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謎ルートに入った
ただの友達とか、友達以上とか
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なんとなく、人間関係の最上級は「恋愛」だと、心のどこかで思ってきた。だからこそ、それを否定したかったし、恋愛至上主義に抵抗した。
けれど劣等感は拭えなかった。私には人を愛する心がないし、人から真の愛を注がれるほどの魅力もないのだと。
私は恋愛・人間関係初心者。「友達」も知らないし「恋愛」も知らない。「仕事」も分からないかも。
何もかも、まだ始まったばかり。これで何か分かった気になるのは早い。
とはいえ改めて思う。「別に恋愛が人間関係の最上級ではないかもな?」と。
恋をしなければ価値がないのか。性的に愛されなければ人として価値がないのか。そんなことはない。
誰かがそう言おうとも、「セックスしないと子どもが生まれないんだぞ」と不安を煽り立てられようとも、やはり……。
昨今言われる「多様性」の風潮が心地いい。人それぞれ。これで良いのだ。
別に人間に限った話じゃないらしい。ペンギンには同性カップルが多いらしい。「ペンギン 同性カップル」で検索すると見られる。多分他の動物でも、みんな自由。
何かのために、何かをする。
目的のための行動。ではその目的がいらなくなったり、別のことで代用して目的を果たせるようになったらどうか?
ロボットやAIが労働力になるかもしれないし、お金とか税金とかシステムとか、何もかも変わっていくかもしれない。そしたら、「人類は増えすぎだよね~。地球のためにはもうちょっと減っても良いんじゃない?」という空気も大きくなるかもしれない。
社会がどう、税金がどう、少子化がどう。「それ」と「恋愛」は今のところ繋がりがあるが、社会云々の義務感・責任、女としての使命感や焦りなんて、それが愛の根源であるとは思えない。
まぁ「愛が必要」なんてのも思い込みであり、社会のための使命感こそ正義という考え方もあるだろうけど。
産みたければ産み、産みたくなければ産まなければいい。
「愛」「人間関係」の最上級が「恋」(またはその先の家族)とも思えない。
どこか、「友達」というのは恋愛未満、「恋愛」というのは友達以上であり、誰かと恋愛やセックスをする関係にまでなれないと一人前でないという劣等感に、私も取り憑かれているけれど(まだ染みついているので、抜けられたわけではない)。本当は別にそうでもない気がする。
アセクシュアルやアロマンティックの人もいるし、別に「私はアセクシュアルやアロマンティックだ」とは思わなくても、恋に積極的でない人も多いだろう。
恋をできないことで劣等感を抱えたり、「私は不幸だ」と思う人もいるかもしれないが、別にそうとは思わない人も多いはず。
短い人生。タイミングとか出会いの機会とか、合う・合わないとか。色んなことがあるかもしれないし、ないかもしれない。あったらあったで、なかったらなかったで、変わっても変わらなくても良いじゃないか。
世間だとか仲間だとか、誰かに認められるために、誰かを愛するフリをするというのも、違う気がする。
よくドラマとかで、女の子が「彼とはただの友達よ」と言っていて、男の子が微妙な表情でそれを聞いている、みたいなのがあるけど、そういう感じで「恋仲は友達より上」というイメージがあった。
けどどうなんだろう。私はまだ快楽に達していないからかもしれないけど、肉体的に触れ合うことが一番深い関係性とも限らないような。
っていうかそうか、私は風俗とか何も知らないけど、「恋仲」「肉体関係」「友達」「(会社とかの)人間関係」とかはそれぞれ全然違うのか。「主にセックスだけする関係」と「プライベートなことを何でも話す関係」があったとしたら、後者の方が深い関係とも取れる。
体の関係をどこまで重視するかとか、「子どもを産んでこそ大人」「子どもを産まないと日本が滅ぶ」という真面目な(?)考えをどこまで持っているかによっても、価値観は変わるのか。
「自由」という考え方は「自分さえ良ければいい」に似ている、という捉え方もあるのかもしれないけど、既存の社会のために子どもたちが生まれてくるとか、出生率を上げるために恋愛をもてはやすというのはどうかなぁ。「楽しい」なら良いけどなぁ。
