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私たちが住むこの世界。惑星―ルミナス―
このルミナスには、『獣人』と呼ばれる人間と動物の特徴を掛け合わせた人と、『人間』と呼ばれる動物の特徴のない純粋な人のふたつの人種が存在する。
人口割合は現在7:3。過去に比べ、人間の人口は増えつつある。
獣人の種は大まかに分けて、哺乳類、鳥類、両生類、爬虫類……。魚類や昆虫類の獣人は確認されていない。容姿は人間に近い者から動物に近い者まで割合は様々である。
獣人は人間としての知性、理性、想像性などを持ちながらも、動物的身体能力がある。五感も優れており、早く走れるもの、空を飛べるもの、水中で活動ができるもの。多彩な身体能力で社会に貢献している。
しかし、人間はただの『人間』でしかない。当然身体能力は獣人には及ばない。だから『生まれながらの劣等種』だと蔑まれてきた。
だが、そんな差別社会からゆっくりと世界は変化している。同じ『人』、同じ『命』には変わりないのだと。
それでも人間に対する差別はなくならない。
長年続く『人間の血液事件』は今も変わらず世界で問題になっている。
獣人には多種多様な種族があるが、獣人の血液は同じ種、同じ型同士でしか輸血が行えない。しかし、人間の血液は同じ型であれば、獣人、人間、関係なく輸血が可能だ。
その『血』に『金銭的価値』を見出し、人間を攫い、血液を奪う事件が未だ絶えない。
世界では様々な理由で治療を必要とする者たちも絶えないのも事実だ……
都内にあるS総合病院。
今日は深夜にしては珍しく静かだ。病棟のナースステーションも今は落ち着いている。
久々の夜勤にあたる、人間の看護師・結木寿葉(ゆいきことは)は、先日もらった人間の政治家の小冊子を眺めながら口を開いた。
「血液事件か……昔より聞かなくなったけど、最近また外国の人が密入国してきたらしいですね……」
少し離れた場所で、猫耳がピクリと動いた。ライトブラウンの滑らかな毛並み、セミロングヘアーを低めの一つ結びにした小柄で猫に近い容姿の女性。猫の獣人で主任看護師である星乃(ほしの)が、眠そうな目をこすりながらふにゃふにゃと喋りだした。
「ん~そうみたいだね~気をつけないと……この国では法が厳しくなってだいぶ減ったみたいだけど、まだ外国人からの被害は止まないね~そういや結木も、血液事件に巻き込まれたことあるって言ってたよね?昔よりは少しは生きやすくなった?」
「まぁ……そうですけど……」
寿葉は目を瞑り考え込んだ。確かに自分は人間で、幼い頃何度か襲われたことがあった。
過去の出来事が頭をよぎり、胸が痛む。
束の間の静寂をかき消す、接近する救急車のサイレン。下階の救急外来から感じる微かなざわめきと緊張がこの病棟にも伝わった。
星乃の院内スマートフォンに連絡が表示される。
「救急から、重症患者1名、今から緊急オペらしい。術後、集中治療室予定。私たちは私たちのやるべき事をやろう」
「はい、巡回行ってきます」
珍しい静けさはとっくに消え、よくある日常が今日もやってきた。
* * *
全身が、痛い。翼が燃えるように痛い。
真っ暗な闇があたりを覆っている。ぼんやりと聞こえる声に耳鳴りがキーンと重なる。何を言っているかハッキリと分からない。が、自分を助けようとしてくれている?
では、自分は一体どうなっている?痛みの隙間から必死で記憶を辿った……
羽佐間輝一(はざまきいち)シロフクロウの獣人。
主に純人が巻き込まれる血液事件、拉致や誘拐事件などを担当する警察所属、人間専門機動隊の隊員。
9月25日の深夜0時を過ぎたあたり、人間の誘拐事件の救出に向かった。無事、被害者である人間の子供を確保し飛び立った瞬間、激しい衝撃と爆発音が背中から響き、一瞬意識が飛ぶ。
地面に強打した全身の痛み、背中が燃えるのを感じる。朦朧とした意識で、なんとか守りきったはずの被害者を隊長である多賀野(たかの)に引き渡した所で記憶が途切れている。
輝一は安堵した。記憶は失っていない。
恐らくここは病院で、自分は事故にあって今治療してもらっているのだろう。微かにだが機械音も聞こえている。しかし、継続する痛みと石のように固まったこの身体。重い瞼は開かず、喉から声も出せない。指1本動かせない。
しばらくは何も出来ない……輝一はそう判断し、身を委ねるしかなかった。
ようやく周りの声が聞こえるようになった頃、事故から3週間程経っていた。少しずつだが身体の痛みが引いているのが分かる。
世話をしてくれる看護師が毎日日時を言ってくれるお陰で、輝一は時間感覚をやっと取り戻せた。医師の声や時々やってくる多賀野隊長の声も聞こえる。
主治医の荒木(あらき)曰く、今起きられない状態は『閉じ込め症候群』に近い症状らしい。主に頭部外傷が原因で、手足や肋の骨折などの多発外傷も響いているみたいだ。的確で迅速な手術と治療、それに目を閉じてはいるが意識があることに直ぐに気づいてくれたこともあり、回復は順調とのこと。
爆風の被害を受け止めた、鳥類種の最大の身体的特徴の『翼』以外は。
呼びかけに応じたいのに未だ輝一の身体は動かず、目の前は真っ暗なままだった。
そして1週間後、事故からは約1ヶ月経った頃。
「輝一!まだ寝てんの?ようやく集中治療室から出られるってな!身体治ってきてるみたいだし大丈夫そうだな!!そういや、あの時お前が助けた子も元気になったってさ!お前にお礼が言いたいって!だからさっさと目覚ませよ~」
聞きなれた多賀野隊長の騒がしく軽い声が頭に響く。
「多賀野さん……あなたの部下とはいえ患者さんですから、お静かにお願いします。医師の荒木です。今は安定していますが、もう少し身体の回復が必要です」
最近聞きなれた抑揚のない落ち着いた声の医師、荒木が細かく説明する。反応は出来ないが、輝一は心の中でうなずいた。
(10月26日)
集中治療室から病棟の個室へ移動した。
「今日から担当する看護師の結木です。羽佐間……輝一さんですね。よろしくお願いします!!き、聞こえてますかね?」
初めて聞く明るい男性の声が輝一の耳に入る。朗らかに話しかけてくれているが、反応を示せないせいで一転し、不安そうな声色に変わった。
結木、そう名乗った看護師は、それでも丁寧に言葉を掛け続けてくれた。
