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自分のことは棚に上げて創作論(?)
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最近、マンガなどで出てくるギャグやネタに「うっ」ときやすくなっています。
好きで買ったマンガを読み返していても、前は「ちょっと嫌だなー」程度でスルーできていたネタが今はけっこうグサッときたり。前なら笑っていたネタが、今は笑えなかったり。
人の年齢、性別、外見、立場などを笑い物にするようなネタなどはドキッとしますね。
それまで「仲間思いのいい人だなー」と思っていたキャラが、友達のいない人を低く見るようなシーンがあったりすると「なんだ、仲間を大切にしているんじゃなくて一人になるのが嫌なだけか」とガッカリしたりもします。
ただ、それぞれの作品ごとにどこかに対して寛容な部分があったりするんですよね。
相手が人間じゃなくても受け入れるとか、善悪を越えるとか、うまく社会に馴染めない人に対しての優しい眼差しがあるとか。
あと、人が貶められるようなドキッとするシーンがあったあと、他のキャラがすかさず助けに入る、フォローする、ツッコむ、あるいは貶められた人があとで救われるシーンがあるなどすると「ああ、そうだったのか……」と感動することもあります。
そういう場合わざと展開に引っかかりを作っているんですね。
逆にそのまま流されると、その後感動するエピソードがあっても「でもこの人、人の価値を年齢や外見で決めるんだろうな」などと思ってしまって入り込めなくなります。
そして「うっ」とくるギャグの中にも定番のものはありますね……。というかベタなギャグでも「うっ」とくるようになってきました。「みんなそう思っているのか、そう感じるのか、ここで笑うのか」と。典型的なものだと人の容姿をバカにして笑ったり、姿を見てガッカリしたり、拒絶したりとか。
私は以前は「勝ち組・負け組」「スイーツ(笑)」「中二病」など人を小馬鹿にするような言葉を見ると、「何か言われる側になるのは怖いな。気をつけよう」とビビっていました。そのレッテルを貼られる人間になりたくないと。
しかし今はみんなそれぞれで認め合えば良いじゃないかと思うようになりました。……いや、そうなれていると思いたいです。
「自分はこう思われたくない」「仲間外れにされたくない」という感覚が「みんなで一人をバカにする」という体勢に繋がるように感じます。
誰かに対し差別的な言動をした人があとでひどい目に遭う、という展開パターンもありますが、それはあんまり問題提起(?)に対するフォローや答えだと感じられないというか、「それに対してどう考えるか」ということが言葉や態度では示されないんだなと思いますね。
誰か一人に悪役を押し付けてそれを裁くより、誰もが持っている差別心を洗い出される方が良い意味でドキッとする気がします。そしてその世界に救いがあってほしいですね。差別する人はまだ存在するけれど、差別をなくすために活動している立派な人もいるとか。何かを背負って生きているけれど、そのことを理解してくれる仲間がいるとか。
そんなわけで、作品に対し途中で「うっ」となることもあるのですが、逆に読めば読むほど「おおー!!」となる作品は「色々な立場や年齢や外見や考え方を持つキャラ」の視点が出てくるお話ですね。
しかも全員に居場所があったり救われたり「違うもの」同士が分かり合おうとしていると感動します。
お爺さんやお婆さんと子どもたちの温かい話とか、孤独な人に友達ができる話とか、不美人な人が愛を手に入れる話とか。
「オペラ座の怪人」「エレファントマン」「美女と野獣」など、男性側が姿形を越えて愛を知る話は何度か目にしたのですが(よく知らないけどノートルダムの鐘も?)、女性側にはなんだかずっと「美しくあるべき」という風潮を感じることが多かったので、以前読み続けていたマンガに「容姿にコンプレックスのある女の子が幸せを見つける」といった感じのエピソードが出てきたときはホッとしました。「前から優しい視点の作品だと思っていたけどますます好きになった」と。
そういう、読者に寄り添って元気をくれるような優しいエピソードは心に残ります。
