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meet you
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忙しなく時は過ぎ、あっという間に1ヶ月経った。
2月半ば、さらに寒さが増している。そのせいもあり、看護師たちも床に伏す者が多くなってきた。
「結木先輩……夜勤から続けて日勤って流石に休んだ方が……」
「……大丈夫……とりあえず今日明日乗り越えたら休みだから……松田くんも無理しないでね……」
後輩であるタヌキの獣人である松田も連勤中。艶やかだった茶色の毛並みがだいぶ荒くなっており、耳やしっぽも力なく垂れている。表情もしょぼしょぼとして、自慢のショートヘアーもボサボサになっていた。
それは寿葉も同じだった。
お互い疲労困憊という中、それでも寝込んでいる仲間の看護師の分も、仕事はしなくてはならなかった。
ようやく日勤の業務が終わった。
眠気で上手く頭が回らない。このまま帰るにも今の状態では、バスの中で熟睡して乗り過ごしてしまいそうだった。
「すみません、ちょっと仮眠取ってから帰っていいですか?」
「ん、いいよ~無理させてごめんね、結木」
夜勤に入る星乃に許可を貰い、寿葉は休憩室で15分ほど眠ることにした。
15分のはずだった。時計を見て一気に眠気が吹き飛んだ。寿葉が目覚めたのは深夜0時過ぎ。
コートを羽織り、身支度を急いで終わらせ、休憩室から飛び出す。ナースステーションに向かうと、耳を立てて驚く星乃と目が合った。
「結木、まだ居たの……てっきり帰ったのかと……」
「す、すみません!寝すぎちゃいました!今から帰りますんで!」
「夜だから気をつけなよ。ただでさえ暗くて視界悪いからね。怪我しないように。タクシー呼んでいいから、領収書もらっておいてね」
暗くて視界が悪い……自分は人間。夜目は利かない。
その上、過去に事故で左目を失明している。
だからこそ、星乃は心配してくれていた。
「分かっています。お疲れ様です」
いつだって気をつけている、自分は大丈夫、寿葉はそう言い聞かせ、病院を出た。
歩いて帰れる距離ではあるが、30分ほどかかる。何かあっては病院に迷惑がかかる。星乃から言われた通りタクシーで帰るべきだと寿葉は判断した。
しかし、タクシーアプリで依頼しても一向に配車にならず。深夜だからという理由もあるし、場所が悪いのかもと、寿葉は、少し歩いて街に近い大通りに向かうことにした。
街に行けば深夜でも店や街灯で明るいはず、人通りも多いから多少安全なはずだが……
病院から街までの歩道は街灯はまばらで、人もいないし、車通りも少ない。うっすらとした闇に警戒しながらも、寿葉はリュックを背負い直し、慎重に足早に歩みを進める。
前方から3人の獣人が歩いてくるのが見えてきた。トラの獣人である屈強な男性たち。近づいてくるにつれ酒の匂いが、ツンと鼻をつく。
なるべく気にせず自然に、しかし急いで避けて通り過ぎようとした時に、
「お、人間じゃん!」
ガシッ、と腕を掴まれてしまった。
「な、なんでしょうか?」
質問するも、へらへらと笑い、酷く酔った様子で顔を覗き込んでくる。
「こいつさ~攫って売ったら金貰えんじゃね?」
「お、それいいね~!血液事件? だっけ、血欲しいやつに渡したら喜ばれそ~じゃん」
「俺たち金に困っててさ~少しくらい、いいだろ?」
なんてベタな絡まれ方だろうか……映画の中で何度も見たような典型的なチンピラの姿。
少なくなってはきたが、血液事件にかこつけて、人間を都合よく扱う獣人はまだ存在する。
正直、数えることを諦めたくらいに、寿葉はこのような絡まれ方を何度も経験していた。
「ほら、ついてこい!」
腕を強く引っ張られそうになった事を察し、咄嗟に切り離して逃げる。
酔っていても獣人の方が足は速く、すぐに追いつかれてしまった。リュックを掴み引っ張られ、今度は首元と体に腕を回されて動けなくなってしまった。
「逃げんなよ~下手な真似すると怪我させちまいそ~」
ぐっ、と力が入る腕に首を締められる。切られていない鋭い爪が視界に入り、身動きすら取れない。
苦しい、逃げられない。声すら上げられない。