個室に移動してからの日々は、随分と落ち着いている。身体の痛みもかなり和らいだお陰で、ようやく周りに意識が向けられるようになってきた。
結木は毎日いろんな話をもってきてくれる。目に見えない分を補うよう色とりどりの言葉を紡いで。
他の看護師や医師もやってきて話はしてくれるが、結木は誰よりもたくさん話しかけてくれた。
最近朝と夜が急に寒くなったこと、久しぶりに雨が降って洗濯物が乾かない、入院している子供たちとハロウィンの飾り付けをした、海外にいる友達が写真を送ってきてくれた……そんな他愛のないこと。
一方的な会話、答えられないけれど話しかけてくれることが嬉しい。
寝たきりで動けない輝一にとって、結木の話は毎日の楽しみになっていった。
「羽佐間さん、おはようございます!看護師の結木です。今日は11月2日。今日も天気は晴れです!季候がよくなりましたね~面会に来てくださった多賀野さんがおっしゃっていたんですが、羽佐間さんは映画がお好きなんですね!実は僕も映画、好きなんです!長編映画が結構好きで、海外作品も時々見ます!B級映画とか、インディーズの作品もたくさんではないけど、いくつか知ってて……あぁ、すみません!バイタル見ますね」
今日は自分の唯一の趣味である映画の話。まさか、同じような嗜好の人がいるなんて。輝一は驚きながらも、歓喜で心が染まる。
それから結木は、よく映画の話をしてくれるようになった。
おすすめの医療やレスキューものの映画、ハートフルなゾンビ映画のシリーズ、ニッチなB級コメディ、お気に入りのヒューマンドラマ系の映画など、好きなセリフやシーン、感想を交えながら多種多様な映画たちを熱く語る。
輝一が知っている映画も多く、話を聞いていて懐かしさや見ていた当時の感動が蘇る。共感できるところも趣味もよく似ていて心の中でひっそりと相槌を打った。
いつも楽しそうに話す声色から、心から映画が好きなんだ、と感じていた。
個室に移動して20日ほど経った。
身体の痛みはだいぶ引き、頭の痛みも弱まってきているはずなのに、依然身体は動かず、瞼は重いままだった。
輝一に不安がよぎる。
このまま目覚めないのだろうか……
しん、と静まり返る病室に無言の問いかけ。当然帰ってこない答えが虚しさを抱かせる。
微かな扉を開く音が静寂の中に響いた。
「羽佐間さん、こんにちは。看護師の結木です。今は午前11時です。今から清拭と点滴の交換を行いますね」
結木の優しい呼び掛けに少しだけ救われた。
一通り処置が終わり、道具を片付ける音が聞こえる。
「今日は『ルミナス』という映画についてお話しようと思って!有名な映画では無いんですけど、僕の大好きな映画なんです!」
いつもの映画雑談。結木はいつもより明るい声色であらすじを語り出した。
『ルミナス』
自分たち住んでいるこの星の名がタイトルだが、言葉の意味である『輝き』がこの映画の芯である。
ずっと夜が続く暗闇に覆われた世界の中心に一際眩しい光を放つ星『ルミナス』が存在する。
『ルミナス』にはこの世の真実があると言われている。
主人公である2人の獣人が、『ルミナス』という光へ向かって世界を冒険する物語。
「評価は賛否両論で、言い回しが独特なので何を伝えたいのか分からない!みたいな感想が多くて……でも僕は、受け取り手がどう感じるか、抽象的だからこそ考えさせられるところが好きなんです」
結木は続けた。
「その映画のワンシーンで、『人にとっての身近な暗闇は瞼を閉じた時』ってところで……」
瞼を閉じれば誰でも孤独の暗闇の中にいる。
当たり前にある暗闇に時折寂しさを恐怖を感じる時がある。
このまま目覚めないかもしれない不安。
でも僕たちは想像できる。
瞼の裏に、希望や夢、未来を描くと無数の輝きが瞬くのだ。
不思議と不安が安らぐ。
輝きを描けばきっと僕たちはいつだって目を醒ますことができる気がしないかい?
どんな時もどんな暗闇の中にも、輝きは在る。自分自身で生み出せる。
その目で、前を向いて、輝きを抱いて、目指して、歩いていける。
夢中になって語る映画の話。瞼を閉じきった今の自分の状況と重なる。
「ここが凄く印象に残っていて……あっ!!すみません……こんな話……プレッシャーになっちゃいますね……羽佐間さんのペースでいいですからね。身体は回復に向かっていますし、バイタルも変わらず安定していますから」
結木は慌てながらも必死で言葉を探し、一生懸命に、伝えようとしてくれている。
プレッシャーなんて、そんなことはない。謝らなくていい。
「僕、友達も家族も映画にあんまり興味なくって、同じ趣味の話ができる人が居なかったから……こうやって、羽佐間さんにお話するだけでも楽しいんです……いつか羽佐間さんと映画の話ができると嬉しいです。すみません。私情ばかりで」
……僕も、あなたと……結木さんと、話がしたいです。
* * *
寿葉が羽佐間を担当するようになって数日。午後の業務もようやく落ち着き、一旦ナースステーションに帰ろうとした時、機動隊の制服を着た鳥類種の獣人に声をかけられた。
「結木くんだっけ?輝一のこと担当している看護師さん」
「はい、看護師の結木です。……羽佐間さんの上司の……多賀野さん、ですね。荒木先生や星乃主任から聞いています。羽佐間さんが入院する前から時々病棟にも来ていますよね」
「いやー覚えてくれてて嬉しいよ~改めて、機動隊の部隊長、ハクトウワシの獣人、多賀野です!よろしくね!輝一の世話してくれてありがとう!」
黒褐色の大きくてしなやかな翼、白いストレートミディアムの髪。獣人であるが、人間的な顔立ち体つきをしているスラリとしたスタイルの長身男性。サングラス越しの目はにこにことし、気さくに話しかけてくる多賀野を寿葉は見上げていた。
「君に頼みたいことがあってさ!」
「なんでしょうか?」
「輝一のことなんだけど、できるだけ元気の出る前向きな言葉をかけて欲しいんだ!あと、たくさん話しかけてやって欲しい。あとあと、あいつ映画が好きでさ~俺はあんまりわかんないから詳しくは把握してないんだけど……B級ってやつ?すげー見てて!」
多賀野の妙に明るい雰囲気に戸惑った。看護師の立場として期待を煽るような言葉は患者に不安を与えるだけだ、と寿葉は眉をひそめる。
「お話はいつも合間にさせていただいていますし、映画のことなら僕も好きなのでお話できます。でも、元気になる言葉というのは……今の羽佐間さんの状況的にかえって負担になりますので……」
