」そういうことがあるならば、性別変わりたいなと思う人はもっと多くなるかもしれませんね。
私が生まれてしばらくの頃はまだ、「女のくせに」「男のくせに」みたいなセリフはまかり通っていたんじゃないかと思います。が、子どもだったのでそこまでキツいこと言われなかったし、同学年の子とほとんど会話もせず逃げ回って暮らしているうちに、世は多様性時代になってきました。やったね。
今は女だからといって性的にどうこうという支障も特にないので、女がどうとか男がどうとか、何事かアクションを取ろうというほどの思いはありません。元から空想程度だったのかもしれないけど。でもわりと本気で何事かを気にしていたときは、女性っぽい自分の本名が、もうちょっと男性的、あるいは中性的であったら良かったのにと思っていました。
性犯罪やら男性からのいじめやら家庭の不和やらあったから、男性への過剰反応はひどいけど、そこはもう仕方ないじゃんと開き直っています。私は悪くない、世の中が悪い。
それで、横暴に振る舞える男性への悔しさ……いや、憧れがあったのかもしれません。
思うに、それなりの割合の方が、自分の性別についてどうこう考えて、「異性だったらなぁ……」とか思ったことあるんじゃないでしょうか。というのも、思春期の頃、「私って男っぽい性格だから」とおっしゃる女の子をちらほら見た気がするからです。でも申し訳ないけど私は、「男っぽい性格」「女っぽい性格」がよく分からないので、「私、男っぽいから」と言われても「そう……かな?」とか思いながら見ていました。男っぽい、女っぽいとは何でしょう。
私は今も、女性扱いされるのが得意ではありません。あと以前は、女性相手でも、生理の話をするのが嫌でした。胸が膨らんできたのもちょっと嫌だったような。
ただそれは、男性へのトラウマがあったこともあり、「女である=また嫌な目に遭う」という危機感だったのかもしれません。それで体毛を生やしたり、無意識に、女として見られないようにしているのかも。そうなると、性別違和とは別のような。最初に言った「男装したい」も、カモフラージュのような。
また、男になりたいかというと、失礼ですが男性への嫌悪もちょっとあったので、男になりたいわけではなかったような。
……いや、けどうーん……女性っぽいオシャレより、男性的な格好の方がカッコ良くて憧れていた、そっちに惹かれていたというのは実際あります。けどそれって普通に女性が男性をカッコいいと思うのと同じ感覚の部分もあるでしょうね。対人経験がなさすぎて、世間一般の感覚が分からん……。
昔、「中性的になりたい」という思いがあり、いっとき「半陰陽」とかよく検索していました。
そのとき描いていたキャラはけっこうな割合で、男性的でもあり女性的でもある、みたいな子だったような。今はあんまりそっち方面、探求していませんが。
「中性的になりたい」思いをリアルの自分として考えるならば、「男性でもあり女性でもある」のか、「男性にもなりたくないし女性でもありたくない」のか。そのあたりに近そうな概念といえば、Xジェンダー、両性愛者、アセクシュアルやアロマンティックのような。
ただ私の思いのほとんどは、いっときのトラウマや発達の過程による混乱であり、一過性のものであった気がします。今の性癖はというと、表向きは人間にはあまり興味なく人外萌え……まさかこのまま行くとズーフィリアや対物性愛などの領域に? それも良い気がします。が、普通に男性のが好きだったりもします。
でも男性優位・女性が「支配権を握られている」とか、男性が征服感を感じるとかいう一般的な男尊女卑(?)より、男性が女性に虐げられているSMの方が好きなような。
というか私もしかして主体性がなく、ラジオの電波みたいにどこかで拾った誰かの概念を(本や映画のワンシーンに無意識に影響を受けたとか)自分のものとして認識しているのでは? メチャクチャ影響されやすいし。
そうなると「エンパス」かもしれない、なんて思ったこともありますが、「共感性が高い」かというと、それも違う気がします。人の気持ちが分からないし。気が利かないし。人に迷惑をかけても無理をさせても気づかないし。
その他、発達障害、スターピープルなど、「人と違う」ことについて調べましたが、自分自身が人と違うのか、そういう方たちに憧れがあっただけか、もはや不明です。現実逃避の一環だったのかも。
以前は「自分って変人だ……」って思っていましたが、今は多様化の世の中なので、自分は平凡だと思います。……気質は平凡だけど現状は負け組、でも負け組も平凡ですかね……。
多様性の時代ではありますが、あまり生半可な気持ちで性別とかについて語っていいわけでもない気がしますね。「あー、男になりたいなぁ」なんて言ったら、「今話題のジェンダーの人か?」「思いつきでそういうこと言うのは無神経じゃない?」というような目を向けられそうな。それ相応の覚悟がある人だけ口にしても良いような。「こうかもなぁ」「ああかもなぁ」程度の思いでは……。
現代にはユーチューバーという職業があるので、ユーチューバーを見れば、「ユーチューバーになりたい」と思う人もいます。ということは私も時代の空気に多少影響されたのでは。ユーチューバーという職業がなかった頃はユーチューバーを目指すこともないだろうし、多様性の時代でなければ、自分の在り方を疑うこともなかったかもしれません。
けれど人は、時代の影響を受けるもの。影響を受けたことも、また個性。ユーチューバーを見てユーチューバーになりたいと思ったなら、それも個性でしょう。じゃあ私は……?