「恋をしてみたけれど、恋より楽しいことが見つかった」という話も時々あって癒される。人の幸せってそれぞれだ。そして「人生は使命を果たすものだ」という考えより、「人生とは幸せ探しだ」という考えを推したい。
関係性に優劣などないし、友達だとか、ちょっと離れた関係の方が居心地いいこともあると思う。
とても濃い恋愛関係になったとしても数年で終わるかもしれないし、ゆるい関係が10年20年と続くかもしれない。結局切れてしまう縁があるならば、切れずに残っていく縁こそ、深い関係かなと思ったり。
それに「関係」だけが大事なのでもない。という風潮になってきたから「推し」「推し活」といった概念が流行っているのだろうけど。
歌手やアイドルを好きになったところで、彼らはこちらを認識していないし、振り向いてくれるわけでもない。けれど、それで良い。会話したいとか友達になりたいとか、そういう感情でもないのだろう。
漫画の続きを待つとか、映画を楽しみにするとか、商品を見てワクワクするとか、そういうのも「コミュニケーション」とは呼ばれず、娯楽と言われるけれど、「誰かとの関わり」である気がする。
私の文章を読んでくれているけれど、私に話しかけてはこない。そういう方がいたとして、喋ったことは一度もなくても。それはそれで一つの深い関係みたいなものがある気がする。表面的な関係だけが人間関係ではない気がする。
しかし恋は恋で良いものだなぁ。大切にしてもらえていると感じると、返したくなる。お忙しいだろうに、頻繁に会ってもらえる、話してもらえる、こちらを見ていただけるというのは、とても貴重でありがたいことだろう。
いや、失恋するラストまで経験しないと、そして何人かと付き合わないと、「恋愛」の本質は分からないのかもしれないけど。
劣等感とか、将来への不安とか、グズグズした感情で埋もれていたところに恋が入ってきて、人生の目的だか目標だかができた感じがする。愛してもらえること、頼れる人がいることで安心感が増した。
絶対目標達成できるわけでもないだろうし、それで良いのだけれど、とりあえずのゴールみたいなものが設定された感じ。
けど、失恋を経験しないと分からないとはいえ、失恋せず結婚とかいう話になる可能性もゼロではないし……。
結婚できたとしても、離婚とか子育てとか経験しなければ、結婚が良いものかどうかなんて本当には分からないかも……。
とか言い出したら、私は大学にも行っていないし、経験したことないものがいっぱいで、人生の本質が分かる可能性など、そもそもあるのかどうか疑わしい。
ずっと、何か知ったような気になりつつ、知ったかぶって生きていくかも。人生の意味だか何だかなんて、死の瞬間まで分からないかもしれないし、死んでも分からないかもしれない。
とりあえず、一応何年も夢に向かって創作してきて、芽が出ず諦めかけていたので、タイミング的に良かったのかも。もう少し前なら「私にはやりたいことがあるんだ! 恋愛に時間など割いていられない!」とか思っていたかも。
ただとにかく、避妊失敗が怖い。お手軽な避妊の種類(?)と、確率論ではない安心が、もうちょっと欲しいかな。
けれど劣等感は拭えなかった。私には人を愛する心がないし、人から真の愛を注がれるほどの魅力もないのだと。
私は恋愛・人間関係初心者。「友達」も知らないし「恋愛」も知らない。「仕事」も分からないかも。
何もかも、まだ始まったばかり。これで何か分かった気になるのは早い。
とはいえ改めて思う。「別に恋愛が人間関係の最上級ではないかもな?」と。
恋をしなければ価値がないのか。性的に愛されなければ人として価値がないのか。そんなことはない。
誰かがそう言おうとも、「セックスしないと子どもが生まれないんだぞ」と不安を煽り立てられようとも、やはり……。
昨今言われる「多様性」の風潮が心地いい。人それぞれ。これで良いのだ。
別に人間に限った話じゃないらしい。ペンギンには同性カップルが多いらしい。「ペンギン 同性カップル」で検索すると見られる。多分他の動物でも、みんな自由。
何かのために、何かをする。
目的のための行動。ではその目的がいらなくなったり、別のことで代用して目的を果たせるようになったらどうか?
