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meet you
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年の瀬に差し掛かる中、変わらず入院生活は続く。
輝一は歩行器も卒業し、杖歩行になったが、実際は支えがなくてもほぼ歩けるようになっていた。
「結木くん!こっちきてー!!」
「はい、今行きます!」
「久しぶり、結木くん!元気してた?」
「お久しぶりです!!花沢さんもお元気そうで!」
「ゆいきくん、これあげる!」
「わぁ!折り紙で作ってくれたの?ありがとう!大事にするね!」
「結木先輩!これなんですけど……」
「あ、それはね、この棚にある……」
同室の他の患者さんの対応中、廊下ですれ違った時やナースステーションで面会人と話している時、ふと見かける結木の姿。
老若男女、獣人、人間、種も関係なく明るく接する親しみやすい看護師。患者や面会者、職場の仲間である看護師からも信頼を寄せられているように感じる。
輝一に対しても、あのテラスでの一件があってからか、今まで以上に言葉をかけてくれる。
映画以外のことも話すようになった。いろんな会話をしながら、結木なりにこれからの事を一緒に考えてくれている。
「機動隊でベンダーって改めてすごいですよね……僕じゃ想像できない世界です。いつも僕たちを守ってくださって感謝しています!」
「やっぱり柔道もやられているんですね!僕も昔、護身用に習っていたんです!でも護身として使うには難しいですね……」
「僕も料理しますよ!栄養士さんにいろいろアドバイスもらって、健康的な献立を考えるようにしているんです!糖分控えないとと思いつつ、ついつい甘いもの食べちゃって……」
「お風呂ゆっくり入りたいですよね。湯船に浸からないとお風呂に入った気がしないっていうか……羽佐間さんも退院したらしっかりお風呂入って、疲れを癒してくださいね!」
退院してから、どうするか、仕事のことや、やりたいことをきっかけに結木について少し知ることができた。
そして、一番驚いた事は、
「羽佐間さん、先日お誕生日迎えられて24歳になりましたよね。実は僕も今年で24歳になりましたから同じ歳なんです!同年代で趣味の合う方が初めてで、正直嬉しいです!!」
同じ歳だったということだ。もちろん、結木はカルテで既に把握している。
初めて目にした時、容姿としては少し幼く見えていたが、今は頼もしく、たくましい看護師としての結木に、すっかり見慣れた。
「僕も初めてで……すごく……嬉しいです……」
輝一はほんのりと染まる頬に気づかないまま答える。
よかったです!と微笑む結木にまた胸が温かくなった。
結木と直接関わり、言葉をかわせるようになって約1ヶ月、ほんの少し不自然な『視野』に引っかかった。
ある日、並んで歩いている時、左側からよそ見をしながら近づいてくる小さい子供に、輝一は気付いた。しかし、結木は気付いていないようで、
「結木さん、左からお子さんが歩いてきていますよ」
と輝一の声掛けに、ようやく左下に視線を向けた。
「すみません、前ばっかり見ていました。気をつけますね」
結木はそう言うが、前を見ていても視野的に捉えられるはずだ。
他にもやたらと首を回す仕草があった。それも左側が多い。
度々見えている範囲に関して、気になることがあったが、ほんの些細なことで、注意深く意識しないと分からない。ごく自然に振舞っているから、今まで知ることはなかった。
確証はないが、もしかして左目が……
そんなことを輝一から言い出せるわけもない。
でも、自分と同じ、結木も『大切な身体の一部を失った人』なら……
それでも、自分の置かれた状況に屈せず、前向きに懸命に働く結木の姿を見て、自分自身も変わりたいと思う意識が輝一に芽生えてきた。
今だけ、少しだけでも、補いたい。そんな独りよがりに気づきながらも、輝一は自分の立ち位置を意識するようにした。
年も明け、お正月という雰囲気が過ぎ去った頃。
輝一は、主治医である荒木がいる、鳥類科の診察室に呼ばれた。
「リハビリ評価も問題ないですね。明日、脳や骨折部位、血液の検査に異常がなければ、退院に向けて進めます」
カラスの獣人である荒木も自分と似たような人間的な容姿とカラス特有の黒い翼を持っている。
少し短く真っ直ぐで艶やかな黒髪の白衣姿を着た男性。椅子に座り、眼鏡越しに半ば閉じた目で、PC画面を見つめている。
集中治療室で初めて聞いた時から変わらない落ち着いた声で、淡々と告げた。
退院……
身体が治った証だ。嬉しいことのはずなのに、この生活が終わってしまうことに少し名残惜しさがよぎる。
結木と関わる機会がなくなってしまうことが、やはり寂しく感じる。
二度と会えないわけではないが、もうこれ以上仲を深めることはないだろうと、輝一は思っていた。
でも、関わらなくなっても、全て消えるわけではない。
いつか会えた時、今のように話せなくても結木が笑顔でいてくれたらそれでいい、輝一の心はもう前を向いていた。
それに『これからのこと』は既に答えを見つけていた。それは、結木が気づかせてくれたからだ。
病室に戻り、多賀野に連絡をする。
「……もしもし、隊長……僕、これから――」
翌日。
「羽佐間さん、おはようございます!お身体はどうですか?痛みはありますか?今日は検査があるので少し忙しくなります!」
「おはようございます、結木さん。体調は大丈夫です。幻肢痛も大分軽くなりました」
もうあと何回挨拶することができるだろう。
そんなことを考えながら、結木に従い検査室へと向かった。
「もうすっかり歩けるようになりましたよね!検査結果次第ですが、もうすぐ退院出来そうですね!」
「はい、僕が回復出来たのは病院の皆さんのおかげです。結木さんも……いつもお世話してくださり、感謝しています」
歩幅を合わせて廊下を歩いていく。左隣に寄り添う10cmほどの身長差にも大分慣れた。
「羽佐間さんは退院したら、まず最初に見たい映画はなんですか?」
結木から唐突に投げかけられた映画の質問。
輝一の頭の中に様々な映画のタイトルが浮かぶ。あれも、これも、とひとつに選ぶのは難しく、目を瞑って考え込んでしまった。