少し話がそれますが、今は「おじ様」のマンガが流行っているようなので、「おば様」路線も増えると私としては嬉しいです。
もしかしたら未来ではまた私の意見も変わってくるかもしれないし、「最近流行っているこういうものは私としては的外れに感じる」などと好き勝手言っているかもしれませんが、私は様々な人が個性や魅力を発揮する世界観が好きなのです。
私は子ども番組「おかあさんといっしょ」で流れる体操の曲「あ・い・うー」の歌詞のフレーズが好きです。
「ライオンになりたい女の子 女の子になりたい男の子 いいないいな なれたらいいな」の部分です。
これを聞くと、女の子がライオンに憧れても、男の子が女の子になりたくても良いんだって思えますよね。自由でのびのびとした気持ちになり、ホッとします。
私の感動ポイント、求めているものはそういうところかもしれません。
あと、私は虫好きを目指しているのですが、虫は創作において悪役のモンスターにされたり、意味なく悪口に使われたり、殺されたり嫌われてもフォローが入らなかったりすることが多いので、そこに関して「越える」作品が出てくると嬉しいと個人的に思っています。
現実の世界で主に意見を発しているのは人間だけ。私たちには人間の気持ちしか分かりませんが、人間の気持ちすら分かっていない・分かり合えていないことが多くあります。だから「人間以外のもの」をも理解しようとする姿には感動します。
キャラが人間でなくても、「このキャラはどう思っているのか?」ということを考えつつ作られている作品には温かさがあります。説得力や世界観ができています。
それが生物の生態的に正しいかどうかということより、寄り添おうとする姿勢に惹かれます。私がそう思うのは私があんまり実際の生き物のことを知らないからかもしれませんが。
ただ、せっかく色んなものを感覚的に越える作品があっても、あまりに作品がフワフワと独創的で幻想的だったりすると、凡人の私はうまく現実的なテーマ性や自由な世界観をつかみ取れなかったりするんですけどね。
現実的な風潮に潜む闇や「あるある」を取り入れつつ、それを越えていくような感覚が好きなのかもしれません。
って散々語りましたが、今自分のマンガの投稿準備をしていて(全然終わりが見えない)、過去に描いたものを見ていると「うっ」とくる言動だらけでした……。
キャラの特性も偏っているし。そもそもあまりメッセージ性を含んだ作品にしようとしておらず、軽い気持ちで好きなように描いているからですが。
で、今描いてみても別に心理的に進展はしていません。何か差別や偏見を「越える」斬新なポイントがあるわけでもないし。買って読んでいるマンガに対しては自分を棚に上げて色々思うけど、自分の作品も全然配慮が足りてないなと思います。
しかしそれも含めて「自分」とか「作品」かと思い、あまりにひどいもの以外は残していく予定です。表現者の中には過去作品を全部消したいタイプの人もいるようですが、私は過去作品に思い入れがある方です。過去作品は過去作品で、今の自分にはない良いところがあるんじゃないかと思っています。時が進むごとに何かを得、代わりに何かを失いながら人は表現していると思うのです……。
以前は自分の作品で人が泣いたり笑ったりしたらすごいだろうなと思っていたのですが、そこまでの道のりは長そうです。人を不快にさせるのは簡単ですが、人の心を「良い意味で揺さぶる」ってのは簡単ではないんですよね……。
私は生まれ変わりを信じるので、性別や年齢を越えて「多くの人が心揺さぶられるポイント」はあると思います。が、その感動ポイントを意図的に作り出せるかというと無理っぽいです。
狙って感動させることは難しい……。でも「不快感」を減らしていくことは可能なんじゃないかなーと思います。無意識にやってしまう部分もあるので時間はかかりますが、自分が誰かの作品を読んでいてある表現に「うっ」ときたら、その表現を避けるようにしていけば良いんですよね。もちろん万人にとっての快や不快はないでしょうが。
まぁ、あまりに何もかも避けすぎると「自分の表現」ができなくなってつまらなくなるかもしれないですね。
気長に気楽に行きます。
と、「他人に厳しく自分に甘い」どうしようもない結論となったところで終わります。
皆さんももし自分の愛する作品にケチを付けられたりしたら、「他人に厳しく自分に甘く」で乗り切ってください!
