霧の森のリゼロン

なずとず

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 諸々の用事を済ませ、二日ぶりに別荘へと帰って来たレオーネは荷物片手に自室へ戻った。

 そこにはレオーネのベッドでのんびり横たわり、ネイファを撫でてやっているリゼロンの姿が。そのあまりに優雅な光景に、レオーネは一瞬呆れて物も言えなかった。

「……お前、自分が囚われている自覚が有るのか?」

「ん? 虜囚であるからここにいるのであろうに」

「……逃げなくてよかったのか」

「逃げたらそなたが泣いてしまうかもしれぬしなあ」

「…………」

 レオーネが眉を寄せていると、ネイファが激しく尻尾をふりながらレオーネの足元に絡みついてきた。その頭をしばらく撫でてやってから、外で待つように語り掛ける。ネイファは「くぅん」と一つ鳴くと、しかし大人しく部屋の外にいたミカの方へと向かった。

 扉が外からぱたりと閉じられて、部屋には沈黙が落ちる。

「……逃げなかったのなら、俺はお前に責めを与える。それでいいんだな」

「何故それを私に聞く? そなたがしたいのであろう。私はどうしても言えぬと再三答えているのに……」

「答えてもらうさ、必ず」

 レオーネはそう言うと、手荷物の中から一本の小瓶を取り出す。澄んだ青い液体の入ったそれをリゼロンに突き出し、「飲め」と一言。

「……これは?」

「飲めばわかる」

「…………」

 リゼロンは少しの間視線を彷徨わせ、何か考えている様子だった。しかし、ゆっくりとした動きで上体を起こすとレオーネに手を伸ばす。瓶を受け取ると、蓋を開けて迷いなく飲み干した。

「……っ、は、……酷い味だな」

「そうか。俺は試したことが無いからわからないが」

 顔をしかめているリゼロンから空になった小瓶を受け取り、手荷物ごとベッドにどかりと座り込む。あとは薬が効くまでの間、少し待つのだが。部屋がしんと静まり返ると、どうにも落ち着かない心地になった。

「……今日は、私を拘束せぬのか?」

 背後からリゼロンが声をかけてくる。レオーネは彼を見ないまま「縛られたいのか」と返した。「まさか」とリゼロンが笑って、身動きする気配が感じられる。

「……レオーネ。触れても良いか」

「…………」

 返事をしないことでかろうじて肯定した。背中側からゆっくりと、リゼロンが抱きしめて来る。

 彼の煌めく金色の髪が、レオーネの肩からしゅるりと流れた。何日も捕えているのに、彼からはかつてと変わらない花のような香りがして、我知らず心地良さで満たされる。白い手が、愛しげに体を撫でる仕草も、あの時と――十二年前と、一つも変わってはいないように思えた。

 変わってしまったのは自分と、そして関係だけだ。

「……俺が憎くないのか、あんなことを、……これからも責めるのに」

「そなたにそうさせるだけのことを、私はしてしまったのだ。それを憎むのは筋違いであろう……。とはいえ、辛くないわけでもない。そなたこそ、私が嫌がることで傷付いてはおらぬか? すまぬな、流石に……理性だけで反応は止められぬ」

「……っ、何故謝る」

 思わずリゼロンを振り返ると、彼の澄んだ瞳と視線が合った。それは今でさえ変わらず、あの日と同じ深く複雑な青であり、そして優しい色をたたえていた。

「そなたは何も悪くないからだ、レオーネ。もし咎が有るとすれば、それは全て私のもの」

「それはなんだ。どうしてそれを教えてくれない!」

「…………」

 リゼロンはまた口を閉ざす。少し目を逸らそうとするから、その頬に手を添えて逃がさない。顔ごと引き寄せて間近で見つめれば、リゼロンの表情に僅かな揺らぎと、瞳に迷いを垣間見た。