「……そうですね……悩みますが……最近『ガンナーズハイ2』が制作されるとの情報を得たので、久しぶりに『1』を見直したいですね」
悩みに悩んで絞り出した映画に、結木も目を見開いて、強く頷いていた。
「なるほど……!僕も気になっています。やっぱり教官がかっこよくって!皆を指示しながらも前線でバリバリ戦ってくれる所がすごく好きなので、また見てみたいんですよね~最新作ではどうなるんでしょうね!」
「教官、ですか……銃への理解度が高く、戦い慣れていて、射線の通し方がとにかく上手いですよね。何よりユーモアがあります。クラッカー仕込みの玩具ピストルを常備しているところが僕も好きで……」
ふふっ、と結木が笑いを零している。
映画の話をしていると時折結木から、面白いと言われる。輝一自身は面白くしている自覚は無いが、どうやら着眼点がずれているように見えているらしい。
「すみません、笑っちゃって。教官が戦う気満々でピストル早撃ちしたのに、クラッカーが出ちゃって、宇宙人も仲間たちも一瞬固まるシーンを思い出しました!あの『間』が絶妙に面白いんですよね~」
「そのシーン、僕も好きです。あの監督の作品のテンポ感が好みなので、最新作でも是非やっていただきたいですね」
他には、どんなキャラが、どんなシーンが、と話は尽きない。歩みを進めながら夢中で話し込んでいると、いつの間にか検査室の前まで来ていた。
着いちゃいましたね、と結木は少し眉を落とし、残念そうに口元を結んでいた。
「終わったらお迎えに来ますね!」
それでも明るく告げて、結木は来た道を歩いていく。
輝一は小さくなる背中を、見えなくなるまで見つめていた。
ひと通りやるべき検査が終わり、輝一は部屋から出た。
検査室から少し離れた場所に結木は来てくれていたが、誰かと話しているようだ。
荒木によく似た人間的な容姿、黒い翼が特徴の女性の鳥類種の獣人と、腹部が少し膨らんで見える、おそらく妊婦である小柄な女性の人間が、輝一の目に写った。
* * *
羽佐間の迎えにやってきたが早く来過ぎたようで、検査中とモニターに表示されていた。
寿葉は壁に寄りかかり、検査終了を待っていた時、
「寿葉じゃん。なに突っ立ってんの?」
「え、照(しょう)?それに、薫(かおる)ちゃん?」
「寿葉くん、お久しぶり!」
高校生時代、同じ看護科だった友達に声をかけられ驚いた。
カラスの獣人の女性、照(しょう)。3年間、看護師目指して勉強していたが、専攻科には行かず医大を受験し、合格。さらに准看護師の免許まで取った秀才。毎回試験の順位勝負をしていたが、寿葉は一度も勝つことができなかった。荒木の姪でもある。
高校時代も随分と大人びていたが、今は更にクールになっている気がする。腰ほどまでの、そこまで大きくない翼、ストレートセミロングの黒髪、切れ長の半目は荒木にそっくりだ。モノトーンでパンツスタイルな私服は、あの頃と変わっていない。
寿葉と同じ人間の女性、薫(かおる)。5年間、一緒に勉強し、看護師になった。今は妊娠しており、産休中ということは以前教えてもらった。
ダークブラウンの髪をサイドで三つ編みにし、緩やかなロングスカートの妊婦服を身にまといながらも、昔と変わらず、優しい目元で微笑む穏やかな子。手先がとにかく器用で、今は家でぬいぐるみなどを作っているようだ。
そんな2人に外来の診察フロアではなく、検査室前でばったり会うなんて。寿葉が、どうしたの?と問いかける前に、照が口を開いた。
「薫は妊婦健診、私は付き添いで来た。あと、来年度からここに研修医として入る予定だからちょっと見て回ってただけ」
相変わらず察しがいい。
あんたは……患者さんでも待ってんでしょ? と全て見透かしたように照は話す。
そうだよ、とちょっぴり不服を含みながら寿葉はうなずいた。
「と、とにかく!薫ちゃんは大丈夫そう?前見た時よりだいぶ大きくなったよね……双子なんでしょ?」
「母子ともに健康だよ!ここの産婦人科の先生すごく優しくて助かってるよ~教えてくれてありがとう!」
薫から妊娠の報告をくれた際にどこの産婦人科がいいか相談を受けて紹介したことがあった。
気に入ってもらえたようで寿葉も安心した。
「よかった!照も4月から研修医か~この病院のことなら僕の方が先輩だから何でも聞いていいよ!荒木先生も喜ぶんじゃない?」
「はぁ……別に聞かなくても分かるし。おじさんにはそもそも話してないし……鳥類科に行くつもりもないから……てか、後ろ、あんたの患者さんじゃないの?」
照の言葉に振り向くと、羽佐間が検査室前でこちらを見ていた。
つい話し込みすぎた、と寿葉は慌てて、2人に手を振る。
「じゃあ、僕行くね!またね!」
お疲れ様~!と背中から聞こえる薫の声に見送られ、急いで羽佐間に駆け寄った。
* * *
「すみません、逆に待たせてしまいましたよね……」
「いえ、先ほど終わったばかりなので大丈夫です。お話はもうよろしいのですか?」
「あぁ、大丈夫です!僕の友達なので!」
話の内容ははっきりとは聞こえなかったが、患者や面会者よりも気さくに話をしていた結木の姿を見て、友達だと納得する。
「高校時代の友達で、同じ看護科だったんです。看護科って女の子の方が多くて、男子なんて僕含めて3人しかいなかったんですよ!肩身が狭くって……」
学生時代のことを語る結木は、映画のことを話す時と同じくらい、朗らかで楽しそうだった。結木には信頼している、されている友達がいることを知った。
病院内外関わらず、慕われる存在。
結木の明るくて優しく話しやすい人柄なら、好きになる人たちが多いのも当然。
輝一から見てもそれは強く感じていることだった。
「羽佐間さんも、お見舞いに来てくださった隊の皆さんと仲が良さそうでしたね!ヒョウの獣人の……稲ケ瀬(いながせ)さん、先輩が居なくて寂しい!!ってナースステーションで仰っていましたよ。慕われているんですね!」
『友達』というにはそれほど親しい間柄ではないが、輝一にも『仲間』はいる。詳しくは話すことは出来ないが、見舞いに来てくれた隊員のことを少しだけ語ると、結木は興味津々という眼差しで聞いてくれた。
些細なことでも覚えてくれている。輝一自身のことだけでなく仲間のことも大切にしてくれる。そんなところがどうしようもなく嬉しく感じた。