「輝一はポジティブな話してくれる方が嬉しいと思うから!気にせずこれからも好きに話してあげてほしいんだ、会話しているみたいにさ。あとあいつ、0時に寝て4時に起きるから昼間はずっと退屈しているし、ケアついでにでも付き合ってやってほしい。映画の話はなんでも嬉しいと思うからさ!分かんないけど!」
つらつらと並べる軽い言葉に寿葉に再び戸惑いが過ぎる。面会には来てくれるし、付き合いもあるからこそのお願いなのだろうが……
「失礼ですが……ご心配じゃないんですか?」
「心配?信頼しているんだよ。輝一のことを。もちろん君のことも!俺は大丈夫だって思ってる。荒木も大丈夫って言ってたし!」
んじゃ、よろしく~!とひらひらと手を振り、軽快な足取りで去っていく大きな翼で覆われた後ろ姿。
あんないい加減な人が隊長なのか?と疑問が残るばかり。
でも、
「羽佐間さん、映画が好きなんだ……」
カルテでは知ることの出来ない意外な情報は、寿葉の心に微かな高揚を抱かせていた。
* * *
目を開けて、結木さんと、話がしたい……それだけでいい……
今はただそう強く思って、身体に動け、と命令する。
結木が担当してから約1ヶ月。たった、1ヶ月もしれない。それでも、輝一は結木の話に元気を、日々の楽しみを、生きる気力を、確かにもらっていた。
「羽佐間さん、おはようございます。今日は11月23日、だんだん寒くなってきましたよ!もう皆クリスマスの準備し始めて、街もお店もツリーや電飾で飾り付けられています。入院中の子供たちも今度はクリスマスの飾り付けをしているみたいで僕もお手伝いに行ってきます!」
もうすっかり聞きなれた結木の声。ひとつひとつ呟きながらバイタルを確認している。
「少し触りますね」
脈を確認するために左手首に触れた結木の手は少しひんやりとしていた。
その時、微かに、指が、手が動きたいと輝一の頭に呼びかける。
ぐっ、と力を込めると、少し指が動いた。手だけじゃない、喉も、目も、
「……羽佐間……さん?」
閉じきった瞼から輝きが差し込む。
ゆっくりと世界が黒から白に変化していく。
眩しさとぼやけでよく見えない視界の端にぼんやりと映る人の影。
「……羽佐間さん……おはよう、ございます。良かった。目が開けられるようになったんですね」
影から結木の優しい声が聞こえる。
「……あ、あの……」
必死で喉から絞り出した言葉は掠れきって上手く発音出来ない。
「今は無理に喋らなくて大丈夫ですよ。目も今開いたばかりで見えにくいですよね。……バイタルは……安定しています。荒木先生に連絡するので少しだけ待っていてくださいね。僕は傍にいるので安心してください」
事故から約2ヶ月。輝一はようやく暗闇から解き放たれた。
* * *
鋭い力強さときらめきを宿した黄金の瞳に、ふと懐かしさが過ぎる。視線が交わるようで、交わらない。はっきり見えていないのだろう。
寿葉は急いで院内スマホを取り出し、主治医である荒木に連絡を入れた。
* * *
まだ定まらない視界の中、主治医の荒木が淡々とだが丁寧に説明をする。目は今日明日くらいに、声は数日で治る。その言葉に輝一は胸を撫で下ろした。
「身体全体の回復はかなり早いですね。順調なので安心してください。これからは少しずつ身体を動かすためのリハビリをやっていきましょう」
その指示に少し動かせるようになった首で頷いた。
荒木の言葉通り、翌日には視界が随分とはっきりとしてきた。
自室よりも少し狭い病棟の個室、自分に繋がれた点滴や機械類、白い壁と天井、窓から青空が広がって見える。
そしてやっと、結木の姿にピントが合う。
「羽佐間さん、おはようございます。見えて、いますかね?」
栗色の短髪、前髪の隙間から見える目元を綻ばせ微笑む。優しい雰囲気と少し幼さを感じる青年。
そしてようやく知る。彼が人間だったことを。
「見えて、います。結木さん……いつも、声を掛けてくださってありがとうございます」
どうしても感謝を伝えたくて無理に声を発する。喉が掠れて、ケホッ、ケホッ、と咳き込んでしまった。
「大丈夫ですか!?無理しないでいいですから……落ち着いて、ゆっくり呼吸してください」
心配そうに覗き込む結木。輝一は指示通りに深呼吸をした。
「……ちゃんと言葉、届いていたんですね……ふふっ、よかったです」
また小さく笑みを浮かべながら、いつも通りてきぱきとバイタルを確認する結木を、輝一は初めて眺めた。
朝の処置が終わると、結木は一呼吸置き、かしこまって話し始める。
「羽佐間さん……急で大変申し訳ないのですが、少しの間、別の看護師さんが担当につくことになります。よろしくお願いします」
そんな……せっかく目を開けることができてようやく話せると思ったのに……
少し残念と眉をひそめると、結木は慌てて両手を振りながら声をあげた。
「大丈夫です!担当の看護師さんにしっかり申し送りしていますし、すぐ戻ってきますからね!」
また会えますから!明るく笑う。頷くことしか出来ないが、笑いかけてくれることがどうしようもなく嬉しい、と輝一の胸は温かくなる。
「次お会いした時は……ぜひ映画の話、しましょうね!」
結木は礼儀正しく深々と頭を下げる。
輝一はお辞儀の代わりに目を伏せながら首を縦に振った。
僕も、また会いたい、話がしたい……
目覚める前からの望みを胸にリハビリに励むことを決意する。
* * *
12月に入り、寒さに一段と拍車がかかる。
寿葉は数日ぶりに病棟のナースステーションに戻ってきた。珍しくパソコン作業をしている主任の星乃が、おかえり~と小さく手を振る。
「久々の外来棟勤務、お疲れ~どうだった?」
「やっぱり寒くなると患者さん増えますね……忙しかったです……」
ごく稀に起こる一時的な人員不足。そのため寿葉は少しの間だけだが外来棟に借り出されていた。
「そういや、結木が担当してたシロフクロウの獣人の……羽佐間さん、昨日から大部屋移動になったから」
星乃の突然の報告に驚き、寿葉は目を見開いた。
「え、羽佐間さん?まだ目が開けられるようになってそんなに経ってないのに……」
「ん~まぁ若いし、元々治り早いみたいだったし、機動隊の人だから体動かすのとか慣れてるだろうしねぇ~荒木もちょっと驚いてたよ」
星乃は眠いとだいぶ大雑把なことを言う。PC作業に飽きたのか、しっぽをゆらゆら揺らし、ふにゃふにゃと机に顔を置いて呑気に欠伸をし出した。
