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詩的で宗教的な調べ第七番(中編)
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ブライトリング世界。
ジョンストン環礁は太平洋に浮かぶ伏魔殿。毒ガスサリンだけでなく、VXガスやマスタードガス、ありとあらゆる化学兵器が詰まっている。貯蔵施設は上空から岩場と見分けがつかないように偽装され、高さ三メートルのフェンスが何重にも張り巡らしてある。一メートルにも及ぶ厚いコンクリート壁はMk84通常爆弾の直撃にも耐える。そこをアメリカ陸軍第二百六十七化学中隊が厳重警備している。その真っただ中へ降下するなど自殺行為だ。ハーベルトは何を考えているのだろう。だがしかし、長距離輸送の需要がない環礁に鉄道が敷かれていること自体が理解に苦しむ。それもその筈、米軍は潜水空母伊四百七の巡行ミサイル「舜燕」によって完全に無力化されていた。すでに鉄道連隊が枢軸特急の引込線を敷設完了している。有害物質も解毒済みだ。
二人が埠頭に降り立つと港湾施設にTWX666Ωが停車していた。プラットフォームに五百蔵千鶴子が待っていた。
「ハーベルト閣下。抵抗勢力が米本土の戦力を九割がた掌握しました。もっとも、大統領府も最終戦力を維持しているようですが」
彼女はドイッチェラント本国から得た最新情報と大総統の密書を携えていた。
「豊穣世界は経済発展に力を注いでいるんじゃないの?」
いぶかるハーベルトに千鶴子はこの世界の不文律を暴露した。大総統親衛隊の情報将校が足で得た禁忌だ。
国際連合の首魁であるアメリカは資本主義の反動を避けられないリスクとして周到に対策していた。市場競争はガス抜きに過ぎない。人間の闘争本能は血で血を洗うことで満足される。来たるべき社会混乱に備えてひそかに戦力を確保していた。宇宙人だのUFOだのは隠匿兵器の煙幕として有効利用されてきたというわけだ。
「なるほど。まさか墓穴を掘るとは思わなかったのね」
「まさか、核兵器とかあるわけないよね? ハーベルト」
最終兵器と聞いて真っ先に祥子が思いついたのは、それだ。彼女の期待を裏切るように五百蔵提督が頷いた。
「残念ながら……。もっとも、地球を何万回も滅ぼしてしまう程の量ではありません。ごく少量が、逆説的な用途で……」
「祥子! これ以上は子供が聞く話ではないわ」
言葉を濁した提督に代わってハーベルトが諫めた。提督がスカートをめくってブルマの内ポケットから秘話装置を取り出すと、あたりが静寂に満ちた。足元に闇の扉が開いた。立坑のようだ。深すぎて奥が見えない。地響きを立てて平台がせりあがってきた。
「建設的な用途って、なに? 人間だけじゃなく動物たちも植物もありとあらゆる生き物を焼き尽くする兵器に。ねぇ、待ってよ」
祥子を置き去りにして、枢軸軍人たちは奈落に消えてしまった。
「ちょ! ハーベルト。いつもボクにつれないんだから!!」
■ X-33 ベンチャースター 斎藤興商社長専用機
せっかくのクラシック音楽を廊下の足音が台無しにしている。
「祥子、ハーベルト。どこに隠れてるの?」
さほど広くはないファーストスイートを夏希はくまなく探してみた。化粧室やスパはもちろん、荷物入れや客室乗務員控室、バックヤードの冷凍庫をひっくり返して食材をすべて棚卸しした。見かねた機長が職権で身柄を拘束するまで大捜索が続いた。
「そんな名前は乗客名簿にありませんし、扉は離陸直後から閉じたままです!」
アテンダントはしつこい追及にうんざりした声で答えた。
