霧の森のリゼロン

なずとず

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 レオーネは別荘に帰ると、母に今日起こった不思議な出来事を話した。父は貴族達と交流していて忙しそうだったからだ。おっとりとした母のジルベルタはレオーネの話をじっくり聞いてくれて、足元に座ったネイファの頭を撫でてやりながら「きっとそれは、義父様のお友達のかたね」と頷いた。

 聞けば祖父ダヴィードが存命の頃に、我が家へやってきたエルフで、祖父の良き友だったらしい。当時からエルフは人間よりも下の生き物として扱われていた。そんなエルフを友としたことは周りから好奇の目で見られたようだ。

 それからフェルヴォーレ家は「エルフと親しい変わった家」としてあまり良い評価は受けていない。ただ、領民からはエルフとさえ対等なのだから自分達ともそうであるだろうと信頼されているようだった。

 父が若い頃に祖父が亡くなり、リゼロンは新たな領主となった父へ願い出て、あの森に隠れ潜んだらしい。だからざっと20年近くは森に住んでいるのではないだろうか。それは、人との接し方も忘れようというものだ。

 母からも「でも、あの森にそのかたが住んでいることは秘密なの。我が家の大切な秘密。みだりに人に語ってはだめよ」と念を押された。だから「カナンなら話してもいい?」と尋ねる。彼女は少し考えてから、「カナンなら誠実な子だからきっと大丈夫ね。でも大人に聞かれてはいけませんよ」とリゼロンと同じことを言う。

「それと、きっとそのかたにも言われたでしょうけれど、決して名前を口にしてはいけません。これは、お爺様の時から、そのかたとの約束らしいの。わかりましたね」

 レオーネはわかったと頷いて、この茶会にやってきているはずのカナンを探しに行った。






 カナンは少し離れた領地の、年老いた領主の三人目の孫だ。その頃のレオーネにはまだわからなかったけれど、領主というものにも上下関係や派閥が有って、カナンの祖父は一人娘を嫁に出してしまったため跡取りがいない。そこで孫の一人、父方の本家を継ぐ必要もないカナンが祖父の元に送り出されて、跡取りになることが約束されたのだそうだ。

 ところがこのカナンが、とても大人しく臆病で気弱な子だったもので、あまり上手く人と馴染めない。けれどカナンはエルフと親しくしていた。それもあって、同い年のレオーネとは仲良くなれたのだ。

 カナンは案の定庭の隅でベンチに腰掛け、隣に従者のエルフも座らせて読書をしているようだった。グレイがかった黒髪は、前髪が少し長く目に掛かりそうで、余計に暗く気弱そうに見える。長身のエルフが隣にいるものだから、丸まった背中も相まってカナンは本当に小さく映った。

「カナン、カナン」

 レオーネはネイファと共に駆け寄る。カナンは顔を上げ、夜空のような瞳を輝かせた。彼は唯一の友達であるレオーネを見る時だけ、こんな表情をした。

「レオーネ、来てくれたんだね!」

「うん、すごい話が有るんだ。カナンにも聞かせてやりたくて」

 ベンチの隣に腰掛けながら言うと、カナンがキラキラした目で「どんな話?」と尋ねる。ネイファを地面に座らせながら、あのね、と口を開いて、それからカナンの隣にいるエルフに目をやった。

 金の長い髪を結んだ、穏やかなエルフだ。まあ彼らは往々にして穏やかなのだけれど。その中でも彼はエルフらしいエルフで、殆ど自分から何か発言することもなく、じっとカナンの近くにいて、静かに耳を傾けているのだ。そうした従順な姿こそが世界の誰もが知っているエルフだ。リゼロンとはだいぶ違う。

「……このことは、絶対に秘密にして欲しいんだ」

「うん、わかったよ! 秘密にする!」

「特に、大人には話しちゃだめなんだ。だから……」

 このエルフのことはどうしよう。レオーネが考えていると、カナンはそれに気付いたらしい。

「アーシェ。君も秘密にしてくれる?」

 従者のエルフに向かってそう尋ねる。アーシェはゆっくりとした動きで頷いて「仰せのままに」と答えた。そう、これこそがエルフの在り方だ。意思が有るのか、感情が有るのかもよくわからない、嘘をつかない生き物。