ロボットやAIが労働力になるかもしれないし、お金とか税金とかシステムとか、何もかも変わっていくかもしれない。そしたら、「人類は増えすぎだよね~。地球のためにはもうちょっと減っても良いんじゃない?」という空気も大きくなるかもしれない。
社会がどう、税金がどう、少子化がどう。「それ」と「恋愛」は今のところ繋がりがあるが、社会云々の義務感・責任、女としての使命感や焦りなんて、それが愛の根源であるとは思えない。
まぁ「愛が必要」なんてのも思い込みであり、社会のための使命感こそ正義という考え方もあるだろうけど。
産みたければ産み、産みたくなければ産まなければいい。
「愛」「人間関係」の最上級が「恋」(またはその先の家族)とも思えない。
どこか、「友達」というのは恋愛未満、「恋愛」というのは友達以上であり、誰かと恋愛やセックスをする関係にまでなれないと一人前でないという劣等感に、私も取り憑かれているけれど(まだ染みついているので、抜けられたわけではない)。本当は別にそうでもない気がする。
アセクシュアルやアロマンティックの人もいるし、別に「私はアセクシュアルやアロマンティックだ」とは思わなくても、恋に積極的でない人も多いだろう。
恋をできないことで劣等感を抱えたり、「私は不幸だ」と思う人もいるかもしれないが、別にそうとは思わない人も多いはず。
短い人生。タイミングとか出会いの機会とか、合う・合わないとか。色んなことがあるかもしれないし、ないかもしれない。あったらあったで、なかったらなかったで、変わっても変わらなくても良いじゃないか。
世間だとか仲間だとか、誰かに認められるために、誰かを愛するフリをするというのも、違う気がする。
よくドラマとかで、女の子が「彼とはただの友達よ」と言っていて、男の子が微妙な表情でそれを聞いている、みたいなのがあるけど、そういう感じで「恋仲は友達より上」というイメージがあった。
けどどうなんだろう。私はまだ快楽に達していないからかもしれないけど、肉体的に触れ合うことが一番深い関係性とも限らないような。
っていうかそうか、私は風俗とか何も知らないけど、「恋仲」「肉体関係」「友達」「(会社とかの)人間関係」とかはそれぞれ全然違うのか。「主にセックスだけする関係」と「プライベートなことを何でも話す関係」があったとしたら、後者の方が深い関係とも取れる。
体の関係をどこまで重視するかとか、「子どもを産んでこそ大人」「子どもを産まないと日本が滅ぶ」という真面目な(?)考えをどこまで持っているかによっても、価値観は変わるのか。
「自由」という考え方は「自分さえ良ければいい」に似ている、という捉え方もあるのかもしれないけど、既存の社会のために子どもたちが生まれてくるとか、出生率を上げるために恋愛をもてはやすというのはどうかなぁ。「楽しい」なら良いけどなぁ。
「恋をしてみたけれど、恋より楽しいことが見つかった」という話も時々あって癒される。人の幸せってそれぞれだ。そして「人生は使命を果たすものだ」という考えより、「人生とは幸せ探しだ」という考えを推したい。
関係性に優劣などないし、友達だとか、ちょっと離れた関係の方が居心地いいこともあると思う。
とても濃い恋愛関係になったとしても数年で終わるかもしれないし、ゆるい関係が10年20年と続くかもしれない。結局切れてしまう縁があるならば、切れずに残っていく縁こそ、深い関係かなと思ったり。
それに「関係」だけが大事なのでもない。という風潮になってきたから「推し」「推し活」といった概念が流行っているのだろうけど。
歌手やアイドルを好きになったところで、彼らはこちらを認識していないし、振り向いてくれるわけでもない。けれど、それで良い。会話したいとか友達になりたいとか、そういう感情でもないのだろう。
漫画の続きを待つとか、映画を楽しみにするとか、商品を見てワクワクするとか、そういうのも「コミュニケーション」とは呼ばれず、娯楽と言われるけれど、「誰かとの関わり」である気がする。
私の文章を読んでくれているけれど、私に話しかけてはこない。そういう方がいたとして、喋ったことは一度もなくても。それはそれで一つの深い関係みたいなものがある気がする。表面的な関係だけが人間関係ではない気がする。
しかし恋は恋で良いものだなぁ。大切にしてもらえていると感じると、返したくなる。お忙しいだろうに、頻繁に会ってもらえる、話してもらえる、こちらを見ていただけるというのは、とても貴重でありがたいことだろう。
いや、失恋するラストまで経験しないと、そして何人かと付き合わないと、「恋愛」の本質は分からないのかもしれないけど。
劣等感とか、将来への不安とか、グズグズした感情で埋もれていたところに恋が入ってきて、人生の目的だか目標だかができた感じがする。愛してもらえること、頼れる人がいることで安心感が増した。
絶対目標達成できるわけでもないだろうし、それで良いのだけれど、とりあえずのゴールみたいなものが設定された感じ。
けど、失恋を経験しないと分からないとはいえ、失恋せず結婚とかいう話になる可能性もゼロではないし……。
結婚できたとしても、離婚とか子育てとか経験しなければ、結婚が良いものかどうかなんて本当には分からないかも……。
とか言い出したら、私は大学にも行っていないし、経験したことないものがいっぱいで、人生の本質が分かる可能性など、そもそもあるのかどうか疑わしい。
ずっと、何か知ったような気になりつつ、知ったかぶって生きていくかも。人生の意味だか何だかなんて、死の瞬間まで分からないかもしれないし、死んでも分からないかもしれない。
とりあえず、一応何年も夢に向かって創作してきて、芽が出ず諦めかけていたので、タイミング的に良かったのかも。もう少し前なら「私にはやりたいことがあるんだ! 恋愛に時間など割いていられない!」とか思っていたかも。
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