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3.5 sideセレ セレの覚悟
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私は、深い長い迷路に入ってしまったような心地だった。
とはいっても、私がいるのは自室だ。間違ってもアズマが入ってこないように、厳重に鍵をかけた私の部屋は、隣室と同じ間取りでありながらも様相は全く異なる。
できる限りエルフの郷と同じ暮らしができるよう、随所に植物の生えたプランターを置き、適度に水が循環する魔法を施したガラス機器を備え付けた。ベッドにはよく眠れるよう天蓋や、小さな鳥の声を真似する鐘などが吊るされている。
ひとつしかない机の上には、ずいぶん前にサヴァン兄様からもらった『人間との付き合いかた~見守り、助ける方法』が置かれている。私はその前に座し、うな垂れているのであった。
私は……私は、エルフの郷に生まれた。由緒あるシェルロフィ家の28人目の子であり、末弟だ。数多い兄や姉の一部は、まだ人類が平和に暮らす前から生きているらしいけれど、私は多くの種族が手を取り合った後に生まれた幼いエルフだ。
とはいえ、平和な時代が訪れてもエルフはあまり他種族と交わらなかった。生命力が強く、独自の言語体系と文化を持つ我々は、外に出ようとしなかったのだ。人類を嫌っていた節もある。父や母、祖父母など古い世代はなおさらそうで、そうしたエルフたちが主導権を握っているが故に、エルフ郷は長く閉ざされていた。
それでも、革新派は現れる。彼らはエルフ郷のはずれに、他種族の交わる小さな町を作るなどしたのだ。エルフの郷にある珍しいものを求めて多くの種族が集まった。私達若い世代のエルフは小さな頃、それを隠れて観察するような遊びをしていたものだ。
幼い私にとって最も興味深かったのが、人間だ。短命でマナも扱えず、手足も短く体格も全人類の中で平均的。鋭い牙や爪を持つでなく、卓越した素早さや腕力を持つわけでもない彼らは、数々の苦難の末に発明を重ねて最も多い種族にまでなったのだ。その一瞬の輝きに、私は魅せられてしまった。
私にとって幸運なことは、シェルロフィ家の三男であるサヴァン兄様がいたことだ。サヴァン兄様は平和が訪れるより前から生きていたけれど、随分前から人間と交じって暮らしている。一族の中ではかなりの変わり者と呼ばれていたけれど、私にしてみればサヴァン兄様は憧れの人だ。
いつかは私も、サヴァン兄様のように、人間の近くへ。
そんな希望はしかし、私には叶えるのが難しかった。理由はいくつかある。私がシェルロフィ家の末弟であり、かなり家族親族から過保護にされていたこと。私がサヴァン兄様とは違い、内向的であったこと。私に許される人間との関わりは、家族のしきたりが許した範囲であったこと……など。
そんなこんなで、私がこの街へ引っ越すことを決めるのにも100年かかってしまった。家族は猛反対していたが、近くにサヴァン兄様が住んでいるということを条件に、私を送り出してくれた。
意気揚々とこのシェアハウスに住み始めたはいいものの……私はどうも、この人類が混ざり合う街にまだ慣れない。音や光、視線があまりに多すぎる。気分が悪くなるのでろくに外出もできず、買い物は通販頼み。肝心の人間との交流については……知っての通り。シェアハウスという場所はひとりで過ごすには広すぎて、ずいぶん寒かったものだ。
しかし、アズマとの暮らしは順調だった。少なくとも、他の例に比べれば遥かに素晴らしい。
彼は私に理解を示してくれた。同じ食事を摂ることもできる。アズマは、特別な同居人だ。私を孤独から救ってくれたのだから。私達のシェアハウスには明かりがともり、温もりが生まれた。アズマと過ごす時間は、本当に幸せだった。
しかし。
「私は、アズマを……同じ人類だと認識していなかった……?」
昨日のこと、アズマと出会ってからのことを思い出す。私は長い失敗の果てに出会ったアズマと、同じ人類として共にありたかった。しかし現実はどうだろう。私は本当に、短命で脆弱、無力な人間であるアズマを、同じ人類として見ていただろうか。
きちんと話をしてこなかった。それは、話しても無駄、あるいは意味が無いと感じたからだろうか。──同じ言葉を話していたとしても、彼らが私達よりも下等、つまり、「見守り、助ける」存在だと感じていたから?
昨日、私はサヴァン兄様に、「わかっているつもりだ」と答えた。人間が、アズマが自分達と同じ人類だと、心の機微を持っていると、知っている。ならどうして、私は彼との話し合いの時間を持たなかったのだろう。アズマの言う通り、私の部屋へ入ってはいけない理由はいくらでも説明できたはずなのに。
そして私は。彼に何度もハグをして、彼に何度も好意を伝えている。出会って数日しか経っていないというのに、だ。
もし仮に、アズマがエルフだったら? そんな恥知らずなことはしなかっただろう。ゆっくりとお互いの気持ちを確認し合って、彼のことが本当に好ましいのであれば、それを伝えるのに相応しい機会や場所を選ぶはずだ。彼を同じ人類扱いしていなかった、としか言いようがないではないか。
しかも、だ。
(アズマは何度も、ドキドキしてしまうから止めるように、と言っていた。つまりアズマは……私を対等な種族であり、恋愛対象だと認識していたのだ……)
アズマは、最初からそうだった。私もそうであるべきだった。それなのに、私はなんということを。
気付いてしまえば、自分の言動の愚かさに頭を抱えたくなってくる。ついでに、自分が彼の額へキスまでしてしまったことに羞恥を覚えた。エルフにとってキスは愛情表現であるが、きっと人間にとってもそうだろう。たぶん、そうだったように思う。慌ててサヴァン兄様がくれた『人間との付き合いかた~見守り、助ける方法』を手に取り、ページをめくって確かめる。
しかし、この本はあくまで人間をエルフよりも短命で矮小な存在として認識して書かれているのだ。サヴァン兄様ともあろうかたが、どうしてこんな本を私に与えたのだろう。もっと、対等な立場に立った解説書はないのだろうか。
私は大急ぎでマナゾンのサイトにアクセスし、そういう書籍が無いか探したけれど、エルフ目線の本は見当たらなかった。そもそも、エルフの本はエルフしか読まないようなものだから、こうした場所には出品されないのだ。
ならば、行くしかあるまい。エルフの本がたくさん置かれているだろう場所へ。そう……サヴァン兄様の住む、エルフ村へ。
アズマと私の、よりよいルームシェアライフのために。私は強く、覚悟を決めた。
とはいっても、私がいるのは自室だ。間違ってもアズマが入ってこないように、厳重に鍵をかけた私の部屋は、隣室と同じ間取りでありながらも様相は全く異なる。
できる限りエルフの郷と同じ暮らしができるよう、随所に植物の生えたプランターを置き、適度に水が循環する魔法を施したガラス機器を備え付けた。ベッドにはよく眠れるよう天蓋や、小さな鳥の声を真似する鐘などが吊るされている。
ひとつしかない机の上には、ずいぶん前にサヴァン兄様からもらった『人間との付き合いかた~見守り、助ける方法』が置かれている。私はその前に座し、うな垂れているのであった。
私は……私は、エルフの郷に生まれた。由緒あるシェルロフィ家の28人目の子であり、末弟だ。数多い兄や姉の一部は、まだ人類が平和に暮らす前から生きているらしいけれど、私は多くの種族が手を取り合った後に生まれた幼いエルフだ。
とはいえ、平和な時代が訪れてもエルフはあまり他種族と交わらなかった。生命力が強く、独自の言語体系と文化を持つ我々は、外に出ようとしなかったのだ。人類を嫌っていた節もある。父や母、祖父母など古い世代はなおさらそうで、そうしたエルフたちが主導権を握っているが故に、エルフ郷は長く閉ざされていた。
それでも、革新派は現れる。彼らはエルフ郷のはずれに、他種族の交わる小さな町を作るなどしたのだ。エルフの郷にある珍しいものを求めて多くの種族が集まった。私達若い世代のエルフは小さな頃、それを隠れて観察するような遊びをしていたものだ。
幼い私にとって最も興味深かったのが、人間だ。短命でマナも扱えず、手足も短く体格も全人類の中で平均的。鋭い牙や爪を持つでなく、卓越した素早さや腕力を持つわけでもない彼らは、数々の苦難の末に発明を重ねて最も多い種族にまでなったのだ。その一瞬の輝きに、私は魅せられてしまった。
私にとって幸運なことは、シェルロフィ家の三男であるサヴァン兄様がいたことだ。サヴァン兄様は平和が訪れるより前から生きていたけれど、随分前から人間と交じって暮らしている。一族の中ではかなりの変わり者と呼ばれていたけれど、私にしてみればサヴァン兄様は憧れの人だ。
いつかは私も、サヴァン兄様のように、人間の近くへ。
そんな希望はしかし、私には叶えるのが難しかった。理由はいくつかある。私がシェルロフィ家の末弟であり、かなり家族親族から過保護にされていたこと。私がサヴァン兄様とは違い、内向的であったこと。私に許される人間との関わりは、家族のしきたりが許した範囲であったこと……など。
そんなこんなで、私がこの街へ引っ越すことを決めるのにも100年かかってしまった。家族は猛反対していたが、近くにサヴァン兄様が住んでいるということを条件に、私を送り出してくれた。
意気揚々とこのシェアハウスに住み始めたはいいものの……私はどうも、この人類が混ざり合う街にまだ慣れない。音や光、視線があまりに多すぎる。気分が悪くなるのでろくに外出もできず、買い物は通販頼み。肝心の人間との交流については……知っての通り。シェアハウスという場所はひとりで過ごすには広すぎて、ずいぶん寒かったものだ。
しかし、アズマとの暮らしは順調だった。少なくとも、他の例に比べれば遥かに素晴らしい。
彼は私に理解を示してくれた。同じ食事を摂ることもできる。アズマは、特別な同居人だ。私を孤独から救ってくれたのだから。私達のシェアハウスには明かりがともり、温もりが生まれた。アズマと過ごす時間は、本当に幸せだった。
しかし。
「私は、アズマを……同じ人類だと認識していなかった……?」
昨日のこと、アズマと出会ってからのことを思い出す。私は長い失敗の果てに出会ったアズマと、同じ人類として共にありたかった。しかし現実はどうだろう。私は本当に、短命で脆弱、無力な人間であるアズマを、同じ人類として見ていただろうか。
きちんと話をしてこなかった。それは、話しても無駄、あるいは意味が無いと感じたからだろうか。──同じ言葉を話していたとしても、彼らが私達よりも下等、つまり、「見守り、助ける」存在だと感じていたから?
昨日、私はサヴァン兄様に、「わかっているつもりだ」と答えた。人間が、アズマが自分達と同じ人類だと、心の機微を持っていると、知っている。ならどうして、私は彼との話し合いの時間を持たなかったのだろう。アズマの言う通り、私の部屋へ入ってはいけない理由はいくらでも説明できたはずなのに。
そして私は。彼に何度もハグをして、彼に何度も好意を伝えている。出会って数日しか経っていないというのに、だ。
もし仮に、アズマがエルフだったら? そんな恥知らずなことはしなかっただろう。ゆっくりとお互いの気持ちを確認し合って、彼のことが本当に好ましいのであれば、それを伝えるのに相応しい機会や場所を選ぶはずだ。彼を同じ人類扱いしていなかった、としか言いようがないではないか。
しかも、だ。
(アズマは何度も、ドキドキしてしまうから止めるように、と言っていた。つまりアズマは……私を対等な種族であり、恋愛対象だと認識していたのだ……)
アズマは、最初からそうだった。私もそうであるべきだった。それなのに、私はなんということを。
気付いてしまえば、自分の言動の愚かさに頭を抱えたくなってくる。ついでに、自分が彼の額へキスまでしてしまったことに羞恥を覚えた。エルフにとってキスは愛情表現であるが、きっと人間にとってもそうだろう。たぶん、そうだったように思う。慌ててサヴァン兄様がくれた『人間との付き合いかた~見守り、助ける方法』を手に取り、ページをめくって確かめる。
しかし、この本はあくまで人間をエルフよりも短命で矮小な存在として認識して書かれているのだ。サヴァン兄様ともあろうかたが、どうしてこんな本を私に与えたのだろう。もっと、対等な立場に立った解説書はないのだろうか。
私は大急ぎでマナゾンのサイトにアクセスし、そういう書籍が無いか探したけれど、エルフ目線の本は見当たらなかった。そもそも、エルフの本はエルフしか読まないようなものだから、こうした場所には出品されないのだ。
ならば、行くしかあるまい。エルフの本がたくさん置かれているだろう場所へ。そう……サヴァン兄様の住む、エルフ村へ。
アズマと私の、よりよいルームシェアライフのために。私は強く、覚悟を決めた。
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『嘘つき王と影の騎士』から引き続き読んでくださる皆様へ
この物語は、セシルを虐げた者たちが、ただただ因果応報の末路を辿るだけの物語です。
本編に救いはありません。
セシルたちのその後が気になるという方は、本編は飛ばして、最終話の後に掲載する「閑話」のみをお読みいただくことをお勧めいたします。
本作は『嘘つき王と影の騎士』の続編となりますが、前作をお読みでない方でも一つの物語としてお楽しみいただけます。
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