「……分かりました。申し送り聞いてきます」
寿葉は電子カルテを確認し、いそいそと準備を始めた。
「ちょっと主任!こんなところで寝ないでくださいよ!?」
今にも眠りに落ちそうな星乃に声をかけながら。
大部屋の窓際のベッド、そこに羽佐間は体を起こして座っていた。
背中にあるはずの鳥類種の特徴である翼は、事故によってほとんど残っていないことは知っていた。僅かに残った白く美しい翼がかすかに動いている。
多賀野と同じく人間的な容姿をしている男性。整った凛々しい顔立ち、ゆっくりと瞬く切れ長の目、白いまつ毛が目立つ。金色の虹彩の中にあるはっきりとした黒い瞳孔が真っ直ぐ見つめてくる。
「結木さん、お久しぶりです。よろしくお願いします」
眼光は相変わらず鋭いが、初めて聞く芯のある声は、落ち着いていてほんのり優しさを感じた。
丁寧にお辞儀をする。ストレートボブの白髪が柔らかく光り、前髪と少し長い右側頭部の髪がすっと重力に従っている。
「改めて、看護師の結木です。羽佐間さん、よろしくお願いしますね」
笑顔で迎えると、羽佐間の口元も緩やかに弧を描いた。
「……個室にいた時から、いつも声をかけてくださって本当に感謝しています。日々のお話も、映画のお話も……毎日楽しく聞かせていただいていました。あの……以前お話してくださった『ルミナス』って、リンダ監督の作品ですよね。亡き友人をモデルにして作った映画……」
「え、『ルミナス』知っているんですか!?結構マイナーな映画だと思っていたんですが……知っている方に会えてすごく嬉しいです!!あっ!興奮しちゃってすみません……まずはバイタル見ないと……」
驚きと歓喜で仕事を忘れかける。寿葉は業務に集中!と自分に言い聞かせた。
羽佐間は計測しやすいよう静かに大人しく身を委ねてくれている。問いかけには、丁寧に答えてくれた。
バイタルチェックが終わると、羽佐間は話の続きを口にする。
「……お仕事の邪魔をしてしまい申し訳ありません。その……僕もずっと……あなたと映画のお話、したかったんです。難しいかもしれませんが、お忙しくない時に少しでもいいので、これからもお話していただけると嬉しいです」
よろしくお願いします。と再び頭を下げる。
改めてしっかりと言葉を交わし接する羽佐間は、想像以上に誠実で礼儀正しく穏やかな青年だった。
◆◆◆◆◆
翌日。
「お!結木くん!ありがとな~輝一のこと起こしてくれて!引き続きよろしく頼む!!」
休憩からナースステーションに戻った時、多賀野が声をかけてきた。満面の笑みで手を振る姿は相変わらずだ。
「お疲れ様です……羽佐間さんのこと起こしたのは僕じゃないです。脳や身体が回復したからですよ。えっと……面会でしょうか?」
「面会はまた今度!輝一からは、君がいつも明るく話しかけてくれたから、って聞いてて!君に感謝伝えたくてな~」
羽佐間さん、そんなこと、この人に話していたんだ……
既に本人から直接お礼は伝えられている。声掛けすることは当たり前で回復に直接関わることではないが、、少しでも動ける力になれたことに寿葉は改めて嬉しさを感じた。
そして改めて多賀野の声掛けのお願いに意味があったことを理解した。
「で、今、実は仕事中。もう終わったけど!セキュリティシステムの定期メンテだよ!俺がこの病院の担当者だから!」
肩にかけている黒いブリーフケースを指差し、多賀野は誇らしげに胸を張った。
ここ数年、海外で『血液事件』に関わる病院へのサーバー攻撃が増えている。だからこそ、この国の警察内にも『ベンダー』というシステム専門の技術者を置くようになったことは病院側にも周知されている。
この総合病院は血液センター(献血を行う施設や採った血から輸血用血液を作る施設)があるため特にセキュリティに厳しく、警察関係者が常日頃行き来している。
過去申し送りで聞いていたが、彼がそんな重要な仕事を担っている風貌には正直見えない。
それに、いつも星乃が対応してくれているため、寿葉自身が関わることはない。すれ違った時に挨拶を交わす程度の人。だから、多賀野と会話をするようになったのは、羽佐間を担当するようになってからだ。
「暇そうな星乃を引っ張って、立ち会いさせてさ~定期的にメンテしてんのよ!で、そろそろその仕事を輝一に任せようと思ってた矢先、事故っちゃってね~退院したらあいつがベンダーとしてここの病院の担当するから、またそん時はよろしくね~」
機動隊という仕事も忙しいはずなのに、システムの技術者としての役割までこなさないといけないのか……と些か疑問だが、寿葉は口にしなかった。
多賀野の様相からは、余裕である!と溢れ出ているから。
「……そのような大事なことは僕ではなく、まず主任にお伝えくださいね」
「星乃にはもう伝えてある!どうせすぐ分かることだし、君のこと、俺も輝一も信頼してるからさ!」
じゃあね~!と以前と変わらずひらひらと手を振り、軽快な足取りで去っていく大きな翼で覆われた後ろ姿を眺める。
「あ~よかった~あの騒がしい多賀野が担当から外れてくれて!」
その後、星乃からも多賀野に伝えられたことを聞いた。
いつものんびり穏やかで人当たりが良く、怒らないことで有名な星乃が声を大にして言う。ようやく解放された~!やっと平穏~!と大きく息を吐いて。
「羽佐間は話してみた限り、多賀野よりは1億倍マシで安心したよ……」
「良かったです?と言えばいいんでしょうか……あ、主任、立ち会いってどんなことやってたんですか?」
「ん~?点検しているのをただ近くで待ってるだけだよ。多賀野は話しかけまくってきて迷惑だったけど……真面目に仕事しろ!と私は思いました」
そ、そうですね……と寿葉は苦笑いを零すしかなかった。
☆今回の映画紹介
『ルミナス』
ずっと夜が続く暗闇に覆われた世界の中心に一際眩しい光を放つ星『ルミナス』が存在する。
『ルミナス』にはこの世の真実があると言われている。
主人公である2人の獣人が、その真実を見つけるために『ルミナス』という光へ向かって世界を冒険する物語。
監督であるリンダが亡くなった友人を想って、モデルに作った作品。
実際に2人は旅をしていたが、不可解な事故で友人は亡くなり、リンダも歩けなくなってしまった。
詩のようなセリフや語りが多く、話が分かりづらいと批評されている。
評価☆2
カメラワークと音楽はいいんだけどね(50代・男性)