またか……仕方ないけど、こうするしかない……
寿葉はポケットに入れていた、人間用のGPS防犯機のボタンを押した。
* * *
機動隊本部に小さな警告音が鳴る。
「防犯機からSOS信号あり、S総合病院付近、防犯カメラの映像から、3人のトラ獣人が人間を襲っている模様」
「……輝一、いけるか?」
「はい、すぐに向かいます」
* * *
防犯機を押してすぐ、サイレンの音が近づいてくる。
車が近くの道路脇に止まり、フードを目深に被ったロングコートが特徴の機動隊員が出てきた。この防犯機で連絡して来るのは人間専門の機動隊員。耳元を押え、おそらく誰かと話している様子だ。
なんだ、なんだ、と言わんばかりに傍にいたトラ獣人の男たちが、機動隊員に向かっていく。
しかし、その機動隊員は男たちを無視して、寿葉に向かって一直線に駆けてきた。そして、素早く、首元や身体にかけられていた腕を外し、拘束から解放してくれた。
ふらついた身体を機動隊員に支えられる。
「もう大丈夫です。安心してください」
「は、はい」
耳元で囁く聞き覚えのある声、寿葉の頭に過ぎる懐かしさ。
「被害者確保しました」
機動隊員が報告していたその時。寿葉を拘束していた男が殴りかかってきた。
寿葉を抱え、間一髪で躱す。
「まだ動けますか?」
「はい」
「ここから離れられますか?」
「はい、自分で逃げられます」
話している間に、じりじり、ふらふら、なにか小言を言いながらと、トラ獣人の男たちが近寄ってくる。
いってください、と背中を押され、寿葉は急いでその場から逃げた。
ひとりで3人相手……大丈夫なのだろうか……そんな不安は杞憂で済むこととなった。見覚えのある、小さな翼を背負った姿に頼もしさを感じた。
* * *
「トラ獣人3名確保。犯人の護送をお願いします。僕は被害者の方の保護に向かいます」
酩酊状態というのもあり、あっさりと倒れてしまった。飛んでくる拳や蹴りなどを軽くあしらっただけで、特段何かをしたわけではなく。酔った勢いは今はもう地に伏している。
すぐにやってきた機動隊の仲間たちによって運ばれていく。
小さく息を吐き、機動隊員の羽佐間輝一は、被害者である、そして、入院時自分を担当してくれた看護師の結木の元へと向かった。
実はここに来た時から気づいていた。
少し離れた植木の傍からこちらを見ていた結木に声をかける。
「大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
「大丈夫です……あの……羽佐間さん……ですよね?」
街灯の少ない深夜の薄暗さの中、フードを被ったままだが、翼で気づかれたのだろうか。なんにせよ覚えてくれていたことに、輝一は微かな嬉しさを感じる。
「はい、機動隊員の羽佐間です。結木さん、お久しぶりです」
輝一はフードを外し、顔を見せる。不安そうだった結木の表情が、少し解けた気がした。
乱れた髪、目にうっすらと隈があるように見える。それでも口元に優しく弧を描いた。
「お久しぶりです。羽佐間さん。助けていただいてありがとうございます」
まさかこんな形で1ヶ月ぶりに再会するなんて、想像もしていなかった。
* * *
羽佐間の乗ってきた車の助手席に乗りこみ、走る道。静かに落ち着いた振動が、寿葉の身体に伝わる。
住んでいるマンションまで送ってくれる、と言ってくれたこと、無事帰れることに寿葉は安堵した。
「すぐに来てくださって、ありがとうございます」
「たまたま近くまで来ていたので、あなたがご無事で何よりです」
再び感謝を告げるが、入院していた頃とは今は違う関係性。本当は、お元気そうでよかった!などと話した方がいいのかもしれないが、そんな明るい雰囲気ではなかった。
何を話せばいいか分からないまま、沈黙が流れる。10分もすれば、マンションの玄関前に着いていた。
獣人が入るには許可が必要な、セキュリティがしっかりした人間専用のマンション。そこに寿葉は住んでいる。車から降りると、安心からか、ロビーからの光がやけに明るく感じた。
「今日は遅いですから、ゆっくり休んでください。事情聴取は、落ち着いてからで構いません」
羽佐間の穏やかな声色に、小さく頷く。視線を落とすと、光に照らされはっきり見える、手袋を引き裂かれた左手。そこに、うっすらと血のにじむ傷があった。
