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「羽佐間さん、おはようございます!今日もよろしくお願いしますね!体調はいかがでしょうか?」
「おはようございます、結木さん。体調変わりないです。身体の痛みもあまり感じません。足もかなり動くようになりました」
ようやく羽佐間と会話しコミュニケーションをとることができる。今まで一方通行だった分ケアを難しく感じることがあったが、今はしっかり言葉を交わせるからこそ動きやすい、と寿葉はしみじみ感じていた。
羽佐間はとても真面目で、自己申告もしっかりし、時間もきっちり厳守、無理難題を言うこともない。逆に、
「僕は大丈夫なので、他の受け持ちの患者さんについてあげてください」
気遣ってくれる優しさまである。
リハビリも順調で回復も相変わらず早く、もうつかまり立ちができ、自ら車椅子に乗ってくれる。
「羽佐間さんのペースでいいですからね?無理しなくても、ゆっくりでも……」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます。今までたくさんお世話していただいたので……自分にできることはなるべく自分でやりますね」
「そうですね!その気持ちはとても大事です!」
前向きな羽佐間の姿に寿葉もしっかり向き合おうと決意した。
そして、ようやく約束していた映画の話ができるようになった。
リハビリからの迎えの帰り道。
病棟とリハビリ室のある別棟をつなぐ渡り廊下から、中庭が見える。自然に囲まれた穏やかな景色と時折散歩している患者や付き添いの看護師、医師など様々な人々の姿を眺めながら、数分だけ話をするのが日課になった。
羽佐間が好きな映画のジャンルの話。
「ジャンル関係なくいろいろ見ますが、強いて言えばミステリーやサスペンス、あとコメディ系……ですかね」
「そうなんですね!ミステリーやサスペンス、僕も好きです!一緒に推理しながら見るのがやっぱり楽しいですよね~僕の勝手なイメージで申し訳ないんですが、羽佐間さんがコメディが好きなのはちょっと意外かも」
「展開が読めない突飛な作品を面白いと思います。理解が難しい発想や想像することが出来ない世界観は、不思議な感覚を味わえて好きなんです」
他にも、
「雰囲気でいえば叙情的なものや、郷愁的で切ない作品も好きですね。人の心情が深く関わった物語に惹かれます。それこそ以前お話していただいた『ルミナス』のような詩情的な言い回しが独特な作品も、結木さんと同じく考えさせられる部分が僕も好きです」
いつも饒舌に語る。大きな窓ガラスにかすかに映る羽佐間の表情は微笑んでいて楽しそうに見える。車椅子の後ろから寿葉もそっと頬を緩めた。
寝たきりの間に寿葉の話した映画のことや、自分のお気に入りの作品のこと、映画の裏話、好きな監督のことなど、多種多様な映画関係の話を羽佐間は事細かく言葉に紡いでいく。
感動するシーンや盛り上がるところはもちろん共感できるが、それ以外に羽佐間は独特な視点で作品を見ているようで……
「ゾンビが拾った財布を持ち主に返そうとする所で、持っていた右手が落ちてしまって、右手ごと返すシーンとか好きです」
「あの監督は自分が作ったジオラマを壊すのがつらくて、毎回一瞬の爆発シーンに2、3日かかってしまうらしいです。そう思うと、爆発シーンが切なく感じます」
「パニックものなのに、皆が逃げ惑う中、1人だけ冷静すぎるエキストラの方が面白くて何度も見てしまいました」
細すぎて伝わらないであろう絶妙な感性の感想を落ち着いた声色で淡々と話してくる。
映画の内容を知っているからこそ逆に面白く感じた寿葉は、その度に口を抑えて必死に笑いを堪えていた。自分のツボもズレているのかもしれない、と悟りながら。
「……あの……おかしかったでしょうか」
ついに笑っていることに気づかれたようで、羽佐間が後ろを覗き込もうと頭を動かしている。
「すみません。いつも予想斜め上の感想だから、面白くて……ふふっ」
寿葉は堪えきれず、顔をそらしながらも笑いが零れてしまった。
「……面白いって初めて言われました。隊の人たちに話しても全然通じなくて、『リトルマッドヒート』の作戦会議中に突然踊り出すミックを見て呆然とする仲間たちみたいな微妙な顔をされます」
「え、それは……僕も知らない映画です……」
後ろを覗こうとしていた羽佐間の顔がゆっくりと前を向く。小さく、す、すみません、と呟き、俯いてしまった。しょんぼりとした背中、こころなしか翼も落ち込んでいるように見える。
そんな仕草にクスリと微笑みながら寿葉は口を開いた。
「せっかくだからその映画のこと、教えてくれませんか?気になるので!」
その声掛けにすっと顔を上げる。目を丸くし、ほんのりと華やぐ羽佐間の表情が窓ガラスにうっすら映った。そしてネタバレに配慮しつつ、懇切丁寧に映画について教えてくれた。
溢れる熱量と細やかでユーモラスな目線で語る羽佐間の姿から、心から映画が好きなんだ、と寿葉は感じていた。
「結木さんも、色んな作品や内容も細かいところまでよく覚えていますよね。分かってくださる部分が多くて嬉しいです」
「自分で言うのもなんですが、記憶力には自信あり!です!だから、羽佐間さんの話もついていけます!何より僕も色んな映画の話ができて楽しいですよ!」
「……こちらこそすごく楽しいです。いつもお時間割いていただき、ありがとうございます」
大部屋のベッドへと戻ると羽佐間はいつも穏やかに微笑みながらお辞儀をする。
リハビリも実直にこなし、笑顔を交わし明るく会話もできる。精神的にも安定していると感じる。
寿葉はそんな羽佐間の姿に安心しきっていた。
* * *
(12月19日)
2週間ほどのリハビリで車椅子を卒業し、歩行器を使ってだが、自ら歩くことができるほど輝一は回復した。
もうすぐ今まで通り……とは行かないが、元の生活に戻れるだろう、そう思っていた。
今日のリハビリも無事終わり、いつも指導してくれる先生に頭を下げる。部屋の外には毎回迎えに来てくれる結木。目が合うと必ずといっていいほど優しく笑いかけてくれる。そのたびに胸が温かくなった。
隣を歩く結木は自分よりも10cmほど小さい。ベッド上や車椅子生活では知ることができなかった身長差。今まで同じ目線か、見下ろされていることが多かった分、輝一は少しばかり慣れない違和感を感じていた。
見上げられて、ようやく視線が交わる。またにこにこと笑顔を向けてくれた。
今度はどんな映画の話をしようか……結木と語り合うたった数分。それでも、輝一にひと時の楽しみと安らぎを与えてくれた。
「リハビリ頑張っているみたいだな!今日はこれを確認して欲しくて持ってきたんだ!」
大部屋に戻ってくると、窓ぶちに寄り掛かった多賀野の姿が目に入る。帰ってくるやいなや、目の前に差し出したのは、輝一自身の警察手帳とベンダー用の個人ICカード。
事故で燃えてしまったものを再発行してくれたのだ。手を動かせるようになった時に書類を書いたのを思い出す。
その時も感じた。無いはずの翼が痛み出す。自分が今、置かれている現実に引き戻してくる。
「……僕は……まだ、ここにいていいのでしょうか……」
「前も言ったけど、当たり前だろ?今だってここに籍があんだから!確認できたらまた預かっておく……ん? こちら多賀野」
話を切り、多賀野は耳元のインカムに集中している。十中八九、事件だ。輝一にも少し緊張感が伝わった。
「すまん!ちょっと行ってくるわ!」
多賀野は足早に去っていった。預かると言いかけた、警察手帳とICカードを残して。
* * *
翌日。クリスマス間近で入院中の子供たちも浮き足立っているそんな最中。
寿葉は朝のバイタルチェックに向かっていた。
「羽佐間さん!おはようございます!」
声をかけても返事はない。いつもなら起きているはずなのに、と不思議に思う。
「羽佐間さん?……ちょっとカーテンあけますね?」
再度名前を呼んでも返事はない。どうしたのだろう?疑問と共に寿葉はそっとカーテンを開いた。
そこには、整えられたベッドが静かにあるだけだった。
まずはこの病棟フロア全体を確認しないと……
もう介助なしでひとりでも動くことができるから、お手洗いや談話室などに行っている可能性がある、と寿葉が探しに向かおうとしたその時、
「結木くん、おはよう!ちょっと気になったことがあって、伝えといた方がいいかなって、さっきね……」
廊下を歩いていた検査入院中の患者に声をかけられた。寿葉が耳を傾けると、羽佐間の居場所の手がかりが見つかった。
寿葉は急いで屋上テラスへ向かった。
今の時間帯は施錠されているはずだし、時間外は病院関係者の付き添いが無いと入れない。開放時間中は警備員がいるが、まだ来ているはずもない。
真面目な羽佐間さんのことだから大丈夫だろう……そう思いたい。思いの裏に微かなざわめきを感じながら、目的の階でエレベーターを降りると、羽佐間が使っている歩行器が目に入った。
その前には屋上テラスへの扉。ロックはかかったままだ。でも羽佐間の姿はここにない。
羽佐間は、ベンダー(セキュリティシステムの技術者)でもある、と以前多賀野が言っていた。セキュリティに詳しいならもしかしたらこの扉だって開けられるかもしれない。
早く見つけ出さないと、そんな焦りに駆られ、寿葉は万が一のために持ってきていたICカードをかざした。
そこには、羽佐間が立っていた。
緑が生い茂る自然豊かなテラスの真ん中、朝日に照らされ静かに佇む。
僅かに残っている白い両翼、その背中からどことなく虚しさが漂っていた。
12月の冷たい空気が寿葉の頬を掠めていく。空に近いからだろうか、突如強風が吹き抜けていった。
その瞬間、羽佐間の身体がふらつく。
「羽佐間さん!!」
寿葉は咄嗟に駆け寄って、羽佐間の身体に腕を回し支えた。
「結木……さん……?」
羽佐間はいきなりのことに驚いた様で固まっている。言いたいことはたくさんあるはずなのに、どう声をかければいいか、寿葉は言葉を見つけられずにいた。
「結木さん……すみません……勝手なことをして……」
映画のことを楽しそうに語っていた時の声とは程遠い弱々しい呟きを、冷めきった鋭い風がかき消していく。
* * *
* * *
テラスを彩る花壇には、朝露に煌めく色とりどりの小さく可愛らしい花が咲いている。傍らにクリスマスローズと書かれたネームプレートが刺されてあった。クリスマス……そんな時期か……ふと羽佐間の頭に今日が特別な日であることが過ぎった。
備え付けられたベンチに羽佐間を座らせ、結木は急いで院内スマホで星乃に連絡を入れた。
「ん~了解。結木の受け持ちの患者さんたちのことは私たちに任せて。一応多賀野にも連絡しとく。今はとにかく羽佐間さんの話を聞いてあげな~」
普段は眠そうでのんびりとした星乃だが、やっぱり頼もしい主任だ。緊急時も変わらずいつだって冷静。落ち着いて対処してくれるし、何より患者にも看護師たちにも穏やかに対応してくれる優しさにほっとする。
連絡を終えひと段落し、結木はやっと安堵のため息をついた。
「結木さん、本当に申し訳ございません。多賀野隊長の方に僕からも連絡しておきます」
傷心していたとはいえ、自分勝手な行動をしてしまった。ここまで探しに来てくれ、結木の仕事を中断させてしまった。迷惑をかけたことを羽佐間は酷く反省した。
「羽佐間さん、お話聞かせていただいてもいいですか?」
こんな時でも、結木は変わらず優しい表情と声色で、そっと隣に寄り添ってくれる。
「ひとりで……考えたかったんです」
羽佐間は俯いたままポツリと零す。
「無いはずの翼が度々痛むんです。まだ翼があるんじゃないかってそんな錯覚を感じていました」
「幻肢痛(げんしつう)……ですか……?」
「確か主治医の荒木さんもそう仰っていました。鎮痛剤もあるとは言われましたが……この痛みを消してしまうと、もう二度と翼があることを感じられない気がして……名残惜しかったんです」
結木は頷きながら静かに耳を傾ける。痛みは無いと言っていたのに、ずっと我慢していたのか……と今更ながら知った。
顔を上げ、羽佐間は空を仰ぐ。今日は雲ひとつない晴天で心地よいはずなのに……
「いつも飛んでいた空に近いこの場所の空気に触れてたくてここに来ました。痛みを感じていても背中は空っぽで風が通り過ぎていくだけで、翼を動かしても微動だにしないこの身体、この現実を……ようやく実感し、理解しました。僕には、飛ぶことができる翼はもう無い……」
目を瞑る。瞼を通し明るさを感じても、真っ暗な闇に閉じ込められている感覚が広がる。
