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Side Story 7: レーダーⅡ

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「あの突然すみません、渡辺隆道さん、ですよね?」


教員試験と並行して、念のため(でも適当にぼちぼち)にやってる就職活動。

とある会社を訪問した後、たくさんの人々が行き交う上野駅前で信号待ちをしていた時、

そう、突然声を掛けられた。―――男、二人組に。



誰だ、コイツら?

年齢は同じくらい。

俺と同じくスーツを身に纏う・・・明らかにコイツらの方が高級だけど。


そして、髪型とかからして、同じ就職活動中とも思えない。

俺の名前を持ち出すとか、明らかに怪しい。


俺はそいつらを無視して、信号が青に変わると同時に歩き出した。

でもそいつらは、俺と並行して歩いてくる。

しつこい!




「あの、俺たちがすごーく怪しく見えるのは重々承知なんですけど、他の方法も充分怪しく見えるから、もう直接事情をお話しして、正直にお願いしてみよう、ってことになって」


は?

お願い?


ちょっとは気になったものの、俺が歩く速度を変えるわけもなく。

上野駅のホームを目掛け、ただひたすら、わき目も降らず直進する。



「あの、野崎、って覚えてますか?T大の」


え?

思わず、その名前に反応してしまった。



「あぁ、覚えてくれてたんだ。よかった。俺達、野崎の親友なんです」

俺は足を止めた。



「その野崎くんの親友さんたちが、俺に何の用です?」

「立ち話もなんなんで、どっかその辺の店に入りませんか?」



一瞬躊躇したけど、そこにある交番横のオープンカフェなら簡単に逃げることもできるな、と踏んだ。

なんか、すごく気になったから。

―――明らかにムリをしてる、美也ちゃんの事もあるし。



「じゃ、そこのカフェで。でももし怪しい話だったら、すぐ退散しますからね」

「もちろんですよ」


俺たちはドア近くの、オープン席に座った。

「ホットとアイス、どちらがいいですか?」

「じゃ、アイスで」

「了解です」


二人のうちの一人がカウンターまで注文しに行く。

残った一人は、はたまた高級そうな名刺入れから名刺を1枚取り出し、俺の前に置いた。


「坂上といいます。野崎とはT大の同級生で、一緒に会社をやってる仲間。いま注文に行ってるのは三木下。同じくT大で仕事仲間。戻ってきたら三木下の名刺も渡しますね」


坂上というその人の名刺には「副社長」の文字。

なんかすごいな・・・ま、ホンモノだったらだけど。


と、そこでちょうど三木下という人が、アイスコーヒーを3つ持って戻ってきた。

「三木下です。よろしく」


この人の名刺には「専務取締役」の文字。

まぁたしかにあの時、野崎くんも仕事してるって言ってたよな・・・T大にも行ってて。



「で、野崎くんの肩書はなんなんですか?」

「「社長」ですよ、ウチの」

「え?」

「アイツにぴったりでしょ?」


まぁ言われてみれば納得・・・なような気もする。

むしろ、他の肩書は想像がつかない。

なんか、オーラが「普通」じゃなかったもんな、野崎くんって。




「で・・・俺に何の用ですか?なんで俺のこと知ってるんですか?」

「それは野崎が以前、渡辺君の名前を出してたからですよ。あと等々力君と飯塚さんの名前も・・・美也ちゃんのK大の仲間として」


「でも俺、野崎くんとは一度しか面識ないんですけど」

「うん、それも知ってます。1月末の、最終試験の後、ですよね?勝手に飲み会にお邪魔したとか」



そこまで知ってるとなると・・・この人たちはたしかに野崎くんと親しいのかな、と思えてくる。

でも、まだ怪しい。

探偵でも使って調べれば、誰にでも簡単にわかることだ。

それに、目的はなんだ?



「あの、どうやってあなたたちを信用していいかわからないんですけど?」

「そうですよね・・・まぁとりあえず、僕たちの話を聞いてもらえますか?」

「それを聞いても、あなたたちの「お願い」を俺が聞くかどうかはわかりませんよ?」

「それでいいです、な?坂上?」

そう三木下という人が言うと、坂上という人は頷いて、話し始めた。



「渡辺君は、野崎と美也ちゃんが付き合ってたのは知ってますよね?」

「まぁ・・・その飲み会の時に聞きましたけど」


「あの直後に、二人は別れたんですよ」

「あぁ・・・そうなんですね」


「知らなかったんですか?」

「聞いてないですよ」



え?!

二人は目の前で、明らかに驚愕していた。



「そういう話、仲間内でしないんですか?」

「しませんね」

「どうして?」

「する必要がないからじゃないですか?それに誰しも、他人に聞かれたくない話はあるでしょう?そこをムリに突っ込むようなことは、俺達はしませんよ」


「でも、等々力君と飯塚さんは付き合ってますよね?」

「だから?」


「いや、なんていうか―――男女2人ずつの4人組で、その中にカップルがいたら・・・普通にそういう話題になるかなって―――なんとなく」

「それに―――渡辺君は、美也ちゃんと野崎のこと、特に気になってるんじゃないかと・・・なんとなく」



うーん。

そこで、坂上さんと三木下さんは顔を見合わせた。

そして、三木下さんが俺に向かっていった。



「ま、率直に言いますね」

「はい」


「あの二人は、別れたくて別れたんじゃないんですよ」

ん、そう、だろうな。



あの夜、明らかに野崎くんは、別れるつもりはなかった。

美也ちゃんだって、まだ好きだから、あんなに辛そうなんだろうし。




「少なくとも野崎は相当苦しんでるし、美也ちゃんは野崎以上に、もっと苦しんでると、僕らは想像してます」

「じゃ、野崎くんが頑張ればよかったじゃないですか。美也ちゃんを離さなければよかったんだ」


「野崎はそうしようとしてましたよ。でも俺たちが止めました」

「なぜ?」

「事があまりに複雑で、いま野崎がどうこうしようとしたところで、どうにもならないから」


それを聞いて―――怒りが止めどもなく俺の中で湧き上がる。

俺はテーブルを叩いて立ち上がった。

アイスコーヒーのグラスが、ぐらぐらと揺れる。



「そんなこと誰にもわかるわけないだろ!あんた達、何やってんだよ!邪魔すんなよ!」

「渡辺君が俺たちに怒るのもわかるよ。普通だったらそう思うのは当然だ。でも、美也ちゃんが抱えているのは、そんなレベルのモノじゃない」

「美也ちゃんの覚悟は、そう簡単に変えられるものじゃないんですよ―――渡辺君、美也ちゃんのお家のこと、聞いてますか?」


そうだ。俺は美也ちゃんから、彼女自身のことは何も聞いていない。

俺は静かに椅子に座り直した。


「・・・いや、知らないですけど」

「僕たちもほとんど知らないですよ。野崎さえもすべてを知ってるわけじゃない。でも、ほんの一部を聞いただけでも堪えられないような話です」

「・・・」



そこで、言葉に詰まった三木下さんに代わり、坂上さんが話を続けた。


「俺達ね、野崎に約束したんですよ・・・「お前に準備が出来た時、俺達が絶対に美也ちゃんに会わせてやる。どんな手段を使っても」ってね。アイツはいま、その言葉を支えに、必死に頑張ってくれてると思う」

「あぁ」


「俺たちはね、野崎にもう一度、いつかチャンスを与えてやりたいんですよ。いや・・・野崎だけじゃなくて、美也ちゃんにも」

「・・・」


「これで―――ちょっとは俺たちのこと、信用してもらえたかな?」




「―――どうやって、二人をまた引き合わせるつもりなんですか?」

「どうやって引き合わせるかは、その時が来たら考えるけど・・・今はね、レーダー張っておきたいんだ」

「レーダー?」


「美也ちゃんの行方を、常に把握しておきたんだけど・・・これがなかなか難しいってことがわかってね」

「どうして?」


「美也ちゃん、頻繁に海外に飛ぶでしょう?」

「あぁ・・・休暇中、ほとんど日本にいないもんな。おまけにアイツいつも、行き当たりばったりの一人旅だし」


「そう。それに、家族や親戚と会ってる様子もないから、そこから追うこともできない。バイトはほぼクローズド状態でほぼ一人でやってるし、サークルなんかにも参加してない」

「・・・」

「だから、調査会社に匙投げられてね」





「それに、俺たちが思うに―――今後美也ちゃんは日本に戻ってこない可能性があると思う。おまけに彼女は一人で考えて行動するから、予測も難しいし、一度見失ったら探すのが困難になる」

「・・・」


「だから今のうちに、K大にいるうちに、ほんの一握りしかいない彼女と親交のある人たちに、協力を頼むしかないと踏んでね・・・渡辺君とか」

「・・・」

「これが俺たちが渡辺君にお願いしたいこと。―――協力してくれないかな」



言ってることはわかる―――気がする。

だけど、そんなことをしたら、

ものすごい背徳感、罪悪感を感じざるを得ない・・・美也ちゃんに対して。


でも。

もしこれを俺が受ければ・・・

美也ちゃんは後々、救われるのだろうか?

あんな辛そうな表情を、しなくて済むようになるんだろうか?



