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15.その歪な笑みが
しおりを挟むイグラシアスは、自分なのに自分ではない少年の目に映る「粛清」を、ただボンヤリと眺めていた。まるで、俯瞰しているかのように。少年は同じ界隈で繰り返し繰り返し、粛清を続けていた。
まるで自動人形のように、雨の日も雪の日も、ただひたすらに、たった一人で粛々と同じことを繰り返す。彼の瞳には、僅かな光もなく、果てしなく深い漆黒だけが存在していた。
「虐待する親」「弱いものを食い物にする人間」「人の痛みをわからない者、知ろうとすらしない者」夜の街にこれだけ沢山の骸が溢れているにも関わらず、街はいつもと同じように、変わらない日々を繰り返していた。
『基樹、お前はこの状況に異常は感じないのか?』
「異常?……さあ。オレは異常者を当たり前のように裁いているだけだ。……ごく普通の事だと思うが」
『同じ街で、毎日数人が死んでいるのに、なぜこの世界の保安部隊は何もしようとしないのか、不思議ではないのか?』
「死んで当然の人間が、死んでいる。ただ、それだけだろう?」
『……いや、もう、いい』
基樹の精神は既に、出会った頃とは別次元に行ってしまっている。わたしが生きていた前世界は、イレギュラーに対して、情け容赦は一切なかった。それは、元々、そうなりにくい社会基盤が出来上がっていたからだ。
だが、転生したこの世界は違う。そんな基盤は存在しない。もちろん、わたしが理解できないシステムであることは間違いないし、理解する必要も感じない。だが、そういった基盤が無いにも関わらず、これだけの粛清を同じ区域、かつ短期間で行っているのに、周りの反応が薄すぎる。
不気味を通り越して――わたしが言うのもおかしな話だが――異常だ。わたしが見ているものは、果たして粛清なのか。もしかすると、これは、ただの虐殺なのではないか。
前世での記憶が脳裏に浮かぶ。わたしが幼かった頃。わたしの生きた世界も、この世界ほど酷くはないにしても、まだ安全で幸せな世界とは言い難い時代があった。
*
わたしは生まれてすぐに父親を亡くした。父親はわたしと同じく、国家の治安維持に務めた軍人だった。あるアンノウンを粛清に向かい、そのまま帰らぬ人となった。
母と2人で、貧しいながらもささやかに暮らしていた。わたしは母がいてさえくれれば、それで十分幸せだった。わたしの世界は基本的には、犯罪は起きない。起きづらい社会だった。そのように秩序が保たれていたのだから。
だから、わたしは運が悪かった。運が悪かったとしか言いようがない。わたしは10歳の頃に母を失った。原因は「インビジブル」というアンノウンの組織によって引き起こされたテロに巻き込まれた。わたしは母によって生かされた。あれだけの爆破テロで、わたしは生き延びた。
母が身を呈して、わたしを守ってくれた。爆破場所からやや離れていたが、爆風で飛散る破片で母の体はズタズタに引き裂かれた。わたしは母がわたしを庇い、死んでいく瞬間を覚えている。そして、守られていたことも。
意識を取り戻し、わたしは人生で最後の涙を流した。何時間泣いていたのか、覚えていない。わたしも怪我をしていたが、命に関わる程ではなかった。落ち着きを取り戻す、……というより理性が戻ったのは数ヶ月先だった。
母の死は、わたしの死と同義だ。その時のわたしは生きる意味さえ完全に失い、考えることすらまともにできない、まさに廃人のような状態だった。
わたしに理性を取り戻させたのは、そのインビジブルのリーダー格の人間が、自分と4、5歳ほどしか変わらない少女だと知った事がきっかけだった。
「怒り」と「恐怖」、そして「驚き」だった。おそらく当時(爆破テロを実行した時)のその少女は15歳ほどだったはずだ。生まれながらにして、識別番号を持たず、人間と認められないアンノウンの少女が、それだけの巨大組織を束ねる存在だと知った時、わたしの中のなにかが音を立てて壊れた。
わたしの「常識」「当たり前としてきた価値観」全てが砂のように体から抜け落ちる、そんな感覚だった。それから数年、わたしは、それまでのわたしとは違う別の生き物になった。
辛く苦しい鍛錬、……だったはずだが、わたしは「頭の中が恐ろしいほどに真っ白」で細かい記憶が無い。ただ、ただ、復讐する事だけを頭に描いていた。それしか覚えていない。
わたしは10年後、おそらく22歳の時、そのインビジブルの頭領である「ラファトゥマ」を追い詰めた。殺そうと思えば殺せた。だが、わたしはラファトゥマを殺さなかった。理性が止めたのではない。もちろん軍人としての矜持がそうさせたのではない。純粋なまでの「憎しみ」だ。
――殺す程度では、わたしは納得できなかった――
ラファトゥマは、わたしを睨みつけ、「殺せ、殺せ!」とまくし立てた。そういったラファトゥマの悲壮感に満ちた顔を見て、ようやくわたしは憑き物が体から失せたという、恍惚に近い感情を感じた。
わたしが殺さなかった事で、死ぬより苦しい状況に身を置かせたいという気持ちが彼女にも伝わったのだろう。彼女は叫ぶのをやめた。
彼女はわたしに向けて、蔑むような、呪うような、なんとも言えない歪な笑みを浮かべていた。
なあ、基樹。
今のお前が時々見せる、その歪な笑みが、
その時の、あの女にそっくりなんだよ。
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