雨降る朔日

ゆきか

文字の大きさ
16 / 39
第三幕 氷室の祭礼

二 咲くや、此の花、優しい名ね。

しおりを挟む
 秋の終わりの日没は早い。水面が茜色に眩しく瞬く川沿いを、学校帰りの生徒たちが歩いている。

「今日はちゃんと起きてたね」

 司が朔夜の背中に残った葉っぱを取りながら言う。

「やればできるじゃないか」

 蓮が朔夜の頭を撫でる。

「昨晩はおふとんで寝たから」

「誇らしげに言わないでよ。毎日そうしなよ」

 ごもっともな司の言葉。

「分かってるよ………」

 聞き飽きたというふうに膨れる朔夜に、司は気になっていたことをたずねる。

「どうして朔夜はそんなに無茶をするの?」

「早く一人前になりたいんだ」

「でも、一果先生に急かされているわけではないんだろ?」

「そうだけど、早くしないといけないような気がするんだ。漠然とそう感じているんだ。上手く説明できないんだけど、期限がすぐそこまで迫っているような感じ……」

 朔夜の声が徐々に小さくなる。蓮と司には朔夜の言葉の意味が理解できない。しかし友人が何やら追い詰められているらしいことは分かった。

「………何言ってるんだよ。一生かけて立派な薬師になればいいんじゃないの。一果先生もきっとそう思ってるよ」

「そうだぞ朔夜。休みの日や学校帰りは一緒に遊んでほしいしさ」

 二人は左右から朔夜にこつんと体当たりした。挟まれながら朔夜は笑った。

「ありがとう。変なこと言ってごめん」

「気にするなって。それより、今日は往診の予定は無いんだろ? これからどこか行きたいところはないか?」

 元気付けようという蓮の気遣いだろう。
 朔夜は俯いて少し考えてから、遠慮がちに答える。

「貸本屋に寄っていい?」

「朔夜が行きたいところを言うなんて珍しいね。いつも『どこでもいい』って言うのに」


- - - - - - -


 朔夜が指定した貸本屋は茶屋町の外れの路地裏にある。学生たちが集まるのは学校の近くの大通りの貸本屋だが、そこには目当ての本は無いのだという。
 茶屋町は百辰はくたつ神社の横のうたい坂の袂にあって、仕事でよく行き通いする場所なのに、一果に教えられるまで貸本屋の存在には気付けなかった。

 一果の手書きの地図を見ながら人気ひとけのない薄暗い路地裏を進んでいくと、それらしいものを見つけた。
 行燈あんどんに墨で「かしほん」と書かれたのが軒先に掛けられている。足元には、季節はとうに過ぎているはずの白い曼珠沙華まんじゅしゃげが咲いていた。

「朔夜、大丈夫なのか? 怪しい店じゃないよな」

「母さんは怪しくないって言ってた」

「ますます怪しいよ」

 朔夜が先陣を切って古い作りの扉を開けると、伽羅きゃらの香りがした。

「こんにちは」

 礼儀正しく挨拶をして店に入ると、黒に彼岸花を染め抜いた丸髷の女がちらりと三人を見た。
 文机の前に斜め座りする裾から朱色の長襦袢が流れている。
 文机に描かれた陣の上で、大小色彩いろいろの石を白い手で転がしている。弄石ろうせきと言って、石を蒐集する趣味がある。集めた石は飾るばかりではなく占いに使うのが石のほんとうの楽しみ方だというのが彼女の考え方だ。

「いらっしゃい。あら、霜辻医院の坊やじゃないの。お友達と一緒? 店に来てくれるのは初めてね」

「どうしておれのことを?」

「こんなに小さい赤ちゃんの頃に、一果先生が連れてきてくれたんですよ。大きくなったのね」

 赤ちゃんのころの顔しか知らないのにどうして朔夜って分かるんだよ……と、蓮と司が朔夜の後ろで囁きあっている。

「それで、どんな本をお探しかしら。残念だけど、医学書は置いておりませんよ」

「カペラの言葉が勉強できる本はありますか? 発音も載っているのがいい」

「奥にあったかしら……。探してきますね」

 店主は立ち上がり、店の奥へと姿を消した。

「カペラの言葉? どうしたんだよ急に」

 蓮の問いに、朔夜本人より先に司が答えた。

「分かった、また一果先生に変な課題を出されたんだ」

「そんなところかな……」

 嘘ではない。修復の方法の手掛かりがミーシャから聞けるかもしれないからだ。
 しかし朔夜にとってはそれと同じくらい大きな理由があった。

 ──言葉の通じない異国に連れてこられたら、どれほど心細いだろう。

「この本はどうかしら。分かりやすくて、発音は全て仮名で書かれていますよ。辞書もあるとよいと思って一緒に持ってきましたよ」

 戻った店主が持ってきた本を、朔夜は大切そうに受け取った。

「いつまでに返せばいいですか?」

「この店の本は、一月後までに返していただくことになっています。でも、その本を借りたい人は綴見には他におられないでしょうし、ひと月ごとに代金を払いにいらしてくれさえすれば、いつまで借りていてもよろしいですよ。けれど、ほんとうに外国語を学ぶつもりであれば、辞書は買うことをおすすめするわ」