おそらく、犯人3人を同時に相手していた時に引っ掻かれたのだろう。自分が捕らえられた時に見た鋭い爪を思い出す。
その瞬間、じわじわと罪悪感で心が染まる。また自分を助けるために、誰かが傷ついてしまった、と寿葉は胸が苦しくなった。
「羽佐間さん、手から血が……あの、手当てします!」
急いでリュックから、常備している救急用の道具を取り出し、その場ですぐ手当てを行う。持っていた精製水で傷を洗い流し、水分を拭き取った後、ガーゼで覆いテープで固定した。
「すみません……僕のせいで……」
「結木さん、どうか自分を責めないであげてください。あなたのせいではありません」
零れてしまった罪の意識を、羽佐間は責める事はなかった。
「手当てしてくださり、ありがとうございました」
「応急処置なので……何かあればすぐ病院きてくださいね?明日、いや、今日……ですね。仕事終わったら警察に行きます」
「はい、ありがとうございます。お忙しいと思いますがよろしくお願いします。どうか気負わずに、休んでくださいね。お疲れ様でした」
「こちらこそありがとうございました。お疲れ様です」
入院していた頃から変わらない礼儀正しく丁寧で誠実な人だ。会釈をし、車に乗りこみ、静かに去っていく。
退院の時は笑顔で見送ることができたのに、今の自分の顔はきっと不安に満ちてしまっている。
初めて知った。彼が『人間専門の機動隊員』であったことを。
翼を失った原因がもしかしたら……と思うと、あの時、話してくれた悲しみ、虚しさを背負った背中に、昔寿葉が味わった後悔を強く重ねてしまった。
* * *
思いがけない形だが、結木に再会できたことがやはり嬉しい。だが、今は仕事中だということに気を引き締めた。
別れ際の結木の表情は曇ったままだった。先程まで獣人に襲われていたのだから無理もない。
今は結木を助けることができたことに安心し、輝一は車を走らせた。
* * *
「――なことがあって……ご迷惑おかけして申し訳ありません」
「うん、そんなことがあったんだね。結木は何も悪くないよ。怖い思いをさせてしまったね。病院側も何か対処を考えてみるよう伝えておくから。そう落ち込まなくていいよ?怪我がなくてよかったよ」
昨夜のことを夜勤明けの星乃に伝えると、大丈夫だよ、といつも通り接してくれた。
自分にも落ち度があった。
寝過ごさなければ……大人しく病院でタクシーを待っていれば……もっと人を避けて大通りに向かっていれば……
未だ後悔は拭えないままだが、寿葉は仕事に取りかかった。
やっと業務が終わり、ようやく明日は休み。連勤と昨夜の出来事での疲労で心も身体もいっぱいいっぱいだった。
帰る準備を終え、ナースステーションに退勤を告げようとした時、視界に入ったのは
「……羽佐間さん?」
「結木さん、お疲れ様です」
機動隊の衣服を身にまとった羽佐間の姿。昨夜と変わらず、穏やかな表情で小さく頭を下げている。
ベンダーの件でナースステーションに挨拶に来ていたということを、対応していた松田から聞いた。
羽佐間もここでの仕事を終えたようで、今から機動隊本部に帰るらしい。
「羽佐間さん!昨夜はありがとうございました」
「いえ、これが僕の仕事ですから。あなたがご無事で僕も安心しています。不安なことなどございましたら、何でも仰ってくださいね」
「はい……」
謙虚で慎ましい態度の中にやはり、変わらない優しさを感じる羽佐間の言葉。
左手は新しく手当し直したようで、寿葉は少し安心した。
「結木さん、事情聴取はまだですよね?よろしければ今から僕が行いましょうか?」
「いいんですか?」
「はい、現場に向かったのは僕なので、状況は大体把握しています。結木さんもお疲れでしょうから、手短にお話をお伺いしますね」
自ら警察に行かなくてもいい、そんな提案に、疲労を抱えた寿葉は甘えることにした。
警察関係者も利用する応接室へと案内し、向かい合って、ソファに腰掛ける。そして、昨夜の襲われた経緯を詳しく羽佐間に話した。
「そうだったんですね……それは大変でしたね。結木さんの判断は間違っていません。お仕事のこと、タクシーのことも重なり、タイミングや状況が少し悪く働いてしまっただけですね……それでも恐怖や苦しい思いを感じたことはすぐに落ち着くものではありませんから、ご相談があればいつでも僕たちが対応します。遠慮なく仰ってくださいね」