「これからどうしたらいいか分からなくなってしまいました。空を飛べる翼があったから機動隊として今まで活動できていました。でも、飛べなくなった僕の居場所はもう……」
結木は看護学生の時に学んだことを思い出した。
鳥類種に個体差が多いことは一般的に知られている。特に翼の強度や大きさが飛行可能かどうかが決まり、翼があるにもかかわらず飛べない者も多く存在する。
飛べる者は、背中全体を付け根とした大きくしっかりとした翼があり、『飛行可能種』と呼ばれている。
彼は、『飛ぶことが出来た』、鳥類種の獣人。
羽佐間が飛行可能種ということも、任務中の事故で翼を無くしたことも、カルテで既に知っていたことだ。
だが、羽佐間自身翼のことを一切口にしなかった。後ろ向きなことや弱音を吐くこともなく、真面目に前向きにリハビリに取り組んでいた。だから結木も翼のことは深く気にしていなかった。
ずっと抱え込んで痛みを耐えていたのに、顔色ひとつ変えず微笑む羽佐間に安心して、『話をすること、聞くこと』を怠っていたことを結木は後悔した。
「そう、だったんですね……まずは、お話してくださってありがとうございます……あなたのこと、担当看護師としてしっかり見ているつもりでした……こんなに悩んでいたこと……気づくことができなくて申し訳ありません」
眉をひそめ、羽佐間は首を横に振った。
「そんなことないです。結木さんは悪くありません。これは自分自身の問題ですから、誰かを巻き込みたくなかっただけで……でも結果……巻き込んでしまって、こちらこそ本当に申し訳ございません」
羽佐間も深々と頭を下げる。情けなさ、不甲斐なさ、罪悪感がじわじわと心を侵食する中、顔をあげてください、と結木の優しい声が聞こえた。
「どんな人間もそれぞれの苦しみや悲しみがあります。羽佐間さんの痛みは羽佐間さんだけのものです。どんなに頑張っても全てを理解することは誰にもできない。だからといって、全てをひとりで背負わなくてもいいんです。些細なことでも、伝えられる範囲で構わないので、よければ聞かせてください」
結木は必死に言葉を選んで伝える。
「羽佐間さんがいつも懸命にリハビリに取り組んでいることを知っています。心が沈んでしまうとリハビリの意欲すら無くなってしまい塞ぎ込んでしまうことだってあります。それでも、出来ることを少しずつ増やして、今は歩けるようになって、あなたは傷ついた心を抱えながらも一歩一歩確実に前に進んでいます。僕はそんなあなたを心から尊敬しています。これからのことは、羽佐間さんのペースでいいので一緒に考えていきませんか?」
この声掛けは看護師として間違っているかもしれない。
それでも少しでも届いてくれるように、と結木は今の自分の気持ちと、過去経験した気持ちを重ね、声にする。以前多賀野が話していた前向きな言葉を探しながら。
そう真っ直ぐに、真剣に向き合ってくれる結木が眩しく映る。寝たきりの時から変わらず、寄り添って、たくさんの声を気持ちを与えてくれた結木は、羽佐間にとって改めて暗闇を導く輝きに見えた。
「……ありがとうございます……結木さんにはお世話になりっぱなしで……ずっとあなたのお話が励みになっていました。今もここまで探しに来て、話を聞いてくださって……心から感謝しています。まだ不安がありますが……僕からも少しずつ話せる範囲で話します。聞いていただけると嬉しいです。よろしくお願いします」
「はい!僕も積極的にお聞きしますし、気兼ねなくお話してください!僕はまだ看護師としては未熟で、学ぶことも多い身です。あなたと関わりながら力になれるように頑張ります。こちらこそお願いしますね!!」
金色の目線とようやく交わる。ほんのりとだが、ようやく羽佐間の微笑みを取り戻すことができた。
お互いにこんなに長く話をすることは初めてだった。すっかりと日の昇った空は澄み渡っている。冷たかった空気すら今は微かな温かさに照らされて心地よく感じた。
* * *
結木が時計を確認し、そろそろ病室に戻らないと!と立ち上がろうとした。しかし、
「そういえば!羽佐間さんにお会いしたら真っ先にお伝えしたいことがあったんです!」
唐突に声を上げ、ベンチに座り直し、結木は再び真っ直ぐに見つめてくる。輝一はなんのことだろう、と首を傾げた。
「今日12月20日は羽佐間さんのお誕生日ですよね!おめでとうございます!!」
花が咲くような笑顔で贈られる祝いの言葉。
先程ふと思い出した自分の誕生日だが、まさか祝ってもらえるなんて輝一は想像していなかった。
「覚えてくれていたんですか……?」
「もちろん、患者さんのお誕生日は把握していますから!言葉だけのお祝いになってしまうんですけど……しっかりお伝えするようにしています!」
「ありがとう……ございます。言葉だけでも十分嬉しいです……」
機動隊員以外で誕生日を祝ってくれるのはいつぶりだろうか。思いがけない嬉しい出来事にまた胸が温かくなった。
* * *
「そういえば、どうやってテラスに入ったんですか?羽佐間さんがベンダーだって聞いていたから、もしかしたらセキュリティを解錠したんだと思って……」
病棟へと帰る道中、聞いておかなくてはならない疑問を羽佐間に問いかける。
「専門の機械類が無いと基本的に開けることは出来ません。今の僕は持ち合わせていませんから無理なんです……でも、確かにICカードは所持していました……使ってはいませんけど……」
羽佐間は持っていたICカードを見せつつ、手に入れた経緯を話した。多賀野が確認のために持ってきたものを預かり忘れていった、ということを寿葉は初めて知った。
「えっ……じゃあ、どうやって?」
「偶然入ってしまい閉じ込められた、と言えばいいでしょうか……」
羽佐間はその時の状況を説明してくれた。
実際カードを使いテラスに入ろうとしたが、ドア前に来て思い止まった。
ふと、ドアを見ると小さな隙間があり、施錠されていない事に気づいた。通常閉まりきっていない場合、警告音が鳴り続け、警備員にも連絡がいくはずだが、どちらも作動していないと察した。
もしかしたら開いていることに気づいた誰かが迷い込んでいるかもしれない、と歩行器で隙間を維持してテラス内に入って確認していた。が、突然強風が吹いて、歩行器が外れて今度は完全に閉まってしまった。