翌日、検査結果を荒木から受け取り、すべて異常なしと伝えられた。
そして、明日退院することを多賀野に連絡した。
あまりにもあっさりと決まった退院。
もう一日もここにはいない。この窓から見る景色も、眠り過ごしたベッドも、病室の独特な香りも、明日までとなる。
「羽佐間さん。今までよく頑張られましたね!僕も嬉しく思います!」
結木は歓喜に満ちた笑顔で、おめでとう、と告げる。
確かに喜ばしいことだが、輝一は少し焦っていた。
まだ伝えていないことがたくさんある。感謝だってしきれていない。話したいことも。でも、もう、時間はなかった。
「結木さん、ありがとうございます……あの……最後にお願いを聞いていただけないでしょうか?」
「お願い、ですか?なんでしょうか?」
「明日退院前に、結木さんとテラスでお話したいんです。その……一緒に考えてくださった、『これからのこと』……自分なりの答えを見つけたので、あなたにお伝えしたくて……少しだけでいいのでお時間いただきたいです」
もちろんです!と結木は力強く頷いてくれた。
* * *
* * *
退院の日の朝。
約束通り、共に屋上テラスへ向かう。
約4ヶ月ぶりに羽佐間は、オリーブグリーンのロングコートが特徴の機動隊の制服を身にまとった。
病衣とは違う、凛々しくかしこまった雰囲気に、結木にも緊張感が走る。
羽佐間がテラスに入り込んでしまった時以来、お互いにここには来ていなかった。
結木がテラスへの扉に手をかける。ゆっくりと開くと、雲ひとつない心地よい晴天が広がっていた。
寒空の下ではあるが、風もなく、1月にしては珍しく少し温かい。
羽佐間さんとここで話した時も、こんな天気だったな……風はちょっと強かったっけ……
そよそよと揺れ、緑がきらめく植木たち、朝露に光るノースポールの白い花びら。
結木は自然を感じながら、微かに冷たい空気を大きく吸い込み、1ヶ月前の懐かしさを感じていた。
羽佐間はあの時、佇んでいた場所で足を止めた。
翼に感じていた痛みも、鉛のように重かった心も背中も、随分と和らいだ。今なら自信を持って、歩いていける。
後ろに振り返ると、立ち止まった結木の栗色の瞳が不思議そうに見つめてくる。
真っ直ぐな金色の瞳と交わる。鋭さより今は優しさに満ちてみえた。
穏やかに弧を描く羽佐間の口元がゆっくりと開いた。
「結木さん、まずは感謝をお伝えさせてください。目を開けられない時からずっと、声をかけてくださり、目を開けられるようになってからも、変わらず日々の生活を支えてくださいましたね。……僕が悩んでここに来た時も、真剣にお話を聞いていただいて、それからも相談に乗ってくださり、本当に励みになりました。医師の皆さんやリハビリの先生方、看護師の皆さん、たくさんの方のおかげでここまで回復できました。そして、あなたが担当看護師でいてくれたから、僕は前に向くことができました。心から感謝しています。ありがとうございます」
羽佐間は深々と丁寧にお辞儀をした。
心を込めて贈られた感謝の言葉に、自然と目頭が熱くなる。
でも、だからこそ、自分自身も声掛けに関して話しておかなければならないと、結木は思った。
「羽佐間さん、こちらこそありがとうございます。こんなに感謝されるなんて、僕自身も嬉しいです。……でも、声掛けについては、実を言うと多賀野さんからのお願いがあって……」
過去、多賀野から頼まれたことを話した。明るく前向きな言葉をかけて欲しい、たくさん話してほしい、映画が好きなこと……
そして、本来看護師として、『明るい』『前向き』のような未来に関する言葉を患者にかけるべきではないことも伝えた。
確証のない未来の話をする事で、負担をかける可能性があったことも。
「本当はプレッシャーになっているんじゃないかって……正直、心配でした」
羽佐間は目を伏せ、そんなことはないです、と首を横に振った。
「素直に話してくださってありがとうございます。……あなたが、迷いながらも言葉を選んで、たくさん話しかけてくださって、一生懸命僕に向き合ってくれたことは伝わっていますよ。看護師としての正しさも、もちろん大事です。隊長の指示に従わないことも出来た中で、結木さんの意志で選びとった『過去』の選択が、僕にとって、とても意味のある『今』になりましたから。それがあなたの『ホスピタリティ』で、その優しさに救われたことは紛れもない事実です。……だから、これからも自信を持って、あなたなりの看護を続けて欲しいです」
看護師になって今まで、患者からこんなにも気持ちをもらったことはなかった。
自分のやってきたことに迷いや間違いを感じていたけれど、想いはしっかり届いていたことに、結木は胸がいっぱいになる。
「あ……その……これは僕個人の意見なので、全ての方に当てはまるとは限りませんよね……すみません、出すぎたこと言ってしまって……」
「いえ、そう思っていただけたなら、僕にとっても、意味のある『今』になりましたよ。僕自身も初めてのことがある中で、羽佐間さんと関わりながら、いい経験や勉強をさせていただいたから、こちらこそ感謝しています!」
相変わらず、誠実で真面目な人だ。少し慌てた様子で訂正を口にする。
羽佐間と過ごした日々が、自分自身の糧になった確かな実感を今ここにある。
「僕、機動隊に戻って、また一から勤めていこうと思います。あなたの……懸命に働く姿を見て、もう少し頑張ってみたい、と思えました。飛べなくはなってしまいましたが、それでもあなたや皆さんが安心して暮らせるよう、努力していく所存です。今後も病院の皆さんにお世話になることはあると思います。何卒よろしくお願いします」
結木の視野のことは本人に話すべきではないと、口を噤んだ。前を向くきっかけになったことを、羽佐間は心の中だけに留めておくことにした。
「羽佐間さんの進む道が見つかって良かったです!ちょっと、照れくさいですけど……少しでも力になれたなら、僕も心から嬉しいです。羽佐間さんのこれからを応援しています!それに、退院したら、羽佐間さんがベンダーとしてこの病院のセキュリティメンテナンスに来てくださるって、多賀野さんが仰っていたので……また、お会いできますね!」
隊長はそんなことまで話していたのか……と羽佐間は少し呆れた。