このルミナスには、『獣人』と呼ばれる人間と動物の特徴を掛け合わせた人と、『人間』と呼ばれる動物の特徴のない純粋な人のふたつの人種が存在する。
人口割合は現在7:3。過去に比べ、人間の人口は増えつつある。
獣人の種は大まかに分けて、哺乳類、鳥類、両生類、爬虫類……。魚類や昆虫類の獣人は確認されていない。容姿は人間に近い者から動物に近い者まで割合は様々である。
獣人は人間としての知性、理性、想像性などを持ちながらも、動物的身体能力がある。五感も優れており、早く走れるもの、空を飛べるもの、水中で活動ができるもの。多彩な身体能力で社会に貢献している。
しかし、人間はただの『人間』でしかない。当然身体能力は獣人には及ばない。だから『生まれながらの劣等種』だと蔑まれてきた。
だが、そんな差別社会からゆっくりと世界は変化している。同じ『人』、同じ『命』には変わりないのだと。
それでも人間に対する差別はなくならない。
長年続く『人間の血液事件』は今も変わらず世界で問題になっている。
獣人には多種多様な種族があるが、獣人の血液は同じ種、同じ型同士でしか輸血が行えない。しかし、人間の血液は同じ型であれば、獣人、人間、関係なく輸血が可能だ。
その『血』に『金銭的価値』を見出し、人間を攫い、血液を奪う事件が未だ絶えない。
世界では様々な理由で治療を必要とする者たちも絶えないのも事実だ……
都内にあるS総合病院。
今日は深夜にしては珍しく静かだ。病棟のナースステーションも今は落ち着いている。
久々の夜勤にあたる、人間の看護師・結木寿葉(ゆいきことは)は、先日もらった人間の政治家の小冊子を眺めながら口を開いた。
「血液事件か……昔より聞かなくなったけど、最近また外国の人が密入国してきたらしいですね……」
少し離れた場所で、猫耳がピクリと動いた。ライトブラウンの滑らかな毛並み、セミロングヘアーを低めの一つ結びにした小柄で猫に近い容姿の女性。猫の獣人で主任看護師である星乃(ほしの)が、眠そうな目をこすりながらふにゃふにゃと喋りだした。
「ん~そうみたいだね~気をつけないと……この国では法が厳しくなってだいぶ減ったみたいだけど、まだ外国人からの被害は止まないね~そういや結木も、血液事件に巻き込まれたことあるって言ってたよね?昔よりは少しは生きやすくなった?」
「まぁ……そうですけど……」
寿葉は目を瞑り考え込んだ。確かに自分は人間で、幼い頃何度か襲われたことがあった。
過去の出来事が頭をよぎり、胸が痛む。
束の間の静寂をかき消す、接近する救急車のサイレン。下階の救急外来から感じる微かなざわめきと緊張がこの病棟にも伝わった。
星乃の院内スマートフォンに連絡が表示される。
「救急から、重症患者1名、今から緊急オペらしい。術後、集中治療室予定。私たちは私たちのやるべき事をやろう」
「はい、巡回行ってきます」
珍しい静けさはとっくに消え、よくある日常が今日もやってきた。
* * *
全身が、痛い。翼が燃えるように痛い。
真っ暗な闇があたりを覆っている。ぼんやりと聞こえる声に耳鳴りがキーンと重なる。何を言っているかハッキリと分からない。が、自分を助けようとしてくれている?
では、自分は一体どうなっている?痛みの隙間から必死で記憶を辿った……
羽佐間輝一(はざまきいち)シロフクロウの獣人。
主に純人が巻き込まれる血液事件、拉致や誘拐事件などを担当する警察所属、人間専門機動隊の隊員。
9月25日の深夜0時を過ぎたあたり、人間の誘拐事件の救出に向かった。無事、被害者である人間の子供を確保し飛び立った瞬間、激しい衝撃と爆発音が背中から響き、一瞬意識が飛ぶ。
地面に強打した全身の痛み、背中が燃えるのを感じる。朦朧とした意識で、なんとか守りきったはずの被害者を隊長である多賀野(たかの)に引き渡した所で記憶が途切れている。
輝一は安堵した。記憶は失っていない。
恐らくここは病院で、自分は事故にあって今治療してもらっているのだろう。微かにだが機械音も聞こえている。しかし、継続する痛みと石のように固まったこの身体。重い瞼は開かず、喉から声も出せない。指1本動かせない。
しばらくは何も出来ない……輝一はそう判断し、身を委ねるしかなかった。
ようやく周りの声が聞こえるようになった頃、事故から3週間程経っていた。少しずつだが身体の痛みが引いているのが分かる。
世話をしてくれる看護師が毎日日時を言ってくれるお陰で、輝一は時間感覚をやっと取り戻せた。医師の声や時々やってくる多賀野隊長の声も聞こえる。
主治医の荒木(あらき)曰く、今起きられない状態は『閉じ込め症候群』に近い症状らしい。主に頭部外傷が原因で、手足や肋の骨折などの多発外傷も響いているみたいだ。的確で迅速な手術と治療、それに目を閉じてはいるが意識があることに直ぐに気づいてくれたこともあり、回復は順調とのこと。
爆風の被害を受け止めた、鳥類種の最大の身体的特徴の『翼』以外は。
呼びかけに応じたいのに未だ輝一の身体は動かず、目の前は真っ暗なままだった。
そして1週間後、事故からは約1ヶ月経った頃。
「輝一!まだ寝てんの?ようやく集中治療室から出られるってな!身体治ってきてるみたいだし大丈夫そうだな!!そういや、あの時お前が助けた子も元気になったってさ!お前にお礼が言いたいって!だからさっさと目覚ませよ~」
聞きなれた多賀野隊長の騒がしく軽い声が頭に響く。
「多賀野さん……あなたの部下とはいえ患者さんですから、お静かにお願いします。医師の荒木です。今は安定していますが、もう少し身体の回復が必要です」
最近聞きなれた抑揚のない落ち着いた声の医師、荒木が細かく説明する。反応は出来ないが、輝一は心の中でうなずいた。
(10月26日)
集中治療室から病棟の個室へ移動した。
「今日から担当する看護師の結木です。羽佐間……輝一さんですね。よろしくお願いします!!き、聞こえてますかね?」
初めて聞く明るい男性の声が輝一の耳に入る。朗らかに話しかけてくれているが、反応を示せないせいで一転し、不安そうな声色に変わった。
結木、そう名乗った看護師は、それでも丁寧に言葉を掛け続けてくれた。
個室に移動してからの日々は、随分と落ち着いている。身体の痛みもかなり和らいだお陰で、ようやく周りに意識が向けられるようになってきた。
結木は毎日いろんな話をもってきてくれる。目に見えない分を補うよう色とりどりの言葉を紡いで。
他の看護師や医師もやってきて話はしてくれるが、結木は誰よりもたくさん話しかけてくれた。
最近朝と夜が急に寒くなったこと、久しぶりに雨が降って洗濯物が乾かない、入院している子供たちとハロウィンの飾り付けをした、海外にいる友達が写真を送ってきてくれた……そんな他愛のないこと。
一方的な会話、答えられないけれど話しかけてくれることが嬉しい。
寝たきりで動けない輝一にとって、結木の話は毎日の楽しみになっていった。
「羽佐間さん、おはようございます!看護師の結木です。今日は11月2日。今日も天気は晴れです!季候がよくなりましたね~面会に来てくださった多賀野さんがおっしゃっていたんですが、羽佐間さんは映画がお好きなんですね!実は僕も映画、好きなんです!長編映画が結構好きで、海外作品も時々見ます!B級映画とか、インディーズの作品もたくさんではないけど、いくつか知ってて……あぁ、すみません!バイタル見ますね」
今日は自分の唯一の趣味である映画の話。まさか、同じような嗜好の人がいるなんて。輝一は驚きながらも、歓喜で心が染まる。
それから結木は、よく映画の話をしてくれるようになった。
おすすめの医療やレスキューものの映画、ハートフルなゾンビ映画のシリーズ、ニッチなB級コメディ、お気に入りのヒューマンドラマ系の映画など、好きなセリフやシーン、感想を交えながら多種多様な映画たちを熱く語る。
輝一が知っている映画も多く、話を聞いていて懐かしさや見ていた当時の感動が蘇る。共感できるところも趣味もよく似ていて心の中でひっそりと相槌を打った。
いつも楽しそうに話す声色から、心から映画が好きなんだ、と感じていた。
個室に移動して20日ほど経った。
身体の痛みはだいぶ引き、頭の痛みも弱まってきているはずなのに、依然身体は動かず、瞼は重いままだった。
輝一に不安がよぎる。
このまま目覚めないのだろうか……
しん、と静まり返る病室に無言の問いかけ。当然帰ってこない答えが虚しさを抱かせる。
微かな扉を開く音が静寂の中に響いた。
「羽佐間さん、こんにちは。看護師の結木です。今は午前11時です。今から清拭と点滴の交換を行いますね」
結木の優しい呼び掛けに少しだけ救われた。
一通り処置が終わり、道具を片付ける音が聞こえる。
「今日は『ルミナス』という映画についてお話しようと思って!有名な映画では無いんですけど、僕の大好きな映画なんです!」
いつもの映画雑談。結木はいつもより明るい声色であらすじを語り出した。
『ルミナス』
自分たち住んでいるこの星の名がタイトルだが、言葉の意味である『輝き』がこの映画の芯である。
ずっと夜が続く暗闇に覆われた世界の中心に一際眩しい光を放つ星『ルミナス』が存在する。
『ルミナス』にはこの世の真実があると言われている。
主人公である2人の獣人が、『ルミナス』という光へ向かって世界を冒険する物語。
「評価は賛否両論で、言い回しが独特なので何を伝えたいのか分からない!みたいな感想が多くて……でも僕は、受け取り手がどう感じるか、抽象的だからこそ考えさせられるところが好きなんです」
結木は続けた。
「その映画のワンシーンで、『人にとっての身近な暗闇は瞼を閉じた時』ってところで……」
瞼を閉じれば誰でも孤独の暗闇の中にいる。
当たり前にある暗闇に時折寂しさを恐怖を感じる時がある。
このまま目覚めないかもしれない不安。
でも僕たちは想像できる。
瞼の裏に、希望や夢、未来を描くと無数の輝きが瞬くのだ。
不思議と不安が安らぐ。
輝きを描けばきっと僕たちはいつだって目を醒ますことができる気がしないかい?
どんな時もどんな暗闇の中にも、輝きは在る。自分自身で生み出せる。
その目で、前を向いて、輝きを抱いて、目指して、歩いていける。
夢中になって語る映画の話。瞼を閉じきった今の自分の状況と重なる。
「ここが凄く印象に残っていて……あっ!!すみません……こんな話……プレッシャーになっちゃいますね……羽佐間さんのペースでいいですからね。身体は回復に向かっていますし、バイタルも変わらず安定していますから」
結木は慌てながらも必死で言葉を探し、一生懸命に、伝えようとしてくれている。
プレッシャーなんて、そんなことはない。謝らなくていい。
「僕、友達も家族も映画にあんまり興味なくって、同じ趣味の話ができる人が居なかったから……こうやって、羽佐間さんにお話するだけでも楽しいんです……いつか羽佐間さんと映画の話ができると嬉しいです。すみません。私情ばかりで」
……僕も、あなたと……結木さんと、話がしたいです。
* * *
寿葉が羽佐間を担当するようになって数日。午後の業務もようやく落ち着き、一旦ナースステーションに帰ろうとした時、機動隊の制服を着た鳥類種の獣人に声をかけられた。
「結木くんだっけ?輝一のこと担当している看護師さん」
「はい、看護師の結木です。……羽佐間さんの上司の……多賀野さん、ですね。荒木先生や星乃主任から聞いています。羽佐間さんが入院する前から時々病棟にも来ていますよね」
「いやー覚えてくれてて嬉しいよ~改めて、機動隊の部隊長、ハクトウワシの獣人、多賀野です!よろしくね!輝一の世話してくれてありがとう!」
黒褐色の大きくてしなやかな翼、白いストレートミディアムの髪。獣人であるが、人間的な顔立ち体つきをしているスラリとしたスタイルの長身男性。サングラス越しの目はにこにことし、気さくに話しかけてくる多賀野を寿葉は見上げていた。
「君に頼みたいことがあってさ!」
「なんでしょうか?」
「輝一のことなんだけど、できるだけ元気の出る前向きな言葉をかけて欲しいんだ!あと、たくさん話しかけてやって欲しい。あとあと、あいつ映画が好きでさ~俺はあんまりわかんないから詳しくは把握してないんだけど……B級ってやつ?すげー見てて!」
多賀野の妙に明るい雰囲気に戸惑った。看護師の立場として期待を煽るような言葉は患者に不安を与えるだけだ、と寿葉は眉をひそめる。
「お話はいつも合間にさせていただいていますし、映画のことなら僕も好きなのでお話できます。でも、元気になる言葉というのは……今の羽佐間さんの状況的にかえって負担になりますので……」
