きみをさがしてた

亨珈

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会いたいという気持ち

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 放課後になり、週末のお約束になりつつある図書館での時間を過ごすために早足で向かうスティールがいた。

 午後の授業は不審者対策の関節技実技だったため、半ば強制的にビクトリアの相手をさせられたスティングは満身創痍の体たらくで、サンドラに慰められながら帰宅した。今日こそは誰にも邪魔されない予定だ。

 (あの二人、うまくいくといいなぁ)

 スティングの心中など知る由もない少女は、呑気にサンドラの恋の成就を願っている。

 IDをかざして入館し、まずは先週と同じく機械工学のコーナーで品定めした。天井を仰いで見たが、今日はリフターの姿も見えず、ローレンスは来ていないらしいと少しがっかりする。
 昼休みに会ったばかりだけれど、個人的にゆっくり話が出来たわけでもないし、なんだか物足りなく思っていた。

 といって、一人で会ったからといって何を話そうという予定もないのだけれど……。
 ただ、顔が見たいなと思った。

 ぱらぱらと本の中身を検分したものの、気が乗らず、今度は児童書コーナーに足を向ける。そちらのコーナーの一角には四畳ほどの土足厳禁の休憩コーナーがあり、毛足の短いカーペットとクッションに座ってゆっくり読むことが出来るのだ。
 知る人ぞ知るスティール一押しの癒しスポットである。

 はた、と足を止め、仕切りも扉もないそのコーナーに横たわる人に気付く。

 壁に左肩をつけ仰向けに寝転んでいる男性は、腹の上で軽く手を組んで目を閉じている。白いクッションに艶やかな黒髪が広がり、天窓からやわらかく降り注ぐ光がスポットライトのようにその美貌を照らし眠り姫もかくやという雰囲気に包まれていた。
 声を上げそうになり、スティールは両手で自分の口を押さえた。

 忘れるはずもない。あの日の光景。

――「私の負けだよ。君は行くがいい……」

 〈銀の界〉住人にとっては死の水である湖の底から帰還したスティールが目にしたのは、シャールの剣で貫かれ地面に倒れたディーンの姿だった。

 小さな珠をシャールに渡すと、ディーンの手がするりと落ちた。

『ディーン!』

「ディーン!」

 セートゥルードとシャールの悲鳴のような声。

「ディーン!あたし、来たよ!」

 無我夢中でスティールは駆け寄り、地面に座り込んだ。

「ディーン、目を開けてよ」

 手のひらでディーンの頬に触れた。震えながらどうにか開いた彼の目に、涙を浮かべたスティールの顔が映り込む。

「スティール……なぜ?」

 君は確か。その先を、スティールは言わせなかった。

「あたし、死んでなかったの。さっきまで眠っていたの。あなたにどうしても言わなきゃいけないことがあったの」

「なに、を?」

 エリックに操られていたシャールに胸を突かれ、死んでしまったと思っていた。それでもスティールとの約束を果たそうとしたディーンは、微かに笑みを浮かべている。

「あのね、ありがとう、たくさん助けてくれて。一緒にいてくれて、ありがとう」

 緩くディーンは首を振った。自分が勝手にやった事だ、感謝などしなくていいと。
 それよりもと続ける声が聞き取りづらくて、スティールはディーンの口元に耳を寄せた。

「なあに?」

「君と会えてよかった……」

 そう最期に残して、ディーンは息を引き取った。
 その顔は、幸せそうで。
 けれど、もう二度とその瞳にスティールを映すことはなくて――


 その光景を思うだけで心臓が止まりそうになる。スティールは息を飲み、そっと足音を忍ばせて近寄って行った。革靴を脱いでカーペットに上がると傍らに膝をついて呼吸を確認する。

 殆ど息遣いも聞こえない静かさだったが、上から三個目まで外してくつろげられたシャツの下の胸はゆっくりと上下していた。

「びっくりした……」

 思わず漏れた声にもローレンスが目を覚ます気配がないので、安心してぺたりと座り込む。

 こんな風に目を閉じて横たわっているのを見ると、嫌でもあの〈銀の界〉での最期を思い出してしまう。

「ディーン」

 囁いて呼びかけて。
 どんどん冷たくなっていく体を抱きしめて見守るしか出来なかったあの時。
 それを思えば、こうして傍にいられる今、どんなに幸せなことだろう。



――「私を探して欲しい」

「……どうやって?」

「どうやってでも」

「全身全霊を掛けて、今度は自分の体できみを抱きしめるよ。だから」――


 (映画館で最後に交わした言葉、ちゃんと覚えてるよ。
 あたし、約束果たしたよ。ディーン。
 この世界に生まれてきてくれてありがとう。
 こんなにすぐ傍にいたのに、遅くなってごめんね)


「あたしね、ディーン。あなたに再会できたら、きっと記憶もすぐに戻って、以前みたいに笑いかけてくれるって思ってたんだ……でもね」

 思わず唇から紡がれてしまう、今気付いたばかりの気持ち。

「あなたはずっと寂しくて辛い経験をしてきて、それなのにあたしとシャールを助けてくれて、そのせいで命まで散らせて仕舞って……。あたし、どれだけ謝っても感謝しても足らないの。シャールもきっと同じ……。だからね、今は思い直したの。
 そんな記憶、戻らなくてもいいって。
 ディーンが今幸せなら、あたしのことなんか思い出さなくていいよ。
 もう一度出逢えた、それだけでもう十分だから。
 だから――」

