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第104章:「記憶を取り戻す方法」
しおりを挟むキョウの記憶を取り戻す―――それが出来れば、本当に全てが丸く収まるのは間違いない。
だが。
「まぁ、これは以前にも話し合ったことあるけど、技術的には不可能だ。記憶は物理的なものじゃない。だから取り除かれた記憶をアーサー医師団が埋め戻すとか、そういう理屈はあり得ない」
「その時、同期の話も出たんだが・・・美和ちゃんはどう思う?」
「杏が望むなら私は構わない。でもそれは杏の記憶ではないの」
「全くないよりマシなのかもしれないが・・・ニュアンスは全く違うよな」
「ミワの心の中を見られるのは構わないの?」
「杏に見られたらいけないようなものは何もないよ―――「麻生家」のこと以外は。でもそれももういいの」
「キョウは「麻生家」のこと知ってたんだろう?だったら問題ないじゃないか」
「ううん、杏はその全貌を知らない」
それは俺たちがある程度予想していたことでもある。
それが「麻生家」と杏、その両方を守ることになるからだ。
「それでもミワは、同期してもいいって思うのか?」
「それしか手段がなくて、少し「麻生家」のことも話してみて、その上で杏がそれを望むなら」
「本当にいいのか?「麻生家」が何よりも大切だから、今までこんなに大変な思いをしてきたんだろう?」
「・・・いいの。お父さんやご先祖様には怒られると思うけど」
「・・・」
「「麻生家」のことは本当に大事。でも杏をもう失いたくないの」
あの時、ミワは選べなかった。「麻生家」か「キョウ」か。
どちらも大切で、あの形になってしまった。
だが本当は、選ぶ必要などなかったと俺は思う。
両方を守るために、どちらかを選ばなければいけないと彼女が思い込んでいただけだ。
そしてそれは、結果的に誰も幸せにしなかった。
<生という流れに逆らう事>
それがどれほど無意味なことか。
そして究極的には俺たちは「それに逆らうことなどできない」ということ。
一時的に逆らえたとしても、いずれ生はあるべく場所に流れてゆくということ。
そのことにようやく、ミワは気づいたのかもしれない。
「まぁ少なくとも健ちゃんは怒らないと思うよ?」
ケイが笑う。
「理由が何であれ、健ちゃんは杏を「麻生家」に巻き込めてラッキーとか考えそう。俺が健ちゃんだったら「もう「麻生家」からは逃れられないんだから、美和と一緒になれ」って脅すな。くく」
アイツの性格なら、たしかにそうかもしれない。
変わっていなければ、だが。
「ね、確認だけど・・・麻生家の叡智でも、記憶を取り戻すことは不可能ってことよね?」
「うん・・・私の知る限りは。だからそれに近いものは同期しかないのかもしれない」
そこでケイが言った。
「なぁ、仮に本当に杏に記憶が戻ってきてるとして・・・アイツならそれがどういうことなのかわかるんじゃないか?もっと言えば、アイツはその方法を知ってるんじゃないか?」
「確かに。その可能性は無きにしも非ず、だな」
「私―――杏に「そのこと」を告げる時、記憶の事も聞いてみる」
どうやら本当に、ミワは覚悟を決めてくれたようだ。
俺たちはほっと、胸をなでおろした。
***
午後、予定では眼科で研修をしているはずの美和がそこにいなかった。
看護師に聞くと、急用で休んだらしい。
少し胸騒ぎがして、病院から電話を掛ける。
「ごめんなさい。アーサーの用事があって」
「そっか、何事もなかったならいいけど」
「うん、大丈夫。もうすぐ家に戻るから、杏も研修終わったらまっすぐ帰ってきて?」
マンションに戻ると。
室内から懐かしい、いい香りが漂ってくる。
「おかえり。今日はね、時間があったからハンバーグ作ってみたの。すぐ用意するから待ってて?」
なんだかいつもとは違う雰囲気に、思わずスティーブを見る。
彼は少し困ったように笑った。
テーブルに置かれた3つの皿。付け合わせはニンジンのグラッセとマッシュポテト。
中央にはシェアできるように大皿のサラダ。赤ワイン。そして日本人ぽくライス。
目の前のハンバーグに「これがキョウの言ってたハンバーグか!」とスティーブが声を上げた。
「たしかにバロソレッテで食べたのと似てるな」
「バロソレッテ?」
「この近くにこれに似たものを食べさせてくれる店があるんだ。ミワも今度一緒に行こう」
美和のハンバーグ。
俺がどれだけこれを欲していたか、彼女にはわからないだろう。
まだアーサーで治療中の時。
暴れまくって、何が何だかわからなかった時にも、
心に浮かんできてタブレットに残したふわふわジューシーなハンバーグ。
呆然とそのハンバーグを見つめている俺を見て、スティーブが言った。
「冷めないうちに頂こう」
見ているだけで胸がいっぱいで、箸をつけることができない。
これを一口でも口に含んだら、俺はどうなってしまうのだろうか。
「杏?」
心配そうに美和に声を掛けられ、勇気を出して、フォークとナイフを手に取る。
切り目を入れれば俺の記憶通り、そこから肉汁が溢れだした。
恐る恐る、口に入れる。
はぁ。
この味、だ。
俺の大好きな、大好きだったハンバーグの味だ。
「どう?」
「ん、すごく美味しい。ありがとう」
そうとしか、言いようがない。
あまり多くを話せない。
感情が、溢れ出てしまいそうで。
あのカレーを最初に食べた時と同じように。
「これ、本当に旨いな」
「気に入ってもらえてよかった!」
美和の手作りハンバーグがまた食べられるなんて、本当に夢みたいだ。
奇跡としか言いようがない。
「美和、後でこのハンバーグの作り方教えて?」
美和がいなくても、またこの味を再現できるように。
「またミワに作ってもらえばいいじゃないか。俺も食べたいし」
「そんなに気に入ってくれたなら、いつでも作るから」
いつでも?
