1 / 29
第一話 十二年前の約束
しおりを挟む
柔らかく撫でられて、レオーネは涙に濡れた瞼を開いた。酷い悪夢から解放されても、心がまだ恐怖に囚われている。震える手で目の前の温もりに縋りつけば、その胸に引き寄せられ、背中を、後頭部を優しく撫でられた。その心地良さに、先程までの夢ごと蕩けていきそうだ。
ぎゅ……っと抱き返し、額を擦り付けると花のように甘い香りが感じられて、気持ちが落ち着いてくる。
「良い子だ、レオーネ。ここにはそなたが恐れるものは、何一つ在らぬぞ。何一つ、だ」
柔らかな低音は、しかし優しく囁きかける。うん、と小さく頷いて、涙で濡れた瞼を拭った。顔を上げて見れば、いつもの優美な微笑みが見守ってくれている。
長い金の髪は繊細に煌めき、上等なシルクのようにしっとりと寝台の上に流れている。美しい顔は男のそれなのに、人間とは違って美術品のように整っていた。瞳は深く澄んだ泉のような蒼にも、光に透けた森の翠のようにも見える不思議な色で、レオーネはいつもその優しい眼差しを見ると安心する。
大人のエルフである彼――リゼロンは、まだ十歳のレオーネに比べれば随分と背も高く身体も大きい。それでいて、人間である実父とは違い中性的な彼は、父親であり母親であるといった不思議な感じがした。なんにせよ、この寝台の上にも、家の中にもリゼロンとレオーネしかおらず、確かにここは安全で、何も怖くないのだと信じられる。だから安心して溜息を吐き出した。
ようやく落ち着くと、今度は急に恥ずかしくなってくる。まるで幼子のようにリゼロンに甘えてしまったような。眠る前に、「もう怖くない」と、「俺は大丈夫」と言って、一人で寝るとベッドに入ったのに。きっと、悪夢にうなされる自分を心配して、起こしに来てくれたのだろう。
また、リゼロンに迷惑をかけてしまった。レオーネは急に己が恥ずかしくなって、そそくさとリゼロンの胸から離れた。
「私と添い寝してくれぬのか? レオーネ」
リゼロンが首を傾げる。目を合わせられないまま「俺はもう、大人になるから、一人で寝なきゃ」と答えた。ところが、少し離れただけでまた心細さが背中のほうから這い上がって来る。寒くなんてないはずなのに、全身が冷えていくようだった。リゼロンの胸に抱き寄せられた心地良さが恋しくなった。
「そうか、残念だな。私はそなたに添い寝してほしいぞ。一人で眠るのは寒くて淋しいのだ」
なあ、可愛い子羊よ。私と共に寝てはくれぬか? リゼロンの優しい囁きに、レオーネはしばし考えて、それから彼の胸に飛び込んだ。
「仕方ないな、寂しがりのリゼロンを甘やかしてやらなきゃ」
ぎゅ、と抱きしめると温かくて心地良い。悪夢にうなされた夜に与えられる人肌の優しさは代えがたいものだ。相手が抱き返し、撫でてくれるなら猶更の事。
「ああ、ありがとうレオーネ。そなたのおかげでよく眠れそうだ」
リゼロンはくっくと喉の奥で笑って、レオーネの亜麻色の髪を撫でる。きっと嘘なのだ。優しくて柔らかな嘘は、きっとこの世界に在っていい。そうじゃなければ、ただ誠実であるのが正しいなら、もっと人間は冷たい生き物だろう。
逆に言えば、エルフだというのに嘘をつく。それはリゼロンがどこまでもエルフらしからぬ証でもあった。そしてレオーネは、そんな不思議な彼に惹かれて、信じていたのだ。
「……ねえ、リゼロン」
「なにかな?」
「ずっと一緒にいてくれる?」
「そなたがそれを望み、私にそれができるなら」
「本当? ……でき、そう?」
恐る恐る尋ねると、ふふ、と笑って背中を撫でてくれる。その優しさに母を思い出して、また涙が滲みそうになった。ぎゅ、とリゼロンの上質な服を握っていると、リゼロンが静かに答えた。
「今のところは、できそうだな」
「今のところはって、……じゃあ、いつかいなくなっちゃうかもしれない?」
「時は流れ、世は移ろい、私がエルフで、そなたが人の子である以上は。必ずと約束すれば、私は必ず約束を違えてしまう。故に、そう答えるより他はないだけだ。……とはいえ、本心を言うならば……」
額に、ちゅ、とリゼロンの柔らかな唇が触れた。キスだ。レオーネは、家族にもされているそれをリゼロンにされると、不思議と胸がドキドキして頬が赤らんだ。もっとして欲しい、と思う。甘やかして欲しいと願うのは、子どものすることだからできないけれど……。
そう考えているレオーネの頬を、リゼロンの手のひらが包む。優しい眼差しに覗き込まれて、胸の高鳴りはますます激しくなった。この気持ちは、一体何なのだろう。まだ十歳のレオーネには、何もわからない。
わからないけれど、どうしても、リゼロンと一緒にいたいと感じるのだ。
「私も、そなたと共に在りたいと、心から思っているよ、愛しい子羊」
それは、きっと優しい嘘などではない。きっと本当にそう思ってくれているのだ。眼差し、声音、仕草、全てからそう感じる。レオーネはたまらなくなって、リゼロンの唇にキスをした。一番好きな人にするのだと、本に書いてあったように。
彼は一瞬目を丸くさせて、けれどすぐにまた微笑みを浮かべ、レオーネを抱きしめてくれた。
幸せで、温かくて、満たされていた。不安も、冷たさも何も無くて、レオーネは心から満たされていたのだ。
