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第三幕 氷室の祭礼
五 花を折って供えるのと、何の違いがあるのでしょう。
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肌を焼くような日光と、青々と輝く草木が、夏の訪れを知らせる。
毎年この時期になると、しばらくのあいだ琥珀が行商に来なくなる。次に来るのは一月ほど先だ。前もって薬種を多めに仕入れておいたとはいえ、万が一切らしたら大変なことになる。可能な限り自分で栽培している薬草で賄えるように調合を工夫しなければならない。
朔夜が白い肌に汗を滲ませながら薬草園で薬草を採っていると、前方から元気な声が聞こえた。
「霜辻朔夜、覚悟!」
上から叩きつけられる木の棒を避ける。もう少し反応が遅れていたら顔に命中していた。
「やるわね」
ともえは木の棒を華麗にくるくると回している。親に竹刀を没収されたので、森で良い感じの棒を見つけてきたのだ。
「危ないだろ!」
「避けられたんだからいいじゃない」
「叫びながら正面から来られたら分かるに決まってる」
「朔夜が近頃ぼんやりしてるから、手加減してあげたのよ」
「そうか?」
「悩み事でもあるの? お姉さんに聞かせてごらんなさい」
実際に二つばかり年上だが、朔夜はともえを「お姉さん」だと思ったことはない。
悩み事、といえば心当たりはあるのだが、事情が事情なので、外で気軽に話せることではない。難しい顔をして黙っていると、名探偵のように口元に手を当てたともえが推理を披露した。
「また一果先生に無茶な課題を出されたんでしょ」
──どうしてみんな分かるんだ。
「そんなところかな……」
ともえは得意げな顔をする。
「一果先生から聞いたわよ。怪我した猫ちゃんを拾って、その治療とお世話を朔夜に任せたって。猫の治療をしたことがないから苦労してるそうね」
推理ではなかったらしい。「猫ちゃん」が何を指すのか、朔夜には瞬時に理解できた。
「猫ちゃん……ああそうだ、猫ちゃんを拾ったんだ。白いふわふわの」
「見せて!」
ともえが目をきらきらと輝かせて迫ってくる。
「それはできない」
「どうして?」
「すごく人間嫌いだから、引っ掻かれるかもしれない」
「朔夜は平気なの?」
「おれには引っ掻いてこないんだ」
「朔夜だけには懐いているのね」
「そう……なのかな」
あまり好かれていないように感じていたが、拒絶されないだけ上等なのかもしれない。そう思うと嬉しかった。
「名前は何ていうの?」
「みー………」
「みー?」
ミーシャなんて聞き慣れない響きの名前を言うと、理由などを聞かれて面倒な流れになるかもしれない。何か良い誤魔化し方は無いかと考えていると、あの呼び方を思い出した。
「みーちゃん………」
「かわいい! 朔夜がつけたの?」
「いや、母さんが」
「さすが先生ね!」
ともえの目の輝きが増している。白いふわふわの可愛いねこちゃんが此処に存在しないのが本当に申し訳ない。
「ともえ、ここにいたのですか。探しましたよ」
母屋の縁側から、穏やかだがよく通る年若い男性の声が聞こえた。
「げっ、光刻さん」
光刻と呼ばれた彼は庭に降りてパッと日傘を広げ、優雅に歩み寄ってきた。
長い髪を低く結び長絹を纏った高貴な青年。水色や浅葱の薄物を幾重にも重ねているが、その額には汗ひとつ見えない。
「そんなあからさまに嫌そうな顔をなさらないでください」
そう言ってから光刻はにこやかに朔夜の方を向いた。
「ああ、お話のところ失礼いたしました。氷連光刻と申します」
朔夜はその名前を聞いて、彼の身分を理解した。氷連家は珠白の氷室を管理する一族だ。花扇家はその分家に当たる。彼はその一族の嫡男だ。
帝都からはるばるこんなところへ、一体何をしに来たのだろうか。
「霜辻朔夜です」
「一果先生のお弟子さんですね」
「母のことをご存知なのですか」
「ええ。先生にはたいへんお世話になっております」
初耳だった。そもそも、一果は帝都が嫌いなので滅多に行くことは無いはずである。
朔夜が困っていると、光刻は背後に向かって声をかけた。
