雨降る朔日

ゆきか

文字の大きさ
19 / 39
第三幕 氷室の祭礼

五 花を折って供えるのと、何の違いがあるのでしょう。

しおりを挟む
 肌を焼くような日光と、青々と輝く草木が、夏の訪れを知らせる。

 毎年この時期になると、しばらくのあいだ琥珀が行商に来なくなる。次に来るのは一月ほど先だ。前もって薬種を多めに仕入れておいたとはいえ、万が一切らしたら大変なことになる。可能な限り自分で栽培している薬草で賄えるように調合を工夫しなければならない。

 朔夜が白い肌に汗を滲ませながら薬草園で薬草を採っていると、前方から元気な声が聞こえた。

「霜辻朔夜、覚悟!」

 上から叩きつけられる木の棒を避ける。もう少し反応が遅れていたら顔に命中していた。

「やるわね」

 ともえは木の棒を華麗にくるくると回している。親に竹刀を没収されたので、森で良い感じの棒を見つけてきたのだ。

「危ないだろ!」

「避けられたんだからいいじゃない」

「叫びながら正面から来られたら分かるに決まってる」

「朔夜が近頃ぼんやりしてるから、手加減してあげたのよ」

「そうか?」

「悩み事でもあるの? お姉さんに聞かせてごらんなさい」

 実際に二つばかり年上だが、朔夜はともえを「お姉さん」だと思ったことはない。
 悩み事、といえば心当たりはあるのだが、事情が事情なので、外で気軽に話せることではない。難しい顔をして黙っていると、名探偵のように口元に手を当てたともえが推理を披露した。

「また一果先生に無茶な課題を出されたんでしょ」

 ──どうしてみんな分かるんだ。

「そんなところかな……」

 ともえは得意げな顔をする。

「一果先生から聞いたわよ。怪我した猫ちゃんを拾って、その治療とお世話を朔夜に任せたって。猫の治療をしたことがないから苦労してるそうね」

 推理ではなかったらしい。「猫ちゃん」が何を指すのか、朔夜には瞬時に理解できた。

「猫ちゃん……ああそうだ、猫ちゃんを拾ったんだ。白いふわふわの」

「見せて!」

 ともえが目をきらきらと輝かせて迫ってくる。

「それはできない」

「どうして?」

「すごく人間嫌いだから、引っ掻かれるかもしれない」

「朔夜は平気なの?」

「おれには引っ掻いてこないんだ」

「朔夜だけには懐いているのね」

「そう……なのかな」

 あまり好かれていないように感じていたが、拒絶されないだけ上等なのかもしれない。そう思うと嬉しかった。

「名前は何ていうの?」

「みー………」

「みー?」

 ミーシャなんて聞き慣れない響きの名前を言うと、理由などを聞かれて面倒な流れになるかもしれない。何か良い誤魔化し方は無いかと考えていると、あの呼び方を思い出した。

「みーちゃん………」

「かわいい! 朔夜がつけたの?」

「いや、母さんが」

「さすが先生ね!」

 ともえの目の輝きが増している。白いふわふわの可愛いねこちゃんが此処に存在しないのが本当に申し訳ない。

「ともえ、ここにいたのですか。探しましたよ」

 母屋の縁側から、穏やかだがよく通る年若い男性の声が聞こえた。

「げっ、光刻みつときさん」

 光刻と呼ばれた彼は庭に降りてパッと日傘を広げ、優雅に歩み寄ってきた。
 長い髪を低く結び長絹ちょうけんを纏った高貴な青年。水色や浅葱の薄物を幾重にも重ねているが、その額には汗ひとつ見えない。

「そんなあからさまに嫌そうな顔をなさらないでください」

 そう言ってから光刻はにこやかに朔夜の方を向いた。

「ああ、お話のところ失礼いたしました。氷連光刻ひれんみつときと申します」

 朔夜はその名前を聞いて、彼の身分を理解した。氷連家は珠白の氷室を管理する一族だ。花扇はなおうぎ家はその分家に当たる。彼はその一族の嫡男だ。
 帝都からはるばるこんなところへ、一体何をしに来たのだろうか。

