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何もかもから抜けたい
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仕事を辞めたい。
辞めてどうする?
さぁ。
辞められない。
やめられないことは、いっぱいある。
食事。趣味。考え方。人生。
でも好きでもなく、必要もなく、無駄にエネルギーを取られる、自分にとって役に立たないことはやめたい。
ルッキズムから抜けたい。
自分の外見が気になる。
本当は誰かに「美しい」と言われたかった。自分が美しい、可愛いと思いたかった。
その裏返しで、自分が醜く思える。肌も荒れ気味で汚いし。「美人だね」なんて言われたことあったろうか。
自分の外見に苦しむのは、ルッキズムに囚われているからだ。
人がどう思うかじゃない。私自身が誠に吹っ切れていれば、たとえ「ブス!」と言われようが、みんなが「あの人美しいわ」と誰かのことばかり見ていようが、嫉妬したり寂しくなったり、自分の外見を責めたりなどしないはずなのだ。
反ルッキズムを叫びたい。
しかしもし私が、自由自在に好きな姿に化けられる狸であったなら、どうするだろう? 美しく化けるのではないだろうか。
そしてもし私が若く美しく才能溢れる人間ならば。美しいパートナーを選んでいたのではないか。
エゴだ。
自分を正当化し、自分に都合よく考えたいだけだ。
どうせモテないから反ルッキズムに頷くだけだ。もしモテたなら、人を外見で選んだかもしれない。
年齢も。学歴も。どうでもいいと思えたなら。
そんなことでどうこう言う人類に頭を悩ませることなどなかったのだ。
世界から責められること。自分が自分を責めること。
「誰かの役に立たなきゃ」
「生物は恋をし繁殖するものだ」
「美しくなる努力をせよ」
図星だと思っている。信じている。
求めても得られない理想。能力。お金。姿。若さ。愛。
悲しくて、腹立たしくて。
だけどもう良いじゃないか。こんな移ろいゆくものに縋って生きて。持ち上げられても叩き落とされるかもしれない。どうせ人間なんてくだらない生き物だ。
もっと普遍のもの。崇高なもの。絶対に私を受け入れ、愛し、見放しはしない、大きな愛がどこかにあるはず。私の顔面が崩壊しようが、ミイラになろうが、脳ミソをぶちまけようが、ある日道路で臓物と糞尿を撒き散らして生き絶えようが。本当の愛があれば、冷めたりドン引きなどしない。何があっても。
本当の愛が実在しないなら、自分の心の奥底で生み出せばいい。
私は他人に対しての本当の愛を具現化できない。まだ足りない。私は人が何を考えているか分からず、恐れ、怒り、蹴り落としたくなる。それでいて実は構ってもらいたくて、寂しくてたまらない。こんなもの、愛じゃない。
人が好きだと言うならばそれは誠に好きなこと。スズメバチが好きなら、刺されて死んでも本望なように。誠に人が好きなら、襲われようが嘲笑われようが退かれようが嫌われようが殺されようが、好きなものは変わらず好きなのだ。見返りとか、相手がどう思ってくれるか、どう反応するかなんてどうでも良い。
益虫だから好き、美しいから好き、そんな理由を付けているうちは愛じゃない。相手の行動によって好きになったり嫌いになったり揺らぐようでは、まだ自分の中にある相手像は幻想であり本物ではないのだ。どんなに変貌しても、何を知っても、何を失っても見捨てられないほどに、狂おしく囚われてしまうことこそ愛じゃないか。
私はまだそうなれない。だから人が嫌い。大嫌い。
詐欺が嫌い。裏切りが嫌い。戦争が嫌い。常識が嫌い。性が嫌い。
醜くてもできるだけ正直な言葉がいい。まだ自分に都合良く隠し事してばかりだけど。
歯の浮くような言葉なんか信じられない。腑に落ちない。
刺してくるスズメバチを好きになれない。まだ。
私は綺麗な柄のタオルを手に取った。綺麗な柄のタオルが好きだ。
綺麗な虫。美しい虫。個性的な虫が好きだ。
そう、私はルッキストだ。大きくて見応えのある虫が好き。美しいアートが好き。その率直な価値観を人間に当てはめてはいけないという価値観を突き付けられ、抑え込んで葛藤しているだけ。
くだらない。私もくだらない。世界もくだらない。
そんなことないと反論されることも、思えばくだらない。
私はどこへ行きたいんだ? 何がしたかったんだ? 何が言いたかったんだ?
