【短編アンソロジー】去りゆく影たち

タカハシU太

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胞子の恋

【愛している。たとえ、その口で誰かを喰らっても。】



 もし、この出来事が映画化されるとしたら、どんなふうになるのだろう? ホラーか? ファンタジーか? それともコメディか?
 間違っても、『全米が泣いた』『アカデミー最有力』なんてキャッチコピーには決してならないから、ハンカチの必要はない。
 ただちょっとだけ、彼女……相澤詩織があの夏の日々に存在していたことを覚えておきたくて、ここに記録してみようと思う。

「助けてほしいことがあるの。大至急、来て」
 突如として、ぼくのSNSにメッセージが送られてきたのは、大学に入学して初めての夏休み、帰省もせずにバイト漬けになっていた時だった。
 詩織が同じ東京にいるのは知っていても、お互いにやりとりすることはなかった。もう三年、いや四年は会話をしていない。だから、ぼくのアカウントを知っていたことに驚いた。
「お願い、早く! 死んじゃう!」
 大げさな。こんな感じで、ぼくは子供の頃から詩織に振り回されてきた。
 それでも、ぼくは彼女が教えてくれたアパートを訪れてしまった。何かを期待してか。それとも、胸騒ぎでも覚えたのだろうか。
 それが悪夢の始まりだった。

 玄関のドアがそっと開かれ、詩織は周囲をうかがうようにしながら、笑顔で出迎えた。化粧っ気のないせいか、あの頃と変わらない、素のみずみずしさがあった。でも、やっぱり、具合は悪そうだ。
「本当に来たんだね!」
「呼んでおいて、何だよ」
「驚かないでね。絶対に驚かないでね」
 お約束のフレーズか。ワンルームの室内に招き入れられたぼくは、目の前の光景に壁際まで飛びのいた。
 最初は、ペンキをひっくり返したのかと思った。その赤い海の中に、マネキン人形のパーツがバラバラに転がっているのかと。
 しかし、強烈な臭気が現実へと引き戻した。あわててキッチンへ行き、猛烈な勢いでリバースした。その背中を詩織が優しくさすってくれた。
「明彦、ごめんね」
 詩織はぼくのことを下の名前で呼び捨てにする。ぼくも彼女を相澤と苗字で呼ぶ。小学生の頃からだ。
「何なんだよ、あれは!」
「……やっちゃった。あっ、ヘンな意味じゃないよ! 勘違いしないで! そっちはやってないから!」
 必死に弁解しているが、今はそんなことはどうでもいい。
 詩織は相変わらず笑っていた。いや、無理に笑顔を作ろうとしていた。
「これ、誰なんだ?」
「知らない。ネット回線の契約がどうたらこうたらと、訪問してきた人。ガマンできなくて、部屋に入れちゃった」
「ガマン?」
「そう。食べたくなって。ガブリと首筋に噛みついて」
 詩織は何を言っているのだ?

 先週末、詩織はソロキャンプをしに、首都圏から手近な天狗山へ行ったという。昔から自然とたわむれるのが好きな野生児の女の子だった。
 その山で、可愛いキノコを見つけたので、焼いて食べたそうだ。食い気も、それに何にでも興味を持つ性格も変わっていない。
 そして、体に異変が起きた。悪寒、吐き気、腹痛、痙攣……朦朧とする意識の中で、救急車を呼ぶしかないと思った。
 ちょうどその時、別のソロキャンをしていた人が、詩織の様子がおかしいと見にきたらしい。気づいたら、詩織は相手に噛みつき、夢中で生肉を食いちぎってほおばっていたという。すると、先ほどまでの体調不良は霧散していた。むしろ、元気いっぱい。意気揚々と帰宅の途についた。
 けれども数日後、ちょうど昨日のことだが、詩織はまたしても具合が悪くなった。もがき苦しんでいると、そこへ訪問販売がやってきたというわけだ。

