もう一度、恋をしよう

亨珈

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Be mine.

バレンタインの計画

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「悪いけど、お腹空いてるし、疲れてるの。さよなら」
 また連絡するねって表面だけでもにこやかにしていれば、もしかしたらすんなり解放されたのかもしれない。けれど、貴仁さんのことで揺らぎがあった私には余裕がなかった。
「ゆう、ちょっと薄情すぎない?」
 眉を下げてショックを受けたように、でも強い口調で祐子が睨む。
「薄情? あなたに言われたくないな」
 ふふ、と。ようやく浮かんだ微笑。それからまた通路を進み始めるとまた祐子が着いてくるから、ベンチまで誘導した。
 四人ほど座れるはずの真ん中でソフトクリームを食べながらいちゃいちゃしているカップルに、「隣失礼しますね」と会釈して、祐子の肩を押すようにして座らせる。
「お腹重くて辛いでしょ。話があるなら座ってどうぞ」
 驚いている祐子の隣では「やだおばさんたち図々しい~」と女の子が彼氏にしなだれかかり、密着度が増している。私はベンチの隣の植え込みに軽く凭れるようにして祐子の隣に並んだ。
 これで通行の邪魔にはならないだろう。
 落ち着け、落ち着け、と言い聞かせる。手に提げていたバッグを肘に掛け直し、文句を言いながらも席を詰める様子のないカップルに安堵する。隣に座ったら身動きできなくなるだろう。ここがベター。
 流石の祐子も少し居心地悪そうにしていたけれど、それで?と促すとハッと我に返り私を見上げてきた。
「で、どうして出席しなかったのよ。楽しみにしてたのに」
 何を楽しみにしてたんだろう。
「ちゃんと理由書いてたでしょ。仕事です」
「日曜日になんで仕事なんて」
 呆れる。
「あのさ、今日は平日だけど、日曜も祝日もここのお店とかモール全体営業してるよね。そこで働いている人たちも全員出勤日だよね。他にも工場とかライン止めない生産職とか、皆さんお仕事してるよね。それとも日曜は流通もストップさせて店舗全部休みになるのかな。そうなったらいいね。あ、でも式場のスタッフは休日出勤しなきゃいけないね、ジレンマだね~」
 何かの糸が切れてしまったらしく、ほぼ棒読みノンブレスで一気に言い切ってしまっていた。
 祐子の押しに呑まれたらおしまいだ。
「そ、そんなこと言ってるんじゃ、」
 お、今度は眉尻が上がった。
「じゃあなあに、繁忙日に休みとって出席くらいしろよとか言いたいんだね。そうだね、友人だったらそうしたかもね。たとえ入社一年目で言い出しにくくても人生一度の晴れ姿見たいもの、頑張ったかも。でもね、私たち、友達じゃないもんね」
「はあ? ゆう、あんたなにを」
 徐々に顔が赤くなっていく祐子を見下ろして、繰り返す。
「あなたは友人じゃないから、友人席になんて座りたくなかったの」
 淡々と、でもきっぱりと。
 言い切った私と、睨み上げてくる祐子。お腹に当てている両手に力が入り、般若のような顔になっているのを見ても、もう怖くない。全てが茶番で、テレビドラマみたいに他人事に感じられる。
「子供に障るから、もう終わりにしよう。じゃあね」
 言いながら、さっさと歩き出す。自転車は客用の駐輪場に停めなおしているから、そこに近い風除口を目指しストライドを大きくとって精一杯の早足で歩くと、身重な祐子はもうついてこなかったようだ。
 自動ドアのガラスが閉まってから一度だけ背後を確認してから、自転車でアパートに向かうときにも、なるべく細い道を通ってしまった。


 いいすぎたというか、八つ当たりも入っていたというか。
 時が経つにつれ反省したものの、その強気の勢いに身を任せ、翌日いつものカフェにひとりで向かった。職場とは全く方向が違うので少し時間に余裕をみている。
 遅番で良かった。
 記憶が怪しかったため、ショウケースの前でじっくりと視線を動かしていると、ギャルソンに声を掛けられた。
「いらっしゃいませ。本日は待ち合わせですか」
 顔をおぼえてくれている彼は、私の背後を確認したらしい。
「あの、確か去年――」
 質問と説明と注文を済ませた私は、もの凄い達成感にほくほく顔で出勤した。


 バレンタイン当日、首尾良く前日に品物を受け取った私は、帰り支度をしてから、駐車場内にある小さな公園で待っていた。
 アスレチック付きの滑り台と砂場があるだけの簡素な憩いの場。買い物に勤しむ奥さんを待っているのか、歩き始めたばかりの幼子を連れた男性が居る。私より一回りほど年上に見えるけれど、どうだろう。
 外回りに出ている貴仁さんに、数分でいいから時間をくださいとメールしたら、店舗に寄る前に時間があるということで、ここで待ち合わせている。さっき、取引先を出たとメールがあったから、道が混んでいたとしても、三十分も待つことはないだろう。
 常緑樹の枝が揺れて、木漏れ日に照らされた煉瓦の道をたどたどしく歩くこども。失礼にならない程度に視界に入れているだけで、口元が綻んでしまう。
 土曜日だから、平日よりは客足が多く、イベントのある祝日よりは少ない。寂しくも窮屈でもない雰囲気のモールが心地よく、これからの計画をおさらいしていると、道路側から人が来る気配がした。
 通り抜けるひともいるが、駐車場の利用者は、ここを通ると店舗入り口が遠くなるため立ち寄らないことが多い。休憩のための場所なんだから、そういう配置になっている。
 だから、店舗側の道路を横切りまっすぐに私のいるベンチに向かってくるなんて、まず有り得ないことだった。貴仁さんが来るには早すぎる。
「ゆう」
 あの人のバリトンであるはずもなく、私に向けて発せられた声に目の前が赤く染まる幻が見えた。
 歌うときには更に甲高くなる、成人男性の中で高い部類のその声は、祐子の夫である人のものだった。
 ほっこりと温もっていた胸が、きいんと音を立てて硬くなっていく。誰かに定めるではなく公園内を眺めていた視線が煉瓦の小道を辿り記憶にあるブランドのスニーカーに突っ込まれた細い足とデニムからゆっくり上がっていく。その先にあるのは、記憶より少し顎のとがった小さな顔。
 貴仁さんより、ずっと小さい、私より僅かに高いだけだった記憶のまま、やはり二十代で成長するのは無理だったようだ。華奢な腕を両方ともポケットに引っかけて、私の前まで来て足を止めた。
 隣に座る様子を見せたらすぐに立ち上がろうと足に力を込めて見上げていると、ずっと私を見つめていた彼は、視線を座面にずらした。
「こないだ、店内で会ったって聞いたからさ、もしかしたらって。結構週末とか来てるんだ」
 ポケットから上げた右手で後ろ髪を掻きつつ話しかけられる。テンションだだ下がりだ。憩いの空気が台無し。
 がっかりもいいところで吐息していると、また呼ばれた。
「気安く呼ばないでくれないかな。あなたに呼び捨てされる謂われがないんだけど」
 彼女でも、友達でもない。記憶から消去したかったのに、まさかそんなに頻繁にここに来ていたなんて。
 今まで会わなかったのが奇跡に思える。職場である店舗内には来たことがないのか、たまたま私が不在の時だったのか。
 今日を凌いでもまた会うかもしれないと考えるだけで憂鬱になる。
「なんか、だいぶ印象変わったな。眼鏡もお洒落だし、綺麗になったっていうか」
 きつい声にも一瞬たじろいだだけで、果敢に話し続けようとする。視線は座面と顔を行ったり来たりで、座る許可を出せと訴えているんだろうけど、とんでもない。
「ゆうはさー、なんか丸っこくなってきたっていうかさ、そりゃあ妊娠中にふくよかになるのは仕方ない部分もあるんだろうけどさ、でももっと運動しなきゃいけないっていうのに家じゃごろごろばっかしててさ」
 そこに出てくるゆうは祐子のことなのに、どうして私にゆうと呼びかけたんだろう。
 膝に載せたトートバッグを握り直して、ただ聞いていた。視線は落として、相槌も打たず。
 口を開けばまた辛辣な言葉を吐いてしまうに違いない。ゆうのときは、帰宅前だったからまだ良かった。帰って気持ちを切り替えてから電話をしたから、貴仁さんに影響がなかったはず。
 だけど、もうじきここにあの人が来るっていうのに、どうしてこうタイミングが悪いんだろう。このモールは仕事以外で長居しちゃだめな場所なのかもしれない。私にとって鬼門に近い印象になってしまいそう。
 出掛けるときは二人だから、自分一人で使える小遣いは月に五千円しかないとか、弁当を作ってくれるといっても冷凍食品ばかりが詰めてあって美味しくないとか、仕事で疲れているのに平日も家事をやらされるとか、立て板に水のごとくしゃべり続ける彼。
 おかしいなあ、ふたりのときはあんなに静かだったのに。
 まあ、祐子がこんな調子でしゃべり続ける人だから、一緒にいるうちに似ちゃったのかもしれない。それともこれが本当の彼なのか。興味もないしどうでもいいんだけど、どうすれば立ち去ってくれるのか判らず参ってしまう。
 そもそも、この人は何故ここで無駄話に興じているのか。祐子と同じで、私が暇で退屈そうに見えるというのか。高い声も耳障りで、イライラが募ってくる。
「それで? 私に愚痴ってもどうにもならないし、聞きたくないんだけど」
 仕方なく口を挟みつつ姿勢を正して顔を見ると、嬉しそうに「それもそうだな」って応じる声が弾んでいる。
 いや、あなたが喜ぶ要素ないはずなんだけど。どうしたらいいんだろう。
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