メモを取りながらも、真剣に聞いてくれた。寄り添ってくれる温かさ、真っ直ぐで誠実な言葉ひとつひとつ、仕事としての羽佐間の振る舞いも入院していた時と変わらない。これが彼の本質なのだろう、と寿葉は再確認した。
「ありがとうございます。正直なところ……こうやって襲われるのはもう何度もあって……恐怖心にも慣れてきているんです。だから今もそこまで不安を感じていません。ただ……あなたが傷ついてしまったことが、僕にとってすごく申し訳なく感じるところで……本当にすみません」
羽佐間は驚いたように目を見開き、眉をひそめた。今の自分の表情を写しているようで、申し訳なさが募る。
「慣れてしまうほど、何度も恐い思いをされていたのですね……事情を知らず申し訳ございません。過去のことでも不安を感じたらご相談して構いませんから。僕が怪我を負ったことはあなたのせいではありません。強いて言えば、僕が油断していただけで、僕の落ち度です。まだリハビリ中でして、身体が上手く動かなかっただけです。昨夜もお伝えしましたが、どうかご自身を責めないであげてください。あなたは何も悪くないです。それに、ご丁寧に手当てまでしてくださって、僕も助かりましたから感謝しています」
それでも、優しく微笑みを向け、言葉をかけてくれた。寿葉に罪はない、強く言い聞かせてくれる。入院時と立場が逆転したようで、今度はこちらが悩みを受け止めてもらっている感覚。
これ以上後悔すると羽佐間に悪い、寿葉はそう思い、口を開いた。
「こちらこそ、ありがとうございました!羽佐間さんが早く駆けつけてくださって僕も安心できましたから。本当は昨日お伝えしたかったのですが、状況が状況で……羽佐間さんがお元気で、また機動隊としてお勤めされている姿を見て嬉しく思いましたよ!これからも、よろしくお願いしますね」
今はぎこちない笑顔だけれど、羽佐間は微笑んだまま穏やかに頷いてくれた。
帰り際、部屋から出る前に羽佐間は立ち止まり、結木さん、と呼び止められた。
「あの……仕事とは関係のない話で申し訳ないのですが、入院していた時、教えていただいた『明日は雨』という映画を最近見ました。複雑に絡まった人間関係と謎、亡き恋人の想いや切なさなど考えさせられる、僕好みの作風の作品でとても感動しました。教えていただいたお礼をお伝えしたかったんです。ありがとうございました」
羽佐間は海外映画やB級映画には詳しいが、国内の長編映画はまだまだ疎いと言っていたこともあり、好みを聞いて勧めた作品。
まさか映画の話をしてくれるなんて、しかも、見てくれたことに、寿葉は思わず声を上げた。
「見てくださったんですか!……嬉しいです!!ミステリーや人の心情表現が細かな作品がお好きって聞いていたから、おすすめしてよかったです!!」
本当はもっと話したいけれど、羽佐間は仕事中だ。これ以上は迷惑になってしまう、と寿葉は口を噤んだ。
「まだしばらくは機動隊員としてのリハビリが続くので、ベンダーとしてここに配属されるのは先ですが、またお会いしたらよろしくお願いしますね。お疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね」
「はい、ありがとうございました!……では、また……」
深々とお辞儀をし、羽佐間は去っていく。小さな白い翼が微かに揺れる背中を見送った。
映画のことも、それに、あなたのことも知りたい。知ればきっと……
羽佐間との繋がりが欲しいのに、今はできない歯がゆさを寿葉はぐっと噛み締めた。それでも……
あなたと対等に話せる関係を築きたい。
そんな覚悟を密かに胸に抱いていた。
☆今回の映画紹介
『明日は雨』
彼女が大好きな雨の日。その日、彼女が何者かに殺された。激しい雨によって証拠は流され、手掛かりが掴めない。
記者をやっている主人公、そして彼女の恋人でもある、カガリへ向けたメッセージだけを残して。
ミステリー好きの彼女が幾つもの場所に散りばめた、メッセージである想いを辿りながら、彼女の過去、関わりのある人たち、秘められた真意、そして彼女を殺した犯人へ辿り着いていく叙情的恋愛ミステリー。原作は小説。
