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魔ネキン

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【持ち帰った男性型マネキンは生身の姿と化した】



 その日、残業帰りの私は夜道でつまずいた。吹っ飛んだメガネを拾ってかけ直し、後方を見る。道端のゴミ捨て場から、はみ出たマネキンが横たわっていた。男性の。全裸の。
 私はマネキンを持ち帰り、彼と暮らすことにした。名前はアンディ。昔に見たことがある、人形ホラー映画の少年から引用した。
「おはよう、アンディ」
「ただいま、アンディ」
「おやすみ、アンディ」
 イケメン細マッチョの彼は生まれたての姿のまま、殺風景なワンルームの片隅に立てかけてある。寝る時は隣に。その硬くひんやりした胸板を撫で回しながら、深い眠りに就くのだった。
 いつも一緒、いつまでも一緒。

 その晩、一人寂しくジグソーパズルをしていた時だ。いや、寂しくなんかない。アンディが壁際から見守ってくれている。
「それ、違うな~」
 私は不思議そうに室内を見回した。アンディは不動の姿勢。気を取り直して、パズルを再開する。
「だから、それ、違うって~」
 振り返った瞬間、アンディが倒れてきた。彼の胸に押しつぶされる私。生暖かい肉の感触。
「やあ、トモコ」
 笑顔のアンディが間近にあった。

「石島さん、お疲れ様です」
 帰り道、後ろから呼びかけられた。スーツ姿の同僚、小野田さんだった。
「石島さんもここを通り道にしているんですね」
 公園を斜めに突っ切ると近道なのだが、私は目を合わせられず、うつむきながら頷くだけだった。小野田さんもどことなく緊張しているように見える。控えめな性格で、社内でも挨拶をする程度だ。
「僕が先に行ったほうがいいですか? 石島さんが先に行きます? 一緒だと嫌でしょうから」
「別に構いませんけど……」
「そうですか。では、ちょっとだけ離れて歩きましょう」
 微妙な間を空けて、私たちは歩き始めた。

 初めてフェイスパックを使ってみた。鏡で自分の顔を見ると、かなり怖い。
「まるで殺人鬼キャラみたいだね」
 アンディはベッドでゴロンとなりながら、スマホゲームをやっている。くつろぎすぎじゃないか。波打つ筋肉が目立つ。せめて下半身に一枚くらいは、何か穿いてほしい。
「最近、トモコは楽しそうだね」
「そんなことないよ」
「もうメガネはかけないの?」
「レンズが曇るしね」
 コンタクトに変えたのは、曇るのが理由ではない。
「あ、メッセージが来たよ」
 私は慌ててアンディからスマホを奪った。
「小野田さんって、誰?」
「アンディには関係ない」
 私は返信のメッセージを打ち始めた。

 小野田さんと帰る日が続いた。今日は珍しく、ご飯を一緒に食べた。牛丼チェーン店だけれど、逆に私はそのほうが気が楽だった。
「すみません! お借りします!」
 体をくの字に曲げて、お腹を押さえながら小野田さんは私に続いて玄関内に入ってきた。顔面蒼白とはこのことだ。
「こちらです、どうぞ」
 トイレを案内すると、小野田さんは中へ駆け込んだ。
 部屋ではアンディが相変わらず、一糸まとわぬ姿で筋トレをしていた。
「お客さん? 紹介してよ」
「いいから、静かにしてて」
「トモコも男を連れ込むようになったか」
「違うって! 急にお腹の調子が悪くなっただけ」
「男の常套句だね」
 ようやく小野田さんがトイレから出てきて、恐縮そうに顔を覗かせた。
「あの……どうもありがとうございました。これで失礼します」
「コーヒーだけでもどうぞ」
「でも……どなたかいるんですよね?」
「ええ、紹介します」
 私は小野田さんを招き入れた。
「アンディです」
 かしこまったマネキン人形が突っ立っている。小野田さんはどうリアクションしていいのか分からないようだが、少なくともホッとしていた。
「すぐにコーヒーを淹れますから、座っててください」
 私は急いで支度を始めた。
 小野田さんはマネキンと向き合い、挨拶した。
「やあ、僕は小野田芳樹! よろしく!」
 ふざけて手を差し出した。すると、アンディが握り返した。
「俺はアンディだ!」
 小野田さんに思いっきり頭突きを食らわすのが見えた。
「アンディ!」
 私は慌てて駆け寄った。
「ひどいじゃない! 小野田さんに何するの!」
「こいつ、舐めた態度だったから」
 小野田さんは朦朧としながら立ち上がり、よろよろと玄関へ向かった。
「小野田さん、大丈夫?」
「ごめん、帰る」
 そのまま私を見ることもなく出ていってしまった。
「俺、トモコの邪魔しちゃったかなあ~」
 アンディは屈託のない笑顔で、また腕立て伏せを始めていた。
 私は裏切ることにした。
 カチカチに硬くなったアンディを脇に抱えてやってくると、アパート前のゴミ捨て場に置いた。一応、『粗大ごみ』のシールが貼って。

「この前は本当にごめんなさい」
 私はお詫びするつもりで、小野田さんを晩ごはんに招くことにした。小野田さんは玄関の外から警戒しながら中を窺っていた。
「もう大丈夫ですから、どうぞどうぞ」
 室内に入り、私は愕然とした。マッパのマネキンが屹立していた。
「どうしているの!」
 小野田さんも不安がっている。
「やっぱり僕は帰るよ……」
「小野田さんはいて! 捨ててくるから!」
 私は小野田さんを残し、ゴミ捨て場にマネキンを叩きつけた。情けなんてかけるんじゃなかった。
 アパートへ戻ろうとすると、背後から声がした。
「トモコ……」
 振り返ると、アンディが不気味な笑みで立っていた。
「もう来ないで!」
 だが、アンディは立ち塞がる私を振り払うと、そのまま部屋へと向かった。
「待って、アンディ!」
 開け放たれたドア。中は静まり返っている。私は恐る恐る足を踏み入れた。
 裸のアンディが一人で待っていた。
「お帰り、トモコ」
「小野田さんは帰ったの?」
「あいつなら、そこだよ」
 一方の床に、スーツ姿のマネキンが転がっていた。

             (了)
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