霧の森のリゼロン

なずとず

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第一話 十二年前の約束

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 柔らかく撫でられて、レオーネは涙に濡れた瞼を開いた。酷い悪夢から解放されても、心がまだ恐怖に囚われている。震える手で目の前の温もりに縋りつけば、その胸に引き寄せられ、背中を、後頭部を優しく撫でられた。その心地良さに、先程までの夢ごと蕩けていきそうだ。



 ぎゅ……っと抱き返し、額を擦り付けると花のように甘い香りが感じられて、気持ちが落ち着いてくる。



「良い子だ、レオーネ。ここにはそなたが恐れるものは、何一つ在らぬぞ。何一つ、だ」



 柔らかな低音は、しかし優しく囁きかける。うん、と小さく頷いて、涙で濡れた瞼を拭った。顔を上げて見れば、いつもの優美な微笑みが見守ってくれている。



 長い金の髪は繊細に煌めき、上等なシルクのようにしっとりと寝台の上に流れている。美しい顔は男のそれなのに、人間とは違って美術品のように整っていた。瞳は深く澄んだ泉のような蒼にも、光に透けた森の翠のようにも見える不思議な色で、レオーネはいつもその優しい眼差しを見ると安心する。



 大人のエルフである彼――リゼロンは、まだ十歳のレオーネに比べれば随分と背も高く身体も大きい。それでいて、人間である実父とは違い中性的な彼は、父親であり母親であるといった不思議な感じがした。なんにせよ、この寝台の上にも、家の中にもリゼロンとレオーネしかおらず、確かにここは安全で、何も怖くないのだと信じられる。だから安心して溜息を吐き出した。



 ようやく落ち着くと、今度は急に恥ずかしくなってくる。まるで幼子のようにリゼロンに甘えてしまったような。眠る前に、「もう怖くない」と、「俺は大丈夫」と言って、一人で寝るとベッドに入ったのに。きっと、悪夢にうなされる自分を心配して、起こしに来てくれたのだろう。



 また、リゼロンに迷惑をかけてしまった。レオーネは急に己が恥ずかしくなって、そそくさとリゼロンの胸から離れた。



「私と添い寝してくれぬのか? レオーネ」



 リゼロンが首を傾げる。目を合わせられないまま「俺はもう、大人になるから、一人で寝なきゃ」と答えた。ところが、少し離れただけでまた心細さが背中のほうから這い上がって来る。寒くなんてないはずなのに、全身が冷えていくようだった。リゼロンの胸に抱き寄せられた心地良さが恋しくなった。



「そうか、残念だな。私はそなたに添い寝してほしいぞ。一人で眠るのは寒くて淋しいのだ」



 なあ、可愛い子羊よ。私と共に寝てはくれぬか? リゼロンの優しい囁きに、レオーネはしばし考えて、それから彼の胸に飛び込んだ。



「仕方ないな、寂しがりのリゼロンを甘やかしてやらなきゃ」



 ぎゅ、と抱きしめると温かくて心地良い。悪夢にうなされた夜に与えられる人肌の優しさは代えがたいものだ。相手が抱き返し、撫でてくれるなら猶更の事。



「ああ、ありがとうレオーネ。そなたのおかげでよく眠れそうだ」



 リゼロンはくっくと喉の奥で笑って、レオーネの亜麻色の髪を撫でる。きっと嘘なのだ。優しくて柔らかな嘘は、きっとこの世界に在っていい。そうじゃなければ、ただ誠実であるのが正しいなら、もっと人間は冷たい生き物だろう。



 逆に言えば、エルフだというのに嘘をつく。それはリゼロンがどこまでもエルフらしからぬ証でもあった。そしてレオーネは、そんな不思議な彼に惹かれて、信じていたのだ。



「……ねえ、リゼロン」



「なにかな?」



「ずっと一緒にいてくれる?」



「そなたがそれを望み、私にそれができるなら」



「本当? ……でき、そう?」



 恐る恐る尋ねると、ふふ、と笑って背中を撫でてくれる。その優しさに母を思い出して、また涙が滲みそうになった。ぎゅ、とリゼロンの上質な服を握っていると、リゼロンが静かに答えた。



「今のところは、できそうだな」



「今のところはって、……じゃあ、いつかいなくなっちゃうかもしれない?」



「時は流れ、世は移ろい、私がエルフで、そなたが人の子である以上は。必ずと約束すれば、私は必ず約束を違えてしまう。故に、そう答えるより他はないだけだ。……とはいえ、本心を言うならば……」



 額に、ちゅ、とリゼロンの柔らかな唇が触れた。キスだ。レオーネは、家族にもされているそれをリゼロンにされると、不思議と胸がドキドキして頬が赤らんだ。もっとして欲しい、と思う。甘やかして欲しいと願うのは、子どものすることだからできないけれど……。



 そう考えているレオーネの頬を、リゼロンの手のひらが包む。優しい眼差しに覗き込まれて、胸の高鳴りはますます激しくなった。この気持ちは、一体何なのだろう。まだ十歳のレオーネには、何もわからない。



 わからないけれど、どうしても、リゼロンと一緒にいたいと感じるのだ。



「私も、そなたと共に在りたいと、心から思っているよ、愛しい子羊」



 それは、きっと優しい嘘などではない。きっと本当にそう思ってくれているのだ。眼差し、声音、仕草、全てからそう感じる。レオーネはたまらなくなって、リゼロンの唇にキスをした。一番好きな人にするのだと、本に書いてあったように。



 彼は一瞬目を丸くさせて、けれどすぐにまた微笑みを浮かべ、レオーネを抱きしめてくれた。



 幸せで、温かくて、満たされていた。不安も、冷たさも何も無くて、レオーネは心から満たされていたのだ。







 もう、十二年も前のことだった。

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