「……そなたと、同じだ」

「何、」

「今更、口にしてもどうにもならぬのに……、口にするのが恐ろしくてたまらない。私はそなたが知るより臆病で弱いエルフなのだ……」

 そう言って彼はまた目を伏せる。そうして逃げようとしているのだ。レオーネは苦しい程のもどかしさに、怒りにも似た苛立ちに、そのままリゼロンの唇を噛みつくように奪った。





 何の拘束も施さずベッドに押し倒す。リゼロンの長い金糸が白いシーツに流れて煌めいた。その頬を手で包み、キスを繰り返す。唇を割り、舌を絡めた。先日の快楽を覚えているのか、リゼロンが逃げようと身を捩るが、それを抑え込んで執拗に口づける。互いの唾液が混ざり合い、呼吸が乱れる。薬を飲んでいないレオーネでさえ、身体に熱が灯るような心地だ。

 んう、とリゼロンが呻いて、レオーネの身体を押しのけようとする。先程まで責めを甘んじて受けるような口ぶりだったのに、抵抗をするのか。レオーネはリゼロンの手首を掴み、それから彼の手に己の手を重ね、指を絡めた。まるで、愛する者同士がそうするように。そのことに、リゼロンは動揺したのかより抵抗を強くした。

 このまま口づけを続けても怪我をするだけだろう。レオーネが一度身を離すと、リゼロンは逃げるように顔を逸らしながら「ならぬ」と口にする。

「このようなことは、し、してはならぬ」

「……よくわからないな、リゼロン。お前は何を、どうして嫌がってる? 教えてくれ」

 問いかけに、リゼロンは瞳を彷徨わせ、それからのろのろと口を開いた。

「そなたは、いずれ人の娘と、婚姻し子を成す。このような……、あ、愛を交わすような真似は、私のようなエルフにすることではない……」

 その言葉にレオーネは軽く目を開いた。薬の効果にも驚いたが、それ以上に口にした内容にも。リゼロンも同じだったようで、はっとレオーネを見つめる。その表情からは動揺の色がありありと見てとれた。

「私、私は何故、」

「そうか……お前が再三、俺が「穢れる」だの、俺の「為にならない」だの言っていたのはそういうことか」

「どうして、私は何故、こんなことを口に出して……っ。れ、レオーネ、そなた……っ」

 私に何を飲ませた。リゼロンの言葉は僅かに震えている。一瞬、それを憐れに感じたけれど、そのような気持ちはすぐにかき消した。今更もう遅いのだ。リゼロンに同情をしたところで、何も変わらない。

「自白剤……のような効果が有ると聞いた。お前たちエルフが、主人に命じられて話せないようなことも口にしてしまうほどだそうだぞ」

 エルフにとって、人間の主の命令は強力なものだ。よほどのことが無ければその誓いは守られ、一度命じられれば何十年でも従うほどだとまで言われている。それを破るほどの効能なのだ。

 そんなものを使われては、リゼロンも流石に隠し事はできなくなるだろう――。

「……っ!」

 その時、リゼロンはこれまでで一番の力で抵抗をした。逃げようとレオーネの手を振りほどき、ベッドから起き上がろうとする。しかしそのままリゼロンの身体はくたりとシーツの海に沈んでしまった。それでももがく身体を引き戻し、元通り仰向けに寝させると、リゼロンの青褪めた表情がよく見えた。

「媚薬の効果も有るらしい。快感に溺れるほど素直になれるそうだぞ」

「い、いや、嫌だ……っ」

 弱弱しくリゼロンが首を振る。けれどもうその瞳は熱に潤み始めていた。力無く逃げようと捩る身体を抑え、その頬をもう一度包む。見据えた瞳は、揺れていた。怯えているような、見たことも無い色で。

「今日こそ全て話してもらう、リゼロン」

 そう囁くと、彼は小さなか弱い声で漏らした。

「い、嫌だ、私を……」

 私を、暴かないでくれ。

 その言葉は虚しく響いた。
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