「輝一はポジティブな話してくれる方が嬉しいと思うから!気にせずこれからも好きに話してあげてほしいんだ、会話しているみたいにさ。あとあいつ、0時に寝て4時に起きるから昼間はずっと退屈しているし、ケアついでにでも付き合ってやってほしい。映画の話はなんでも嬉しいと思うからさ!分かんないけど!」
つらつらと並べる軽い言葉に寿葉に再び戸惑いが過ぎる。面会には来てくれるし、付き合いもあるからこそのお願いなのだろうが……
「失礼ですが……ご心配じゃないんですか?」
「心配?信頼しているんだよ。輝一のことを。もちろん君のことも!俺は大丈夫だって思ってる。荒木も大丈夫って言ってたし!」
んじゃ、よろしく~!とひらひらと手を振り、軽快な足取りで去っていく大きな翼で覆われた後ろ姿。
あんないい加減な人が隊長なのか?と疑問が残るばかり。
でも、
「羽佐間さん、映画が好きなんだ……」
カルテでは知ることの出来ない意外な情報は、寿葉の心に微かな高揚を抱かせていた。
* * *
目を開けて、結木さんと、話がしたい……それだけでいい……
今はただそう強く思って、身体に動け、と命令する。
結木が担当してから約1ヶ月。たった、1ヶ月もしれない。それでも、輝一は結木の話に元気を、日々の楽しみを、生きる気力を、確かにもらっていた。
「羽佐間さん、おはようございます。今日は11月23日、だんだん寒くなってきましたよ!もう皆クリスマスの準備し始めて、街もお店もツリーや電飾で飾り付けられています。入院中の子供たちも今度はクリスマスの飾り付けをしているみたいで僕もお手伝いに行ってきます!」
もうすっかり聞きなれた結木の声。ひとつひとつ呟きながらバイタルを確認している。
「少し触りますね」
脈を確認するために左手首に触れた結木の手は少しひんやりとしていた。
その時、微かに、指が、手が動きたいと輝一の頭に呼びかける。
ぐっ、と力を込めると、少し指が動いた。手だけじゃない、喉も、目も、
「……羽佐間……さん?」
閉じきった瞼から輝きが差し込む。
ゆっくりと世界が黒から白に変化していく。
眩しさとぼやけでよく見えない視界の端にぼんやりと映る人の影。
「……羽佐間さん……おはよう、ございます。良かった。目が開けられるようになったんですね」
影から結木の優しい声が聞こえる。
「……あ、あの……」
必死で喉から絞り出した言葉は掠れきって上手く発音出来ない。
「今は無理に喋らなくて大丈夫ですよ。目も今開いたばかりで見えにくいですよね。……バイタルは……安定しています。荒木先生に連絡するので少しだけ待っていてくださいね。僕は傍にいるので安心してください」
事故から約2ヶ月。輝一はようやく暗闇から解き放たれた。
* * *
鋭い力強さときらめきを宿した黄金の瞳に、ふと懐かしさが過ぎる。視線が交わるようで、交わらない。はっきり見えていないのだろう。
寿葉は急いで院内スマホを取り出し、主治医である荒木に連絡を入れた。
* * *
まだ定まらない視界の中、主治医の荒木が淡々とだが丁寧に説明をする。目は今日明日くらいに、声は数日で治る。その言葉に輝一は胸を撫で下ろした。
「身体全体の回復はかなり早いですね。順調なので安心してください。これからは少しずつ身体を動かすためのリハビリをやっていきましょう」
その指示に少し動かせるようになった首で頷いた。
荒木の言葉通り、翌日には視界が随分とはっきりとしてきた。
自室よりも少し狭い病棟の個室、自分に繋がれた点滴や機械類、白い壁と天井、窓から青空が広がって見える。
そしてやっと、結木の姿にピントが合う。
「羽佐間さん、おはようございます。見えて、いますかね?」
栗色の短髪、前髪の隙間から見える目元を綻ばせ微笑む。優しい雰囲気と少し幼さを感じる青年。
そしてようやく知る。彼が人間だったことを。
「見えて、います。結木さん……いつも、声を掛けてくださってありがとうございます」
どうしても感謝を伝えたくて無理に声を発する。喉が掠れて、ケホッ、ケホッ、と咳き込んでしまった。
「大丈夫ですか!?無理しないでいいですから……落ち着いて、ゆっくり呼吸してください」
心配そうに覗き込む結木。輝一は指示通りに深呼吸をした。
「……ちゃんと言葉、届いていたんですね……ふふっ、よかったです」
また小さく笑みを浮かべながら、いつも通りてきぱきとバイタルを確認する結木を、輝一は初めて眺めた。
朝の処置が終わると、結木は一呼吸置き、かしこまって話し始める。
「羽佐間さん……急で大変申し訳ないのですが、少しの間、別の看護師さんが担当につくことになります。よろしくお願いします」
そんな……せっかく目を開けることができてようやく話せると思ったのに……
少し残念と眉をひそめると、結木は慌てて両手を振りながら声をあげた。
「大丈夫です!担当の看護師さんにしっかり申し送りしていますし、すぐ戻ってきますからね!」
また会えますから!明るく笑う。頷くことしか出来ないが、笑いかけてくれることがどうしようもなく嬉しい、と輝一の胸は温かくなる。
「次お会いした時は……ぜひ映画の話、しましょうね!」
結木は礼儀正しく深々と頭を下げる。
輝一はお辞儀の代わりに目を伏せながら首を縦に振った。
僕も、また会いたい、話がしたい……
目覚める前からの望みを胸にリハビリに励むことを決意する。
* * *
12月に入り、寒さに一段と拍車がかかる。
寿葉は数日ぶりに病棟のナースステーションに戻ってきた。珍しくパソコン作業をしている主任の星乃が、おかえり~と小さく手を振る。
「久々の外来棟勤務、お疲れ~どうだった?」
「やっぱり寒くなると患者さん増えますね……忙しかったです……」
ごく稀に起こる一時的な人員不足。そのため寿葉は少しの間だけだが外来棟に借り出されていた。
「そういや、結木が担当してたシロフクロウの獣人の……羽佐間さん、昨日から大部屋移動になったから」
星乃の突然の報告に驚き、寿葉は目を見開いた。
「え、羽佐間さん?まだ目が開けられるようになってそんなに経ってないのに……」
「ん~まぁ若いし、元々治り早いみたいだったし、機動隊の人だから体動かすのとか慣れてるだろうしねぇ~荒木もちょっと驚いてたよ」
星乃は眠いとだいぶ大雑把なことを言う。PC作業に飽きたのか、しっぽをゆらゆら揺らし、ふにゃふにゃと机に顔を置いて呑気に欠伸をし出した。
「……分かりました。申し送り聞いてきます」
寿葉は電子カルテを確認し、いそいそと準備を始めた。