―――わからない。




「正直、美也ちゃんに内緒でこういうことするのは―――気が進まない」

「わかるよ。でも、他の手段を全て洗ったうえで、こうやって渡辺君に頼んでること、わかってほしい」



「この話、他の人にもしたんですか?」

「いや、渡辺君が初めて」

「等々力と沙紀ちゃんには?」


「渡辺君がこれを受けてくれるんであれば、彼らにお願いする必要はないよ。他の人にもね」

「・・・」

「というか俺たちはむしろ―――渡辺君だけに是非、お願いしたいんだ。野崎の手前、事を大げさにしたくないし」



いままでの話の流れで、

野崎くんと美也ちゃんを想う、彼らの熱意は充分伝わってきた。


でも、

「俺だけに是非」?


そして同時にふと。

さっき2人が顔を見合わせた瞬間が脳裏をよぎる。




「もしかしてこれって・・・俺に釘さす意味もあります?」

「「・・・」」


「正直に言って下さい。この件で嘘や隠し事はなしですよ。少しでもそういうのを感じたら、この話はなしです」



すると二人は・・・困ったように笑った。


「全くないとは言わないよ」

「なるほどね」



「でも、これから先、もし美也ちゃんが渡辺君を選ぶことがあったら、それはそれでいいと思う」

「それは・・・ちょっと信用できないな。ここまで野崎くんのこと考えて大掛かりなことしておいて」



普通に考えたら。


当然、野崎くんサイドであるこの二人は―――

俺でなくとも、もし美也ちゃんが野崎くん以外の人と付き合うことになりそうだったら、

潰しにかかるだろう。

―――野崎くんのために。



「さっきも言った通り、俺たちは野崎にもう一度、必ずチャンスをやる―――どんなことをしても。その時仮に、美也ちゃんと渡辺君が付き合ってたとしても、ね」

「・・・」


「その時野崎は・・・今度こそは絶対に美也ちゃんを捕まえる。美也ちゃんに彼氏がいようがなんだろうが―――って、俺たちは信じてる。でもそれでも美也ちゃんが、そんな野崎を越えて渡辺君を選ぶんだったら、野崎が渡辺君に敵わなかったってことだ。だからそれでいいと思う」

「俺たちは野崎に、もう一度チャンスを与えてやりたいだけなんだ―――たとえアイツが望む結果が得られなかったとしても」



くく。



「・・・渡辺君?」


「それ、本気で言ってます?」

「もちろん本気だよ。俺たちは美也ちゃんの意志を尊重するよ」

「その時は野崎も納得するだろうし、そこまで立ち入る権利は俺達にはないよ―――そんなことしたって意味ないし」



「でも、俺からすれば、それってある意味、脅迫?いや、忠告?に聞こえるんだけど?くく」

「脅迫?」「忠告?」「「なんで?」」



「だってそうでしょう?―――ま、それを自分で言っちゃったら、俺が自己嫌悪に陥るだけだな。くく」

「言ってみてよ。俺たち、意味わかってないよ」



「ん―――、じゃ、こう言っておきますよ・・・坂上さんたちが野崎くんにチャンスを与えて、その時もし彼が成功しなかったら、美也ちゃんの骨は俺が拾いますよ」



意味、通じたかな?