「仮にここから出て行ったとすれば、カミソリ一枚分よりも薄い体になるとか。まさか、そんなペラペラになれるわけないじゃない。。妖怪一反木綿じゃあるまいし」
「あるいは壁を透過したとでも? バカバカしい!」
客室乗務員と機長は固く閉じた昇降扉の前で異口同音に唱えた。
「だって、さっきまでいたのよう!」
ドアノブにしがみつく夏希を操縦士がふたりがかりで引き離した。なおも這いつくばる夏希の眼前にくしゃくしゃに縮んだ布が差し出された。濃紺で両サイドに白い平行線が入っている。
「社長。これ、何ですかぁ?」
さっきの乗務員が畳みかけるようにスクール水着やレオタードを並べる。
「これはテニスのふりふりパンツですねぇ。まぁ、かわいいかわいい女子高ぉせいのせ~ら~服。斎藤社長、こんな趣味おもちでしたのねぇ」
副社長がからかうと取締役の女性たちも「懐かしい~。わたしの高校はコシヤマジュンデザインのブレザーだったんですよ」と盛り上がる。
「えっ?! これは違うわよ。これはあの子たちの……」
いくら夏希が旅人の外套だと説明しても誰も耳を貸さない。船医は女子校時代を懐かしむ病理を、連れ合いを亡くしたショックから来る退行現象だと診断し、薬を処方した。祥子という名前も出産願望のあらわれだと合理的に解釈した。内規に従って夏希は一時的に社長の任を解かれ軟禁状態に置かれた。
「だ~か~ら~。これは、祥子の~」
騒ぎ疲れた夏希が何気なくサイドテーブルに目をやるとコップ一杯の水と写真が添えてあった。在りし日の天福と夏希がカメラに微笑んでいる。そのツーショットはモノクロで黒い縁取りがあった。
裏がえしてみるとなめらかな達筆で天福の署名が記してあった。
「親愛なる夏希へ。これを読んでいるという事は俺は」で始まる文面には悲しげな旗が立っている。
天福の書置きがあることより、二人の写真に水が供えてあるという不自然さに戸惑いを隠せない。そういえば、ハーベルトが失踪する直前に水を欲しがっていた。
「わたしが死ぬ?」
夏希はぞっとする考えに思い当たった。手がかりを求めて文面を追う。
「……俺はこの世にいないのだろう。そこで、お前に頼みがある」
遺言を読み終えた夏希は吹っ切れたように晴れやかな声で内線電話を掛けた。医師に気分の回復と混乱を招いた謝罪を済ませた。
「もう、大丈夫よ。あたしが天福を襲名するんだもの」
稀代の奇術師は何を遺したというのか。
■ オレゴンシティ級ミサイル重巡洋艦ノーザンプトン
戦闘指揮艦ノーザンプトンは祥子の時間軸に存在する艦と違って大改装を施されている。Mk77火器完成システムを装備し、連装ミサイルランチャー二十四基、百四発の長距離対空ミサイル、八十四発の短SAM、ポラリス級弾道ミサイル八基、対潜哨戒無人ヘリコプターLAPSE。対潜誘導弾アスロック、Mk46魚雷。
極めつけに三八口径砲、ファランクス近接防空システム、ハープーン対艦ミサイルまで備え付け、一隻で優にG7先進国一つを滅ぼす能力を有している。
サイパン級空母ライトに至っては、そもそもが重巡洋艦を改装したものであるだけに、基礎的な射撃統制能力も半端ない。戦闘機はF-18スーパーホーネットを二個中隊一八機、雷撃機と爆撃機を一個中隊ずつ搭載している。これに七つの海に潜む戦略潜水艦隊を加えれば、統率力に欠けるアメリカ本土軍など赤子の手をひねるも同然であった。
だが、合衆国政府の高官たちは母国を焦土化しようなど微塵も考えていない。彼らが目指す場所は他にある。スクリューは真北に向いている。
白波蹴立てる航跡の真下をつかず離れず伊四百型潜水艦が追随する。
「自分たちだけ逃げようなんてズルい人たちだね。でも、南極なんかにロケットを隠してどうするのさ」