でも、結木が覚えてくれていたこと、再会できると笑いかけてくれたことが、たまらなく嬉しい。また会える以上のことは望まない、今はそれだけで十分だった。
「そうですね。その時はまた……よろしくお願いしますね」
柔らかく優しい声と言葉と共に、羽佐間は目を細め、微笑んでくれた。白い髪とまつ毛が太陽光に反射しキラキラと瞬いているように見える。
初めて目にする美しい微笑みに、結木もつられて、頬を緩めた。
お互いに言葉と笑顔を交わした今日も、心地よい温かさに包まれていた。
病院の玄関まで、結木は見送りに着いてきてくれた。
そこには多賀野が車で迎えにきていた。
「結木くん、ありがとね。ここまで見送りに来てくれて!手厚いねぇ~ここの病院は」
結木は、お疲れ様です、と挨拶をする。
サングラス越しに笑みを浮かべ、ひらひらと手を振る多賀野の姿にも見慣れたものだ。
羽佐間は、結木の前に立ち、最後に伝えたいことを話した。
「結木さん……あの、個人的なことなのですが、映画の話、すごく楽しかったです。改めてありがとうございました」
たくさん語り合った映画のこと。本当はもう少し話したかった気持ちを抑え、羽佐間は何度もしても、し足りない感謝を告げる。
「僕も楽しかったです!ついつい熱が入って夢中になっちゃいましたし!こちらこそありがとうございました!」
初めてこんなに映画のことを話せる人に出会えたのに、これ以上引き止めることは立場上できない。残念だなぁ、そう思いながらも、結木も感謝を渡した。
「今後も、何か気になることや不安なことがありましたら、遠慮なくいらしてくださいね。ではお元気で!」
「はい、結木さんも、お元気で」
最後に別れの言葉と礼を交わし、羽佐間は車に乗り込んだ。
窓越しに笑顔で手を振る結木に、羽佐間も微笑みながら小さく頭を下げる。
走り出した車が見えなくなるまで、結木はじっと見つめていた。
長いように感じた暗闇の中にいた2ヶ月。
終わってみればあっという間だった、目覚めてからの約2ヶ月の日々。
あなたと出会って過ごした、約3ヶ月という時間。
僕とあなたの、『患者』と『看護師』としての関係は、ここで終わってしまった。
◆◆◆◆◆
いつも退院の見送りが終わると、寂しさが心を覆い尽くす。
ナースステーションに戻り、はぁ……と大きくため息をつきながら、寿葉は退院記録を作っていた。
「結木~お疲れ~わぁ、また泣きそうな顔して……退院後はいつもそうだよね~まぁ、それだけ向き合ってきた証だね~『12.20テラス侵入未遂事件』の人」
「主任!からかわないでください!僕にとっては大切な思い出です!」
「転倒事故があったら、いい思い出とは言えなかったけどね~」
「……か、返す言葉もございません……」
ごめん、ごめん、と星乃は謝る。星乃にとっては、その出来事の方が色濃く印象に残っているのは仕方がない。
でも、寿葉自身、羽佐間と過ごした中で意味のある時間だったのは確かだ。今朝テラスで、羽佐間から貰った言葉を思い出して、再び泣きそうになる。
「でも多賀野の代わりにベンダーとして羽佐間が来るからさ、また会えるじゃん。羽佐間が担当するようになったら結木が立ち会いすればいいよ」
「僕がですか?いいんですか?」
「そのほうが羽佐間もやりやすいんじゃない?まぁ、まだしばらくは多賀野だけど……あいつの相手は私が引き受ける。他の子たちがあいつの被害に遭うのは可哀想だからね。あと少しの辛抱!」
星乃は大きく伸びをし、在庫確認しなきゃね~と呟きながら、ナースステーションから去っていく。
あっさりと立ち会いを任されたことに、寿葉は今になって、はっとした。
また会える……といっても仕事として、だけれど。
その確かな未来のことを思うと、寂しさが少しだけ、楽しみに変わっていった。
* * *
多賀野の運転する車の、不規則な振動に身を委ねる。久々に窓から動いて見える景色は、新鮮に感じた。
「入院生活、どうだった?結木くん、いい看護師さんだったな~!!」
「はい、入院生活はいろいろと……ありましたけれど、結木さんのおかげで、僕は前を向けました。すごく優しくて、素直で明るい看護師さんでした。映画の話もたくさんしてくださいましたし……楽しい時間もありましたから……結木さんが担当看護師さんでいてくださって本当に良かったです」
今も鮮明に思い出せる結木の笑顔。かけてくれた言葉、たくさん交わした話。ひとつひとつ、輝一にとって大切に心に刻まれていた。
胸があたたかい……この気持ちを与えてくれたことも。
同時に名残惜しさが込み上げてきて、寂しさが胸をきゅっ、と締めつけた。
「へぇ~輝一がそんなに他人に入れ込むなんてな、珍しいな。てか初めてじゃない?連絡先とか交換しなかったの?」
「お仕事中に連絡先交換だなんて非常識です。ご迷惑がかかります。これ以上、結木さんを困らせたくはありませんから」
相変わらず超真面目だね~、と多賀野の笑い声が隣から聞こえる。
立場を弁えなければいけないのは、人としての常識。しかし、個人的なことを望むなら……
そんな私欲に、いけない、と輝一は首を振る。
「まぁ、そのうちまた会えるよ。しばらくは機動隊としてのリハビリしないといけないけどさ」
「はい、分かっています」
また会える……それは仕事としてだが。
その確かな未来のことを思うと、寂しさが少しだけ、楽しみに変わっていった。
「隊長は……その……結木さんの目のこと、知っているんですか」
「ん?……お前も気づいた?……まぁ、知っているよ。すごいよな。あれだけ自然に振るまえる様になるまで相当努力したと思うよ。……もしかして感化された?」
「……はい、結木さんのようには、まだなれないですけど、僕も翼がなくても、少しでも皆さんの力になれるように、今の自分に出来ることを見つけていこうと思います」
僕は、人間専門の機動隊員。結木さんと同じ、人間の皆さんのことを守るために、ここにいるのだから。
☆今回の映画紹介
『ガンナーズハイ』
攻めてくる宇宙人を銃で薙ぎ倒していく!コメディ強めSFアクション。理性的な宇宙人よりも頭のネジが飛んでいる軍隊たち。
銃撃戦のアクションシーンがかっこよく、細かなディテールは銃好きにも高評価されている。マスケットで戦う隊員もいる。