評価☆4.5
涙という雨が降りました(40代・女性)
2月半ば、さらに寒さが増している。そのせいもあり、看護師たちも床に伏す者が多くなってきた。
「結木先輩……夜勤から続けて日勤って流石に休んだ方が……」
「……大丈夫……とりあえず今日明日乗り越えたら休みだから……松田くんも無理しないでね……」
後輩であるタヌキの獣人である松田も連勤中。艶やかだった茶色の毛並みがだいぶ荒くなっており、耳やしっぽも力なく垂れている。表情もしょぼしょぼとして、自慢のショートヘアーもボサボサになっていた。
それは寿葉も同じだった。
お互い疲労困憊という中、それでも寝込んでいる仲間の看護師の分も、仕事はしなくてはならなかった。
ようやく日勤の業務が終わった。
眠気で上手く頭が回らない。このまま帰るにも今の状態では、バスの中で熟睡して乗り過ごしてしまいそうだった。
「すみません、ちょっと仮眠取ってから帰っていいですか?」
「ん、いいよ~無理させてごめんね、結木」
夜勤に入る星乃に許可を貰い、寿葉は休憩室で15分ほど眠ることにした。
15分のはずだった。時計を見て一気に眠気が吹き飛んだ。寿葉が目覚めたのは深夜0時過ぎ。
コートを羽織り、身支度を急いで終わらせ、休憩室から飛び出す。ナースステーションに向かうと、耳を立てて驚く星乃と目が合った。
「結木、まだ居たの……てっきり帰ったのかと……」
「す、すみません!寝すぎちゃいました!今から帰りますんで!」
「夜だから気をつけなよ。ただでさえ暗くて視界悪いからね。怪我しないように。タクシー呼んでいいから、領収書もらっておいてね」
暗くて視界が悪い……自分は人間。夜目は利かない。
その上、過去に事故で左目を失明している。
だからこそ、星乃は心配してくれていた。
「分かっています。お疲れ様です」
いつだって気をつけている、自分は大丈夫、寿葉はそう言い聞かせ、病院を出た。
歩いて帰れる距離ではあるが、30分ほどかかる。何かあっては病院に迷惑がかかる。星乃から言われた通りタクシーで帰るべきだと寿葉は判断した。
しかし、タクシーアプリで依頼しても一向に配車にならず。深夜だからという理由もあるし、場所が悪いのかもと、寿葉は、少し歩いて街に近い大通りに向かうことにした。
街に行けば深夜でも店や街灯で明るいはず、人通りも多いから多少安全なはずだが……
病院から街までの歩道は街灯はまばらで、人もいないし、車通りも少ない。うっすらとした闇に警戒しながらも、寿葉はリュックを背負い直し、慎重に足早に歩みを進める。
前方から3人の獣人が歩いてくるのが見えてきた。トラの獣人である屈強な男性たち。近づいてくるにつれ酒の匂いが、ツンと鼻をつく。
なるべく気にせず自然に、しかし急いで避けて通り過ぎようとした時に、
「お、人間じゃん!」
ガシッ、と腕を掴まれてしまった。
「な、なんでしょうか?」
質問するも、へらへらと笑い、酷く酔った様子で顔を覗き込んでくる。
「こいつさ~攫って売ったら金貰えんじゃね?」
「お、それいいね~!血液事件? だっけ、血欲しいやつに渡したら喜ばれそ~じゃん」
「俺たち金に困っててさ~少しくらい、いいだろ?」
なんてベタな絡まれ方だろうか……映画の中で何度も見たような典型的なチンピラの姿。
少なくなってはきたが、血液事件にかこつけて、人間を都合よく扱う獣人はまだ存在する。
正直、数えることを諦めたくらいに、寿葉はこのような絡まれ方を何度も経験していた。
「ほら、ついてこい!」
腕を強く引っ張られそうになった事を察し、咄嗟に切り離して逃げる。
酔っていても獣人の方が足は速く、すぐに追いつかれてしまった。リュックを掴み引っ張られ、今度は首元と体に腕を回されて動けなくなってしまった。
「逃げんなよ~下手な真似すると怪我させちまいそ~」
ぐっ、と力が入る腕に首を締められる。切られていない鋭い爪が視界に入り、身動きすら取れない。
苦しい、逃げられない。声すら上げられない。
またか……仕方ないけど、こうするしかない……
寿葉はポケットに入れていた、人間用のGPS防犯機のボタンを押した。
* * *
機動隊本部に小さな警告音が鳴る。