「ううん。祥子。氷に閉ざされた世界で液体燃料ロケットを打ち上げるなんて不可能よ。発射には快晴が必要なの」
「じゃあ、ブリザードが吹き付ける場所で何をしようってのさ。キミはすぐそうやってじらすんだから」
「猿ヶ森の通信環境を思い出して御覧なさい。南極大陸は人工の雑音が少ない場所なのよ」
ハーベルトは好奇心旺盛な少年の心を持つ祥子に色々な示唆を与えた。
「まもなく発射予定水域に到達します。作戦に変更はありませんね? 閣下」
五百蔵提督が念を押すと、ハーベルトは首を縦に振った。
「メーンタンク、ブロー。潜望鏡深度へ!」
千鶴子の指令が伝声管を通して艦内に浸透する。ほどなく、ごうんと船体が大きく揺れ、浮揚感がこみ上げてきた。
帝国潜水空母の魚雷発射管に圧搾空気が封入され、巨大なキャニスターが南氷洋を突き破る。流氷が緋色に輝き、黒煙の向こうに飛翔体が昇天した。
「ハーベルト。本当にあんなもので世界が救えるの?」
祥子が潜望鏡で神々しい光の矢を追っていたが雲間に隠れてじきに見失った。
「そうね。キューブラロスの第四段階は抑鬱。弾頭が緩和措置に役立つことを祈りましょう。せめて安らかに」
不吉な予言をするハーベルトに祥子はじれったさを感じた。
「そんなのないよ。バンダオリエンタルの二の舞はごめんだ。ボクはここの人たちを放っておけない!」
「じゃあ、好きになさい。ただし、貴女には鈴をつけておくわ。万一、シックスナイン・システムが作動したら問答無用で帰還させるわ」
ハーベルトは早口で何やら呟くと祥子が一瞬でハゲ散らかした。
「きゃあ。いきなり何するんだよう」
ハラハラと肩を滑り落ちていく髪を振り払うと、鏡の様な頭頂部に金色の輪が映った。それが円周を広げながら喉元に落ちる。一粒の光が咽喉のあたりで静止した。それは鈴を転がすような音を立てて消滅した。
「はい。新しいウイッグよ」
「なんだい? これが君の言う鈴?」
祥子が首を振りながらカツラを被るが、何も聞こえない。
「大丈夫よ。あなたがどこにいようとわたしにはちゃんと聞こえるから」、とハーベルトは耳を澄ますふりをした。
「わかったよ。ありがとう。やれるだけ足掻いてみるよ」
氷山をくり抜いた駅に潜水空母が浮上すると祥子は鉄砲玉のようにTWX666Ωに乗り込んだ。列車は猛スピードで内壁のトンネルに消えた。その外側には大海原が広がっているのだが、異世界逗留者と凡人の線路は必ずしも交差しない。
祥子を見送ったあと、ハーベルトは艦長室に料理とワインを運ばせた。封を切り、茜色に染まる氷河を肴に最期の晩餐を捧げる。
「ブライトリングの黄泉路に」
五百蔵が音頭を取るとグラスが弔鐘のように鳴る。
「「「ブライトリングの黄泉路に」」」
■ オーストラリア 大鑽井盆地 スペースX社専用宇宙空港 ギャラクシーベイ・オブ・オセアニア
直射日光に輝く銀翼は創業者一族不知火家の未来を象徴している。不完全燃焼の欠陥を克服したベンチャースターは危機管理に敏感な富裕層のニーズをつかみ、順調に受注残を積み上げていた。格納庫をいくつも渡り歩き、フライトの打ち合わせに忙しく駆け回る高美をようやく捕まえた時には、とっぷりと日が暮れていた。
一皮むけた不知火高美はボディコンギャルから逞しい女性実業家へ変貌していた。何度か無視されて、迷惑そうに振り向いた。祥子の顔を見るや、ありありと殺意を浮かべたが、煤けたスカートから砂を払い落とし、迷惑そうにデッキチェアに腰をおろす。
「何も話す事はないわ。あのバカ女は砂に埋もれて死ねばいいのよ」
祥子は手短に鳴き砂の興業的な用途を伝えてみた。反応は鈍いどころが、高美は祥子を疫病神扱いしだした。