評価☆4.0
グリップで殴るのだけは、いただけない(30代・男性)
輝一は歩行器も卒業し、杖歩行になったが、実際は支えがなくてもほぼ歩けるようになっていた。
「結木くん!こっちきてー!!」
「はい、今行きます!」
「久しぶり、結木くん!元気してた?」
「お久しぶりです!!花沢さんもお元気そうで!」
「ゆいきくん、これあげる!」
「わぁ!折り紙で作ってくれたの?ありがとう!大事にするね!」
「結木先輩!これなんですけど……」
「あ、それはね、この棚にある……」
同室の他の患者さんの対応中、廊下ですれ違った時やナースステーションで面会人と話している時、ふと見かける結木の姿。
老若男女、獣人、人間、種も関係なく明るく接する親しみやすい看護師。患者や面会者、職場の仲間である看護師からも信頼を寄せられているように感じる。
輝一に対しても、あのテラスでの一件があってからか、今まで以上に言葉をかけてくれる。
映画以外のことも話すようになった。いろんな会話をしながら、結木なりにこれからの事を一緒に考えてくれている。
「機動隊でベンダーって改めてすごいですよね……僕じゃ想像できない世界です。いつも僕たちを守ってくださって感謝しています!」
「やっぱり柔道もやられているんですね!僕も昔、護身用に習っていたんです!でも護身として使うには難しいですね……」
「僕も料理しますよ!栄養士さんにいろいろアドバイスもらって、健康的な献立を考えるようにしているんです!糖分控えないとと思いつつ、ついつい甘いもの食べちゃって……」
「お風呂ゆっくり入りたいですよね。湯船に浸からないとお風呂に入った気がしないっていうか……羽佐間さんも退院したらしっかりお風呂入って、疲れを癒してくださいね!」
退院してから、どうするか、仕事のことや、やりたいことをきっかけに結木について少し知ることができた。
そして、一番驚いた事は、
「羽佐間さん、先日お誕生日迎えられて24歳になりましたよね。実は僕も今年で24歳になりましたから同じ歳なんです!同年代で趣味の合う方が初めてで、正直嬉しいです!!」
同じ歳だったということだ。もちろん、結木はカルテで既に把握している。
初めて目にした時、容姿としては少し幼く見えていたが、今は頼もしく、たくましい看護師としての結木に、すっかり見慣れた。
「僕も初めてで……すごく……嬉しいです……」
輝一はほんのりと染まる頬に気づかないまま答える。
よかったです!と微笑む結木にまた胸が温かくなった。
結木と直接関わり、言葉をかわせるようになって約1ヶ月、ほんの少し不自然な『視野』に引っかかった。
ある日、並んで歩いている時、左側からよそ見をしながら近づいてくる小さい子供に、輝一は気付いた。しかし、結木は気付いていないようで、
「結木さん、左からお子さんが歩いてきていますよ」
と輝一の声掛けに、ようやく左下に視線を向けた。
「すみません、前ばっかり見ていました。気をつけますね」
結木はそう言うが、前を見ていても視野的に捉えられるはずだ。
他にもやたらと首を回す仕草があった。それも左側が多い。
度々見えている範囲に関して、気になることがあったが、ほんの些細なことで、注意深く意識しないと分からない。ごく自然に振舞っているから、今まで知ることはなかった。
確証はないが、もしかして左目が……
そんなことを輝一から言い出せるわけもない。
でも、自分と同じ、結木も『大切な身体の一部を失った人』なら……
それでも、自分の置かれた状況に屈せず、前向きに懸命に働く結木の姿を見て、自分自身も変わりたいと思う意識が輝一に芽生えてきた。
今だけ、少しだけでも、補いたい。そんな独りよがりに気づきながらも、輝一は自分の立ち位置を意識するようにした。
年も明け、お正月という雰囲気が過ぎ去った頃。
輝一は、主治医である荒木がいる、鳥類科の診察室に呼ばれた。
「リハビリ評価も問題ないですね。明日、脳や骨折部位、血液の検査に異常がなければ、退院に向けて進めます」
カラスの獣人である荒木も自分と似たような人間的な容姿とカラス特有の黒い翼を持っている。
少し短く真っ直ぐで艶やかな黒髪の白衣姿を着た男性。椅子に座り、眼鏡越しに半ば閉じた目で、PC画面を見つめている。
集中治療室で初めて聞いた時から変わらない落ち着いた声で、淡々と告げた。
退院……
身体が治った証だ。嬉しいことのはずなのに、この生活が終わってしまうことに少し名残惜しさがよぎる。
結木と関わる機会がなくなってしまうことが、やはり寂しく感じる。
二度と会えないわけではないが、もうこれ以上仲を深めることはないだろうと、輝一は思っていた。
でも、関わらなくなっても、全て消えるわけではない。
いつか会えた時、今のように話せなくても結木が笑顔でいてくれたらそれでいい、輝一の心はもう前を向いていた。
それに『これからのこと』は既に答えを見つけていた。それは、結木が気づかせてくれたからだ。
病室に戻り、多賀野に連絡をする。
「……もしもし、隊長……僕、これから――」
翌日。
「羽佐間さん、おはようございます!お身体はどうですか?痛みはありますか?今日は検査があるので少し忙しくなります!」
「おはようございます、結木さん。体調は大丈夫です。幻肢痛も大分軽くなりました」
もうあと何回挨拶することができるだろう。
そんなことを考えながら、結木に従い検査室へと向かった。
「もうすっかり歩けるようになりましたよね!検査結果次第ですが、もうすぐ退院出来そうですね!」
「はい、僕が回復出来たのは病院の皆さんのおかげです。結木さんも……いつもお世話してくださり、感謝しています」
歩幅を合わせて廊下を歩いていく。左隣に寄り添う10cmほどの身長差にも大分慣れた。
「羽佐間さんは退院したら、まず最初に見たい映画はなんですか?」
結木から唐突に投げかけられた映画の質問。
輝一の頭の中に様々な映画のタイトルが浮かぶ。あれも、これも、とひとつに選ぶのは難しく、目を瞑って考え込んでしまった。
「……そうですね……悩みますが……最近『ガンナーズハイ2』が制作されるとの情報を得たので、久しぶりに『1』を見直したいですね」
悩みに悩んで絞り出した映画に、結木も目を見開いて、強く頷いていた。