もしかしたら私は、机上の空論みたいなのを、現実に当てはめようとしているだけかもしれません。
時々思います。もしも、私が「女だから」愛してくれた人がいたとして、来世で自分か相手の性別が変わったら、もう愛してもらえないのかなと。同性か、異性か、そんなことで揺らいでしまう「愛」って何なのだろうと。
すると両性愛こそが真実に思えてきます。が、同時に、「最終的に一人だけを愛さなきゃいけない」というのも妙に思えてきます。一対一こそが本当の愛でしょうか? それだと愛が広がらない。愛はそんな限定的なものか。もっと多くの人が多くの人を愛せば良いのでは(実際それやったら、性病が蔓延し、親権を放棄された子どもたちが溢れるのでしょうか)。
さらには、もし来世人間ではなく虫や動物に生まれたら? 永遠の愛を誓った相手から、見向きもされなくなるでしょうか。
最後のは極端なようでありつつ、わりと本気で思っています。ちょっとズレるかもしれませんが、金魚を可愛がって育てていたとして、その子がもし死後にゴキブリに生まれ変わって会いに来たら、ゴキブリだから殺すのでしょうか。犬や猫が、牛や豚に生まれ変わることはないのでしょうか。
そのように、「何気なく殺している相手」の「魂の正体」を、我々は知りません。今大量に殺している害虫や害獣の魂はどこから来たのか。かつて人に愛されたペットの生まれ変わりである可能性がないと言えるでしょうか。
もうちょっと人間的な路線に戻ると、もし私が今美人、あるいはタイプだったとして、それを誰かが愛してくれたとしても、来世で姿が変わり、好みじゃなくなったら、もう愛してもらえないでしょうか。
「姿が変わる」「タイプが変わる」は今生でも起こるでしょうけどね。
そういうふうに、机上の「真実の愛」みたいなものを脳内で追っていると、訳が分からなくなってきます。それが現実の私の考えに影響し、女性扱いをされたときなどに「私は何故女なのだろう。女であるとは一体何だろう」とか思うのかもしれません。
けど。自分が生きた時代にどんな職業が存在するか、または世の風潮によって「夢」すら変わるように、「それを考えるきっかけ」があるかないかで、思考は変わるでしょう。
たとえば私が、外国に移り住んだら。中には日本人のことを良く思わない人もいるかもしれません。すると、日本にいた間は日本人であることを意識しなかった私が、途端に「何故私は日本人に生まれたのだろう。日本人としてどう振る舞えば良いんだろう」と悩み出す可能性があります。
他にも、不謹慎だけど、もし何かの病気になったら。それが人生の一部になりますよね。かかった病気、起こった出来事と向き合う。そうやって、人生で過ごす時間の内容、調べること、気になること、思うことが変わっていく。
私が文章を書きまくっているのは、自分で自分の説明書を作り上げているようなものかもしれません。あんまり読む方はいないので、主に自分に向けて、ということになるかも。
けど自分を語り尽くし、自分を明らかにする必要あるのでしょうか、とも思います。自分の場合。
この間紅白で聞いた、セカオワの「Habit」が刺さりました。以前から好きな合唱曲の「次元」も、歌詞的に似たようなことを言っているのかも。
どういうタイプか。何者か。自分がハッキリ分かるのも一つの個性だし、「分からない」というのもまた、良いのかも。
私はメスですが、今後それを使う予定はありません。ということは、余程予想外なことでも起こらなければ、一生「私が女である」ことは人生に関係ないはずなのです。まぁ使いもしないのに生理があるのは不便ですが。
この世では一応、交尾のために凹凸みたいなものがある、それをオス・メスって言っているんですよね。もちろんそれだけじゃない、性は多様だって意見もあるでしょうが。
力の差がある、生理がある、男性の方が性犯罪を起こしやすいほど性欲が強い(あるいは実行できるほどの力がある?)、なんかそのへんの体調的な違いが存在するのはしょうがないですが、自然界では毛剃りもしないし(毛繕いするけど)、スカートも履かないし、なんていうか……何が男らしさとか女らしさとか、人間が勝手に決めてることが多いだろうなって。
私がゴキブリと向き合っているときに、私が女であることとか、それ以外の特性とか、どういう人間であるかとか、関係あるでしょうか。あんまり関係ない気がします。
そういえばそう。大体人間と向き合って、自分の考えや好きなこと、スタイルを「それっておかしいよ」と否定されたり、あんまり誰にも分かってもらえず浮いたりして、考え出すのです。「私ってどういう人間なんだろう」と。
自分のことを誰かに語って否定されるのでなくても、生きていれば様々な言葉が目に飛び込んできます。色んな否定を目にして、流されたり、流されまいとしたり。
言葉が存在するから、逆らいたくも語りたくもなる。ぼんやりと雲を眺めているような時間がすべてなら、主義主張を語る必要も、「自分は何者か」などという探求も必要ないのかも。私の場合。
ならば私のやりたいことは、自分の説明書を完成させること以外にいっぱいあるのでは。私の興味はあまり、人間には向かない気がするのです。
人と語り、関わりたいならば、人として自分が何者であるか、どう振る舞いたいかというのは重要かもしれません。でも虫の観察がやりたいことなら、そこはあまり関係ないかも。
私はどのような存在になっても、人間である限り、しっくりくることはないのかもしれません。最終的に「なんで人間なんだろう」とか言い出すかも。
女で、日本人で……まぁ一応そうだけど……なんか違う気もするけど……何かを主張できるほどの主義もありません。
もっと経てば、「なんで私は生物なんだろう」って言い出すかもしれません。
どうして性があるのか。どうして食べないといけないのか。どうして働き、死んでゆくのか。「水や空気や電気のように漂っていたかった」とか言い出すかも。
セカオワのHabitの「俺たちはもっと曖昧で複雑で不明瞭なナニカ」が刺さります。
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