「夏希とキミが組めば鬼に金棒だよ」
「フン。こんな時に大衆が娯楽を欲して? あんた、バカ? ニュース見てるの?」
荷捌き場のモニタースクリーンがニュース専門チャンネルに切り替わった。北米大陸の暴動は燎原の火の広がりをみせ、ヨーロッパに飛び火した。富裕層は欧米に見切りをつけて、続々とオーストラリアに渡来している。
「みんなが逃げ場を求めてる。ベンチャースターの未来は前途洋洋よ」
高美は黒光りする耐熱タイルを見上げて強がった。
「でも、地球を捨ててどこへ行こうってのさ? 火星? 冥王星? 人間はそこまで飛べるロケットを持っていないよ」
祥子が冷水を浴びせると、高美は一笑に付した。
「ヤッボォ~ル、ハ~トレ~~。だっけ?」 彼女はゲルマニア式の敬礼でおどけて見せる。
「ええ?」
一瞬、その真意をはかりかねる祥子。だが、強い口調で高美のたくらみを撥ね付ける。
「ダメだよ。そんなことは大総統が許さない。自分の運命は自分で拓かなきゃ!」
「ふぅん? 平然と見捨てる事が『前を向く』こと?」
女は常に戦場にいる。家庭で、職場で、女同士で常に揺さぶり、駆け引きを強いられる。祥子は返答に窮した。
形勢優位と見るや、高美はもう一枚カードを切った。
「貴女が嫌と言っても、ゲルマニアに行った人達がノーと言わせないからねぇ」
「猿ヶ森の難民?! じゃあ、彼らは君が?」
「もちろん。右と言えば右を向くわ。もう一つ、いいことを教えてあげる」
「――ッ?!」
高美が指を鳴らすと格納庫にアメリカ兵が満ち溢れた。全員が突撃銃を構えている。
「北米大陸で暴れている人たちはみ~んな連合の人々。貴女って鈍感なのねえ」
気づいておくべきだったのだ。なぜ、高美が易々とベンチャースターを入手できたのか。
「こいつを今すぐ射殺して! 命乞いの模様は撮影してね♪」
いうまでもなく高美の前で祥子が縛り上げられる。、
「ハ~ベルとぉーーーー!!」
祥子の禿頭に銃口が突き付けられる。
「その調子よ。泣きっ面に蜂。いい絵が撮れるわぁ~~」
不知火高美は喜色満面でハンディーカムを回した。
ジョンストン環礁は太平洋に浮かぶ伏魔殿。毒ガスサリンだけでなく、VXガスやマスタードガス、ありとあらゆる化学兵器が詰まっている。貯蔵施設は上空から岩場と見分けがつかないように偽装され、高さ三メートルのフェンスが何重にも張り巡らしてある。一メートルにも及ぶ厚いコンクリート壁はMk84通常爆弾の直撃にも耐える。そこをアメリカ陸軍第二百六十七化学中隊が厳重警備している。その真っただ中へ降下するなど自殺行為だ。ハーベルトは何を考えているのだろう。だがしかし、長距離輸送の需要がない環礁に鉄道が敷かれていること自体が理解に苦しむ。それもその筈、米軍は潜水空母伊四百七の巡行ミサイル「舜燕」によって完全に無力化されていた。すでに鉄道連隊が枢軸特急の引込線を敷設完了している。有害物質も解毒済みだ。
二人が埠頭に降り立つと港湾施設にTWX666Ωが停車していた。プラットフォームに五百蔵千鶴子が待っていた。
「ハーベルト閣下。抵抗勢力が米本土の戦力を九割がた掌握しました。もっとも、大統領府も最終戦力を維持しているようですが」
彼女はドイッチェラント本国から得た最新情報と大総統の密書を携えていた。
「豊穣世界は経済発展に力を注いでいるんじゃないの?」
いぶかるハーベルトに千鶴子はこの世界の不文律を暴露した。大総統親衛隊の情報将校が足で得た禁忌だ。
国際連合の首魁であるアメリカは資本主義の反動を避けられないリスクとして周到に対策していた。市場競争はガス抜きに過ぎない。人間の闘争本能は血で血を洗うことで満足される。来たるべき社会混乱に備えてひそかに戦力を確保していた。宇宙人だのUFOだのは隠匿兵器の煙幕として有効利用されてきたというわけだ。