「なるほど……!僕も気になっています。やっぱり教官がかっこよくって!皆を指示しながらも前線でバリバリ戦ってくれる所がすごく好きなので、また見てみたいんですよね~最新作ではどうなるんでしょうね!」
「教官、ですか……銃への理解度が高く、戦い慣れていて、射線の通し方がとにかく上手いですよね。何よりユーモアがあります。クラッカー仕込みの玩具ピストルを常備しているところが僕も好きで……」
ふふっ、と結木が笑いを零している。
映画の話をしていると時折結木から、面白いと言われる。輝一自身は面白くしている自覚は無いが、どうやら着眼点がずれているように見えているらしい。
「すみません、笑っちゃって。教官が戦う気満々でピストル早撃ちしたのに、クラッカーが出ちゃって、宇宙人も仲間たちも一瞬固まるシーンを思い出しました!あの『間』が絶妙に面白いんですよね~」
「そのシーン、僕も好きです。あの監督の作品のテンポ感が好みなので、最新作でも是非やっていただきたいですね」
他には、どんなキャラが、どんなシーンが、と話は尽きない。歩みを進めながら夢中で話し込んでいると、いつの間にか検査室の前まで来ていた。
着いちゃいましたね、と結木は少し眉を落とし、残念そうに口元を結んでいた。
「終わったらお迎えに来ますね!」
それでも明るく告げて、結木は来た道を歩いていく。
輝一は小さくなる背中を、見えなくなるまで見つめていた。
ひと通りやるべき検査が終わり、輝一は部屋から出た。
検査室から少し離れた場所に結木は来てくれていたが、誰かと話しているようだ。
荒木によく似た人間的な容姿、黒い翼が特徴の女性の鳥類種の獣人と、腹部が少し膨らんで見える、おそらく妊婦である小柄な女性の人間が、輝一の目に写った。
* * *
羽佐間の迎えにやってきたが早く来過ぎたようで、検査中とモニターに表示されていた。
寿葉は壁に寄りかかり、検査終了を待っていた時、
「寿葉じゃん。なに突っ立ってんの?」
「え、照(しょう)?それに、薫(かおる)ちゃん?」
「寿葉くん、お久しぶり!」
高校生時代、同じ看護科だった友達に声をかけられ驚いた。
カラスの獣人の女性、照(しょう)。3年間、看護師目指して勉強していたが、専攻科には行かず医大を受験し、合格。さらに准看護師の免許まで取った秀才。毎回試験の順位勝負をしていたが、寿葉は一度も勝つことができなかった。荒木の姪でもある。
高校時代も随分と大人びていたが、今は更にクールになっている気がする。腰ほどまでの、そこまで大きくない翼、ストレートセミロングの黒髪、切れ長の半目は荒木にそっくりだ。モノトーンでパンツスタイルな私服は、あの頃と変わっていない。
寿葉と同じ人間の女性、薫(かおる)。5年間、一緒に勉強し、看護師になった。今は妊娠しており、産休中ということは以前教えてもらった。
ダークブラウンの髪をサイドで三つ編みにし、緩やかなロングスカートの妊婦服を身にまといながらも、昔と変わらず、優しい目元で微笑む穏やかな子。手先がとにかく器用で、今は家でぬいぐるみなどを作っているようだ。
そんな2人に外来の診察フロアではなく、検査室前でばったり会うなんて。寿葉が、どうしたの?と問いかける前に、照が口を開いた。
「薫は妊婦健診、私は付き添いで来た。あと、来年度からここに研修医として入る予定だからちょっと見て回ってただけ」
相変わらず察しがいい。
あんたは……患者さんでも待ってんでしょ? と全て見透かしたように照は話す。
そうだよ、とちょっぴり不服を含みながら寿葉はうなずいた。
「と、とにかく!薫ちゃんは大丈夫そう?前見た時よりだいぶ大きくなったよね……双子なんでしょ?」
「母子ともに健康だよ!ここの産婦人科の先生すごく優しくて助かってるよ~教えてくれてありがとう!」
薫から妊娠の報告をくれた際にどこの産婦人科がいいか相談を受けて紹介したことがあった。
気に入ってもらえたようで寿葉も安心した。
「よかった!照も4月から研修医か~この病院のことなら僕の方が先輩だから何でも聞いていいよ!荒木先生も喜ぶんじゃない?」
「はぁ……別に聞かなくても分かるし。おじさんにはそもそも話してないし……鳥類科に行くつもりもないから……てか、後ろ、あんたの患者さんじゃないの?」
照の言葉に振り向くと、羽佐間が検査室前でこちらを見ていた。
つい話し込みすぎた、と寿葉は慌てて、2人に手を振る。
「じゃあ、僕行くね!またね!」
お疲れ様~!と背中から聞こえる薫の声に見送られ、急いで羽佐間に駆け寄った。
* * *
「すみません、逆に待たせてしまいましたよね……」
「いえ、先ほど終わったばかりなので大丈夫です。お話はもうよろしいのですか?」
「あぁ、大丈夫です!僕の友達なので!」
話の内容ははっきりとは聞こえなかったが、患者や面会者よりも気さくに話をしていた結木の姿を見て、友達だと納得する。
「高校時代の友達で、同じ看護科だったんです。看護科って女の子の方が多くて、男子なんて僕含めて3人しかいなかったんですよ!肩身が狭くって……」
学生時代のことを語る結木は、映画のことを話す時と同じくらい、朗らかで楽しそうだった。結木には信頼している、されている友達がいることを知った。
病院内外関わらず、慕われる存在。
結木の明るくて優しく話しやすい人柄なら、好きになる人たちが多いのも当然。
輝一から見てもそれは強く感じていることだった。
「羽佐間さんも、お見舞いに来てくださった隊の皆さんと仲が良さそうでしたね!ヒョウの獣人の……稲ケ瀬(いながせ)さん、先輩が居なくて寂しい!!ってナースステーションで仰っていましたよ。慕われているんですね!」
『友達』というにはそれほど親しい間柄ではないが、輝一にも『仲間』はいる。詳しくは話すことは出来ないが、見舞いに来てくれた隊員のことを少しだけ語ると、結木は興味津々という眼差しで聞いてくれた。
些細なことでも覚えてくれている。輝一自身のことだけでなく仲間のことも大切にしてくれる。そんなところがどうしようもなく嬉しく感じた。
翌日、検査結果を荒木から受け取り、すべて異常なしと伝えられた。
そして、明日退院することを多賀野に連絡した。
あまりにもあっさりと決まった退院。