「ともえ、どこへ行くのですか」
見ると、二人が会話している隙にそろりそろりと距離を取っていたらしいともえが、逃げる構えに移っている。
「学校の花壇の水やりに行かなくちゃ。今日の当番なのを忘れておりましたわ。おほほ……」
「今日の当番は、あなたではなく九条さんでしょう」
「どうしてあなたがご存知なんですの!?」
悲鳴のような声を上げるともえ。走り出そうとしたが、手首をそっと掴んで引き止められた。
「逃げないでください。終わったら手合わせをして差し上げますから」
「あなたでは、わたしの相手になりません。お引き取りくださいな」
手を振り解き、ぷいっとそっぽを向いて立ち去ろうとする。
「あなたに勝つために、この一年のあいだ厳しい稽古を重ねてきたのですよ。今となっては氷連家の中では誰にも負けません」
「ふうん………そこまでおっしゃるなら、お相手さしあげてもよろしくてよ」
その返事を聞いて光刻は安心したように息を吐いた。
「では参りましょうか。……すみませんが朔夜さん、ともえは連れて行きます。五日後に氷室祭りがあるでしょう。ご存知の通り、珠白で最も古くから続いている祭礼です。花扇家の長女であるともえには、この祭礼に携わる義務があります」
そして、この祭礼を執り仕切る氷連家の跡継ぎである私には、本来の務めに関係ない剣術の腕を磨いてでもともえを連れて行く義務があるんです……という心の声が聞こえる。朔夜は同情した。
ともえは了承はしたものの、腕を組んで頬を膨らませている。
「ふん、最悪だわ。朔夜、この祭礼は、祭礼というだけでも嫌なのに、その上とっても悪趣味なの。小さな男の子を祭壇で……」
「ともえ。蛇神様のお怒りを鎮め、この国に豊かな雨を降らせていただくために大切な祭礼です。そのように申すものではありません」
嗜める光刻。
「彼らは神のために丹精込めて育てられた特別な美しい少年です。花を折って供えるのと、何の違いがあるのでしょう」
五日後の早朝、綴見町からも氷の塊が祭場へ向かって運ばれていった。
祭壇で丹のごとく赤い美しい花が散った。ほどなくして白雨によって洗い清められた。その後、雨雲は珠白じゅうにひろがり、優しい雨を降りそそいだ。
一果は「これは血を流す子供たちを憐れむ蛇神の涙だよ」と言った。
毎年この時期になると、しばらくのあいだ琥珀が行商に来なくなる。次に来るのは一月ほど先だ。前もって薬種を多めに仕入れておいたとはいえ、万が一切らしたら大変なことになる。可能な限り自分で栽培している薬草で賄えるように調合を工夫しなければならない。
朔夜が白い肌に汗を滲ませながら薬草園で薬草を採っていると、前方から元気な声が聞こえた。
「霜辻朔夜、覚悟!」
上から叩きつけられる木の棒を避ける。もう少し反応が遅れていたら顔に命中していた。
「やるわね」
ともえは木の棒を華麗にくるくると回している。親に竹刀を没収されたので、森で良い感じの棒を見つけてきたのだ。
「危ないだろ!」
「避けられたんだからいいじゃない」
「叫びながら正面から来られたら分かるに決まってる」
「朔夜が近頃ぼんやりしてるから、手加減してあげたのよ」
「そうか?」
「悩み事でもあるの? お姉さんに聞かせてごらんなさい」
実際に二つばかり年上だが、朔夜はともえを「お姉さん」だと思ったことはない。
悩み事、といえば心当たりはあるのだが、事情が事情なので、外で気軽に話せることではない。難しい顔をして黙っていると、名探偵のように口元に手を当てたともえが推理を披露した。
「また一果先生に無茶な課題を出されたんでしょ」
──どうしてみんな分かるんだ。
「そんなところかな……」
ともえは得意げな顔をする。
「一果先生から聞いたわよ。怪我した猫ちゃんを拾って、その治療とお世話を朔夜に任せたって。猫の治療をしたことがないから苦労してるそうね」
推理ではなかったらしい。「猫ちゃん」が何を指すのか、朔夜には瞬時に理解できた。
「猫ちゃん……ああそうだ、猫ちゃんを拾ったんだ。白いふわふわの」
「見せて!」
ともえが目をきらきらと輝かせて迫ってくる。
「それはできない」
「どうして?」
「すごく人間嫌いだから、引っ掻かれるかもしれない」