 長い睫毛を震わせて、深紫の瞳が少女を見上げた。

 小さな声とはいえ、枕元で語られたら目も覚めようというもの。いつから気付いていたのか、それともはなから眠ってはいなかったのか、ローレンスは床の上についたスティールの手に自分の手を重ね、上半身を起こした。

「どうして泣いているの」

 言われて初めて、自分の頬を涙が伝っていることに気付いた。ポケットからハンカチをと思ったが、重ねられた手を振り払うのも気が引けてしまい、ぱちぱちと瞬きだけした。

「きみの涙は……胸が締め付けられそうになるよ。何故だろう……」

 思案気に眉根を寄せて、ローレンスはゆっくりと指先でスティールの涙をすくった。

「考えなくていいの、思い出さなくていいの……あたしが欲しかったのは、きっとカフェテリアでのみたいな楽しい時間だから――。だから、また笑って?」

 ふわりと、スティールは微笑んだ。涙の跡は消えてはいないが、少しの努力で実現した。
 ディーンに話しかけていたその口調のままだったことに本人は気付かず、ローレンスは口元を綻ばせた。

「うん。じゃあきみもまたそんな風に話しかけて?」

「え? やだ、あたしったら」

 赤面して手を引こうとするところをぎゅっと握り直されてどうにも身動きできなくなる。

「あ、あの、ローレンス、さん?」

「違う違う」

 ふるふると首を振り、さっき言ったでしょと続ける。

「さんは要らないし、きみが呼びたいならディーンと呼べばいい」

「ローレンス……?」

 頷いて、「とにかくそんなにぎこちなくしているより、さっきみたいなのがいい」と笑う。

「約束。次会った時も、さっき話しかけてくれたみたいに普通にしゃべって」

 (ああ、そうか)

 ぼんやりと推察するスティール。
 もしかしたら、ローレンスには『普通に』おしゃべり出来る友達は少ないんじゃないかと。

 当たらずとも遠からずではあるが、たった今の状況でいうとローレンスはその意味でスティールにそう言ったわけではないのだが。



 ローレンスの胸ポケットで携帯端末が振動した。またアンジェラからの催促であろう。

 名残惜しそうに手を離しながら、「きみの端末、貸してくれる?」と言われ、素直にスティールは手渡した。

 自分の端末を操作してスティールの方の画面も確認すると、

「僕のプライベートナンバー入れといたから。また会おう」

 はい、とスティールに端末を返すと、ゆっくりと靴を履いて立ち上がった。

「会議ばっかりで嫌になるよ」

 バイバイ、と手を振って去っていく後ろ姿に慌てて呼びかける。

「ローレンス、またね!」

 振り向いたその人がもう一度手を振り、スティールは大きく右腕でバイバイの仕草を返した。

 (このさよならは、また会うためのさよなら。
 だからもう寂しくないよ。
 もう、会おうと思えばいつだって……とはいかなくても、すぐに会えるんだよね?)



「不思議な子だ」

 くすくす笑いながら、ローレンスは迎えに来たアンジェラのリニアカーに乗り込んだ。

 どうしてか自分のことを『ディーン』と呼ぶ少女。
 話の内容からして、どうやら自分はその人の生まれ変わりだと思われているらしいけれど。

「きみは『生まれ変わり』を信じるかい?」

 怪訝そうに顔を盗み見ているアンジェラに問うてみる。

「生まれ変わり……私は信じてはいないけれど、文献によると例はいくつか残っているわね。本人しか知りえないような過去の具体的な記憶を持っている人が、稀に生まれると」

 綺麗に整えられた爪を顎にあて、やや思案しながらアンジェラが答えた。

「記憶喪失とは違うから、何かのきっかけで思い出したとしてもそれまでの記憶もなくならないんだったよね?」

「ええ、そうね」

 頷き、また新しい研究でも始めるのかと興味深そうに青い瞳が煌いた。

 (だとしたら。
 もしもあの少女の言葉の通り、僕が『ディーン』なのだとしたら。
 彼女とどんな経緯があったのか、思い出してみるのも面白いかもしれない)


「なんだかまた悪巧みしている表情ねぇ」

 おお怖い怖い、肩を竦ませながらも有能な秘書は楽しそうである。

「失敬な。僕がいつ悪巧みなんてしましたか」

 にやりと唇の端をあげるその笑い方は、その他大勢の前ではしない表情であることをアンジェラはようく心得ていた。


 (では。
 全く未知の分野ではあるけれど、新しいお楽しみも出来たことだし)

「今夜こそはゆっくり眠りたい気分なんだけど……」

 あの少女について想像を巡らせると、なんだか幸せな夢が見られそうだった。

「そうねぇ、会議の後夕食を摂って、集まったデータの集計をして、それからならば」

「データの集計くらい僕じゃなくても出来るでしょ」

「あらあら、珍しく人任せなのね?」

「人じゃなくても機械任せでもいいよ。さっきちょっとだけ転寝したけど、そろそろちゃんと眠りたいから、もう今夜こそは邪魔しないでよ」

「承知いたしました」

 にっこりと微笑んで、アンジェラは「では」と付け足した。

「明日にでも私も休暇を頂いてよろしいでしょうか」

「いいんじゃないの?」

 理由もなくアンジェラが休暇申請などするのは初めてのことなので、驚いたもののローレンスは即答した。

「アンジェラこそ、なんか悪巧みしてるんじゃないの」

 肩をすくめて見せる主に、うふふと艶のある笑いを返す美人秘書兼ボディガード。

「たまには若い子を誑かしてみようかと」

 うわ、その相手可哀相にと、本気で目を見張ってしまうローレンスだった。

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