そんなこと、俺に言っていいのか?
戸惑いながら、視線を美和に向けると。
「毎日は飽きるから止めておいた方がいいと思うけど。ふふ」
と、優しく笑った。
嬉しい。
泣きそうなほど、嬉しい。
記憶も、ないのに。
だが、違和感が拭えない。
明らかに今朝とこの場の、そして美和の雰囲気が違う。
昼間、何があったのか。
「アーサーの用事」とは何だったのか。
その後。
スティーブと俺で片づけをし、寝る支度をして美和の部屋に入った。
美和はこの部屋付けのバスルームにまだいるようだ。
ベッドヘッドにもたれて、タブレットを見る。
そこには俺が狂いながら殴り書きした、ハンバーグの絵。
この瞬間にも、その味と喜びが蘇ってくる。
バスルームの扉が開く音がする。
俺はタブレットをサイドテーブルに置いた。
「美和、おいで」
両手を広げると美和はふと笑い、両手を俺の首に巻き付けて抱きついてきた。
思いっきり。躊躇なく。
そんなことは、このパルドゥルースでは初めてだった。
「美和、なんかいつもと違う―――嬉しいけど」
「ふふ」
俺の耳に、美和の息が掛かる。
堪らなくなって俺は、顔をずらして彼女の唇にキスをした。
それでも美和は、幸せそうに笑っていた。
そこにはやっぱり、いつもの躊躇いが全くない。
「美和?」
理由を聞きたかったが、この幸せな雰囲気が壊れてしまいそうで。
俺は美和を抱きしめたまま、無言でブランケットに潜った。
嬉しくて。
何度も何度も、優しく軽いキスをする。
何回しても、美和は嬉しそうで。
夢で見た―――豪華客船での俺たちに、戻ったみたいで。
しばらくして。
俺がキスと止めると。
美和がまた自ら俺に強く抱き着いてきて、言った。
「杏―――、私の話、聞いてくれる?」
俺は軽く溜息を吐いた。
やっぱり―――そこか。
「この間、俺に話そうとしたこと?」
「それも含めて」
「―――どうしても、したいの?」
「うん」
「そっか・・・でも、明日の夕方でもいい?いまはこのまま寝たい」
幸せな、この優しい雰囲気のままで。
「うん。明日、向こうのアパートで待ってるから、大学終わったら来て?」
「わかったよ」
昼間、何があったのかはわからない。
だが、きっと。
美和は何か、腹を括ったのだろう。
だからこんなにいま、俺に無防備なのだろう。
サイドランプを消して、真っ暗闇の中で、美和を抱きしめる。
表情はよく見えないけれど、何度キスをしても、幸せそうに微笑んでる気がする。
「美和―――好きだよ」
その言葉にはまだ返してはくれないけれど。
更に俺のキスが深くなっていっても、
美和は嬉しそうに、微笑んでいるようにしか感じない。
「美和は柔らかくて温ったかいな・・・いつまでもこうしてたいよ」
明日、何が起こっても、何を言われても、俺はこの幸せを手放さない。
絶対に。
うとうとしている最中、何度もそう思わせる程、
この瞬間の俺はただひたすら、その幸せを噛みしめていた。
「木村さんてかなり変わってるよね」
「まぁ俺たちと一緒にいられるくらいだからな。くく」
「そうなんだけど、そうじゃないっていうか・・・あ、誤解しないでよ?彼女はいいコだよ」
千晶と二人、人間の俺はどこかのカフェにいた。
いつの間にかまた、俺の意識はこのリアルな夢に入り込んでいるようだ。
そしてこれも、俺の記憶にも日記にも存在しないストーリー。
「あの高校に入れるくらいだし、成績も俺たち程じゃないけど上位をキープしてるし、相当頭いいじゃん」
「そう見えないところがまたいいよな」
「うん。だけど―――ミワワにしか興味ないって、なんだかおかしくない?」
「彼女も言ってただろ。これから興味のあるもの見つけたいって。今まではそんな余裕なかったって」
千晶はなにがいいたいのだろう?
首を傾げた人間の俺に、千晶が苦笑する。
「杏ちゃんがなにも感じないっていうのは、俺のカンが間違ってるのかなぁ?」
「どういうこと?」
「彼女「アーサー」の匂いがするんだよね。俺には彼女の能力がなんなのかわからないけど」
意識体のこの俺には木村さんの記憶がない。
だから判断のしようがないのだが、それは人間の俺も同じようだ。
「千晶にそんな能力があるなんて知らなかった。ロボットだけかと思ってたよ」
「いや、実際俺にはロボットだけなんだけどさ。あはは」
そして更に一瞬にして、俺の意識がどこかへ飛ぶ。
「杏くん、以前僕が「この家に出入りしている人間は把握させてもらってる」って言ったの、覚えてますか?」
「はい。ここにはいわゆる「怪しい人間」はいないと言ってましたね」
この人は誰だろう?
でもクリスマスパーティの参加者の一人に間違いない。
「千晶くんに報告を受けて、ウチのリクルーターが少し木村さんのことを追ってみたんです」
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「当然の判断ですよね。ま、美和とも話してみますよ。正直、友達をそういう視点から見るのはあまり気が進まないけど」
「わかりますよ。ただ少し僕の見解を付け加えると・・・千晶くんが言う通り、彼女が「ミワワ」だけに興味があって、ここに実際のミワワと哲ちゃんさんがいるのはちょっと・・・出来過ぎな気がしますね」
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