「防犯機からSOS信号あり、S総合病院付近、防犯カメラの映像から、3人のトラ獣人が人間を襲っている模様」
「……輝一、いけるか?」
「はい、すぐに向かいます」
* * *
防犯機を押してすぐ、サイレンの音が近づいてくる。
車が近くの道路脇に止まり、フードを目深に被ったロングコートが特徴の機動隊員が出てきた。この防犯機で連絡して来るのは人間専門の機動隊員。耳元を押え、おそらく誰かと話している様子だ。
なんだ、なんだ、と言わんばかりに傍にいたトラ獣人の男たちが、機動隊員に向かっていく。
しかし、その機動隊員は男たちを無視して、寿葉に向かって一直線に駆けてきた。そして、素早く、首元や身体にかけられていた腕を外し、拘束から解放してくれた。
ふらついた身体を機動隊員に支えられる。
「もう大丈夫です。安心してください」
「は、はい」
耳元で囁く聞き覚えのある声、寿葉の頭に過ぎる懐かしさ。
「被害者確保しました」
機動隊員が報告していたその時。寿葉を拘束していた男が殴りかかってきた。
寿葉を抱え、間一髪で躱す。
「まだ動けますか?」
「はい」
「ここから離れられますか?」
「はい、自分で逃げられます」
話している間に、じりじり、ふらふら、なにか小言を言いながらと、トラ獣人の男たちが近寄ってくる。
いってください、と背中を押され、寿葉は急いでその場から逃げた。
ひとりで3人相手……大丈夫なのだろうか……そんな不安は杞憂で済むこととなった。見覚えのある、小さな翼を背負った姿に頼もしさを感じた。
* * *
「トラ獣人3名確保。犯人の護送をお願いします。僕は被害者の方の保護に向かいます」
酩酊状態というのもあり、あっさりと倒れてしまった。飛んでくる拳や蹴りなどを軽くあしらっただけで、特段何かをしたわけではなく。酔った勢いは今はもう地に伏している。
すぐにやってきた機動隊の仲間たちによって運ばれていく。
小さく息を吐き、機動隊員の羽佐間輝一は、被害者である、そして、入院時自分を担当してくれた看護師の結木の元へと向かった。
実はここに来た時から気づいていた。
少し離れた植木の傍からこちらを見ていた結木に声をかける。
「大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
「大丈夫です……あの……羽佐間さん……ですよね?」
街灯の少ない深夜の薄暗さの中、フードを被ったままだが、翼で気づかれたのだろうか。なんにせよ覚えてくれていたことに、輝一は微かな嬉しさを感じる。
「はい、機動隊員の羽佐間です。結木さん、お久しぶりです」
輝一はフードを外し、顔を見せる。不安そうだった結木の表情が、少し解けた気がした。
乱れた髪、目にうっすらと隈があるように見える。それでも口元に優しく弧を描いた。
「お久しぶりです。羽佐間さん。助けていただいてありがとうございます」
まさかこんな形で1ヶ月ぶりに再会するなんて、想像もしていなかった。
* * *
羽佐間の乗ってきた車の助手席に乗りこみ、走る道。静かに落ち着いた振動が、寿葉の身体に伝わる。
住んでいるマンションまで送ってくれる、と言ってくれたこと、無事帰れることに寿葉は安堵した。
「すぐに来てくださって、ありがとうございます」
「たまたま近くまで来ていたので、あなたがご無事で何よりです」
再び感謝を告げるが、入院していた頃とは今は違う関係性。本当は、お元気そうでよかった!などと話した方がいいのかもしれないが、そんな明るい雰囲気ではなかった。
何を話せばいいか分からないまま、沈黙が流れる。10分もすれば、マンションの玄関前に着いていた。
獣人が入るには許可が必要な、セキュリティがしっかりした人間専用のマンション。そこに寿葉は住んでいる。車から降りると、安心からか、ロビーからの光がやけに明るく感じた。
「今日は遅いですから、ゆっくり休んでください。事情聴取は、落ち着いてからで構いません」
羽佐間の穏やかな声色に、小さく頷く。視線を落とすと、光に照らされはっきり見える、手袋を引き裂かれた左手。そこに、うっすらと血のにじむ傷があった。
おそらく、犯人3人を同時に相手していた時に引っ掻かれたのだろう。自分が捕らえられた時に見た鋭い爪を思い出す。
その瞬間、じわじわと罪悪感で心が染まる。また自分を助けるために、誰かが傷ついてしまった、と寿葉は胸が苦しくなった。
「羽佐間さん、手から血が……あの、手当てします!」
急いでリュックから、常備している救急用の道具を取り出し、その場ですぐ手当てを行う。持っていた精製水で傷を洗い流し、水分を拭き取った後、ガーゼで覆いテープで固定した。
「すみません……僕のせいで……」
「結木さん、どうか自分を責めないであげてください。あなたのせいではありません」
零れてしまった罪の意識を、羽佐間は責める事はなかった。
「手当てしてくださり、ありがとうございました」
「応急処置なので……何かあればすぐ病院きてくださいね?明日、いや、今日……ですね。仕事終わったら警察に行きます」
「はい、ありがとうございます。お忙しいと思いますがよろしくお願いします。どうか気負わずに、休んでくださいね。お疲れ様でした」
「こちらこそありがとうございました。お疲れ様です」
入院していた頃から変わらない礼儀正しく丁寧で誠実な人だ。会釈をし、車に乗りこみ、静かに去っていく。
退院の時は笑顔で見送ることができたのに、今の自分の顔はきっと不安に満ちてしまっている。
初めて知った。彼が『人間専門の機動隊員』であったことを。
翼を失った原因がもしかしたら……と思うと、あの時、話してくれた悲しみ、虚しさを背負った背中に、昔寿葉が味わった後悔を強く重ねてしまった。
* * *
思いがけない形だが、結木に再会できたことがやはり嬉しい。だが、今は仕事中だということに気を引き締めた。
別れ際の結木の表情は曇ったままだった。先程まで獣人に襲われていたのだから無理もない。
今は結木を助けることができたことに安心し、輝一は車を走らせた。
* * *
「――なことがあって……ご迷惑おかけして申し訳ありません」
「うん、そんなことがあったんだね。結木は何も悪くないよ。怖い思いをさせてしまったね。病院側も何か対処を考えてみるよう伝えておくから。そう落ち込まなくていいよ?怪我がなくてよかったよ」
昨夜のことを夜勤明けの星乃に伝えると、大丈夫だよ、といつも通り接してくれた。
自分にも落ち度があった。
寝過ごさなければ……大人しく病院でタクシーを待っていれば……もっと人を避けて大通りに向かっていれば……
未だ後悔は拭えないままだが、寿葉は仕事に取りかかった。
やっと業務が終わり、ようやく明日は休み。連勤と昨夜の出来事での疲労で心も身体もいっぱいいっぱいだった。
帰る準備を終え、ナースステーションに退勤を告げようとした時、視界に入ったのは
「……羽佐間さん?」
「結木さん、お疲れ様です」
機動隊の衣服を身にまとった羽佐間の姿。昨夜と変わらず、穏やかな表情で小さく頭を下げている。
ベンダーの件でナースステーションに挨拶に来ていたということを、対応していた松田から聞いた。
羽佐間もここでの仕事を終えたようで、今から機動隊本部に帰るらしい。
「羽佐間さん!昨夜はありがとうございました」
「いえ、これが僕の仕事ですから。あなたがご無事で僕も安心しています。不安なことなどございましたら、何でも仰ってくださいね」
「はい……」
謙虚で慎ましい態度の中にやはり、変わらない優しさを感じる羽佐間の言葉。
左手は新しく手当し直したようで、寿葉は少し安心した。
「結木さん、事情聴取はまだですよね?よろしければ今から僕が行いましょうか?」
「いいんですか?」
「はい、現場に向かったのは僕なので、状況は大体把握しています。結木さんもお疲れでしょうから、手短にお話をお伺いしますね」
自ら警察に行かなくてもいい、そんな提案に、疲労を抱えた寿葉は甘えることにした。
警察関係者も利用する応接室へと案内し、向かい合って、ソファに腰掛ける。そして、昨夜の襲われた経緯を詳しく羽佐間に話した。
「そうだったんですね……それは大変でしたね。結木さんの判断は間違っていません。お仕事のこと、タクシーのことも重なり、タイミングや状況が少し悪く働いてしまっただけですね……それでも恐怖や苦しい思いを感じたことはすぐに落ち着くものではありませんから、ご相談があればいつでも僕たちが対応します。遠慮なく仰ってくださいね」