ま、どっちでもいいけど。



「それ、考えすぎじゃないかな?どうせ恋愛なんて、理性でコントロールできるようなもんじゃないんだし」

「俺もそう思う。ただ―――将来的には必ず、野崎が美也ちゃんの前に現れる、ってことだけ覚えててくれれば・・・俺たちは渡辺君の邪魔をしたりしないよ」

「それに、先のことは誰にもわからない―――こればっかりは俺達にはどうしようもないよ」



「アンタたち、いい人なんだかそうじゃないんだか分かんないよな・・・くく。でも」

「?」

「忠告には感謝しますよ」




ま、仮に。

ここで、いや、しばらく経って、美也ちゃんが多少落ち着いたとして。

俺が美也ちゃんと付き合ったとして。


そこに、野崎くんが現れるとか・・・ありえないだろ。


そんな、明らかに絶望的な未来を選ぶほど、俺は馬鹿じゃない。


それに、そんなことになったら。

俺たちがいままで築いてきたものが―――全て壊れる。




「ま、渡辺君は野崎と違って、美也ちゃんだけってわけじゃないだろうしさ」

「俺、こうみえても結構モテるんで」

「だよね?わかるよ。あはは」



この二人、

本当に野崎くんのこと、わかってるよな。



「―――野崎くんは」

「ん?」

「今後、心変わりすることはないのかな。離れてたらそうなってもおかしくないと思うし・・・男なんだし」



「俺はないと思う。三木下はどう思う?」

「俺もないと思うな・・・アイツ、すごく純粋だし、美也ちゃんしか見えてないし―――だからこそ俺たちも、ここまで出来るんだし」

「ん、おまけに今は、吉田も付いてるし」

「吉田?」



「あぁ、吉田は野崎の秘書。俺たちの後輩の男なんだけど、野崎のこと崇拝してて、野崎に近づく変なオンナを片っ端から排除してるすげぇヤツ。くく」

「あははは」



「実は俺達、美也ちゃんに一度も会ったことないんだけどさ」

「え?」


「野崎が会わせてくれなかったんだよ。あはは。でもさ」

「?」


「わかるんだよなぁ・・・美也ちゃんが、野崎のことすごく大切にしてるのが―――野崎を見てると」

「うん、美也ちゃん絶対に、超多忙の野崎の負担になるようなこと、しなかったもんなぁ」

「同じく超多忙な俺に纏わりつく、そこら辺の奴らとは大違いだよなぁ。あはは。ね、美也ちゃんって、渡辺君から見てもそういう感じ?」



俺はしばし考えて・・・こう言った。

「まぁ・・・周りのことよく見てて、周りの人間の幸せのために行動できる人だと思いますよ」

だからいま、等々力と沙紀ちゃんが、うまく行ってるんだから。



「そっか・・・そうだよね。じゃなかったら、美也ちゃんは野崎に別れを切り出したりしないよね」

「あぁ・・・やっぱり美也ちゃんは、野崎のために身を引いたんだな」

「美也ちゃんは、自分の幸せより、野崎の幸せを望んだんだよ・・・」



その言葉を聞いて、俺はこの二人を信用してもいいんじゃないか、と感じた。

会ったこともない美也ちゃんのことを、ちゃんと理解しようとしてくれている。


だから、こう言った。



「これは、俺の勝手な見解ですけどね」

「「ん」」

「美也ちゃんはこれからもずっと、野崎くんを想っていくと思いますよ―――その気持ちは、これから何があっても変わらないんじゃないかな」





「―――渡辺君」

「はい?」

「そしたら、協力してくれる?」




「―――なにをすればいいんですか?」




「彼女の居場所が変わるとき、わかる範囲で俺たちに知らせてくれれば」

え?

「それだけ?」



「あとはできれば・・・彼氏ができそうとか、結婚しそう、とか?」

「それは直近ではありえないでしょ」


「でも可能性がないわけじゃない」

「あったとしても、美也ちゃんは俺には言わないですよ。野崎くんのことさえ言わなかったんだから」

「そっか。でも、なんか怪しいとかあったら知らせて?こっちで調べるからさ」


「たしかに・・・野崎くんと付き合ってるときは挙動不審だったからな。あはは」

「あと、渡辺君と付き合うことになった時も、ちゃんと知らせてよ?」



はぁ。

俺は静かに溜息を吐いた。


ここまで言われて、

美也ちゃんの野崎くんへの想いを、再度確信させられて、

野崎くんも同じで、

この二人はまだ、それを俺に言うのか?


この二人、T大だと言ってたけど、馬鹿なのか?