私には、人としての魅力がある。それを認めない自分が嫌いだ。自分を信じてやれない。才能も外見も未来も。
自分だけが自分を愛せばいいのだ。まだそれさえできないならば、誰かに愛を注ぐ段階ではない。他の価値観なんてどうでも良いのに。
それでも不安で舞い戻る。集団心理を覗き見る。
ああ、どうせ可愛い動物が、美しい人が愛されるのだ。
そんなこと1万回確認して、1万回ガッカリして、鏡を見て老化を確認して何になる?
恋人がいない、友達がいない、仕事ができない、お金がない、価値がない。
人に差し出せる価値がない。
だから何だ。
害虫たちは人間にとって価値がないけど、だから何だ。殺されても殺されても生きようとしているじゃないか。
殺虫ビジネスの標的にされても文句も言わない。
殺虫ビジネスの標的という意味では人間にとって価値があるのかもしれないけど。利用されても蔑まれてもそのスタイルを貫く。
害虫は美しい。害虫はカッコいい。めげない、しぶとい、我が道を行く。害虫を見習いたい。
人間なんかを見習おうとするから死にたくなるんだ。人間は敵だ。クソだ。心の中で笑ってやれ。
そう思うことでこの先1年、2年と生きていけるなら。人間なんてクソとでもゴミとでも大嫌いとでも思えばいい。
自分が生きる価値がある人間かどうか? 生きる意味があるかどうか? そんなこと多数派の基準に決めさせちゃいかん。生きたきゃ生きる。死にたきゃ死ぬ。自由だ。生きたいから見苦しくても生きるんだ。
息ができるように。倒れないように。早く強くなりたい。揺らがなくなりたい。
そのために何度だって泣くぞ。「泣いていいよ」なんて誰からも言われなくても泣く。自分の味方になれるのは結局いつも自分だけなのだ。
働くのはしょうがないとしても、働くために生きているんじゃない。遊ぶために生きてるんだ。楽しむために生きてるんだ。
傍目に見て気持ち悪いだろう。汚いだろう。
私は生き物たちから何を学んできた? 生き物たちはあんなにもシンプルで潔くて美しいのに。人間は理解だの権利だのギャーギャーと。
しかしそれでも、醜く貪欲に抗う、この最底辺の「人間らしさ」こそが、私を惹きつけてやまない、人間の美しさなのである。
優越感。特別感。劣等感。嫉妬。猜疑心。残虐性。狂気。
醜さを必死で隠した日常なんかつまらん。
私は人間の醜さが好きだ。
辞めてどうする?
さぁ。
辞められない。
やめられないことは、いっぱいある。
食事。趣味。考え方。人生。
でも好きでもなく、必要もなく、無駄にエネルギーを取られる、自分にとって役に立たないことはやめたい。
ルッキズムから抜けたい。
自分の外見が気になる。
本当は誰かに「美しい」と言われたかった。自分が美しい、可愛いと思いたかった。
その裏返しで、自分が醜く思える。肌も荒れ気味で汚いし。「美人だね」なんて言われたことあったろうか。
自分の外見に苦しむのは、ルッキズムに囚われているからだ。
人がどう思うかじゃない。私自身が誠に吹っ切れていれば、たとえ「ブス!」と言われようが、みんなが「あの人美しいわ」と誰かのことばかり見ていようが、嫉妬したり寂しくなったり、自分の外見を責めたりなどしないはずなのだ。
反ルッキズムを叫びたい。
しかしもし私が、自由自在に好きな姿に化けられる狸であったなら、どうするだろう? 美しく化けるのではないだろうか。
そしてもし私が若く美しく才能溢れる人間ならば。美しいパートナーを選んでいたのではないか。
エゴだ。
自分を正当化し、自分に都合よく考えたいだけだ。
どうせモテないから反ルッキズムに頷くだけだ。もしモテたなら、人を外見で選んだかもしれない。
年齢も。学歴も。どうでもいいと思えたなら。
そんなことでどうこう言う人類に頭を悩ませることなどなかったのだ。
世界から責められること。自分が自分を責めること。
「誰かの役に立たなきゃ」
「生物は恋をし繁殖するものだ」
「美しくなる努力をせよ」
図星だと思っている。信じている。
求めても得られない理想。能力。お金。姿。若さ。愛。
悲しくて、腹立たしくて。
だけどもう良いじゃないか。こんな移ろいゆくものに縋って生きて。持ち上げられても叩き落とされるかもしれない。どうせ人間なんてくだらない生き物だ。
もっと普遍のもの。崇高なもの。絶対に私を受け入れ、愛し、見放しはしない、大きな愛がどこかにあるはず。私の顔面が崩壊しようが、ミイラになろうが、脳ミソをぶちまけようが、ある日道路で臓物と糞尿を撒き散らして生き絶えようが。本当の愛があれば、冷めたりドン引きなどしない。何があっても。