 司と蓮は絵草紙を借りた。三人で店を出ようとすると、店主が朔夜を呼び止めた。

「あなた、お名前は何といったかしら」

「霜辻朔夜といいます」

「さくや、さくや……。咲くや、の花、優しい名ね。春生まれ?」

「いいえ、秋です。新月に生まれました」

「成程、なら朔日ついたちの夜と書く方ね。美しい少年にふさわしい名……。そう、朔日に生まれたの………」

 陣の上で石を転がしながらぼそぼそと呟いている。

「それがどうかしましたか?」

「あら、医者なのに知らないの? 珠白ではね、朔日には子供が生まれないの」

「まさか、迷信ですよ。おれは朔日に母さんから生まれたんです。母がこのことに嘘をつく理由はありません」

「そう」

 店主は微笑んで石を片付けた。

 朔夜が店を出ると、司と蓮が落ち着かない様子で待っていた。

「帰ってきた!」

「鬼に食われたりしてるかもしれないから助けに行こうかって話し合ってたんだよ!」

 いくらこの店の雰囲気が怪しげだからって妄想が過ぎるだろう、と朔夜は呆れて笑った。

「話してただけだよ」

「何を話してたんだよ」

「ちょっと、占ってもらってた。あまり当たらないみたいだ」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を

花籠しずく
キャラ文芸
 ――ですが、わたくしは生まれました。あなたに会うために。  月のものが来るようになってから、琥珀は不思議な夢を見る。誰かに探されている夢。きっと大切な人だったことは分かるのに、目が覚めると朧気で何も思い出せない。婚約者である志貴の言いなりの人形になる生活をし、生家とは会うと脅され、心が疲弊していたある日、家からひとり抜け出すと、妖魔のようなものに出会う。呪術師である志貴に、一時祓ってもらいはしたが、不思議と心が痛む。夢に美しい男が現れ、声に導かれるようにして、ある山のふもとの、廃れた神社の中に入ると、そこには苦しそうに蹲るあの妖魔がいた。琥珀はそれが夢に現れた、蘿月という男だと直感する。全身が黒い靄で包まれた彼の、靄を払う方法を、どうしてか琥珀は知っていた。口づけをし、息を吹き込むように、生きて、と願った。  帰ってすぐに志貴に殴られ、月のものがはじまっていたことが志貴にばれる。琥珀を穢そうとする志貴の様子に恐ろしさを覚えて、助けてと叫んだその瞬間、闇を裂くようにして、蘿月が現れた。 「琥珀は、俺が五百年待ち望んだ花嫁だ」  これは、時を超えて紡がれる愛の物語。そして虐げられた少女が、愛を知り、愛のために生きる自由を選ぶ物語。 ※R-15っぽいゆるい性描写があります。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

離縁の雨が降りやめば

碧月あめり
キャラ文芸
龍の眷属である竜堂家に生まれた葵は、三つのときに美雲神社の一つ目の龍神様の契約花嫁になった。 これは、龍の眷属である竜堂家が行わなければいけない古くからの習わしで、花嫁が十六になるときに龍神との離縁が約束されている。 花嫁が十六歳の誕生日を迎えると、不思議なことに大量の雨が降る。それは龍神が花嫁を現世に戻すために降らせる離縁の雨だと言われていて、雨は三日三晩降り続いたのちに止む。 雨がやめば、離縁された花嫁は次の龍神の花嫁を産むために美雲神社を去らなければいけない。 だが、葵には龍神との離縁後も美雲神社に留まりたい理由があった。 幼い頃から兄のように慕ってきた御蔭という人の存在があるからだ。 白銀の髪に隻眼の御蔭は美しく、どこか不思議な雰囲気を纏っているが美雲神社の人間からは《見えない存在》として扱われている。 御蔭とともにいることを願っている葵だが、彼のほうは葵に無頓着のようだった。 葵が十六の誕生日を迎えた日。不思議な雨が降り始める。習わし通りであれば三日降り続いたあとやむ雨が、なぜか十日以上も降りやまず……。

処理中です...