「ちょっと主任!こんなところで寝ないでくださいよ!?」
今にも眠りに落ちそうな星乃に声をかけながら。
大部屋の窓際のベッド、そこに羽佐間は体を起こして座っていた。
背中にあるはずの鳥類種の特徴である翼は、事故によってほとんど残っていないことは知っていた。僅かに残った白く美しい翼がかすかに動いている。
多賀野と同じく人間的な容姿をしている男性。整った凛々しい顔立ち、ゆっくりと瞬く切れ長の目、白いまつ毛が目立つ。金色の虹彩の中にあるはっきりとした黒い瞳孔が真っ直ぐ見つめてくる。
「結木さん、お久しぶりです。よろしくお願いします」
眼光は相変わらず鋭いが、初めて聞く芯のある声は、落ち着いていてほんのり優しさを感じた。
丁寧にお辞儀をする。ストレートボブの白髪が柔らかく光り、前髪と少し長い右側頭部の髪がすっと重力に従っている。
「改めて、看護師の結木です。羽佐間さん、よろしくお願いしますね」
笑顔で迎えると、羽佐間の口元も緩やかに弧を描いた。
「……個室にいた時から、いつも声をかけてくださって本当に感謝しています。日々のお話も、映画のお話も……毎日楽しく聞かせていただいていました。あの……以前お話してくださった『ルミナス』って、リンダ監督の作品ですよね。亡き友人をモデルにして作った映画……」
「え、『ルミナス』知っているんですか!?結構マイナーな映画だと思っていたんですが……知っている方に会えてすごく嬉しいです!!あっ!興奮しちゃってすみません……まずはバイタル見ないと……」
驚きと歓喜で仕事を忘れかける。寿葉は業務に集中!と自分に言い聞かせた。
羽佐間は計測しやすいよう静かに大人しく身を委ねてくれている。問いかけには、丁寧に答えてくれた。
バイタルチェックが終わると、羽佐間は話の続きを口にする。
「……お仕事の邪魔をしてしまい申し訳ありません。その……僕もずっと……あなたと映画のお話、したかったんです。難しいかもしれませんが、お忙しくない時に少しでもいいので、これからもお話していただけると嬉しいです」
よろしくお願いします。と再び頭を下げる。
改めてしっかりと言葉を交わし接する羽佐間は、想像以上に誠実で礼儀正しく穏やかな青年だった。
◆◆◆◆◆
翌日。
「お!結木くん!ありがとな~輝一のこと起こしてくれて!引き続きよろしく頼む!!」
休憩からナースステーションに戻った時、多賀野が声をかけてきた。満面の笑みで手を振る姿は相変わらずだ。
「お疲れ様です……羽佐間さんのこと起こしたのは僕じゃないです。脳や身体が回復したからですよ。えっと……面会でしょうか?」
「面会はまた今度!輝一からは、君がいつも明るく話しかけてくれたから、って聞いてて!君に感謝伝えたくてな~」
羽佐間さん、そんなこと、この人に話していたんだ……
既に本人から直接お礼は伝えられている。声掛けすることは当たり前で回復に直接関わることではないが、、少しでも動ける力になれたことに寿葉は改めて嬉しさを感じた。
そして改めて多賀野の声掛けのお願いに意味があったことを理解した。
「で、今、実は仕事中。もう終わったけど!セキュリティシステムの定期メンテだよ!俺がこの病院の担当者だから!」
肩にかけている黒いブリーフケースを指差し、多賀野は誇らしげに胸を張った。
ここ数年、海外で『血液事件』に関わる病院へのサーバー攻撃が増えている。だからこそ、この国の警察内にも『ベンダー』というシステム専門の技術者を置くようになったことは病院側にも周知されている。
この総合病院は血液センター(献血を行う施設や採った血から輸血用血液を作る施設)があるため特にセキュリティに厳しく、警察関係者が常日頃行き来している。
過去申し送りで聞いていたが、彼がそんな重要な仕事を担っている風貌には正直見えない。
それに、いつも星乃が対応してくれているため、寿葉自身が関わることはない。すれ違った時に挨拶を交わす程度の人。だから、多賀野と会話をするようになったのは、羽佐間を担当するようになってからだ。
「暇そうな星乃を引っ張って、立ち会いさせてさ~定期的にメンテしてんのよ!で、そろそろその仕事を輝一に任せようと思ってた矢先、事故っちゃってね~退院したらあいつがベンダーとしてここの病院の担当するから、またそん時はよろしくね~」
機動隊という仕事も忙しいはずなのに、システムの技術者としての役割までこなさないといけないのか……と些か疑問だが、寿葉は口にしなかった。
多賀野の様相からは、余裕である!と溢れ出ているから。
「……そのような大事なことは僕ではなく、まず主任にお伝えくださいね」
「星乃にはもう伝えてある!どうせすぐ分かることだし、君のこと、俺も輝一も信頼してるからさ!」
じゃあね~!と以前と変わらずひらひらと手を振り、軽快な足取りで去っていく大きな翼で覆われた後ろ姿を眺める。
「あ~よかった~あの騒がしい多賀野が担当から外れてくれて!」
その後、星乃からも多賀野に伝えられたことを聞いた。
いつものんびり穏やかで人当たりが良く、怒らないことで有名な星乃が声を大にして言う。ようやく解放された~!やっと平穏~!と大きく息を吐いて。
「羽佐間は話してみた限り、多賀野よりは1億倍マシで安心したよ……」
「良かったです?と言えばいいんでしょうか……あ、主任、立ち会いってどんなことやってたんですか?」
「ん~?点検しているのをただ近くで待ってるだけだよ。多賀野は話しかけまくってきて迷惑だったけど……真面目に仕事しろ!と私は思いました」
そ、そうですね……と寿葉は苦笑いを零すしかなかった。
☆今回の映画紹介
『ルミナス』
ずっと夜が続く暗闇に覆われた世界の中心に一際眩しい光を放つ星『ルミナス』が存在する。
『ルミナス』にはこの世の真実があると言われている。
主人公である2人の獣人が、その真実を見つけるために『ルミナス』という光へ向かって世界を冒険する物語。
監督であるリンダが亡くなった友人を想って、モデルに作った作品。
実際に2人は旅をしていたが、不可解な事故で友人は亡くなり、リンダも歩けなくなってしまった。
詩のようなセリフや語りが多く、話が分かりづらいと批評されている。
評価☆2
カメラワークと音楽はいいんだけどね(50代・男性)
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