もう、十二年も前のことだった。
ぎゅ……っと抱き返し、額を擦り付けると花のように甘い香りが感じられて、気持ちが落ち着いてくる。
「良い子だ、レオーネ。ここにはそなたが恐れるものは、何一つ在らぬぞ。何一つ、だ」
柔らかな低音は、しかし優しく囁きかける。うん、と小さく頷いて、涙で濡れた瞼を拭った。顔を上げて見れば、いつもの優美な微笑みが見守ってくれている。
長い金の髪は繊細に煌めき、上等なシルクのようにしっとりと寝台の上に流れている。美しい顔は男のそれなのに、人間とは違って美術品のように整っていた。瞳は深く澄んだ泉のような蒼にも、光に透けた森の翠のようにも見える不思議な色で、レオーネはいつもその優しい眼差しを見ると安心する。
大人のエルフである彼――リゼロンは、まだ十歳のレオーネに比べれば随分と背も高く身体も大きい。それでいて、人間である実父とは違い中性的な彼は、父親であり母親であるといった不思議な感じがした。なんにせよ、この寝台の上にも、家の中にもリゼロンとレオーネしかおらず、確かにここは安全で、何も怖くないのだと信じられる。だから安心して溜息を吐き出した。
ようやく落ち着くと、今度は急に恥ずかしくなってくる。まるで幼子のようにリゼロンに甘えてしまったような。眠る前に、「もう怖くない」と、「俺は大丈夫」と言って、一人で寝るとベッドに入ったのに。きっと、悪夢にうなされる自分を心配して、起こしに来てくれたのだろう。
また、リゼロンに迷惑をかけてしまった。レオーネは急に己が恥ずかしくなって、そそくさとリゼロンの胸から離れた。
「私と添い寝してくれぬのか? レオーネ」
リゼロンが首を傾げる。目を合わせられないまま「俺はもう、大人になるから、一人で寝なきゃ」と答えた。ところが、少し離れただけでまた心細さが背中のほうから這い上がって来る。寒くなんてないはずなのに、全身が冷えていくようだった。リゼロンの胸に抱き寄せられた心地良さが恋しくなった。
「そうか、残念だな。私はそなたに添い寝してほしいぞ。一人で眠るのは寒くて淋しいのだ」
なあ、可愛い子羊よ。私と共に寝てはくれぬか? リゼロンの優しい囁きに、レオーネはしばし考えて、それから彼の胸に飛び込んだ。
「仕方ないな、寂しがりのリゼロンを甘やかしてやらなきゃ」
ぎゅ、と抱きしめると温かくて心地良い。悪夢にうなされた夜に与えられる人肌の優しさは代えがたいものだ。相手が抱き返し、撫でてくれるなら猶更の事。
「ああ、ありがとうレオーネ。そなたのおかげでよく眠れそうだ」
リゼロンはくっくと喉の奥で笑って、レオーネの亜麻色の髪を撫でる。きっと嘘なのだ。優しくて柔らかな嘘は、きっとこの世界に在っていい。そうじゃなければ、ただ誠実であるのが正しいなら、もっと人間は冷たい生き物だろう。
逆に言えば、エルフだというのに嘘をつく。それはリゼロンがどこまでもエルフらしからぬ証でもあった。そしてレオーネは、そんな不思議な彼に惹かれて、信じていたのだ。
「……ねえ、リゼロン」
「なにかな?」
「ずっと一緒にいてくれる?」
「そなたがそれを望み、私にそれができるなら」
「本当? ……でき、そう?」
恐る恐る尋ねると、ふふ、と笑って背中を撫でてくれる。その優しさに母を思い出して、また涙が滲みそうになった。ぎゅ、とリゼロンの上質な服を握っていると、リゼロンが静かに答えた。
「今のところは、できそうだな」
「今のところはって、……じゃあ、いつかいなくなっちゃうかもしれない?」
「時は流れ、世は移ろい、私がエルフで、そなたが人の子である以上は。必ずと約束すれば、私は必ず約束を違えてしまう。故に、そう答えるより他はないだけだ。……とはいえ、本心を言うならば……」
額に、ちゅ、とリゼロンの柔らかな唇が触れた。キスだ。レオーネは、家族にもされているそれをリゼロンにされると、不思議と胸がドキドキして頬が赤らんだ。もっとして欲しい、と思う。甘やかして欲しいと願うのは、子どものすることだからできないけれど……。
そう考えているレオーネの頬を、リゼロンの手のひらが包む。優しい眼差しに覗き込まれて、胸の高鳴りはますます激しくなった。この気持ちは、一体何なのだろう。まだ十歳のレオーネには、何もわからない。
わからないけれど、どうしても、リゼロンと一緒にいたいと感じるのだ。
「私も、そなたと共に在りたいと、心から思っているよ、愛しい子羊」
それは、きっと優しい嘘などではない。きっと本当にそう思ってくれているのだ。眼差し、声音、仕草、全てからそう感じる。レオーネはたまらなくなって、リゼロンの唇にキスをした。一番好きな人にするのだと、本に書いてあったように。
彼は一瞬目を丸くさせて、けれどすぐにまた微笑みを浮かべ、レオーネを抱きしめてくれた。
幸せで、温かくて、満たされていた。不安も、冷たさも何も無くて、レオーネは心から満たされていたのだ。
もう、十二年も前のことだった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募するお話に、真紀ちゃん(攻)視点を追加して、倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる