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第八話 お嬢様はピーマンがお嫌いのようです。

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「んぅ~、いい天気ね~。清々しい気分ね」

「………そうなんですか?」

「あら、どうしてよ」

 広々とした青空、見晴らしのいい草原、澄み渡るような清風。

「僕は人の部屋を荒らしまわってる最中に清々しい気持ちに離れません……」

 そんな光景が恋しくなる、お部屋荒らしの最中だった。

「ムッ、生意気ね。使用人なら現実逃避したい私の気持ちを察して合わせなさいよ」

「お嬢様、現実逃避する方向が間違ってます。これじゃただの悪人ですよ」

「私だってやりたくないわよ、こんなこと」

「だったら、素直に瑞江さんに謝ればよろしいんじゃないですか?」

「そ、それはダメ!! 瑞江に知られたらその先に待っているのは地獄だけよっ!!」

  ここは瑞江さんが使っている私室だ。

  簡素な部屋の中はきちんと整理整頓され、掃除も行き届いていた。

 お嬢様の演奏まで残り二週間となった休日。

  こんな大切な時期にこんなことをしているのはもちろん理由があった。

「いいから、とにかく急いで楽譜を探すのよっ!! って、わわっ!?」

「アリスお嬢様っ!?」

 バサバサッ、と棚に詰められた紙の山がお嬢様へ向けて崩れる。

「ケホケホッ」

「大丈夫ですか!?」

 慌ててお嬢様に駆け寄って大量の楽譜をどける。

「平気よ」

 お嬢様はパッ、パッ、と服のホコリを払う。

「やっぱり、きちんと瑞江さんに謝ったほうがいいと思いますよ。素直に楽譜をダメにしてしまったって」

 そうなのだ。午前中の練習中、休憩に差し入れたココアをお嬢様が誤って楽譜にこぼしてしまったのだ。

  慌てて楽譜を修復しようとしたものの、ココアのしみは取りきれず、よれて滲んでしまった五線譜と音符はもはや使い物にはならなかった。

「お嬢様の受け取った方は原譜だったんですよね。いくらあの楽譜が瑞江さんが編曲したものでも、コピーはあってもここにもう一枚原譜があるとは思えませんよ」

 手書き楽譜の保存法は人それぞれだったが、瑞江さんは一部の例外を除いて自分が書いた楽譜は一度コピーした方を棚に入れておくようにしているらしい。つまり、瑞江さんの手書きの原譜はここにない可能性が高いことはお嬢様も理解しているはずなのだが………。

「あ、あるわよ、きっと。もう一枚くらい」

「いやいや、きっとってアリスお嬢様……」

「う、うるさいうるさいうるさーいっ!! あるかもしれないじゃない、もう一枚っ!!」

「どうしてそんなに謝りたくないんですか」

「ピーマンまみれの食事になるのが嫌なのよっ!!」

 ピーマン、苦手なのか。
  そういえば普段の食事にはピーマンはひとつも使ってなかった気がする。

「ピーマンって……、子供ですか」

「ピーマンを食べさせられるぐらいなら子供でも構わないわっ!!」

「そんなこと言っても、あるかどうかもわからない楽譜をここから探し出すのは時間的に厳しすぎませんか」

 瑞江さんは玖炎家の本家の方でどうしてもは外せない用事があるらしく、高津さん共々出かけていて今日は夜遅くまで帰って来れないらしい。

  つまり、今日一日は時間的猶予があるわけだが、部屋の棚の楽譜には手直し前のものだったり、同じ曲でも違う人が編曲したものだったりとかなりの量と種類の楽譜が収められてあった。

「アリスお嬢様、僕も一緒に謝ってあげますから」

「子供扱いしないで頂戴っ!!」

 子供でも構わないって言ったじゃないですか。

「ダメ元で白紙の五線譜に書き出してみたらどうですか」

「さっきも言ったけど無理よ」

「でも、もう譜面は頭に入ってるんですよね?」

「そうじゃなくて……瑞江、音符の書き方が独特な癖があるのよ。私がちょっと真似してみてもすぐバレるわ。だからやっぱり、どうにかして瑞江直筆の原本を手に入れるしかないの」

「そうですか、分かりました、作業を続けましょう」

 これは折れそうにはないと見て言われたとおりに作業へ戻る。
 正直、家探しみたいどころかガチで家探しなので気は進まないがお嬢様に逆らうのもいかなかった。瑞江さんには悪いが、ここはお嬢様の方に味方させてもらおう。

(せめて、心の中でだけでも謝って………)

 と、開いたファイルの隙間から写真が床に落ちた。

(………謝らなくてもいいかもしれない)

 前に一度騙されてはかされた半ズボン姿の自分の盗撮写真を仕舞い込み、改めて深くため息をついた。
  
  



「………やっぱり、見つかりませんでしたね」

「………」
 結局、全部の楽譜を棚から出してみても探していた楽譜は見つからなかった。
 
  目的の楽譜の代わりに出てきたのは少年の写真だったり、少年の写真だったり、少年の写真だったりだ。

「う、うう、きっとどこかまだ探してない場所があるはずよ!!」

「そんなこと言っても、棚の楽譜は全部出しちゃってるじゃないですか」

「それは……そう、ね」

 ガクリと膝をついたお嬢様はわかりやすく暗い表情で『ピーマンご飯、ピーマンの炒め物、ピーマンサラダ、ピーマンスティック、ピーマ……』とうなだれている。

 部屋にはうず高く山積みになった楽譜が置かれている。
 棚にきっちりと収められていた時も壮観だったが、こうして床に広げてみるととても個人が趣味で貯蔵するような量には思えなかった。

「それにしても、本当にすごい量の楽譜ですね。ドイツ語みたいな書き込みもたくさんありましたし」

「それ、ドイツ語じゃなくてフランス語よ、もともと瑞江はフランスでピアノを弾いてたの。でも、他人の楽譜をそのまま使うのがイヤで全部自分で編曲するか作曲するかしてたらしいから、その時の楽譜がソレ」

「へぇ、そうなんですか」

「あら、驚かないのね」

「いや、瑞江さんならアリかなぁ、と」

 それよりむしろ、どうしてそんな瑞江さんがメイドをしているのかの方が気になった。

「でも、二台ピアノ用の楽譜は一枚もなかったですね。別に保管してるんでしょうか」

「え? そういえば、二台ピアノ用の楽譜は見なかったわね、でも、他に楽譜を保管するような場所は屋敷もないし、よく考えたら二台ピアノの演奏なんて………」

「アリスお嬢様?」

「待って、そういえば確か………」

 お嬢様は少しだけ考えをまとめるように俯いたあと、跳ね上がるように顔を上げた。

「………あった」

「え?」

「もう一つありそうな場所があったわっ!!」

「え、え?」

「これでピーマン地獄から抜け出せそうね、お手柄よ海人っ!!」

「あ、は、はぁ、ありがとうございます?」

 すっかり話においていかれてしまった。

  感極まった様子のお嬢様はさっきとは打って変わってはしゃいだ様子になっていた。

「ほら、何してるのよっ、早く準備なさい」

「あ、はい。…………なんのですか?」

 内容を聞くより先に承諾してしまうあたりに我ながら使用人根性が染み付いてきた気がする。

「出かける準備よ、決まってるじゃない」

「出かけるって、どこにですか?」

「私の学校よ。目指す本丸はそこに眠っているわ」
  
 そういったお嬢様の瞳がキランッ、と輝いたように見えた。
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