この状況で、あえて美也ちゃんにぶつかっていく男がいるなら、

逆に教えてくれ。




「だからさっきも言いましたよね?俺はないですよ―――少なくとも野崎くんが敗北するまでは」

「ま、渡辺君が勝利を収めた暁には、悔しいけど、陰で祝うか・・・な、三木下?」

「ごめん・・・俺はムリかも」



―――ったく、なんなんだかな、この人たちは。


まぁ、でも。

この二人がそこまでしたくなるくらい、野崎くんは美也ちゃんのことを想っているのだろう。


そして、野崎くんにとっての明るい未来を―――この二人は信じてる。



「・・・で? これって、野崎くんには内緒なんですよね?」

「あぁ。俺たちが渡辺君と繋がってるなんて、思ってもみないだろうね」

「ちなみに二人は・・・野崎くんと同い年?」


「うん、そうだけど」

「じゃ、俺の方が年上だ」

「え?」


「俺、一浪していま大学4年だからさ。もう敬語、いらないね」

「うわ、俺たちが敬語ちゃんと使わないと・・・」

「それはいいよ。でも万が一・・・」

「ん?」



「野崎くんがどこかの時点で美也ちゃんのこと諦めたらさ、ちゃんと俺に知らせてよ」

「「・・・」」

「それが、これを引き受ける条件だ」



すると。



「ん―――それはまっとうな条件だな。約束する」

「そうだね・・・ま、起こらないとは思うけど―――」


「くく。じゃ、そういうことで」




******************************


それから、約7年。



俺は美也ちゃんが旅に出るたび、そして、修士課程と博士課程に進学した際、彼らにメッセージを送ってきた。

でも、その間、

彼らから、野崎くんが美也ちゃんを諦めた、という報告は一切なかった。




そして。

美也ちゃんが博士号を取得し、いよいよ、遂にもう、彼女が日本にいる「理由」が全くなくなった時。

俺はもう、美也ちゃんはこのまま、日本に戻ってこないんじゃないか、と感じていた。


そしてまだ、野崎くんが動く、という話も出ていなかった。



だから俺は―――


もしかしたら、これが、

俺に与えられた最後のチャンスなのかもしれない。


そう感じて、

どう、俺が動くべきなのか、どう、美也ちゃんを説得すればいいのか、

しばらく考えあぐねていた。



でも。


今回も美也ちゃんは沙紀ちゃんのアパートを残したまま、いつものように俺に合鍵を渡したから、

そのまま彼らにそう、メッセージで伝えた。


俺はホッとしていた。

俺には―――答えを出せなかったから。




すると珍しく、坂上くんから電話がかかってきた。



「あのさ」

「うん」


「俺も三木下も、もう野崎は充分やったと思ってるんだ」

「会社の方は順調なの?」


「あぁ、怖いくらい。この7年俺達、野崎の本当の凄さを見せつけられっぱなしでさ―――アイツ、本当に凄いよ。俺の予想を遥かに超えた」

「そっか」


「だからもうアイツ、充分美也ちゃんを迎えにゆく資格があると思うんだよ」

「じゃ、いよいよ・・・?」

「あぁ」



「まぁ・・・美也ちゃんに彼氏ができそうな気配は一向にないから、いますぐ焦る必要もないと思うけど」

「それはこっちもそうなんだけどさ、あはは」



「でも、メッセージにも書いたけど、今回も美也ちゃんまた、ユーゴの後はノープランなんだよ。仕事の予定までは俺にはわからないし」

「ん、マジで恩に着る。あとはタイミング見て、野崎と話すから」



「また居場所の連絡きたら知らせるけど・・・ちゃんと結果、知らせてくれよな?」

「わかってる」



「な、坂上くん」

「ん?」


「やっぱ、二人の予想通り・・・野崎くんはこの7年、美也ちゃんを諦めなかったんだね」

「・・・あぁ・・・野崎は諦めなかったよ―――」




そして、それからしばらく経って。

野崎くんが美也ちゃんの描いた絵を偶然新聞で見つけて、居場所がロンドンだってわかって、
もうすぐ美也ちゃんを捕まえにロンドンに旅立つと、坂上君から連絡があった。


美和ちゃんが絵を描くなんて―――俺は聞いたこともなかった。

それも、新聞に載るくらいの絵。


どんな絵を、美也ちゃんは描いているのだろうか。




「野崎くん、どうしてる?」

「美也ちゃんを捕まえることしか考えてないよ。仕事そっちのけ」


「ならきっと、うまくいくな・・・」

「渡辺君にはいままでホントに世話になったのに、無駄足になっちゃったな・・・」

「無駄足になってむしろよかったよ―――これで俺の罪悪感も消えるしさ」



「渡辺君―――大丈夫?」

「・・・大丈夫、って、なにが?」

「・・・」




「渡辺君さ―――」

「ん?」



「もし数学教師に飽きたら、ウチの会社に来なよ」

「なんで?」

「統計学出来る人、すげぇ必要だから。それに統計ができるってことはコンピュータもお手の物なんだろ?」


「絶対に行かないから安心して。あはは」

「なんでだよ?」

「みんなの―――特に、野崎くんの凄さ、目の当たりにしたくないからさ。くく」


「―――ま、そんなこと言わずに、心のどこかに留めといてよ。待ってるから」

「―――ないよ、絶対に」

俺は迷わず、そう言い切った。




そしてその後すぐ―――二人がうまくいったと、三木下くんから報告があった。


「そっか・・・とうとう」

「美也ちゃん、こっちには1月上旬まで戻れないらしくて、野崎もそれまであっちにいるって」


「・・・二人の幸せな表情が目に浮かぶな」

「渡辺君・・・」


「報告ありがとう。約束ちゃんと守ってくれて感謝してる」

「・・・」


「これで、とうとう、本当に、一区切り着いたな・・・」





「・・・出会いが必要だったらいつでも言って?俺の彼女の友達とか、たくさんいるからさ」

「だから前にも言ったよね?俺、こう見えてモテるんだって。あはは」

「モテるのは知ってるよ、でも渡辺君、この7年―――「三木下君」」





「なんていうか、さ・・・こういうのって、美人だからとかいいコだからとか、そういうの関係ないよね」


「好きな人はもう最初から理屈抜きで好きでさ、頑張って好きになるもんじゃないんだよな」


「この7年で、それが心底わかったよ」

「・・・」



「あの二人はさ―――それをちゃんと、わかってるんだよ」





今度、美也ちゃんが日本に戻ってきたら―――

ついに、今度こそ、

沙紀ちゃんから受け継いだあのアパートを、7年の月日を経て、引き払うんだろう。



そして、次、美也ちゃんに会う時―――

預かってる合鍵を返して、それで俺の役割は終わるんだろう。



―――それでもう、美也ちゃんと会うことも、ないのかもしれない。

というか・・・

俺が直接彼女に向き合える、自信はない。





「坂上も言ってたんだけど・・・これからも連絡取りあおうよ?飲みに行こう?」

「ん―――遠慮しとく」

「どうして?」


「このレーダーのことはもう、忘れてもらえないかな?せっかくハッピーエンドで終わったんだしさ」

「・・・」

「俺も、忘れるから―――全部。三木下くんと坂上くんのことも、俺がやったことも、俺の気持ちも、全部」





それから数日が経ち。


徒歩通勤の俺は、数学準備室からまっすぐ、てくてくと正門へ向かう。

照明で照らされたグラウンドでは生徒たちが、黙々とサッカーの練習をしていた。




すると。

正門を出たところで、一台の車。

そしてその脇には・・・坂上くんと、三木下くん。



はぁ。



当然、無視することも出来ず、俺は近寄って、冷静に言った。

「どうしたの?こんなところで」


「ちょっと・・・話したいんだ。渡辺君と」

「俺はもう話すことないよ。言ったよね?全部忘れてくれって」

「・・・とりあえずここじゃ寒いし、車に乗ってよ?」



「だからもういいんだって。俺、仕事で疲れてるし、家に戻るから・・・じゃ」

「渡辺君!」


「なに?」

「俺達、野崎にレーダーのこと言うつもりだから」


「なんのために?」

「俺達、渡辺君がこの7年間にしてくれたこと、野崎にちゃんと知っておいてもらいたいんだ」


は?

何言ってんだ、この二人は。


「二人とも、意味がわからないよ。そんなことして何になるんだよ?」

「「・・・」」



「俺が美也ちゃんのこと好きなのにも関わらず、野崎くんのハッピーエンドに陰で協力してたとか、そういうことを言いたいわけ?」


「そういう恩着せがましいの、いらないんだけど」


「すげぇくだらねぇ・・・二人とも、もっと賢いと思ってたよ」



俺が半ば呆れて、怒ったようにそういうと・・・

三木下君がいきなり頭を下げた。



「渡辺君―――本当にごめん!」


それとほぼ同時に、坂上くんも頭を下げた。


「渡辺君・・・俺達、どうやって君に謝っていいか、わからない・・・俺たちはさ、渡辺君の美也ちゃんへの気持ちをちゃんとわかってなかった―――本当にごめん!」



「7年前、俺たちは・・・渡辺君がそこまで美也ちゃんのことを好きだとは思ってなかったんだよ・・・言い訳にしか聞こえないかもしれないけど」

「渡辺君がこの7年彼女を作らなかったのは、野崎が諦めるのを待ってたからなんだろ?」

「いまのいままで、それに気づけなくて・・・本当にごめん・・・」



そんな、必死に俺に謝り続ける二人にあっけにとられ、ちょっと間が空いて・・・



あはは。


俺が笑うと、二人は驚いて顔を上げた。



俺は―――

これはもう、正直に言うしかないと思った。




「あの時―――上野で初めて二人にこの話をされた時さ」

「「ん」」


「俺は、いつか野崎くんが美也ちゃんの前に現れる、ってわかってたとしても、自分の気持ちに正直になって、美也ちゃんにぶつかるべきだったんだよ」

「「・・・」」



「あの時は誰にもわからなかったけど、結果的に俺には7年あった。その間、いつでも、いくらでもそうすることはできた」


「でも、俺はそうしなかった」


「俺はもう最初から、完全に負けてんだよ―――野崎くんに」

「「・・・」」





「だからさ―――、本当にこのレーダーの事は忘れて?彼らには一生絶対に言わないでくれよ?」

「どうして?」

「そんなことできないよ・・・」



はぁ。


あと何回、自分の口から零れ落ちる言葉に、自分自身が傷つけばいいんだ?