「朔夜は平気なの?」
「おれには引っ掻いてこないんだ」
「朔夜だけには懐いているのね」
「そう……なのかな」
あまり好かれていないように感じていたが、拒絶されないだけ上等なのかもしれない。そう思うと嬉しかった。
「名前は何ていうの?」
「みー………」
「みー?」
ミーシャなんて聞き慣れない響きの名前を言うと、理由などを聞かれて面倒な流れになるかもしれない。何か良い誤魔化し方は無いかと考えていると、あの呼び方を思い出した。
「みーちゃん………」
「かわいい! 朔夜がつけたの?」
「いや、母さんが」
「さすが先生ね!」
ともえの目の輝きが増している。白いふわふわの可愛いねこちゃんが此処に存在しないのが本当に申し訳ない。
「ともえ、ここにいたのですか。探しましたよ」
母屋の縁側から、穏やかだがよく通る年若い男性の声が聞こえた。
「げっ、光刻さん」
光刻と呼ばれた彼は庭に降りてパッと日傘を広げ、優雅に歩み寄ってきた。
長い髪を低く結び長絹を纏った高貴な青年。水色や浅葱の薄物を幾重にも重ねているが、その額には汗ひとつ見えない。
「そんなあからさまに嫌そうな顔をなさらないでください」
そう言ってから光刻はにこやかに朔夜の方を向いた。
「ああ、お話のところ失礼いたしました。氷連光刻と申します」
朔夜はその名前を聞いて、彼の身分を理解した。氷連家は珠白の氷室を管理する一族だ。花扇家はその分家に当たる。彼はその一族の嫡男だ。
帝都からはるばるこんなところへ、一体何をしに来たのだろうか。
「霜辻朔夜です」
「一果先生のお弟子さんですね」
「母のことをご存知なのですか」
「ええ。先生にはたいへんお世話になっております」
初耳だった。そもそも、一果は帝都が嫌いなので滅多に行くことは無いはずである。
朔夜が困っていると、光刻は背後に向かって声をかけた。
「ともえ、どこへ行くのですか」
見ると、二人が会話している隙にそろりそろりと距離を取っていたらしいともえが、逃げる構えに移っている。
「学校の花壇の水やりに行かなくちゃ。今日の当番なのを忘れておりましたわ。おほほ……」
「今日の当番は、あなたではなく九条さんでしょう」
「どうしてあなたがご存知なんですの!?」
悲鳴のような声を上げるともえ。走り出そうとしたが、手首をそっと掴んで引き止められた。
「逃げないでください。終わったら手合わせをして差し上げますから」
「あなたでは、わたしの相手になりません。お引き取りくださいな」
手を振り解き、ぷいっとそっぽを向いて立ち去ろうとする。
「あなたに勝つために、この一年のあいだ厳しい稽古を重ねてきたのですよ。今となっては氷連家の中では誰にも負けません」
「ふうん………そこまでおっしゃるなら、お相手さしあげてもよろしくてよ」
その返事を聞いて光刻は安心したように息を吐いた。
「では参りましょうか。……すみませんが朔夜さん、ともえは連れて行きます。五日後に氷室祭りがあるでしょう。ご存知の通り、珠白で最も古くから続いている祭礼です。花扇家の長女であるともえには、この祭礼に携わる義務があります」
そして、この祭礼を執り仕切る氷連家の跡継ぎである私には、本来の務めに関係ない剣術の腕を磨いてでもともえを連れて行く義務があるんです……という心の声が聞こえる。朔夜は同情した。
ともえは了承はしたものの、腕を組んで頬を膨らませている。
「ふん、最悪だわ。朔夜、この祭礼は、祭礼というだけでも嫌なのに、その上とっても悪趣味なの。小さな男の子を祭壇で……」
「ともえ。蛇神様のお怒りを鎮め、この国に豊かな雨を降らせていただくために大切な祭礼です。そのように申すものではありません」
嗜める光刻。
「彼らは神のために丹精込めて育てられた特別な美しい少年です。花を折って供えるのと、何の違いがあるのでしょう」
五日後の早朝、綴見町からも氷の塊が祭場へ向かって運ばれていった。
祭壇で丹のごとく赤い美しい花が散った。ほどなくして白雨によって洗い清められた。その後、雨雲は珠白じゅうにひろがり、優しい雨を降りそそいだ。
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