 彼らは人間の望みに従順だ。約束は守られる。そうしたものだった。

「アーシェも秘密にしてくれるって! どんなお話?」

 レオーネは一瞬考えて、それからカナンに今日あったできごとを話した。もちろん、リゼロンの名前は口にできず、そこに連れて行くことはできないとも伝えた。カナンは普段大人しくて小さくなっているのが嘘のように、ずっと眼を輝かせて話を聞いてくれる。だから、レオーネは彼を一番の友人だと思っていた。

「すごく素敵な話! アーシェ、エルフって昔はそういう暮らしをしていたの?」

 アーシェは口元に手をやって少々の時間考えてから、小さく頷いた。

「私はエルフの若い世代ですから、そうした暮らしをしていた時間はほとんど無いですが……。確かに、そのかたのおっしゃる通り、私にも時折精霊の存在は感じられます。人に飼われる前、私たちはそうして暮らしていたのかもしれませんね」

 もっと古いエルフなら様々なことを知っているのでしょうが……お力になれず申し訳ありません。

 アーシェはそう深々と詫びる。そんなに謝らなくてもいいのに、とカナンと二人でアーシェを宥めた。

 エルフというのは皆こうだ。過剰に人間を優先するところがある。レオーネもカナンも、そんなエルフを他の人間達と同じように、足蹴にしたり虐げたりする気にはならなかった。彼らは優しく素直な良き隣人なのだから。

「いいなあ、僕も会ってみたいけど……約束なら仕方ないね。もしよかったら、またそのエルフとの話を聞かせてよ」

「うん、もちろんだよ。手紙を送るね」

「本当? ありがとうレオーネ!」

 カナンが本当に嬉しそうに言うものだから、レオーネも胸が温かくなる。そして、高鳴るのだ。

 また、リゼロンに会えるのだ、と。




 それからというもの、レオーネは別荘に来る度リゼロンに会いに行った。

 リゼロンはレオーネと会ううちに、人間が食事や睡眠を必要とすることを思い出したらしい。彼は家の中にレオーネが休めるような部屋を用意してくれて、人が飲める清らかな水と、森の動物達に集めさせた木の実やキノコなどを利用して食事も作ってくれるようになった。それでも、どうしても人用の食事を作るには色々と材料が足りない。だからレオーネは優しい母に頼んで、食材を持参することを許してもらった。

 リゼロンはレオーネにとてもよくしてくれた。レオーネの質問には大抵答えてくれたけれど、彼は「私もよくは覚えていないことが多くてな」とよく口にしてはぐらかした。

 それにリゼロンはレオーネのことを聞きたがった。普段どんな暮らしをしているのかとか、国はどうなっているかとか。レオーネは普段勉強している本や、好きで集めている綺麗な花を押し花にしたものや、こっそり隠していたおやつのクッキーなどを持ってきてリゼロンに見せた。

 リゼロンはそれらを珍しがって興味を持ってくれたし、レオーネの話をずっと微笑んで聞いてくれた。花が好きだと聞いてからは、不思議なことにリゼロンの家の前は花でいっぱいになっていた。

 そしてリゼロンはレオーネをよく撫で、よく抱き上げてくれて、「愛しい子羊」と額に口付けてくれた。それがむずがゆいような、ドキドキするような不思議な感じがして、レオーネはますます彼のことが好きになっていった。

 レオーネはこのできごとにより感じたことの大半を伏せながら、手紙にしたためてカナンに報せた。カナンからはいつも、羨ましそうな返事と共に綺麗な石が送られてきた。カナンは花よりも、綺麗な形や色をした石ころを好んでいるらしい。レオーネはそんな贈り物を大切にしながら、自分も綺麗にできた押し花のしおりや、クッキーをいくつか贈っていた。

 素晴らしい、満ち足りた時間。

 幸せな日々は、幼いレオーネには永遠に続くように思えた。

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