1 / 33
第1話
しおりを挟む
ポツリ、と額で雫が弾ける。小さなそれは冷たく、私は思わず顔を上げた。
朝から濃い灰色の雲が覆っていた空は、ついに泣き始めたほうだ。
「ああ、よかった。掃除が終わるまで待ってくれて」
隣にいた母も同じように空を見上げて呟く。それから「ひどくなる前においとましましょうか」と微笑んだ。はい、とひとつ頷いて、私は視線を戻す。
どこにでもある、静かな墓地の一角。そこに「井土家之墓」と黒い字で刻まれた墓が建っていた。雑草一本、苔のひとつも見当たらないほど綺麗に掃除され、溢れんばかりに花が差されている。近頃は御供物もあまり歓迎されないらしいから、墓石の前には水の入った小さなコップだけを置いていた。
首の後ろを、汗とも雨ともつかない液体が伝う。梅雨というのは厄介なものだ。曇りと雨が続くのに、夏のような暑さも伴う。長居をすると倒れてしまいそうでもあった。
「きっと私たちが掃除を終えるまで、雨が降り出さないようにして下さったのね」
額を拭きながら母が呟き、もう一度墓に手を合わせる。
「いつも見守ってくれて、ありがとうございます。あなたのおかげで、息子は立派に育って、もう25歳になりましたよ」
お決まりの言葉を、口にまで出して言う。私は母に倣って手を合わせたけれど、なにも言わなかった。ややして母が「タヅマさん、そっちの荷物を持ってくれるかしら」と空になったバケツや柄杓を持つ。私は頷いて、足元にあった掃除道具と、ゴミを入れた袋を抱える。
「それにしても、いつ来ても綺麗なお墓ね。お花もたくさん供えてあって。きっと誰かがよく掃除してくれているんだわ」
母はそんなことを呟きながら、先に歩き出す。私はそれについて足を進め……少しして、振り返った。
曇天の下、静かに佇む墓石。そこに眠る人を思い浮かべて、私は心の中で思う。
私は立派に育ったりしているのだろうか。
私がいなかったら、この人は今も生きていたのだろうか。私に生きている意味は――価値は、あるのだろうか。この人の命を奪ってまで。そうまでして、生きるほどの、何かが。
墓石はそこに存在するばかりで、空は粛々と雨を降らせるだけだ。私は小さなため息を吐いて、母の後を追った。
生きにくい私たちの純愛
朝から濃い灰色の雲が覆っていた空は、ついに泣き始めたほうだ。
「ああ、よかった。掃除が終わるまで待ってくれて」
隣にいた母も同じように空を見上げて呟く。それから「ひどくなる前においとましましょうか」と微笑んだ。はい、とひとつ頷いて、私は視線を戻す。
どこにでもある、静かな墓地の一角。そこに「井土家之墓」と黒い字で刻まれた墓が建っていた。雑草一本、苔のひとつも見当たらないほど綺麗に掃除され、溢れんばかりに花が差されている。近頃は御供物もあまり歓迎されないらしいから、墓石の前には水の入った小さなコップだけを置いていた。
首の後ろを、汗とも雨ともつかない液体が伝う。梅雨というのは厄介なものだ。曇りと雨が続くのに、夏のような暑さも伴う。長居をすると倒れてしまいそうでもあった。
「きっと私たちが掃除を終えるまで、雨が降り出さないようにして下さったのね」
額を拭きながら母が呟き、もう一度墓に手を合わせる。
「いつも見守ってくれて、ありがとうございます。あなたのおかげで、息子は立派に育って、もう25歳になりましたよ」
お決まりの言葉を、口にまで出して言う。私は母に倣って手を合わせたけれど、なにも言わなかった。ややして母が「タヅマさん、そっちの荷物を持ってくれるかしら」と空になったバケツや柄杓を持つ。私は頷いて、足元にあった掃除道具と、ゴミを入れた袋を抱える。
「それにしても、いつ来ても綺麗なお墓ね。お花もたくさん供えてあって。きっと誰かがよく掃除してくれているんだわ」
母はそんなことを呟きながら、先に歩き出す。私はそれについて足を進め……少しして、振り返った。
曇天の下、静かに佇む墓石。そこに眠る人を思い浮かべて、私は心の中で思う。
私は立派に育ったりしているのだろうか。
私がいなかったら、この人は今も生きていたのだろうか。私に生きている意味は――価値は、あるのだろうか。この人の命を奪ってまで。そうまでして、生きるほどの、何かが。
墓石はそこに存在するばかりで、空は粛々と雨を降らせるだけだ。私は小さなため息を吐いて、母の後を追った。
生きにくい私たちの純愛
1
あなたにおすすめの小説
【完結】毎日きみに恋してる
藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました!
応援ありがとうございました!
*******************
その日、澤下壱月は王子様に恋をした――
高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。
見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。
けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。
けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど――
このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
想いの名残は淡雪に溶けて
叶けい
BL
大阪から東京本社の営業部に異動になって三年目になる佐伯怜二。付き合っていたはずの"カレシ"は音信不通、なのに職場に溢れるのは幸せなカップルの話ばかり。
そんな時、入社時から面倒を見ている新人の三浦匠海に、ふとしたきっかけでご飯を作ってあげるように。発言も行動も何もかも直球な匠海に振り回されるうち、望みなんて無いのに芽生えた恋心。…もう、傷つきたくなんかないのに。
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる