もう一度、恋をしよう

亨珈

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Be mine.

あなたの誠意をください

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 ここから私は動けない。あれからどれくらい経ったのかとバッグから携帯端末を出して時刻を確認。メールはないけど、そろそろ貴仁さんが着いてもいい頃合いだ。
 できればこんなところを見られたくないし、ほんわかした気分のまま会いたかったなあ。
 バッグに戻していると、「番号教えて」と頭上で声がする。
「どうして?」
「あ、だって、これを機にまた遊びに行ったりとかさ」
「するわけないでしょ。身重の妻労りなさいよ。生まれたら赤ちゃんの世話も家事もしなきゃいけないだろうし、私が喜ぶと思ってるの」
 実を言うと。番号は変えてない。今まで私のことを忘れていたのは、彼らの方だ。式の前には、祐子から何度か掛かってきていたけれど、無視した。着信拒否にするでもなく放っておいたのは、年月が経てばこの番号は別の誰かが使っているかもしれないと躊躇わせたかったから。
 祐子はそんな殊勝なひとじゃないけど、用事もなかったらしく、今まで本当に忘れ去られていたのだ。それなのに、どうして今になって。
「はは、ゆうに遠慮してるのか。俺だって息抜きしたいしさ、お前ならゆうもいいって言うだろ」
 お前っていうな。また目の前が赤く染まりそうになり、深呼吸して首を振る。落ち着いてーここで怒鳴っているときに貴仁さんがきちゃったら全部ぱあになる。
「いいわけない。そんなこと、許すはずないでしょ」
 小遣いが少ないのは、遊ばせないため。家に縛り付けておくため。
 祐子の親戚が持っている借家に住みながら、祐子の実家を二世帯用にリフォームしているってさっき自分で語ってたじゃない。
 前に付き合っていたという年上の彼氏に対してはどうだったのか知らないけれど、今日知った情報からだけでも、祐子の束縛は酷い。独占欲丸出しで囲いにかかっている。
 この人にはそれがわからないんだろうか。
 もしも私が今でもこの人を少なからず想っていたとしても、応じられる状況じゃない。疑いすらも抱かれたくない。
 はっきり言うけど、と前置きして、自分の携帯端末を差し出す手を無視する。
「もう二度と会いたくなかった。声を掛けてくるなんてどうかしてる。あのときみたいに、目も合わせずにいてくれたら良かったのに」
 それなら、まだ理解できたのに。
 今のこの人のことは、全く解らない。祐子の態度や思考なら解るような気がするのは、同性だからなのか、それとも幼なじみだからなのかは判別できないけれど。
 それでも、どちらの考え方にも同意できないし、僅かな繋がりも持ちたくなかった。
「大人しいもんな、お前。だからふたりきりでいるのが落ち着くっていうか。だからさ」
「私の話、ちゃんと聞いてる? 会いたくなかったって言ってるじゃない。会話だってしたくないし、連絡してほしいわけないじゃない」
「だからー、親友だから遠慮してるんだろ。けど、親友だからこそ大丈夫だと思うんだけど」
 あっけらかんと、笑顔で言われて、ぐうっとこみ上げてくるものをこぼさないようにするので必死だった。
 言葉が通じない。私の気持ちなんて、わかってくれない。ちゃんと正直に伝えているつもりなのに、通じないのは、私の言い方が悪いんだろうか。
 親友だなんて、一度も思ったことはない。ときおり言葉を交わした中学時代なら、まだ普通に友達でいられた。短大で再会して、戸惑いながらも、それでも友人の枠内にとどまっていた。それを台無しにした張本人に、どうしてそう言われるのか、もう無神経にもほどがあると思う。
 何を言っても、無駄かもしれない。
 そう感じたら、黙り込むしかなかった。以前の私のように。黙っていれば、更に勝手に自分の都合良く解釈されるだろうと判っていても、言葉が見つからなかった。
 流石にバッグに手を入れるのは遠慮したのか、早く端末を出せと催促する手のひらを呆然と眺めていると、ぽんと背後から肩を叩かれた。
「悪いな、随分待たせた」
 耳に馴染むバリトン。高い位置から降り注ぐ声が、言い募る甲高い声に耳鳴りを起こしかけていた私の耳を癒す。