本当の愛が実在しないなら、自分の心の奥底で生み出せばいい。
私は他人に対しての本当の愛を具現化できない。まだ足りない。私は人が何を考えているか分からず、恐れ、怒り、蹴り落としたくなる。それでいて実は構ってもらいたくて、寂しくてたまらない。こんなもの、愛じゃない。
人が好きだと言うならばそれは誠に好きなこと。スズメバチが好きなら、刺されて死んでも本望なように。誠に人が好きなら、襲われようが嘲笑われようが退かれようが嫌われようが殺されようが、好きなものは変わらず好きなのだ。見返りとか、相手がどう思ってくれるか、どう反応するかなんてどうでも良い。
益虫だから好き、美しいから好き、そんな理由を付けているうちは愛じゃない。相手の行動によって好きになったり嫌いになったり揺らぐようでは、まだ自分の中にある相手像は幻想であり本物ではないのだ。どんなに変貌しても、何を知っても、何を失っても見捨てられないほどに、狂おしく囚われてしまうことこそ愛じゃないか。
私はまだそうなれない。だから人が嫌い。大嫌い。
詐欺が嫌い。裏切りが嫌い。戦争が嫌い。常識が嫌い。性が嫌い。
醜くてもできるだけ正直な言葉がいい。まだ自分に都合良く隠し事してばかりだけど。
歯の浮くような言葉なんか信じられない。腑に落ちない。
刺してくるスズメバチを好きになれない。まだ。
私は綺麗な柄のタオルを手に取った。綺麗な柄のタオルが好きだ。
綺麗な虫。美しい虫。個性的な虫が好きだ。
そう、私はルッキストだ。大きくて見応えのある虫が好き。美しいアートが好き。その率直な価値観を人間に当てはめてはいけないという価値観を突き付けられ、抑え込んで葛藤しているだけ。
くだらない。私もくだらない。世界もくだらない。
そんなことないと反論されることも、思えばくだらない。
私はどこへ行きたいんだ? 何がしたかったんだ? 何が言いたかったんだ?
私には、人としての魅力がある。それを認めない自分が嫌いだ。自分を信じてやれない。才能も外見も未来も。
自分だけが自分を愛せばいいのだ。まだそれさえできないならば、誰かに愛を注ぐ段階ではない。他の価値観なんてどうでも良いのに。
それでも不安で舞い戻る。集団心理を覗き見る。
ああ、どうせ可愛い動物が、美しい人が愛されるのだ。
そんなこと1万回確認して、1万回ガッカリして、鏡を見て老化を確認して何になる?
恋人がいない、友達がいない、仕事ができない、お金がない、価値がない。
人に差し出せる価値がない。
だから何だ。
害虫たちは人間にとって価値がないけど、だから何だ。殺されても殺されても生きようとしているじゃないか。
殺虫ビジネスの標的にされても文句も言わない。
殺虫ビジネスの標的という意味では人間にとって価値があるのかもしれないけど。利用されても蔑まれてもそのスタイルを貫く。
害虫は美しい。害虫はカッコいい。めげない、しぶとい、我が道を行く。害虫を見習いたい。
人間なんかを見習おうとするから死にたくなるんだ。人間は敵だ。クソだ。心の中で笑ってやれ。
そう思うことでこの先1年、2年と生きていけるなら。人間なんてクソとでもゴミとでも大嫌いとでも思えばいい。
自分が生きる価値がある人間かどうか? 生きる意味があるかどうか? そんなこと多数派の基準に決めさせちゃいかん。生きたきゃ生きる。死にたきゃ死ぬ。自由だ。生きたいから見苦しくても生きるんだ。
息ができるように。倒れないように。早く強くなりたい。揺らがなくなりたい。
そのために何度だって泣くぞ。「泣いていいよ」なんて誰からも言われなくても泣く。自分の味方になれるのは結局いつも自分だけなのだ。
働くのはしょうがないとしても、働くために生きているんじゃない。遊ぶために生きてるんだ。楽しむために生きてるんだ。
傍目に見て気持ち悪いだろう。汚いだろう。
私は生き物たちから何を学んできた? 生き物たちはあんなにもシンプルで潔くて美しいのに。人間は理解だの権利だのギャーギャーと。
しかしそれでも、醜く貪欲に抗う、この最底辺の「人間らしさ」こそが、私を惹きつけてやまない、人間の美しさなのである。
優越感。特別感。劣等感。嫉妬。猜疑心。残虐性。狂気。
醜さを必死で隠した日常なんかつまらん。
私は人間の醜さが好きだ。
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みんなの感想(1件)
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