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『Chapter4 本人、現わる』
時間はちょっとさかのぼる。
古い雑居ビルの廊下を、黒いレザー服を着たアンナがゴロゴロと鳴るお腹を押さえながら、よろよろと歩いていた。ようやくトイレにたどり着く。オタクっぽいデブ男が入ろうとしていた。便器が一つしかない、男女兼用のトイレだった。
「ちょっと待った!」
デブ男が何ごとかと固まっていると、アンナは押しのけて個室の中に入り、鍵を閉めた。
「何すんだよ!」
ドアの外から、デブ男の声がする。アンナは無視をして、便器に腰かけた。危うく漏らすところだった。これから大事な仕事なのだ。
アンナはすっきりして個室から出ると、まだデブ男がモジモジして立っていた。入れ替わりに即座に入ろうとする。変態野郎が。
アンナはバーに入り、カウンター席のスツールに腰掛けた。バーテンダーはボックス席で、客のギャルとヤンキーの対応をしていた。
ない。目印として使う、レッドウィングがない。バッグやポケットの中を探しても見つからなかった。これから客と会うのに。
「早くう~、早く来てえ~っ!」
一つあいだを開けたカウンター席にいた女が頭を掻きむしり、白目を剥いて身もだえていた。
カウンター席の女が狂ったように叫び、体を前後に揺らしている。彼女のパソコンの画面を覗いてみると、『マッハ』の文字で埋めつくされていた。
アンナはみんなから離れ、声が響かないよう、スマホで通話を始めた。
「なんでDM、返してくれないの? 私、目印をなくしちゃって、会う相手が分からないの」
「刑事とつるんでたチンピラが消された」
「どういうこと?」
「殺し屋が現れたらしい。お前も狙われている。我々はもう手を引く。この番号ももう使えない。以上」
「ちょっと!」
スマホの画面を見ると、通話は切れていた。
違法薬物の売人であるアンナは、この店でとある情報を警察に売ろうとしていた。アンナの手下であるチンピラと組んでいた悪徳刑事がミスを犯し、敵対組織に目を付けられた。もう利用価値がない。だから警察内で処分してもらおう。
だが、早くも敵対組織は手下のチンピラを殺してしまった。次に奴らが狙うのは、悪徳刑事か? それともアンナか?
会う約束になっている監察官の顔や名前は分からない。向こうもアンナの素性を知らない。
もうこうなったら、やるしかない。アンナはバーテンダーのところへ行った。
「あの……赤い羽根で待ち合わせている人、いませんか?」
バーテンダーとヤンキーが思わず見つめ返してきた。この二人のうちの、どちらかなのか。
「実は私、その人と会うことになってて」
いきなりパソコン女が割って入ってきた。
「私も会うのよ! レッドウィングと!」
「私よ、そのレッドウィング」
答えるアンナを、パソコン女は凝視してきた。バーテンダーもヤンキーも、上から下までアンナの全身を眺め、緊張感が漂った。
「……そいつ、偽者」
床で四つん這いになっているギャルが絞り出すような声で言った。
「……そいつは目印をつけていない。だから偽者」
「それがどこかに落としたみたいで……私がレッドウィングなの!」
その時、表のドアから、先ほどのオタクっぽいデブ男が入ってきた。
「本物!」
パソコン女が指を差して叫んだ。全員の視線が注がれ、デブ男は動揺した。
「え? 何?」
デブ男のシャツの胸ポケットには、赤い羽根が挿されていた。
「あんた、さっきの!」
アンナは赤い羽根を返してもらおうと思った。しかし、パソコン女が割って入り、デブ男に迫った。
「ちょうだい!」
「何なんだよ!」
デブ男は逃げるように店から出ていってしまった。
「待って!」
パソコン女も追いかけて出ていく。
「クソ!」
ギャルも猛然と追っていく。続いて、ヤンキーもバーテンダーも。しかも、バーテンダーは拳銃を握りしめていて、アンナはドキッとした。全員が出ていってしまい、散らかったフロアに一人、アンナだけが取り残された。
その時、収納スペースのドアがゆっくり開いた。気づいたアンナは恐る恐る近づき、中を覗いてみた。縛られ、口を塞がれたパンツ一丁の若い男がもがいている。
「大丈夫?」
アンナは拘束を解いてやると、若い男はどうにか起き上がることができた。
「ったく、この店は何なの?」
一連のドタバタ劇に、アンナは思わずこぼした。
(続く)
古い雑居ビルの廊下を、黒いレザー服を着たアンナがゴロゴロと鳴るお腹を押さえながら、よろよろと歩いていた。ようやくトイレにたどり着く。オタクっぽいデブ男が入ろうとしていた。便器が一つしかない、男女兼用のトイレだった。
「ちょっと待った!」
デブ男が何ごとかと固まっていると、アンナは押しのけて個室の中に入り、鍵を閉めた。
「何すんだよ!」
ドアの外から、デブ男の声がする。アンナは無視をして、便器に腰かけた。危うく漏らすところだった。これから大事な仕事なのだ。
アンナはすっきりして個室から出ると、まだデブ男がモジモジして立っていた。入れ替わりに即座に入ろうとする。変態野郎が。
アンナはバーに入り、カウンター席のスツールに腰掛けた。バーテンダーはボックス席で、客のギャルとヤンキーの対応をしていた。
ない。目印として使う、レッドウィングがない。バッグやポケットの中を探しても見つからなかった。これから客と会うのに。
「早くう~、早く来てえ~っ!」
一つあいだを開けたカウンター席にいた女が頭を掻きむしり、白目を剥いて身もだえていた。
カウンター席の女が狂ったように叫び、体を前後に揺らしている。彼女のパソコンの画面を覗いてみると、『マッハ』の文字で埋めつくされていた。
アンナはみんなから離れ、声が響かないよう、スマホで通話を始めた。
「なんでDM、返してくれないの? 私、目印をなくしちゃって、会う相手が分からないの」
「刑事とつるんでたチンピラが消された」
「どういうこと?」
「殺し屋が現れたらしい。お前も狙われている。我々はもう手を引く。この番号ももう使えない。以上」
「ちょっと!」
スマホの画面を見ると、通話は切れていた。
違法薬物の売人であるアンナは、この店でとある情報を警察に売ろうとしていた。アンナの手下であるチンピラと組んでいた悪徳刑事がミスを犯し、敵対組織に目を付けられた。もう利用価値がない。だから警察内で処分してもらおう。
だが、早くも敵対組織は手下のチンピラを殺してしまった。次に奴らが狙うのは、悪徳刑事か? それともアンナか?
会う約束になっている監察官の顔や名前は分からない。向こうもアンナの素性を知らない。
もうこうなったら、やるしかない。アンナはバーテンダーのところへ行った。
「あの……赤い羽根で待ち合わせている人、いませんか?」
バーテンダーとヤンキーが思わず見つめ返してきた。この二人のうちの、どちらかなのか。
「実は私、その人と会うことになってて」
いきなりパソコン女が割って入ってきた。
「私も会うのよ! レッドウィングと!」
「私よ、そのレッドウィング」
答えるアンナを、パソコン女は凝視してきた。バーテンダーもヤンキーも、上から下までアンナの全身を眺め、緊張感が漂った。
「……そいつ、偽者」
床で四つん這いになっているギャルが絞り出すような声で言った。
「……そいつは目印をつけていない。だから偽者」
「それがどこかに落としたみたいで……私がレッドウィングなの!」
その時、表のドアから、先ほどのオタクっぽいデブ男が入ってきた。
「本物!」
パソコン女が指を差して叫んだ。全員の視線が注がれ、デブ男は動揺した。
「え? 何?」
デブ男のシャツの胸ポケットには、赤い羽根が挿されていた。
「あんた、さっきの!」
アンナは赤い羽根を返してもらおうと思った。しかし、パソコン女が割って入り、デブ男に迫った。
「ちょうだい!」
「何なんだよ!」
デブ男は逃げるように店から出ていってしまった。
「待って!」
パソコン女も追いかけて出ていく。
「クソ!」
ギャルも猛然と追っていく。続いて、ヤンキーもバーテンダーも。しかも、バーテンダーは拳銃を握りしめていて、アンナはドキッとした。全員が出ていってしまい、散らかったフロアに一人、アンナだけが取り残された。
その時、収納スペースのドアがゆっくり開いた。気づいたアンナは恐る恐る近づき、中を覗いてみた。縛られ、口を塞がれたパンツ一丁の若い男がもがいている。
「大丈夫?」
アンナは拘束を解いてやると、若い男はどうにか起き上がることができた。
「ったく、この店は何なの?」
一連のドタバタ劇に、アンナは思わずこぼした。
(続く)
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