結局テラスには、誰もおらず、閉じ込められたのは羽佐間だけだった。
監視カメラでの出入り管理もしているはずだが、反応は感じられず。人感センサーも機能していない可能性が出てきた。
閉じ込められた際にすぐ緊急連絡ボタンを押せばよかった。しかし、本来ここに来た目的はテラスに入ることで、意図せずだが入り込めたテラスで物思いにふけってしまった。
ということだった。
「そんなことが……僕てっきり、自分から入ったと思って、誤解してしまっていました。こういうIT?関係のことに疎くて……勘違いして、すみません……」
「大丈夫です。でも、バイタルチェックの時間前だと分かっていて部屋を抜け出し、テラスに入ろうとここまで来ましたし……偶然入ってしまったとはいえ、すぐに連絡せず居座ってしまい、ご迷惑をおかけしたことには、変わりありません。僕が勝手に居なくなったこと、本当は大事になる可能性がありましたから……結木さんがすぐ来て、ご連絡してくださってよかったです。でも、結局時間を取らせてしまい、大変申し訳ございません」
羽佐間はかなり反省しているようで、また深く頭を下げ何度めかの謝罪を口にする。
「持っていたICカードを使えばすぐ出られたはずじゃ……」
「そうするとログが残ります。この場合は緊急連絡ボタンで対処すべきです。僕は今はまだ入院患者ですので……」
な、なるほど……と寿葉は頷くしか出来なかった。
一時の迷いがあり、ここまで来てしまったとはいえ、羽佐間は仕事面にもすごく誠実で真面目だなぁ、と感心した。
「ドア自体の開閉の問題もありますし、警告セキュリティ、監視カメラになにかしら故障か、不具合が起きている可能性があります。改めて隊長にご報告して、警備員さんや管理人さんにもご連絡お願いしておきますね」
「……わぁ……なんだか『ファンキー・ハッカー』のお仕事モードのマリナみたいですね……専門的なことは分からないんですけど!」
つい映画の話が零れてしまった。羽佐間は廊下の途中でピタリと立ち止まり、なぜかじっと見下ろしてくる。
「ベンダーはハッカーではないんですけれど、どちらかというと、マリナの相棒のシノンを目指しています。でも、ホイップクリームをそのまま口に絞るという恐ろしいカロリー摂取は、僕には真似出来ないです」
不意に、いつもの絶妙なシーンをキリッとした表情で言うものだから、寿葉は思わず笑ってしまった。
◆◆◆◆◆
その後、星乃と駆けつけてきた多賀野に事情を伝えた。そこまで大事になることはなく、星乃が内々で片付けてくれた。
「えーこの度は多大なご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした」
「申し訳ございませんでした」
多賀野は頭を抱えながらも、羽佐間と共に頭を下げていた。いつもの天真爛漫さは消え、然るべき慎みを込めた態度と対応の多賀野を、寿葉は初めて目にする。
謝罪会見のようで、今いるナースステーションの空間だけ、不思議と厳かに感じた。
「今後気をつけてくれたらいいよ~ひとりでテラス行きたい時は声掛けてくれたら出入口で待っていることもできるし、気負わないで私たちを頼ってね~」
と星乃は優しく羽佐間に告げたあと、
「カード預かり忘れた多賀野が悪いし、セキュリティのことも多賀野が対処することだから~」
笑顔で多賀野に責任を押し付けて業務に戻っていった。
病院側の対処は星乃が全て引き受けてくれていることを多賀野自身も理解しているようで、難しい顔をしながら口を結んでいた。
「結木さん、改めて申し訳ございませんでした。もしかしたら僕のせいで、結木さんまでお叱りを受ける可能性がありますよね……」
「そんなことないですよ!主任は滅多に怒りませんし、患者さんが突然居なくなることって、珍しいことじゃありませんから!羽佐間さんの方も多賀野さんに怒られるんじゃ……?」
「あの人、僕の前ではあまり怒らないので問題ないです。それに、僕自身が悪いことはよく理解していますので……」
終始眉を落とし、しゅん、と縮こまっている羽佐間の顔を覗き込みながら、寿葉は、大丈夫!と肩を叩いた。
「謝るのはもうこれでおしまいにしましょう!主任が言っていたように、これから気をつけてくださればいいですから!」
その後、星乃からあの出来事を『12.20テラス侵入未遂事件』と命名された。
◆◆◆◆◆
その日の夜。輝一はベッドの上で今日のことを思い返していた。
結木さん……いつも笑いかけてくれる明るくて優しい看護師さん。たくさんお話ししてくれて、聞いてくれて……こんなに親身になってくれる方はそういない。
結木と接すると心地よい温かさで胸がいっぱいになる。尊敬、感謝、信頼……挙げればキリがない、正直どれにも当てはまるこの気持ち。
それに、映画という同じ趣味の繋がりは、結木と自分だけの間にある『特別』なものだと感じた。
……一体何をおこがましいことを考えているんだ。
飽くまで『患者』と『看護師』である。関わりの中で会話をするのは『仕事』であり、立場を履き違えて『特別』だなんて……
自分が抱く感情を否定はしないが、線引きしなくてはならない。
輝一は自らに強く言い聞かせた。
それでも、結木と関わる『今』が好きというどうしようもない事実に、輝一の想いは揺らいでいた。
☆今回の映画紹介
『リトルマッドヒート』
大人たちが原因のモラルパニックのせいで狂い出した街を鎮めるため、奔走する子供たちを描いたB級映画。社会風刺が強い。
最終的に自分たちもパニックを起こすが、なんやかんやで解決するよく分からないストーリー。地味に年齢制限がある。
評価☆2.5
子供たちの演技がいい。将来有望(年齢不詳・性別不明)
『ファンキー・ハッカー』
プログラミングの仕事中は真面目で規律を重んじるマリナとシノン。
家に帰ればひとたびお遊びモードで、マリナはヌテラを貪り、シノンはホイップクリームを直飲みカロリーをキメながら、狂ったように悪事にハッキングをかますイカれたハッカーコンビの話。緩急がすごい。中指立てがち。
元々は子供向けプログラミング映画だったが、監督が物足りないと舵を切った結果、子供には見せられないような過激な映画になった。
評価☆3.5
マリナの真似してヌテラを口の中いっぱいに入れたら死にかけた。真似する際は気をつけた方がいい。(20代・男性)