そんな自分が嫌になる。


でも。


美也ちゃんと野崎くんの未来が確定した今、

俺にはもう、

これしか残されていない。



「あのさ、二人が俺のこと、少しでも考えてくれるなら―――このこと、二人には一生黙ってて」

「「・・・」」


「そんで・・・このまま、美也ちゃんの友達でいられるチャンスを、俺にくれないかな?」




***************************


そして、それからまた月日が経ち。

2月上旬のある日。

美也ちゃんから連絡が来た――― 日本に戻ってきたから、「蓮」で久しぶりに飲もうよ?と。



とうとう、この日がやってきたか。

俺は、預かっていた合鍵をポケットに忍ばせ、「蓮」に向かった。



正直俺はその時、野崎くんも一緒だと予想していた。

二人の幸せそうな姿を目の当たりにする覚悟をして、「蓮」に向かっていた。


でも、席にいたのは美也ちゃんだけだった。



「渡辺くん、久しぶり。換気してくれてありがとうね」

「あぁ、大したことじゃないよ。もう慣れてるしご近所だしさ。くく。それより元気そうでよかった」

「うん・・・あのね」



あぁ、とうとう、くるのか。

いま自分が、どんな表情をしてるのか、

想像するのも辛い。



「沙紀ちゃんのアパート、今月で解約することにしたの」


はぁ―――。


「そっか。どこに引っ越すの?」



まただ。


自らの口から自動的に流れる言葉に、自分で傷ついてどうするよ?

答えなんか、わかりきってるのに。



「渡辺くん・・・野崎くんって覚えてる?」



ほら来た。

なんて予想通りの展開・・・



「そりゃ覚えてるよ・・・彼が突然大学に現れたときは衝撃的だったからね。はは」



「彼ね・・・ロンドンまで私を迎えに来てくれたの」

「あぁ・・・じゃ、一緒に住むの?」

「うん」



「よかったね。彼の粘り勝ちだね」



俺は―――

必死で美也ちゃんに笑顔を向けようとした。

彼女が、嬉しそうに微笑んでると思ったから。


そして、これが―――最後だと思ったから。



でも。




「・・・」


「なんで黙ってるの?嬉しくないの?」

「―――そうじゃなくて」


「どうした?」



幸せなはずの美也ちゃんが、なぜ今俺の目の前で、こんなに辛そうな表情をしてるんだ?


理由が全くわからず、俺は戸惑いを隠せない。

これは―――完全に予想外の展開だ。



「等々力達にも誰にも言わないからさ、なんかあるなら言ってよ?」



すると。

意を決したように、でも、弱弱しい声で、美和ちゃんが話し始めた。



「・・・私ね・・・ずっと渡辺くんに言えなかったことがあって・・・等々力君にも沙紀ちゃんにも」

「うん」



「―――私、ずっと一人だったの。もしかしたら気づいてたかもしれないけど」

「・・・」

「高校1年の秋からね・・・ずっと一人だったの。唯一の味方だった兄も亡くなってしまって・・・家族も、頼れる人もいなくて・・・」

「・・・」



「でもね・・・大学に入って、みんなに会えて・・・特に渡辺くんにはいままでたくさん支えてもらって・・・」

「・・・」


「本当に、いつもいつも心の中で感謝してた。みんなが・・・渡辺くんがいてくれたから、ここまで頑張って、生きてこられたの」

「美也ちゃん・・・」



「―――いままで、本当にありがとう」

「・・・」

「いままで言えなくて、本当にごめんなさい・・・でも、これからもずっと、友達でいてくれる?」



自信なさげに、そう俺に問う美也ちゃん。



正直。


坂上君達に出会う、もっと前から、なんか事情があるんだろうとは感じていたものの、

美也ちゃんの口からそれを直接聞くと、かなりの衝撃で。

おまけにそれは、美也ちゃんの抱えている全体のうちの、ほんの一部分でしかない事は明らかで。


それで―――

俺の中にあったもやもやしたものは、一気にぶっ飛んでしまった。


だから、俺ははっきり言った。

「―――あたりまえだろ?何言ってんだよ?っつーかさ、俺が泣かせてるみたいだから、泣き止んでくれる?」




とは言ったものの。

美也ちゃんの涙は全然止まらなくて。



店の人にも、客にも、変な視線、向けられてるし。




はぁ。

どうすれば泣き止んでくれるんだろう?