もう一日もここにはいない。この窓から見る景色も、眠り過ごしたベッドも、病室の独特な香りも、明日までとなる。
「羽佐間さん。今までよく頑張られましたね!僕も嬉しく思います!」
結木は歓喜に満ちた笑顔で、おめでとう、と告げる。
確かに喜ばしいことだが、輝一は少し焦っていた。
まだ伝えていないことがたくさんある。感謝だってしきれていない。話したいことも。でも、もう、時間はなかった。
「結木さん、ありがとうございます……あの……最後にお願いを聞いていただけないでしょうか?」
「お願い、ですか?なんでしょうか?」
「明日退院前に、結木さんとテラスでお話したいんです。その……一緒に考えてくださった、『これからのこと』……自分なりの答えを見つけたので、あなたにお伝えしたくて……少しだけでいいのでお時間いただきたいです」
もちろんです!と結木は力強く頷いてくれた。
* * *
* * *
退院の日の朝。
約束通り、共に屋上テラスへ向かう。
約4ヶ月ぶりに羽佐間は、オリーブグリーンのロングコートが特徴の機動隊の制服を身にまとった。
病衣とは違う、凛々しくかしこまった雰囲気に、結木にも緊張感が走る。
羽佐間がテラスに入り込んでしまった時以来、お互いにここには来ていなかった。
結木がテラスへの扉に手をかける。ゆっくりと開くと、雲ひとつない心地よい晴天が広がっていた。
寒空の下ではあるが、風もなく、1月にしては珍しく少し温かい。
羽佐間さんとここで話した時も、こんな天気だったな……風はちょっと強かったっけ……
そよそよと揺れ、緑がきらめく植木たち、朝露に光るノースポールの白い花びら。
結木は自然を感じながら、微かに冷たい空気を大きく吸い込み、1ヶ月前の懐かしさを感じていた。
羽佐間はあの時、佇んでいた場所で足を止めた。
翼に感じていた痛みも、鉛のように重かった心も背中も、随分と和らいだ。今なら自信を持って、歩いていける。
後ろに振り返ると、立ち止まった結木の栗色の瞳が不思議そうに見つめてくる。
真っ直ぐな金色の瞳と交わる。鋭さより今は優しさに満ちてみえた。
穏やかに弧を描く羽佐間の口元がゆっくりと開いた。
「結木さん、まずは感謝をお伝えさせてください。目を開けられない時からずっと、声をかけてくださり、目を開けられるようになってからも、変わらず日々の生活を支えてくださいましたね。……僕が悩んでここに来た時も、真剣にお話を聞いていただいて、それからも相談に乗ってくださり、本当に励みになりました。医師の皆さんやリハビリの先生方、看護師の皆さん、たくさんの方のおかげでここまで回復できました。そして、あなたが担当看護師でいてくれたから、僕は前に向くことができました。心から感謝しています。ありがとうございます」
羽佐間は深々と丁寧にお辞儀をした。
心を込めて贈られた感謝の言葉に、自然と目頭が熱くなる。
でも、だからこそ、自分自身も声掛けに関して話しておかなければならないと、結木は思った。
「羽佐間さん、こちらこそありがとうございます。こんなに感謝されるなんて、僕自身も嬉しいです。……でも、声掛けについては、実を言うと多賀野さんからのお願いがあって……」
過去、多賀野から頼まれたことを話した。明るく前向きな言葉をかけて欲しい、たくさん話してほしい、映画が好きなこと……
そして、本来看護師として、『明るい』『前向き』のような未来に関する言葉を患者にかけるべきではないことも伝えた。
確証のない未来の話をする事で、負担をかける可能性があったことも。
「本当はプレッシャーになっているんじゃないかって……正直、心配でした」
羽佐間は目を伏せ、そんなことはないです、と首を横に振った。
「素直に話してくださってありがとうございます。……あなたが、迷いながらも言葉を選んで、たくさん話しかけてくださって、一生懸命僕に向き合ってくれたことは伝わっていますよ。看護師としての正しさも、もちろん大事です。隊長の指示に従わないことも出来た中で、結木さんの意志で選びとった『過去』の選択が、僕にとって、とても意味のある『今』になりましたから。それがあなたの『ホスピタリティ』で、その優しさに救われたことは紛れもない事実です。……だから、これからも自信を持って、あなたなりの看護を続けて欲しいです」
看護師になって今まで、患者からこんなにも気持ちをもらったことはなかった。
自分のやってきたことに迷いや間違いを感じていたけれど、想いはしっかり届いていたことに、結木は胸がいっぱいになる。
「あ……その……これは僕個人の意見なので、全ての方に当てはまるとは限りませんよね……すみません、出すぎたこと言ってしまって……」
「いえ、そう思っていただけたなら、僕にとっても、意味のある『今』になりましたよ。僕自身も初めてのことがある中で、羽佐間さんと関わりながら、いい経験や勉強をさせていただいたから、こちらこそ感謝しています!」
相変わらず、誠実で真面目な人だ。少し慌てた様子で訂正を口にする。
羽佐間と過ごした日々が、自分自身の糧になった確かな実感を今ここにある。
「僕、機動隊に戻って、また一から勤めていこうと思います。あなたの……懸命に働く姿を見て、もう少し頑張ってみたい、と思えました。飛べなくはなってしまいましたが、それでもあなたや皆さんが安心して暮らせるよう、努力していく所存です。今後も病院の皆さんにお世話になることはあると思います。何卒よろしくお願いします」
結木の視野のことは本人に話すべきではないと、口を噤んだ。前を向くきっかけになったことを、羽佐間は心の中だけに留めておくことにした。
「羽佐間さんの進む道が見つかって良かったです!ちょっと、照れくさいですけど……少しでも力になれたなら、僕も心から嬉しいです。羽佐間さんのこれからを応援しています!それに、退院したら、羽佐間さんがベンダーとしてこの病院のセキュリティメンテナンスに来てくださるって、多賀野さんが仰っていたので……また、お会いできますね!」
隊長はそんなことまで話していたのか……と羽佐間は少し呆れた。
でも、結木が覚えてくれていたこと、再会できると笑いかけてくれたことが、たまらなく嬉しい。また会える以上のことは望まない、今はそれだけで十分だった。