 それよりもまず、目の前の惨状をどうにかしないと。詩織はおろおろしたままだ。
「警察に行ったほうがいいかな? それとも病院かな?」
「とにかく診察を受けよう」
「治るのかな? 痛いの、ヤダな。それに人も殺しちゃってるし……もう、普通の生活に戻れないよね。誰とも会えなくなる」
 詩織は笑みを浮かべつつも、ぽろぽろと涙を流し始めた。
 ここが運命の分岐点だった。そして、ぼくは一蓮托生の道を選んでしまった。詩織を囚われの身にしたくない。いや、そうじゃない。ぼくのわがまま、よこしまな心だ。
「安心しろ。相澤をどこにも行かせない」
「どういうこと?」
「今までどおり、ここにずっといればいい。ぼくが全面的にサポートする。さあ、片づけよう」
 ぼくはゴム手袋をして、恐る恐る肉片が残る骨の一部に近づいたが、どうしても触ることができなかった。
「ゴミ処理は任せて」
 詩織は素手でつかむと、ぽいっと可燃用の袋に入れた。
「明彦に相談してよかった!」
 すっかりニコニコ笑顔で、血の海を掃除し始めていた。

 以来、ぼくはバイトの出勤日を減らし、詩織の部屋に通うようになった。詩織は『エサ』さえ食せば、普通の肉体を維持し、外出も可能だった。
 目下、クリアしなければならないのは、『エサ』の確保だった。数日が経過して空腹になると、詩織は徐々におかしくなる。肉体も理性も。肌には、無数の小さなキノコが生えてくることも知った。
 どうやって『エサ』を入手すべきか、いろいろ試してみた。行き場のない家出娘。闇バイトに応募してくるような輩。ポスティングで回ってくる人。
 罪のない人ばかりが犠牲になってしまい、本当に申し訳ない。これも、詩織が生きていくためだ。
 やがて、一番効率がいいのは、スケベ心を丸出しにした男たちだと分かり、次々と獲物にした。詩織の顔写真付きで、ネット経由で出会うのだ。ホイホイついてきて、この部屋に踏み入れた途端、終了。あとはディナーだ。
 ぼくは詩織が調理するところには立ち会わない。だけど、食事は一緒にした。それくらいいいでしょと、詩織がお願いしてきたのだ。もちろん、ぼくは普通の食事だ。
「ひとりよりふたりで食べるほうが楽しいね。だけど、肉は若いほうが美味しいんだよなあ」
「贅沢を言うな」
「明彦の肉も、意外に美味しいかも」
「味見してみるか?」
「明彦がいなくなったら、エサ、もらえないも~ん」
 ぼくらは笑い合った。

 どうして、あんなセリフを吐いてしまったのだろう。今でも悔いが残る。
 小さい頃はいつも一緒だった。中学に入っても、詩織はぼくに何かと付きまとった。宿題を見せろとか、飲み物を買ってきてとか、傘を忘れたから入れてとか、そんな役目ばっかり。
「三組のササキ君に付き合ってほしいって言われたけど、どうしよう?」
「そんなの知るか」
「明彦次第なんだけどなあ」
「ぼくがいると邪魔なんだろ? だったら、もう話しかけないよ」
「あー、そうですか。今まで相手をしてあげていたのに、感謝のひとつもないんだね」
「こっちだって、君がいなくなれば、気がラクだ!」
 こうしてぼくと詩織は一切、口を利かなくなった。高校が同じになっても、他人同士。そしてふたりとも東京の別々の大学に進学し、疎遠になった。
 だけど今、ぼくは詩織と一緒にいる。それだけで十分だ。

 詩織とのふたりきりの夏休みが終わり、ぼくは後期の授業に出るようになった。そして、ぼくは知らぬまに、大きなミスをやらかしていた。
「須藤くん、最近、どこか山林や自然に囲まれた場所に行った?」
 キャンパスの廊下で、メガネ姿の女子学生に声をかけられた。必修科目の授業で、たびたび同席する、たしか二階堂礼子さんという名前だ。いつもと違って、今日は白衣を羽織っている。
 農学部植物病理学科に在籍する二階堂さんは、ゼミの実験に参加している最中に、見慣れないキノコの胞子が混入していることに気づいた。教授に調べてもらったところ、これは半世紀以上前に南洋で発見された、ツチグリ系の希少なキノコの一種だと判明した。日本では繁殖報告はされていない。いったい、どこからたどり着いたのか。
 毎回、この胞子が二階堂さんの衣類に付着するのは、ぼくと一緒の授業のあとだという結論に至った。
「あなたの体からマツタケアルコールの香りがする」
 二階堂さんはクンクン鼻を近づけてきた。
「知らないよ! 松茸なんて、そんな高価なモノ、食べたことないし!」
 ぼくは逃げるように立ち去った。