すると―――





「こんなことになるんじゃないかと思ってたよ・・・」



そこに立っていたのは・・・ラフな格好の野崎くんだった。



「渡辺くん、久しぶりだね」

そう言って彼は、美也ちゃんの隣に腰を下ろした。



「いや・・・美也が渡辺くんにずっと言えなかったこと話すって言って出てったからさ―――邪魔するつもりはなかったんだけど」

「野崎くん、この状況なんとかしてよ?周りの視線がすげぇ痛いんだけど・・・」


「ま、俺と渡辺くん二人で耐えれば大丈夫でしょ?くく」



美也ちゃんを気遣って、背中を撫で続ける野崎くんだけど―――

この場面で笑ってそう言えるって・・・なんか、余裕だよな。


そして美也ちゃんは未だ、

ただ俯いて、ただ無言で、ハンカチを握りしめたまま、そこにいる。


だから野崎くんは―――

普通に俺に話し始めた。



「渡辺くん、付属校の数学の先生なんだって?」

「ん、うまく入り込めてさ」

「仕事、楽しい?」


「楽しいよ。俺、教師に向いてるみたい。生徒も可愛いし、保護者受けもいいし・・・でもこんな時、どう美也ちゃんをあやしたらいいかはわからないんだけどさ。あはは。野崎くんは?仕事どう?」


「そうだなぁ・・・仕事が楽しいっていうより、仲間と一緒にやってるから楽しいっていうか」


そうだよな。

あの坂上君と三木下君と・・・野崎くんを崇拝してる吉田君と仕事してるんだもんな。



「大事だよね、仲間って」

「ん・・・美也にとってそれは、渡辺くんたちだよ」

「・・・」


「美也をずっと支えてくれて、ありがとう」


「俺にはそれができなかったから―――この7年」


「渡辺くんにはすごく感謝してる―――たぶん、美也と同じくらい。感謝しきれないくらい」




野崎くんは・・・俺の気持ちに、少しでも気づいているのだろうか。

たぶん、いや確実に―――気づいてるんだろう。

7年前に、初めて野崎くんに会った、その日から。


こんなに美也ちゃんのことが好きなのに、

気づかないはずがない―――。



それでも、野崎くんは。

こういう風に物事を、人を、まっすぐに見ることができて、

それを素直に言葉にできる・・・


なんていうか―――

野崎くんの器の大きさにも、この素直さにも、もうどうやったって太刀打ちできない自分がここにいる。




「あの―――野崎くんさ、ひとつ聞いていい?美也ちゃんの前では言いにくいことかもしれないけど」

「なに?」


「この7年、どういう想いで生きてきたの?」

「・・・それは、美也のこと?」

「それも含めて、7年全部」


「―――すごく、大変だったよ、俺なりに」

「・・・」

「仕事も気が狂いそうなくらい忙しかったし、一番忙しい時期に大学もあったし、なにより、美也が傍にいないのに俺、ここでなにやってんだろうって、柄にもなくすごく空しくなっちゃったりしてさ」



「でも、7年前、美也と別れた直後に、仲間が俺に希望を与えてくれてたから頑張れた」


「それがなかったら、俺とっくに死んでたよ。あはは」


「でももう今は傍に美也がいるから、その7年は帳消しだね」




「そっか―――よかったね、野崎くん」



俺は心の底から、本心でそう言った。

レーダーのことも、坂上君たちに口止めしておいてよかったと、本当に思った。


なんとか―――、美也ちゃんとの友人関係は繋げそうだし。

まぁ・・・美也ちゃんに直接会うことは、今後もう、ないかもしれないけれど。


―――最後に、二人が一緒の姿を見ることができて、よかった。





「渡辺くん」

「ん?」

「これからもたまには、こうやって飲もうよ?」



坂上君と三木下君の、同じ誘いを迷いなく断った俺。

それを、野崎くんが言うのか・・・それも美也ちゃんの前で。


皮肉、って、こういうことを言うんだな。



すぐに返事をしない俺を、野崎くんがじっと見つめる。

その瞳から・・・


あぁ、やっぱり野崎くんには俺の気持ちがバレてるんだ。

そう、感じた。



でも、野崎くんが俺にそう言ったのは、俺を牽制したいとか、そういう低レベルな理由じゃない。

それは、確信できる。



彼は、

俺が今日ここで二人と別れたら、

もう俺が、美也ちゃんに直接会おうとしないことに、気づいているんだ。


きっと彼は。


自分にとって仲間が、かけがえのない、大切なものだから、

同じように、

大切な美也ちゃんの仲間を、まるごと、

大切にしたいだけなんだ。



はぁ。

なんか、もう、本当に、

野崎くんには―――完敗だな。


そう思ったら―――


くく。


なんだか、すげぇ笑えて来た。




「渡辺くん?」

「ごめんごめん、一瞬別世界に飛んでた。あはは」

「・・・」


「そうだね―――また飲もうよ。そんで―――」

「ん?」


「いつか、野崎くんの仲間も、俺に紹介してよ?」










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