「そうですね。その時はまた……よろしくお願いしますね」
柔らかく優しい声と言葉と共に、羽佐間は目を細め、微笑んでくれた。白い髪とまつ毛が太陽光に反射しキラキラと瞬いているように見える。
初めて目にする美しい微笑みに、結木もつられて、頬を緩めた。
お互いに言葉と笑顔を交わした今日も、心地よい温かさに包まれていた。
病院の玄関まで、結木は見送りに着いてきてくれた。
そこには多賀野が車で迎えにきていた。
「結木くん、ありがとね。ここまで見送りに来てくれて!手厚いねぇ~ここの病院は」
結木は、お疲れ様です、と挨拶をする。
サングラス越しに笑みを浮かべ、ひらひらと手を振る多賀野の姿にも見慣れたものだ。
羽佐間は、結木の前に立ち、最後に伝えたいことを話した。
「結木さん……あの、個人的なことなのですが、映画の話、すごく楽しかったです。改めてありがとうございました」
たくさん語り合った映画のこと。本当はもう少し話したかった気持ちを抑え、羽佐間は何度もしても、し足りない感謝を告げる。
「僕も楽しかったです!ついつい熱が入って夢中になっちゃいましたし!こちらこそありがとうございました!」
初めてこんなに映画のことを話せる人に出会えたのに、これ以上引き止めることは立場上できない。残念だなぁ、そう思いながらも、結木も感謝を渡した。
「今後も、何か気になることや不安なことがありましたら、遠慮なくいらしてくださいね。ではお元気で!」
「はい、結木さんも、お元気で」
最後に別れの言葉と礼を交わし、羽佐間は車に乗り込んだ。
窓越しに笑顔で手を振る結木に、羽佐間も微笑みながら小さく頭を下げる。
走り出した車が見えなくなるまで、結木はじっと見つめていた。
長いように感じた暗闇の中にいた2ヶ月。
終わってみればあっという間だった、目覚めてからの約2ヶ月の日々。
あなたと出会って過ごした、約3ヶ月という時間。
僕とあなたの、『患者』と『看護師』としての関係は、ここで終わってしまった。
◆◆◆◆◆
いつも退院の見送りが終わると、寂しさが心を覆い尽くす。
ナースステーションに戻り、はぁ……と大きくため息をつきながら、寿葉は退院記録を作っていた。
「結木~お疲れ~わぁ、また泣きそうな顔して……退院後はいつもそうだよね~まぁ、それだけ向き合ってきた証だね~『12.20テラス侵入未遂事件』の人」
「主任!からかわないでください!僕にとっては大切な思い出です!」
「転倒事故があったら、いい思い出とは言えなかったけどね~」
「……か、返す言葉もございません……」
ごめん、ごめん、と星乃は謝る。星乃にとっては、その出来事の方が色濃く印象に残っているのは仕方がない。
でも、寿葉自身、羽佐間と過ごした中で意味のある時間だったのは確かだ。今朝テラスで、羽佐間から貰った言葉を思い出して、再び泣きそうになる。
「でも多賀野の代わりにベンダーとして羽佐間が来るからさ、また会えるじゃん。羽佐間が担当するようになったら結木が立ち会いすればいいよ」
「僕がですか?いいんですか?」
「そのほうが羽佐間もやりやすいんじゃない?まぁ、まだしばらくは多賀野だけど……あいつの相手は私が引き受ける。他の子たちがあいつの被害に遭うのは可哀想だからね。あと少しの辛抱!」
星乃は大きく伸びをし、在庫確認しなきゃね~と呟きながら、ナースステーションから去っていく。
あっさりと立ち会いを任されたことに、寿葉は今になって、はっとした。
また会える……といっても仕事として、だけれど。
その確かな未来のことを思うと、寂しさが少しだけ、楽しみに変わっていった。
* * *
多賀野の運転する車の、不規則な振動に身を委ねる。久々に窓から動いて見える景色は、新鮮に感じた。
「入院生活、どうだった?結木くん、いい看護師さんだったな~!!」
「はい、入院生活はいろいろと……ありましたけれど、結木さんのおかげで、僕は前を向けました。すごく優しくて、素直で明るい看護師さんでした。映画の話もたくさんしてくださいましたし……楽しい時間もありましたから……結木さんが担当看護師さんでいてくださって本当に良かったです」
今も鮮明に思い出せる結木の笑顔。かけてくれた言葉、たくさん交わした話。ひとつひとつ、輝一にとって大切に心に刻まれていた。
胸があたたかい……この気持ちを与えてくれたことも。
同時に名残惜しさが込み上げてきて、寂しさが胸をきゅっ、と締めつけた。
「へぇ~輝一がそんなに他人に入れ込むなんてな、珍しいな。てか初めてじゃない?連絡先とか交換しなかったの?」
「お仕事中に連絡先交換だなんて非常識です。ご迷惑がかかります。これ以上、結木さんを困らせたくはありませんから」
相変わらず超真面目だね~、と多賀野の笑い声が隣から聞こえる。
立場を弁えなければいけないのは、人としての常識。しかし、個人的なことを望むなら……
そんな私欲に、いけない、と輝一は首を振る。
「まぁ、そのうちまた会えるよ。しばらくは機動隊としてのリハビリしないといけないけどさ」
「はい、分かっています」
また会える……それは仕事としてだが。
その確かな未来のことを思うと、寂しさが少しだけ、楽しみに変わっていった。
「隊長は……その……結木さんの目のこと、知っているんですか」
「ん?……お前も気づいた?……まぁ、知っているよ。すごいよな。あれだけ自然に振るまえる様になるまで相当努力したと思うよ。……もしかして感化された?」
「……はい、結木さんのようには、まだなれないですけど、僕も翼がなくても、少しでも皆さんの力になれるように、今の自分に出来ることを見つけていこうと思います」
僕は、人間専門の機動隊員。結木さんと同じ、人間の皆さんのことを守るために、ここにいるのだから。
☆今回の映画紹介
『ガンナーズハイ』
攻めてくる宇宙人を銃で薙ぎ倒していく!コメディ強めSFアクション。理性的な宇宙人よりも頭のネジが飛んでいる軍隊たち。
銃撃戦のアクションシーンがかっこよく、細かなディテールは銃好きにも高評価されている。マスケットで戦う隊員もいる。
評価☆4.0
グリップで殴るのだけは、いただけない(30代・男性)
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