「おはようございます、結木さん。体調変わりないです。身体の痛みもあまり感じません。足もかなり動くようになりました」
ようやく羽佐間と会話しコミュニケーションをとることができる。今まで一方通行だった分ケアを難しく感じることがあったが、今はしっかり言葉を交わせるからこそ動きやすい、と寿葉はしみじみ感じていた。
羽佐間はとても真面目で、自己申告もしっかりし、時間もきっちり厳守、無理難題を言うこともない。逆に、
「僕は大丈夫なので、他の受け持ちの患者さんについてあげてください」
気遣ってくれる優しさまである。
リハビリも順調で回復も相変わらず早く、もうつかまり立ちができ、自ら車椅子に乗ってくれる。
「羽佐間さんのペースでいいですからね?無理しなくても、ゆっくりでも……」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます。今までたくさんお世話していただいたので……自分にできることはなるべく自分でやりますね」
「そうですね!その気持ちはとても大事です!」
前向きな羽佐間の姿に寿葉もしっかり向き合おうと決意した。
そして、ようやく約束していた映画の話ができるようになった。
リハビリからの迎えの帰り道。
病棟とリハビリ室のある別棟をつなぐ渡り廊下から、中庭が見える。自然に囲まれた穏やかな景色と時折散歩している患者や付き添いの看護師、医師など様々な人々の姿を眺めながら、数分だけ話をするのが日課になった。
羽佐間が好きな映画のジャンルの話。
「ジャンル関係なくいろいろ見ますが、強いて言えばミステリーやサスペンス、あとコメディ系……ですかね」
「そうなんですね!ミステリーやサスペンス、僕も好きです!一緒に推理しながら見るのがやっぱり楽しいですよね~僕の勝手なイメージで申し訳ないんですが、羽佐間さんがコメディが好きなのはちょっと意外かも」
「展開が読めない突飛な作品を面白いと思います。理解が難しい発想や想像することが出来ない世界観は、不思議な感覚を味わえて好きなんです」
他にも、
「雰囲気でいえば叙情的なものや、郷愁的で切ない作品も好きですね。人の心情が深く関わった物語に惹かれます。それこそ以前お話していただいた『ルミナス』のような詩情的な言い回しが独特な作品も、結木さんと同じく考えさせられる部分が僕も好きです」
いつも饒舌に語る。大きな窓ガラスにかすかに映る羽佐間の表情は微笑んでいて楽しそうに見える。車椅子の後ろから寿葉もそっと頬を緩めた。
寝たきりの間に寿葉の話した映画のことや、自分のお気に入りの作品のこと、映画の裏話、好きな監督のことなど、多種多様な映画関係の話を羽佐間は事細かく言葉に紡いでいく。
感動するシーンや盛り上がるところはもちろん共感できるが、それ以外に羽佐間は独特な視点で作品を見ているようで……
「ゾンビが拾った財布を持ち主に返そうとする所で、持っていた右手が落ちてしまって、右手ごと返すシーンとか好きです」
「あの監督は自分が作ったジオラマを壊すのがつらくて、毎回一瞬の爆発シーンに2、3日かかってしまうらしいです。そう思うと、爆発シーンが切なく感じます」
「パニックものなのに、皆が逃げ惑う中、1人だけ冷静すぎるエキストラの方が面白くて何度も見てしまいました」
細すぎて伝わらないであろう絶妙な感性の感想を落ち着いた声色で淡々と話してくる。
映画の内容を知っているからこそ逆に面白く感じた寿葉は、その度に口を抑えて必死に笑いを堪えていた。自分のツボもズレているのかもしれない、と悟りながら。
「……あの……おかしかったでしょうか」
ついに笑っていることに気づかれたようで、羽佐間が後ろを覗き込もうと頭を動かしている。
「すみません。いつも予想斜め上の感想だから、面白くて……ふふっ」
寿葉は堪えきれず、顔をそらしながらも笑いが零れてしまった。
「……面白いって初めて言われました。隊の人たちに話しても全然通じなくて、『リトルマッドヒート』の作戦会議中に突然踊り出すミックを見て呆然とする仲間たちみたいな微妙な顔をされます」
「え、それは……僕も知らない映画です……」
後ろを覗こうとしていた羽佐間の顔がゆっくりと前を向く。小さく、す、すみません、と呟き、俯いてしまった。しょんぼりとした背中、こころなしか翼も落ち込んでいるように見える。
そんな仕草にクスリと微笑みながら寿葉は口を開いた。
「せっかくだからその映画のこと、教えてくれませんか?気になるので!」
その声掛けにすっと顔を上げる。目を丸くし、ほんのりと華やぐ羽佐間の表情が窓ガラスにうっすら映った。そしてネタバレに配慮しつつ、懇切丁寧に映画について教えてくれた。
溢れる熱量と細やかでユーモラスな目線で語る羽佐間の姿から、心から映画が好きなんだ、と寿葉は感じていた。
「結木さんも、色んな作品や内容も細かいところまでよく覚えていますよね。分かってくださる部分が多くて嬉しいです」
「自分で言うのもなんですが、記憶力には自信あり!です!だから、羽佐間さんの話もついていけます!何より僕も色んな映画の話ができて楽しいですよ!」
「……こちらこそすごく楽しいです。いつもお時間割いていただき、ありがとうございます」
大部屋のベッドへと戻ると羽佐間はいつも穏やかに微笑みながらお辞儀をする。
リハビリも実直にこなし、笑顔を交わし明るく会話もできる。精神的にも安定していると感じる。
寿葉はそんな羽佐間の姿に安心しきっていた。
* * *
(12月19日)
2週間ほどのリハビリで車椅子を卒業し、歩行器を使ってだが、自ら歩くことができるほど輝一は回復した。
もうすぐ今まで通り……とは行かないが、元の生活に戻れるだろう、そう思っていた。
今日のリハビリも無事終わり、いつも指導してくれる先生に頭を下げる。部屋の外には毎回迎えに来てくれる結木。目が合うと必ずといっていいほど優しく笑いかけてくれる。そのたびに胸が温かくなった。
隣を歩く結木は自分よりも10cmほど小さい。ベッド上や車椅子生活では知ることができなかった身長差。今まで同じ目線か、見下ろされていることが多かった分、輝一は少しばかり慣れない違和感を感じていた。
見上げられて、ようやく視線が交わる。またにこにこと笑顔を向けてくれた。
