【完結】うだつが上がらない底辺冒険者だったオッサンは命を燃やして強くなる

邪代夜叉(ヤシロヤシャ)

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【63】伝説の勇者のように

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 夜明け。
 空の端が白くにじみ、霧のような朝靄が村を包んでいた。
 トーマは寝静まる家の中で、慎重に装備の留め具を締める。革鎧が軋み、金属の音がわずかに響いた。スハァルたちを起こさぬよう、息を殺しながら戸口の鍵を外す。
 ――軋む音。
 扉の向こうには、冷えきった朝の空気があった。

 道具袋の重みが肩にのしかかる。腰のポーチには、スハァルが夜なべして作った魔法の巻物がぎっしりと詰まっていた。触れると、まだわずかに彼女の温もりが残っているようだ。
 ひとつひとつ、彼女の手の跡がある。すべて、報酬も受け取らずに「使って」と渡されたものだった。

「……ありがとな、スハァル。必ず帰ってくるからな」

 白い息がこぼれ、凍るように空へ溶けていく。

 その背を、窓辺からスハァルが優しく見守っていた。
 送る言葉はなかった。ただ、指先が窓枠を強く握りしめていた。

 トーマは一度も振り返らず、歩き出した。
 向かう先は、半年前に自ら発見した――ガルソン洞窟。

 かつては森の奥に隠され、獣しか通らぬような細道しかなかったが、今では村人や冒険者の手によって木々は伐り払われ、洞窟までまっすぐに続く一本の道ができていた。

 洞窟の入り口に立つ。
 暗闇はまるで巨大な口を開けて、侵入者を飲み込もうとしているかのようだ。

「行くぞ!」

 自らを鼓舞するように呟いた声が、岩壁に反響して返る。
 もう後戻りは出来ない。この洞窟を出る時はダンジョンを制覇した時か、それとも言葉を発しない骸となった時か。

 一歩、足を踏み入れた瞬間――空気が変わった。

 湿り気を帯びた冷気が頬を撫で、鉄と血の匂いが鼻を刺す。
 地の底から、何かがこちらを見上げているような圧。

 トーマの胸の奥で、鼓動が静かに高鳴る。

 懐から地図を取り出す。
 セリヤが譲ってくれた、迷宮踏査マッピング済みの洞窟地図。

 赤線は近道ルート、青い丸は魔獣の出没地点。細やかな筆跡に、彼女の几帳面な性格が滲んでいる。

「無駄な戦闘は避けて、最短で行く……」

 足を進めるごとに、空気はさらに重く、濃くなっていく。

 その道中、半年前には存在しなかったものが目に入った。壁のあちらこちらに、淡く光る苔が張りついている。

 緑の光がゆらゆらと揺れ、トーマの影を岩肌に長く引き伸ばす。
 それは自然に生えたものではない。冒険者たちが撒いた光苔――魔素を吸い上げて発光する、即席の灯りだ。

「おかげで、松明を使わなくていいな」

 小さく呟きながら、トーマは進む。
 やがて、遠くから人の声と鉄のぶつかり合う音が聞こえてきた。

 第一層などの浅い階層には、ちらほらと冒険者の姿があった。
 火花が散り、若い冒険者の掛け声や獣の断末魔が反響する。

「おい、そっちの通路、ゴブリンが二匹逃げたぞ!」
「任せろ、そっちは俺がやる!」

 トーマは足を止め、しばしその光景を眺めた。
 彼らの剣捌きは拙いが、そこには熱があった。
 戦いを楽しむ者の、若さゆえの無謀な輝き。

 ここは訓練場のようなものだろう。
 腕試し、素材集め、仲間との連携を試すための場所。
 冒険の入り口としてはうってつけだ。

 だが、階層を下りるたび、空気のぬるさは消え、冷たく沈んでいく。
 やがて人々の声は途絶え、聞こえるのは水滴の音と、自らの靴音だけになった。

 下層に向かう途中、数人の冒険者とすれ違う。
 皆、疲れた表情を浮かべながらも、獲物や素材を抱えていた。

「おい、あんた――まさか一人で潜っているのか?」

 ある者が、トーマの姿を一瞥し、驚いたように声をかけてきた。

「ああ」

「おいおい、本気かよ。ここは★1とかじゃなくて、★4のダンジョンだぜ。たった一人で挑むなんて、死に行くようなものだぞ」

「ああ、わかっている。まあ、死ぬ気でこのダンジョン制覇を目指しているからな」

単独ソロで制覇かよ。おいおい、かの勇者アストルになろうとしているのか? 悪いことは言わね。どうせ物見遊山とかだろう。止めて引き返しな」

「ヤバくなったら、逃げるさ」

 トーマはそう言い残し、振り向かずに歩き出した。
 冒険者たちは言葉を失い、闇の中に消えていく背をただ見送るしかなかった。

 光苔の灯が徐々に減っていき、暗闇が深く、魔素が濃くなっていく。
 ここから先は、誰も“訓練”のつもりでは踏み込まない領域。

 トーマは腰の短剣グラディウスに手をかけ、息を整えた。

 冷たい岩肌を伝う水音が、まるで鼓動のように響く。
 その一歩ごとに、彼の影は深く沈み、やがて完全に闇に溶けていった。

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