 けれど、ぼくたちは見つかってしまった。尾行してきたのか、二階堂さんは教授を連れて、詩織のアパートにやってきた。ちょうど詩織は『エサ』を求めて狩りに出かけていて、ぼくひとりが留守番の時に。
「須藤くん、いるのは分かっているのよ! 開けなさい!」
 どうにかして、別の場所へ連中を移動させなくては。しかし運悪く、詩織が男を連れて帰ってきて、玄関前で鉢合わせてしまった。
「須藤くんのお友達?」
 二階堂さんが詩織に声をかけているのが、ドア越しに聞こえる。連れてきた男は巻き込まれるのを避けるように逃げてしまった。
 ぼくと詩織は、招き入れた二階堂さんと教授に向き合って座ることになった。
「あのキノコ、天狗山で見つけたんです」
 詩織が具体的な場所を教えてあげると、教授は嬉しそうにメモを取り始めた。
「何かついていますよ」
 二階堂さんが詩織の額を指差した。マスクをしていた詩織だったが、眉間に小さなキノコが生えていたのだ。
「それ、ツチグリじゃないか! なぜ、あなたの皮膚に!」
 教授が身を乗り出してきたので、ぼくはさえぎるように割って入った。だが、二階堂さんが隙を突いて、詩織のマスクを剥ぎ取った。詩織の口元や鼻の横も、キノコだらけだった。
 詩織は二階堂さんに飛びついた。無我夢中で喉元に噛みつき、食いちぎった。赤い噴水が天井まで届く。
「相澤、やめるんだ!」
 詩織を必死に押さえつけようとしたため、一目散に外へ飛び出ていく教授を捕まえるのには間に合わなかった。
 詩織は二階堂さんをむさぼり続け、ぼくは眺めるしかなかった。やがて、元の詩織に戻って、屈託のない笑みを向けてきた。
「ごちそうさま~!」

 ぼくは詩織を連れて部屋を出た。どこへ逃げればいい。ぼくたちの実家がある地元か。すでに警察の手が回っているだろう。
 現在の深刻な状況を受け入れてから、詩織はずっと暗い顔をしていた。自首すると言い出したが、ぼくは止めた。
「そうだよね。明彦にも迷惑がかかっちゃう」
 ぼくのことはどうだっていい。詩織はどうなってしまうのだ? 元の人間に戻れるのか。ずっと病院で治療を続けるのか。犯罪にも手を染めた。すべてが終わりだ。
 だけど、少しでも彼女と一緒にいたかった。
「天狗山に行きたい」
 詩織の望みどおりに、ぼくたちは向かった。

「明彦、ここでさよなら」
 鬱蒼と生い茂る山のふもとにたどり着くと、詩織が切り出した。
「ぼくも一緒に行くよ」
 彼女は首を横に振った。
「アタシのこと、忘れないでね」
「ぼくを食べてくれ! そうしたら一緒になれる! ずっと一緒にいたいんだ!」
「何それ? 今頃、言っても遅いよ」
 もはや彼女は人の形を最低限にしかとどめていなかった。それでもぼくは彼女を抱きしめようとした。だが、思いっきり突き飛ばされ、ぼくはあおむけに倒れて、腰を強打した。
「本当はキスのサービスでもしてあげたかったんだけど、叶わなかったなあ」
 よろよろと森の奥へ歩み始めた。
「詩織!」
 彼女は足を止めたが、振り返らなかった。
「やっと、下の名前で呼んでくれた……。じゃあ、またね!」
 そのまま木々のあいだに消えていくのを、ぼくは見送るしかなかった。

 天狗山の大捜索がおこなわれたが、詩織は見つからなかった。
 ぼくは拘束され、病院の検査を受けて異常がないと分かると、裁判へとかけられた。連続殺人の幇助と死体遺棄の罪に問われて。弁護士は詩織の猟奇性と脅迫を理由に、ぼくの減刑を求めた。
 詩織のことをどう言われようと、ぼくは無言を貫き通した。もういない彼女のことを口にしたくなかった。結局、ぼくには実刑判決が下った。
 あれから時が経ち、ぼくは実社会へ戻ることになった。夢も希望もないが、唯一、行きたいところがあった。
 今、ぼくは天狗山に来ている。ひと気のない生い茂った斜面を登っていくと、開けた場所があった。そこは一面、キノコに覆いつくされていた。
 ぼくは目を閉じ、大きく息を吸った。
「本当に来たんだね!」
 笑いを含んだ彼女の声が聞こえたような気がして、ぼくは返事をした。
「またね、と言ったじゃないか」

               (了)
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