好きで買ったマンガを読み返していても、前は「ちょっと嫌だなー」程度でスルーできていたネタが今はけっこうグサッときたり。前なら笑っていたネタが、今は笑えなかったり。
人の年齢、性別、外見、立場などを笑い物にするようなネタなどはドキッとしますね。
それまで「仲間思いのいい人だなー」と思っていたキャラが、友達のいない人を低く見るようなシーンがあったりすると「なんだ、仲間を大切にしているんじゃなくて一人になるのが嫌なだけか」とガッカリしたりもします。
ただ、それぞれの作品ごとにどこかに対して寛容な部分があったりするんですよね。
相手が人間じゃなくても受け入れるとか、善悪を越えるとか、うまく社会に馴染めない人に対しての優しい眼差しがあるとか。
あと、人が貶められるようなドキッとするシーンがあったあと、他のキャラがすかさず助けに入る、フォローする、ツッコむ、あるいは貶められた人があとで救われるシーンがあるなどすると「ああ、そうだったのか……」と感動することもあります。
そういう場合わざと展開に引っかかりを作っているんですね。
逆にそのまま流されると、その後感動するエピソードがあっても「でもこの人、人の価値を年齢や外見で決めるんだろうな」などと思ってしまって入り込めなくなります。
そして「うっ」とくるギャグの中にも定番のものはありますね……。というかベタなギャグでも「うっ」とくるようになってきました。「みんなそう思っているのか、そう感じるのか、ここで笑うのか」と。典型的なものだと人の容姿をバカにして笑ったり、姿を見てガッカリしたり、拒絶したりとか。
私は以前は「勝ち組・負け組」「スイーツ(笑)」「中二病」など人を小馬鹿にするような言葉を見ると、「何か言われる側になるのは怖いな。気をつけよう」とビビっていました。そのレッテルを貼られる人間になりたくないと。
しかし今はみんなそれぞれで認め合えば良いじゃないかと思うようになりました。……いや、そうなれていると思いたいです。
「自分はこう思われたくない」「仲間外れにされたくない」という感覚が「みんなで一人をバカにする」という体勢に繋がるように感じます。
誰かに対し差別的な言動をした人があとでひどい目に遭う、という展開パターンもありますが、それはあんまり問題提起(?)に対するフォローや答えだと感じられないというか、「それに対してどう考えるか」ということが言葉や態度では示されないんだなと思いますね。
誰か一人に悪役を押し付けてそれを裁くより、誰もが持っている差別心を洗い出される方が良い意味でドキッとする気がします。そしてその世界に救いがあってほしいですね。差別する人はまだ存在するけれど、差別をなくすために活動している立派な人もいるとか。何かを背負って生きているけれど、そのことを理解してくれる仲間がいるとか。
そんなわけで、作品に対し途中で「うっ」となることもあるのですが、逆に読めば読むほど「おおー!!」となる作品は「色々な立場や年齢や外見や考え方を持つキャラ」の視点が出てくるお話ですね。
しかも全員に居場所があったり救われたり「違うもの」同士が分かり合おうとしていると感動します。
お爺さんやお婆さんと子どもたちの温かい話とか、孤独な人に友達ができる話とか、不美人な人が愛を手に入れる話とか。
「オペラ座の怪人」「エレファントマン」「美女と野獣」など、男性側が姿形を越えて愛を知る話は何度か目にしたのですが(よく知らないけどノートルダムの鐘も?)、女性側にはなんだかずっと「美しくあるべき」という風潮を感じることが多かったので、以前読み続けていたマンガに「容姿にコンプレックスのある女の子が幸せを見つける」といった感じのエピソードが出てきたときはホッとしました。「前から優しい視点の作品だと思っていたけどますます好きになった」と。
そういう、読者に寄り添って元気をくれるような優しいエピソードは心に残ります。
少し話がそれますが、今は「おじ様」のマンガが流行っているようなので、「おば様」路線も増えると私としては嬉しいです。
