雨降る朔日

ゆきか

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第一幕 白磁の神

四 シュトーレン?

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 カペラの国土の大部分は白い山々に占められている。
 環境が厳しいため、人間の暮らす場所は比較的気候の穏やかな平地のごく一部の地域に限られると言われている。

 白磁山の北に連なる山々。白い険しい岩山の合間に、ぽつりと白の洋館が建っている。
 雪の白と同化して景色に溶け込んでおり、時間帯や見る角度によっては目を凝らさないと存在に気付くことができない。
 物好きな富豪の建てた別荘と思われるが、今は空き家となっている。

 主人を失った容れ物を放置すると、そこには人ならざるものが入り込むものだ。
 二階の一室にふたつの美しい姿がある。

 ミーシャはある気配を感じ、窓際に立って外を見た。

 清浄な深山の霧のように揺れる白銀の髪。長い睫毛の隙間から覗く鮮烈な赤。
 今宵は新月。月明かりの無い、真の闇である。

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 寝台に横たわったクレアが尋ねる。この世のものではないような、人間には馴染みのない不思議な音の言語だ。ミーシャとよく似た白い顔が、サイドテーブルに置かれたランプの淡い光に照らされている。
 クレアの瞳も赤い。腹の大きく膨らんだ身体を、白銀の髪が美しい曲線を描いて包み込んでいる。

 ミーシャはざわめく心を落ち着かせるように静かに息を吐いてから、クレアと同じ言語で、声が震えないように答える。

「……迎えにきたみたいだ」

 クレアは目を閉じて耳を澄ました。

「………お母様の音? ……ううん、すこし違うみたい。何かしら、どちらかというと、わたしたちに似ているような」

「こちらへ向かってきている。ぼくたちがここに潜んでいることが把握されているかもしれない。早く離れよう」

 ミーシャはそっとクレアの手を取った。

「クレア、動けるかい?」

「んっ……」

「気をつけて。慌てなくていい」

 クレアは体を支えられながらゆっくりと体を起こして立ち上がったが、歩こうとするとよろめいて、ミーシャに抱き止められた。

「ぼくが連れていくから任せて」

「けど、お兄ちゃんだって。わたしはいいから先に行って」

「それはできない」

 即答されたクレアは強い瞳でミーシャを見つめる。

「わたしならお母様と話ができるかもしれないわ」

「だめだ、危険すぎる。さあ、行くよ」

「でもお兄ちゃん……わっ!」

 ミーシャはクレアを抱え、音を立てずに窓から飛び降りた。猫を思わせる、重力を感じさせない動き。

 ──分が悪いな。月さえ出ていれば。目覚めていられただけ運が良かったか。

 思わず舌打ちをするところであったが妹の前であることを意識して抑え、月明かりの無い漆黒の空を一瞥する。

 ──ついにここまでなのか。……いや、できるだけのことをしよう。

 近付いてくる気配とは反対の、南東の方角へ向かって走り出す。足音を立てず、気配を消して、目にも止まらぬ速さで雪の中を駆け抜けていく。

 しかし山を一つ越えたところで膝をついてしまった。
 ミーシャの腕の力が緩んで、クレアは落ちそうになる。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 返事がない。苦しそうな呼吸音と喉の奥から漏れる声が耳元に聞こえる。

「お兄ちゃん?」

「………ああ、大丈夫、少し疲れただけだよ。……っ、」

 ミーシャの体中からパキパキと石の割れる透明な音が幽かに聞こえる。体に耳を当てないと聞こえないほどの小さな音だ。

「痛いの?」

 首を横に振る。

「心配しないで。……行こうか」

 呼吸を整え、クレアをしっかりと抱え直し、よろよろと立ち上がって再び走り出した。


- - - - - - -


 朔夜は楽しそうだ。

「これはシラビソかな」

「そうだよ。珠白でも見られる場所はあるが、綴見町よりも北の方だね」

 白磁山には、綴見町では見かけない植物や樹木が多く自生している。

 この時期は多くの植物が深い雪の下で眠っているが、朔夜にとってはそれでも十分に面白い。気になるものを見つけては足を止めて観察している。
 普段の朔夜であればスケッチや樹木の採取を行うところだが、祭礼の日の白磁山でそのようなことをする無神経さは持ち合わせていなかった。

「あったかくなって雪が解けてくると、色々な植物が見られるよ。コジシオウレン、ミヤマリンドウなど、美しい花々も咲く。また遊びに連れてきてあげよう」

「こんどは秋祭りの日とか言わないでくれよ。あ、この木は……」

 朔夜が立ち止まるせいで予定よりも少し遅れているが、想定内なので一果は焦らない。

 陽が落ちて暗くなり始めたかと思うと、辺りは瞬く間に暗闇に飲み込まれてしまった。
 自分の体の輪郭さえ見えない、前後も天地も見失い、空間に体が溶けこんでしまったかのような心地は、不思議と朔夜の心を落ち着かせた。このまま眠りに落ちてしまいたいような、永遠にこの空間を漂っていたいような、いつか訪れる夜明けを漠然と恐れるような、そんな気持ちにさせた。この感覚には覚えがある。
 それが何だったか思い出しかけたときに、一果の陽気な声が聞こえた。

「今夜は新月だから月明かりが無いんだよね。でも心配ないよ。じゃじゃん」

 朔夜の目の前にパッと突然強い光が灯った。一果が袖の中から提灯を出したのである。

「びっくりした、急に明るくするなよ」

「これはあたしが特別に改造した灯りだ。普通の提灯よりもずっと遠くまで照らせるよ」

 一果は得意気に提灯を高く上げて見せるが、朔夜は顔の前に手を広げてぎゅっと目を閉じている。


- - - - - - -


 その頃、綴見町では、白磁の姫神を迎える春祭りが始まっていた。

 九日間の潔斎により身を清めた斎主──花扇梓はなおうぎあずさは、白い装束に身を包み、清められた六畳間に巌のごとく座している。

 外では篝火かがりびが焚かれている。
 白磁山の方角から鈴の音が近付いてくる。
 その音の主は、提灯を下げた子供たちを伴って田の畦道を歩いてくる、二つの姿。
 淡く光るような純白に摺箔で繊細な紋様の描かれた衣を頭から被り、面を付け、手には鈴。

 しゃらん、と振り下ろされる鈴から、綴見の地に雨が降り注ぐかのようだ。


- - - - - - -


 轟音が響いた。
 朔夜は音の聞こえた方を見るが、暗くて遠くの様子はわからない。
 北西の方角。ここよりも標高のやや高いところ。さほど遠くはなさそうだ。
 同じ音が続けて何度も聞こえてくる。

「動き出したようだね。行くよ」

「何が!?」

「シェデーヴルだ」

 一果は獲物を見つけた悪人のような笑みを浮かべて呟き、音の方へ走り出した。

「シュトーレン? おい、母さん!」

 雪山に一人で残されたら、生きて帰れるか分からない。
 朔夜は一果を見失わないよう必死で追いかけた。
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