今度はどんな映画の話をしようか……結木と語り合うたった数分。それでも、輝一にひと時の楽しみと安らぎを与えてくれた。
「リハビリ頑張っているみたいだな!今日はこれを確認して欲しくて持ってきたんだ!」
大部屋に戻ってくると、窓ぶちに寄り掛かった多賀野の姿が目に入る。帰ってくるやいなや、目の前に差し出したのは、輝一自身の警察手帳とベンダー用の個人ICカード。
事故で燃えてしまったものを再発行してくれたのだ。手を動かせるようになった時に書類を書いたのを思い出す。
その時も感じた。無いはずの翼が痛み出す。自分が今、置かれている現実に引き戻してくる。
「……僕は……まだ、ここにいていいのでしょうか……」
「前も言ったけど、当たり前だろ?今だってここに籍があんだから!確認できたらまた預かっておく……ん? こちら多賀野」
話を切り、多賀野は耳元のインカムに集中している。十中八九、事件だ。輝一にも少し緊張感が伝わった。
「すまん!ちょっと行ってくるわ!」
多賀野は足早に去っていった。預かると言いかけた、警察手帳とICカードを残して。
* * *
翌日。クリスマス間近で入院中の子供たちも浮き足立っているそんな最中。
寿葉は朝のバイタルチェックに向かっていた。
「羽佐間さん!おはようございます!」
声をかけても返事はない。いつもなら起きているはずなのに、と不思議に思う。
「羽佐間さん?……ちょっとカーテンあけますね?」
再度名前を呼んでも返事はない。どうしたのだろう?疑問と共に寿葉はそっとカーテンを開いた。
そこには、整えられたベッドが静かにあるだけだった。
まずはこの病棟フロア全体を確認しないと……
もう介助なしでひとりでも動くことができるから、お手洗いや談話室などに行っている可能性がある、と寿葉が探しに向かおうとしたその時、
「結木くん、おはよう!ちょっと気になったことがあって、伝えといた方がいいかなって、さっきね……」
廊下を歩いていた検査入院中の患者に声をかけられた。寿葉が耳を傾けると、羽佐間の居場所の手がかりが見つかった。
寿葉は急いで屋上テラスへ向かった。
今の時間帯は施錠されているはずだし、時間外は病院関係者の付き添いが無いと入れない。開放時間中は警備員がいるが、まだ来ているはずもない。
真面目な羽佐間さんのことだから大丈夫だろう……そう思いたい。思いの裏に微かなざわめきを感じながら、目的の階でエレベーターを降りると、羽佐間が使っている歩行器が目に入った。
その前には屋上テラスへの扉。ロックはかかったままだ。でも羽佐間の姿はここにない。
羽佐間は、ベンダー(セキュリティシステムの技術者)でもある、と以前多賀野が言っていた。セキュリティに詳しいならもしかしたらこの扉だって開けられるかもしれない。
早く見つけ出さないと、そんな焦りに駆られ、寿葉は万が一のために持ってきていたICカードをかざした。
そこには、羽佐間が立っていた。
緑が生い茂る自然豊かなテラスの真ん中、朝日に照らされ静かに佇む。
僅かに残っている白い両翼、その背中からどことなく虚しさが漂っていた。
12月の冷たい空気が寿葉の頬を掠めていく。空に近いからだろうか、突如強風が吹き抜けていった。
その瞬間、羽佐間の身体がふらつく。
「羽佐間さん!!」
寿葉は咄嗟に駆け寄って、羽佐間の身体に腕を回し支えた。
「結木……さん……?」
羽佐間はいきなりのことに驚いた様で固まっている。言いたいことはたくさんあるはずなのに、どう声をかければいいか、寿葉は言葉を見つけられずにいた。
「結木さん……すみません……勝手なことをして……」
映画のことを楽しそうに語っていた時の声とは程遠い弱々しい呟きを、冷めきった鋭い風がかき消していく。
* * *
* * *
テラスを彩る花壇には、朝露に煌めく色とりどりの小さく可愛らしい花が咲いている。傍らにクリスマスローズと書かれたネームプレートが刺されてあった。クリスマス……そんな時期か……ふと羽佐間の頭に今日が特別な日であることが過ぎった。
備え付けられたベンチに羽佐間を座らせ、結木は急いで院内スマホで星乃に連絡を入れた。
「ん~了解。結木の受け持ちの患者さんたちのことは私たちに任せて。一応多賀野にも連絡しとく。今はとにかく羽佐間さんの話を聞いてあげな~」
普段は眠そうでのんびりとした星乃だが、やっぱり頼もしい主任だ。緊急時も変わらずいつだって冷静。落ち着いて対処してくれるし、何より患者にも看護師たちにも穏やかに対応してくれる優しさにほっとする。
連絡を終えひと段落し、結木はやっと安堵のため息をついた。
「結木さん、本当に申し訳ございません。多賀野隊長の方に僕からも連絡しておきます」
傷心していたとはいえ、自分勝手な行動をしてしまった。ここまで探しに来てくれ、結木の仕事を中断させてしまった。迷惑をかけたことを羽佐間は酷く反省した。
「羽佐間さん、お話聞かせていただいてもいいですか?」
こんな時でも、結木は変わらず優しい表情と声色で、そっと隣に寄り添ってくれる。
「ひとりで……考えたかったんです」
羽佐間は俯いたままポツリと零す。
「無いはずの翼が度々痛むんです。まだ翼があるんじゃないかってそんな錯覚を感じていました」
「幻肢痛(げんしつう)……ですか……?」
「確か主治医の荒木さんもそう仰っていました。鎮痛剤もあるとは言われましたが……この痛みを消してしまうと、もう二度と翼があることを感じられない気がして……名残惜しかったんです」
結木は頷きながら静かに耳を傾ける。痛みは無いと言っていたのに、ずっと我慢していたのか……と今更ながら知った。
顔を上げ、羽佐間は空を仰ぐ。今日は雲ひとつない晴天で心地よいはずなのに……
「いつも飛んでいた空に近いこの場所の空気に触れてたくてここに来ました。痛みを感じていても背中は空っぽで風が通り過ぎていくだけで、翼を動かしても微動だにしないこの身体、この現実を……ようやく実感し、理解しました。僕には、飛ぶことができる翼はもう無い……」
目を瞑る。瞼を通し明るさを感じても、真っ暗な闇に閉じ込められている感覚が広がる。
「これからどうしたらいいか分からなくなってしまいました。空を飛べる翼があったから機動隊として今まで活動できていました。でも、飛べなくなった僕の居場所はもう……」