メモを取りながらも、真剣に聞いてくれた。寄り添ってくれる温かさ、真っ直ぐで誠実な言葉ひとつひとつ、仕事としての羽佐間の振る舞いも入院していた時と変わらない。これが彼の本質なのだろう、と寿葉は再確認した。
「ありがとうございます。正直なところ……こうやって襲われるのはもう何度もあって……恐怖心にも慣れてきているんです。だから今もそこまで不安を感じていません。ただ……あなたが傷ついてしまったことが、僕にとってすごく申し訳なく感じるところで……本当にすみません」
羽佐間は驚いたように目を見開き、眉をひそめた。今の自分の表情を写しているようで、申し訳なさが募る。
「慣れてしまうほど、何度も恐い思いをされていたのですね……事情を知らず申し訳ございません。過去のことでも不安を感じたらご相談して構いませんから。僕が怪我を負ったことはあなたのせいではありません。強いて言えば、僕が油断していただけで、僕の落ち度です。まだリハビリ中でして、身体が上手く動かなかっただけです。昨夜もお伝えしましたが、どうかご自身を責めないであげてください。あなたは何も悪くないです。それに、ご丁寧に手当てまでしてくださって、僕も助かりましたから感謝しています」
それでも、優しく微笑みを向け、言葉をかけてくれた。寿葉に罪はない、強く言い聞かせてくれる。入院時と立場が逆転したようで、今度はこちらが悩みを受け止めてもらっている感覚。
これ以上後悔すると羽佐間に悪い、寿葉はそう思い、口を開いた。
「こちらこそ、ありがとうございました!羽佐間さんが早く駆けつけてくださって僕も安心できましたから。本当は昨日お伝えしたかったのですが、状況が状況で……羽佐間さんがお元気で、また機動隊としてお勤めされている姿を見て嬉しく思いましたよ!これからも、よろしくお願いしますね」
今はぎこちない笑顔だけれど、羽佐間は微笑んだまま穏やかに頷いてくれた。
帰り際、部屋から出る前に羽佐間は立ち止まり、結木さん、と呼び止められた。
「あの……仕事とは関係のない話で申し訳ないのですが、入院していた時、教えていただいた『明日は雨』という映画を最近見ました。複雑に絡まった人間関係と謎、亡き恋人の想いや切なさなど考えさせられる、僕好みの作風の作品でとても感動しました。教えていただいたお礼をお伝えしたかったんです。ありがとうございました」
羽佐間は海外映画やB級映画には詳しいが、国内の長編映画はまだまだ疎いと言っていたこともあり、好みを聞いて勧めた作品。
まさか映画の話をしてくれるなんて、しかも、見てくれたことに、寿葉は思わず声を上げた。
「見てくださったんですか!……嬉しいです!!ミステリーや人の心情表現が細かな作品がお好きって聞いていたから、おすすめしてよかったです!!」
本当はもっと話したいけれど、羽佐間は仕事中だ。これ以上は迷惑になってしまう、と寿葉は口を噤んだ。
「まだしばらくは機動隊員としてのリハビリが続くので、ベンダーとしてここに配属されるのは先ですが、またお会いしたらよろしくお願いしますね。お疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね」
「はい、ありがとうございました!……では、また……」
深々とお辞儀をし、羽佐間は去っていく。小さな白い翼が微かに揺れる背中を見送った。
映画のことも、それに、あなたのことも知りたい。知ればきっと……
羽佐間との繋がりが欲しいのに、今はできない歯がゆさを寿葉はぐっと噛み締めた。それでも……
あなたと対等に話せる関係を築きたい。
そんな覚悟を密かに胸に抱いていた。
☆今回の映画紹介
『明日は雨』
彼女が大好きな雨の日。その日、彼女が何者かに殺された。激しい雨によって証拠は流され、手掛かりが掴めない。
記者をやっている主人公、そして彼女の恋人でもある、カガリへ向けたメッセージだけを残して。
ミステリー好きの彼女が幾つもの場所に散りばめた、メッセージである想いを辿りながら、彼女の過去、関わりのある人たち、秘められた真意、そして彼女を殺した犯人へ辿り着いていく叙情的恋愛ミステリー。原作は小説。
評価☆4.5
涙という雨が降りました(40代・女性)
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