「笠原さ、」
 呼びかけて振り向こうとしたとき、目的の人より前に、貴仁さんの隣に立つ彼女が視界に飛び込んできた。
 煉瓦に慎ましく載っているピンヒール。膝にかかる長さのタイトなスカートの上に羽織られた落ち着いた赤系のコート。驚き顔で私とその前に立つ彼を見比べる仕草を目の当たりにして、息が止まりそうだった。
「大丈夫? 知り合い?」
 背後から掛けられる声が届いても、その意味がわからない。待ち望んだひとの声なのに、どうして、とその言葉だけが頭の中をぐるぐると回り続ける。
「あの、怪しい者じゃなくて、学生時代の遊び仲間っていうか」
 仕立ての良いスーツを着たいかにもビジネスマンな貴仁さんに気後れしたのだろう、どもりながら私の代わりに答えている。
 元々身長に関して劣等感も持っていたし、見目の良い貴仁さん相手なら尚更だろう。それでも立ち去る気配がないのは、何かを期待しているんだろうか。
「ほんとか」
 軽く肩を揺すられて、屈んだ貴仁さんの顔が視界に入ってくる。心配そうな表情は、今ここにいるのが私じゃなくてどんな知り合いだとしても向けられるものなんじゃないかと感じてしまう。
「地元の同級生の、旦那さんですよ」
 友人じゃない、元彼とも呼べない曖昧な関係を私なりに表すなら、そうとしか呼べなかった。
 貴仁さんは怪訝そうにしながらも、通りすがりにナンパされていたわけじゃないということには納得したようだ。
「すみません、お仕事中だし、時間ないですよね」
 ちらりと彼女を見てから視線を戻すと、貴仁さんはばつが悪そうに微笑んだ。
「あー、ちょっと店長と話して渡すもん渡せば終わりだし、急いでるわけじゃない。約束しただろ?」
 うーん。約束はあなたと私のもので、彼女が一緒だなんてまったくもって想定外なんだけど。
 想定外の人が二人。私が彼女の立場なら、少し離れた場所に移動して待つとか、先に行くとか声を掛けるだろう。好奇心だけじゃ、こんな空気の場所に居られない。
 でも、やっぱり私の方がおかしいのかな。
 頑張って伸ばしていた背筋が丸まりそうになり、気合いで持ち直す。
 力の入れすぎで、トートバッグを握る手が白くなっている。紙袋にしなくて良かった。
 うん。もういいや。
 落ち込むのも泣くのも、反省するのも怒り狂うのも、ぜーんぶ後回し。
 この後部屋に帰ってから存分に発散してやる。なんだったら簀の子ベッドが壊れるくらいバンバン叩いて、思い切って新しいベッドだって買ってやる。冬の賞与、そのまま貯金してあるんだし。
 よし、と自分に号令を掛けると、立ち上がった。そのままくるりと向きを変える私に驚いて、貴仁さんの手が離れていく。
 ウッドベンチを挟んで、私たちの距離は数十センチ。もうこの際外野はいないものと思いこむしかない。予定通りにミッションをこなせ。やるしかない。
 トートバッグの中から、綺麗にラッピングされた細長い箱を取り出す。わざと透明な箱に入れてもらったそれは、今日という日を横文字で編み込んだリボンが掛かっていなくても、何を目的としたものか一目瞭然だろう。
 私と貴仁さんの体の間にあるそれに、貴仁さんが瞠目している。外野からは呆れ声の呟きが漏れた。
「あなたね、知ってると思うけど、貴仁は、」
「甘いものが苦手というのは知っています。バレンタインを全て断っていることも」
 貴仁さんだけを見つめたまま、私は彼女の言を遮った。スタッフならば皆が知っている。義理チョコも、返しが大変だから無しと協定があることも。
 だからこそ、私はこうするしかなかった。
 信じたいの。信じさせて欲しいの。
 私は、あなたにとってどういう存在なのか。
 なにをしてもどう扱っても、癒しとして時折同じときを過ごす存在としてのみ求められている。そんな風に思わせる態度で私に寄ってこようとするあいつと同じじゃないって、証明して欲しい。
「好きです。ずっと、あなただけが好きです。彼女に、なりたいです」
 まっすぐに想いをぶつける。差し出した箱が震えるけれど、視線は外さない。
 曖昧な態度でも、気持ちだけは真摯に向けられてきた。先の見えない関係が不安で、あなたを信じ続けられる自信がなくなってきたから。
 あなたの誠意を、私に示して欲しい。
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