結木は看護学生の時に学んだことを思い出した。
鳥類種に個体差が多いことは一般的に知られている。特に翼の強度や大きさが飛行可能かどうかが決まり、翼があるにもかかわらず飛べない者も多く存在する。
飛べる者は、背中全体を付け根とした大きくしっかりとした翼があり、『飛行可能種』と呼ばれている。
彼は、『飛ぶことが出来た』、鳥類種の獣人。
羽佐間が飛行可能種ということも、任務中の事故で翼を無くしたことも、カルテで既に知っていたことだ。
だが、羽佐間自身翼のことを一切口にしなかった。後ろ向きなことや弱音を吐くこともなく、真面目に前向きにリハビリに取り組んでいた。だから結木も翼のことは深く気にしていなかった。
ずっと抱え込んで痛みを耐えていたのに、顔色ひとつ変えず微笑む羽佐間に安心して、『話をすること、聞くこと』を怠っていたことを結木は後悔した。
「そう、だったんですね……まずは、お話してくださってありがとうございます……あなたのこと、担当看護師としてしっかり見ているつもりでした……こんなに悩んでいたこと……気づくことができなくて申し訳ありません」
眉をひそめ、羽佐間は首を横に振った。
「そんなことないです。結木さんは悪くありません。これは自分自身の問題ですから、誰かを巻き込みたくなかっただけで……でも結果……巻き込んでしまって、こちらこそ本当に申し訳ございません」
羽佐間も深々と頭を下げる。情けなさ、不甲斐なさ、罪悪感がじわじわと心を侵食する中、顔をあげてください、と結木の優しい声が聞こえた。
「どんな人間もそれぞれの苦しみや悲しみがあります。羽佐間さんの痛みは羽佐間さんだけのものです。どんなに頑張っても全てを理解することは誰にもできない。だからといって、全てをひとりで背負わなくてもいいんです。些細なことでも、伝えられる範囲で構わないので、よければ聞かせてください」
結木は必死に言葉を選んで伝える。
「羽佐間さんがいつも懸命にリハビリに取り組んでいることを知っています。心が沈んでしまうとリハビリの意欲すら無くなってしまい塞ぎ込んでしまうことだってあります。それでも、出来ることを少しずつ増やして、今は歩けるようになって、あなたは傷ついた心を抱えながらも一歩一歩確実に前に進んでいます。僕はそんなあなたを心から尊敬しています。これからのことは、羽佐間さんのペースでいいので一緒に考えていきませんか?」
この声掛けは看護師として間違っているかもしれない。
それでも少しでも届いてくれるように、と結木は今の自分の気持ちと、過去経験した気持ちを重ね、声にする。以前多賀野が話していた前向きな言葉を探しながら。
そう真っ直ぐに、真剣に向き合ってくれる結木が眩しく映る。寝たきりの時から変わらず、寄り添って、たくさんの声を気持ちを与えてくれた結木は、羽佐間にとって改めて暗闇を導く輝きに見えた。
「……ありがとうございます……結木さんにはお世話になりっぱなしで……ずっとあなたのお話が励みになっていました。今もここまで探しに来て、話を聞いてくださって……心から感謝しています。まだ不安がありますが……僕からも少しずつ話せる範囲で話します。聞いていただけると嬉しいです。よろしくお願いします」
「はい!僕も積極的にお聞きしますし、気兼ねなくお話してください!僕はまだ看護師としては未熟で、学ぶことも多い身です。あなたと関わりながら力になれるように頑張ります。こちらこそお願いしますね!!」
金色の目線とようやく交わる。ほんのりとだが、ようやく羽佐間の微笑みを取り戻すことができた。
お互いにこんなに長く話をすることは初めてだった。すっかりと日の昇った空は澄み渡っている。冷たかった空気すら今は微かな温かさに照らされて心地よく感じた。
* * *
結木が時計を確認し、そろそろ病室に戻らないと!と立ち上がろうとした。しかし、
「そういえば!羽佐間さんにお会いしたら真っ先にお伝えしたいことがあったんです!」
唐突に声を上げ、ベンチに座り直し、結木は再び真っ直ぐに見つめてくる。輝一はなんのことだろう、と首を傾げた。
「今日12月20日は羽佐間さんのお誕生日ですよね!おめでとうございます!!」
花が咲くような笑顔で贈られる祝いの言葉。
先程ふと思い出した自分の誕生日だが、まさか祝ってもらえるなんて輝一は想像していなかった。
「覚えてくれていたんですか……?」
「もちろん、患者さんのお誕生日は把握していますから!言葉だけのお祝いになってしまうんですけど……しっかりお伝えするようにしています!」
「ありがとう……ございます。言葉だけでも十分嬉しいです……」
機動隊員以外で誕生日を祝ってくれるのはいつぶりだろうか。思いがけない嬉しい出来事にまた胸が温かくなった。
* * *
「そういえば、どうやってテラスに入ったんですか?羽佐間さんがベンダーだって聞いていたから、もしかしたらセキュリティを解錠したんだと思って……」
病棟へと帰る道中、聞いておかなくてはならない疑問を羽佐間に問いかける。
「専門の機械類が無いと基本的に開けることは出来ません。今の僕は持ち合わせていませんから無理なんです……でも、確かにICカードは所持していました……使ってはいませんけど……」
羽佐間は持っていたICカードを見せつつ、手に入れた経緯を話した。多賀野が確認のために持ってきたものを預かり忘れていった、ということを寿葉は初めて知った。
「えっ……じゃあ、どうやって?」
「偶然入ってしまい閉じ込められた、と言えばいいでしょうか……」
羽佐間はその時の状況を説明してくれた。
実際カードを使いテラスに入ろうとしたが、ドア前に来て思い止まった。
ふと、ドアを見ると小さな隙間があり、施錠されていない事に気づいた。通常閉まりきっていない場合、警告音が鳴り続け、警備員にも連絡がいくはずだが、どちらも作動していないと察した。
もしかしたら開いていることに気づいた誰かが迷い込んでいるかもしれない、と歩行器で隙間を維持してテラス内に入って確認していた。が、突然強風が吹いて、歩行器が外れて今度は完全に閉まってしまった。
結局テラスには、誰もおらず、閉じ込められたのは羽佐間だけだった。
監視カメラでの出入り管理もしているはずだが、反応は感じられず。人感センサーも機能していない可能性が出てきた。