「霜辻朔夜です」

「一果先生のお弟子さんですね」

「母のことをご存知なのですか」

「ええ。先生にはたいへんお世話になっております」

 初耳だった。そもそも、一果は帝都が嫌いなので滅多に行くことは無いはずである。
 朔夜が困っていると、光刻は背後に向かって声をかけた。

「ともえ、どこへ行くのですか」

 見ると、二人が会話している隙にそろりそろりと距離を取っていたらしいともえが、逃げる構えに移っている。

「学校の花壇の水やりに行かなくちゃ。今日の当番なのを忘れておりましたわ。おほほ……」

「今日の当番は、あなたではなく九条さんでしょう」

「どうしてあなたがご存知なんですの!?」

 悲鳴のような声を上げるともえ。走り出そうとしたが、手首をそっと掴んで引き止められた。

「逃げないでください。終わったら手合わせをして差し上げますから」

「あなたでは、わたしの相手になりません。お引き取りくださいな」

 手を振り解き、ぷいっとそっぽを向いて立ち去ろうとする。

「あなたに勝つために、この一年のあいだ厳しい稽古を重ねてきたのですよ。今となっては氷連家の中では誰にも負けません」

「ふうん………そこまでおっしゃるなら、お相手さしあげてもよろしくてよ」

 その返事を聞いて光刻は安心したように息を吐いた。

「では参りましょうか。……すみませんが朔夜さん、ともえは連れて行きます。五日後に氷室祭りがあるでしょう。ご存知の通り、珠白で最も古くから続いている祭礼です。花扇家の長女であるともえには、この祭礼に携わる義務があります」

 そして、この祭礼を執り仕切る氷連家の跡継ぎである私には、本来の務めに関係ない剣術の腕を磨いてでもともえを連れて行く義務があるんです……という心の声が聞こえる。朔夜は同情した。

 ともえは了承はしたものの、腕を組んで頬を膨らませている。

「ふん、最悪だわ。朔夜、この祭礼は、祭礼というだけでも嫌なのに、その上とっても悪趣味なの。小さな男の子を祭壇で……」

「ともえ。蛇神様のお怒りを鎮め、この国に豊かな雨を降らせていただくために大切な祭礼です。そのように申すものではありません」

 嗜める光刻。

「彼らは神のために丹精込めて育てられた特別な美しい少年です。花を折って供えるのと、何の違いがあるのでしょう」

 五日後の早朝、綴見町からも氷の塊が祭場へ向かって運ばれていった。

 祭壇でのごとく赤い美しい花が散った。ほどなくして白雨によって洗い清められた。その後、雨雲は珠白じゅうにひろがり、優しい雨を降りそそいだ。
 一果は「これは血を流す子供たちを憐れむ蛇神の涙だよ」と言った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を

花籠しずく
キャラ文芸
 ――ですが、わたくしは生まれました。あなたに会うために。  月のものが来るようになってから、琥珀は不思議な夢を見る。誰かに探されている夢。きっと大切な人だったことは分かるのに、目が覚めると朧気で何も思い出せない。婚約者である志貴の言いなりの人形になる生活をし、生家とは会うと脅され、心が疲弊していたある日、家からひとり抜け出すと、妖魔のようなものに出会う。呪術師である志貴に、一時祓ってもらいはしたが、不思議と心が痛む。夢に美しい男が現れ、声に導かれるようにして、ある山のふもとの、廃れた神社の中に入ると、そこには苦しそうに蹲るあの妖魔がいた。琥珀はそれが夢に現れた、蘿月という男だと直感する。全身が黒い靄で包まれた彼の、靄を払う方法を、どうしてか琥珀は知っていた。口づけをし、息を吹き込むように、生きて、と願った。  帰ってすぐに志貴に殴られ、月のものがはじまっていたことが志貴にばれる。琥珀を穢そうとする志貴の様子に恐ろしさを覚えて、助けてと叫んだその瞬間、闇を裂くようにして、蘿月が現れた。 「琥珀は、俺が五百年待ち望んだ花嫁だ」  これは、時を超えて紡がれる愛の物語。そして虐げられた少女が、愛を知り、愛のために生きる自由を選ぶ物語。 ※R-15っぽいゆるい性描写があります。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

離縁の雨が降りやめば

碧月あめり
キャラ文芸
龍の眷属である竜堂家に生まれた葵は、三つのときに美雲神社の一つ目の龍神様の契約花嫁になった。 これは、龍の眷属である竜堂家が行わなければいけない古くからの習わしで、花嫁が十六になるときに龍神との離縁が約束されている。 花嫁が十六歳の誕生日を迎えると、不思議なことに大量の雨が降る。それは龍神が花嫁を現世に戻すために降らせる離縁の雨だと言われていて、雨は三日三晩降り続いたのちに止む。 雨がやめば、離縁された花嫁は次の龍神の花嫁を産むために美雲神社を去らなければいけない。 だが、葵には龍神との離縁後も美雲神社に留まりたい理由があった。 幼い頃から兄のように慕ってきた御蔭という人の存在があるからだ。 白銀の髪に隻眼の御蔭は美しく、どこか不思議な雰囲気を纏っているが美雲神社の人間からは《見えない存在》として扱われている。 御蔭とともにいることを願っている葵だが、彼のほうは葵に無頓着のようだった。 葵が十六の誕生日を迎えた日。不思議な雨が降り始める。習わし通りであれば三日降り続いたあとやむ雨が、なぜか十日以上も降りやまず……。

処理中です...