もしかしたら未来ではまた私の意見も変わってくるかもしれないし、「最近流行っているこういうものは私としては的外れに感じる」などと好き勝手言っているかもしれませんが、私は様々な人が個性や魅力を発揮する世界観が好きなのです。
私は子ども番組「おかあさんといっしょ」で流れる体操の曲「あ・い・うー」の歌詞のフレーズが好きです。
「ライオンになりたい女の子 女の子になりたい男の子 いいないいな なれたらいいな」の部分です。
これを聞くと、女の子がライオンに憧れても、男の子が女の子になりたくても良いんだって思えますよね。自由でのびのびとした気持ちになり、ホッとします。
私の感動ポイント、求めているものはそういうところかもしれません。
あと、私は虫好きを目指しているのですが、虫は創作において悪役のモンスターにされたり、意味なく悪口に使われたり、殺されたり嫌われてもフォローが入らなかったりすることが多いので、そこに関して「越える」作品が出てくると嬉しいと個人的に思っています。
現実の世界で主に意見を発しているのは人間だけ。私たちには人間の気持ちしか分かりませんが、人間の気持ちすら分かっていない・分かり合えていないことが多くあります。だから「人間以外のもの」をも理解しようとする姿には感動します。
キャラが人間でなくても、「このキャラはどう思っているのか?」ということを考えつつ作られている作品には温かさがあります。説得力や世界観ができています。
それが生物の生態的に正しいかどうかということより、寄り添おうとする姿勢に惹かれます。私がそう思うのは私があんまり実際の生き物のことを知らないからかもしれませんが。
ただ、せっかく色んなものを感覚的に越える作品があっても、あまりに作品がフワフワと独創的で幻想的だったりすると、凡人の私はうまく現実的なテーマ性や自由な世界観をつかみ取れなかったりするんですけどね。
現実的な風潮に潜む闇や「あるある」を取り入れつつ、それを越えていくような感覚が好きなのかもしれません。
って散々語りましたが、今自分のマンガの投稿準備をしていて(全然終わりが見えない)、過去に描いたものを見ていると「うっ」とくる言動だらけでした……。
キャラの特性も偏っているし。そもそもあまりメッセージ性を含んだ作品にしようとしておらず、軽い気持ちで好きなように描いているからですが。
で、今描いてみても別に心理的に進展はしていません。何か差別や偏見を「越える」斬新なポイントがあるわけでもないし。買って読んでいるマンガに対しては自分を棚に上げて色々思うけど、自分の作品も全然配慮が足りてないなと思います。
しかしそれも含めて「自分」とか「作品」かと思い、あまりにひどいもの以外は残していく予定です。表現者の中には過去作品を全部消したいタイプの人もいるようですが、私は過去作品に思い入れがある方です。過去作品は過去作品で、今の自分にはない良いところがあるんじゃないかと思っています。時が進むごとに何かを得、代わりに何かを失いながら人は表現していると思うのです……。
以前は自分の作品で人が泣いたり笑ったりしたらすごいだろうなと思っていたのですが、そこまでの道のりは長そうです。人を不快にさせるのは簡単ですが、人の心を「良い意味で揺さぶる」ってのは簡単ではないんですよね……。
私は生まれ変わりを信じるので、性別や年齢を越えて「多くの人が心揺さぶられるポイント」はあると思います。が、その感動ポイントを意図的に作り出せるかというと無理っぽいです。
狙って感動させることは難しい……。でも「不快感」を減らしていくことは可能なんじゃないかなーと思います。無意識にやってしまう部分もあるので時間はかかりますが、自分が誰かの作品を読んでいてある表現に「うっ」ときたら、その表現を避けるようにしていけば良いんですよね。もちろん万人にとっての快や不快はないでしょうが。
まぁ、あまりに何もかも避けすぎると「自分の表現」ができなくなってつまらなくなるかもしれないですね。
気長に気楽に行きます。
と、「他人に厳しく自分に甘い」どうしようもない結論となったところで終わります。
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