閉じ込められた際にすぐ緊急連絡ボタンを押せばよかった。しかし、本来ここに来た目的はテラスに入ることで、意図せずだが入り込めたテラスで物思いにふけってしまった。
ということだった。
「そんなことが……僕てっきり、自分から入ったと思って、誤解してしまっていました。こういうIT?関係のことに疎くて……勘違いして、すみません……」
「大丈夫です。でも、バイタルチェックの時間前だと分かっていて部屋を抜け出し、テラスに入ろうとここまで来ましたし……偶然入ってしまったとはいえ、すぐに連絡せず居座ってしまい、ご迷惑をおかけしたことには、変わりありません。僕が勝手に居なくなったこと、本当は大事になる可能性がありましたから……結木さんがすぐ来て、ご連絡してくださってよかったです。でも、結局時間を取らせてしまい、大変申し訳ございません」
羽佐間はかなり反省しているようで、また深く頭を下げ何度めかの謝罪を口にする。
「持っていたICカードを使えばすぐ出られたはずじゃ……」
「そうするとログが残ります。この場合は緊急連絡ボタンで対処すべきです。僕は今はまだ入院患者ですので……」
な、なるほど……と寿葉は頷くしか出来なかった。
一時の迷いがあり、ここまで来てしまったとはいえ、羽佐間は仕事面にもすごく誠実で真面目だなぁ、と感心した。
「ドア自体の開閉の問題もありますし、警告セキュリティ、監視カメラになにかしら故障か、不具合が起きている可能性があります。改めて隊長にご報告して、警備員さんや管理人さんにもご連絡お願いしておきますね」
「……わぁ……なんだか『ファンキー・ハッカー』のお仕事モードのマリナみたいですね……専門的なことは分からないんですけど!」
つい映画の話が零れてしまった。羽佐間は廊下の途中でピタリと立ち止まり、なぜかじっと見下ろしてくる。
「ベンダーはハッカーではないんですけれど、どちらかというと、マリナの相棒のシノンを目指しています。でも、ホイップクリームをそのまま口に絞るという恐ろしいカロリー摂取は、僕には真似出来ないです」
不意に、いつもの絶妙なシーンをキリッとした表情で言うものだから、寿葉は思わず笑ってしまった。
◆◆◆◆◆
その後、星乃と駆けつけてきた多賀野に事情を伝えた。そこまで大事になることはなく、星乃が内々で片付けてくれた。
「えーこの度は多大なご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした」
「申し訳ございませんでした」
多賀野は頭を抱えながらも、羽佐間と共に頭を下げていた。いつもの天真爛漫さは消え、然るべき慎みを込めた態度と対応の多賀野を、寿葉は初めて目にする。
謝罪会見のようで、今いるナースステーションの空間だけ、不思議と厳かに感じた。
「今後気をつけてくれたらいいよ~ひとりでテラス行きたい時は声掛けてくれたら出入口で待っていることもできるし、気負わないで私たちを頼ってね~」
と星乃は優しく羽佐間に告げたあと、
「カード預かり忘れた多賀野が悪いし、セキュリティのことも多賀野が対処することだから~」
笑顔で多賀野に責任を押し付けて業務に戻っていった。
病院側の対処は星乃が全て引き受けてくれていることを多賀野自身も理解しているようで、難しい顔をしながら口を結んでいた。
「結木さん、改めて申し訳ございませんでした。もしかしたら僕のせいで、結木さんまでお叱りを受ける可能性がありますよね……」
「そんなことないですよ!主任は滅多に怒りませんし、患者さんが突然居なくなることって、珍しいことじゃありませんから!羽佐間さんの方も多賀野さんに怒られるんじゃ……?」
「あの人、僕の前ではあまり怒らないので問題ないです。それに、僕自身が悪いことはよく理解していますので……」
終始眉を落とし、しゅん、と縮こまっている羽佐間の顔を覗き込みながら、寿葉は、大丈夫!と肩を叩いた。
「謝るのはもうこれでおしまいにしましょう!主任が言っていたように、これから気をつけてくださればいいですから!」
その後、星乃からあの出来事を『12.20テラス侵入未遂事件』と命名された。
◆◆◆◆◆
その日の夜。輝一はベッドの上で今日のことを思い返していた。
結木さん……いつも笑いかけてくれる明るくて優しい看護師さん。たくさんお話ししてくれて、聞いてくれて……こんなに親身になってくれる方はそういない。
結木と接すると心地よい温かさで胸がいっぱいになる。尊敬、感謝、信頼……挙げればキリがない、正直どれにも当てはまるこの気持ち。
それに、映画という同じ趣味の繋がりは、結木と自分だけの間にある『特別』なものだと感じた。
……一体何をおこがましいことを考えているんだ。
飽くまで『患者』と『看護師』である。関わりの中で会話をするのは『仕事』であり、立場を履き違えて『特別』だなんて……
自分が抱く感情を否定はしないが、線引きしなくてはならない。
輝一は自らに強く言い聞かせた。
それでも、結木と関わる『今』が好きというどうしようもない事実に、輝一の想いは揺らいでいた。
☆今回の映画紹介
『リトルマッドヒート』
大人たちが原因のモラルパニックのせいで狂い出した街を鎮めるため、奔走する子供たちを描いたB級映画。社会風刺が強い。
最終的に自分たちもパニックを起こすが、なんやかんやで解決するよく分からないストーリー。地味に年齢制限がある。
評価☆2.5
子供たちの演技がいい。将来有望(年齢不詳・性別不明)
『ファンキー・ハッカー』
プログラミングの仕事中は真面目で規律を重んじるマリナとシノン。
家に帰ればひとたびお遊びモードで、マリナはヌテラを貪り、シノンはホイップクリームを直飲みカロリーをキメながら、狂ったように悪事にハッキングをかますイカれたハッカーコンビの話。緩急がすごい。中指立てがち。
元々は子供向けプログラミング映画だったが、監督が物足りないと舵を切った結果、子供には見せられないような過激な映画になった。
評価☆3.5
マリナの真似してヌテラを口の中いっぱいに入れたら死にかけた。真似する際は気をつけた方がいい。(20代・男性)
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