「なるほど。まさか墓穴を掘るとは思わなかったのね」
「まさか、核兵器とかあるわけないよね? ハーベルト」
最終兵器と聞いて真っ先に祥子が思いついたのは、それだ。彼女の期待を裏切るように五百蔵提督が頷いた。
「残念ながら……。もっとも、地球を何万回も滅ぼしてしまう程の量ではありません。ごく少量が、逆説的な用途で……」
「祥子! これ以上は子供が聞く話ではないわ」
言葉を濁した提督に代わってハーベルトが諫めた。提督がスカートをめくってブルマの内ポケットから秘話装置を取り出すと、あたりが静寂に満ちた。足元に闇の扉が開いた。立坑のようだ。深すぎて奥が見えない。地響きを立てて平台がせりあがってきた。
「建設的な用途って、なに? 人間だけじゃなく動物たちも植物もありとあらゆる生き物を焼き尽くする兵器に。ねぇ、待ってよ」
祥子を置き去りにして、枢軸軍人たちは奈落に消えてしまった。
「ちょ! ハーベルト。いつもボクにつれないんだから!!」
■ X-33 ベンチャースター 斎藤興商社長専用機
せっかくのクラシック音楽を廊下の足音が台無しにしている。
「祥子、ハーベルト。どこに隠れてるの?」
さほど広くはないファーストスイートを夏希はくまなく探してみた。化粧室やスパはもちろん、荷物入れや客室乗務員控室、バックヤードの冷凍庫をひっくり返して食材をすべて棚卸しした。見かねた機長が職権で身柄を拘束するまで大捜索が続いた。
「そんな名前は乗客名簿にありませんし、扉は離陸直後から閉じたままです!」
アテンダントはしつこい追及にうんざりした声で答えた。
「仮にここから出て行ったとすれば、カミソリ一枚分よりも薄い体になるとか。まさか、そんなペラペラになれるわけないじゃない。。妖怪一反木綿じゃあるまいし」
「あるいは壁を透過したとでも? バカバカしい!」
客室乗務員と機長は固く閉じた昇降扉の前で異口同音に唱えた。
「だって、さっきまでいたのよう!」
ドアノブにしがみつく夏希を操縦士がふたりがかりで引き離した。なおも這いつくばる夏希の眼前にくしゃくしゃに縮んだ布が差し出された。濃紺で両サイドに白い平行線が入っている。
「社長。これ、何ですかぁ?」
さっきの乗務員が畳みかけるようにスクール水着やレオタードを並べる。
「これはテニスのふりふりパンツですねぇ。まぁ、かわいいかわいい女子高ぉせいのせ~ら~服。斎藤社長、こんな趣味おもちでしたのねぇ」
副社長がからかうと取締役の女性たちも「懐かしい~。わたしの高校はコシヤマジュンデザインのブレザーだったんですよ」と盛り上がる。
「えっ?! これは違うわよ。これはあの子たちの……」
いくら夏希が旅人の外套だと説明しても誰も耳を貸さない。船医は女子校時代を懐かしむ病理を、連れ合いを亡くしたショックから来る退行現象だと診断し、薬を処方した。祥子という名前も出産願望のあらわれだと合理的に解釈した。内規に従って夏希は一時的に社長の任を解かれ軟禁状態に置かれた。
「だ~か~ら~。これは、祥子の~」
騒ぎ疲れた夏希が何気なくサイドテーブルに目をやるとコップ一杯の水と写真が添えてあった。在りし日の天福と夏希がカメラに微笑んでいる。そのツーショットはモノクロで黒い縁取りがあった。
裏がえしてみるとなめらかな達筆で天福の署名が記してあった。
「親愛なる夏希へ。これを読んでいるという事は俺は」で始まる文面には悲しげな旗が立っている。
天福の書置きがあることより、二人の写真に水が供えてあるという不自然さに戸惑いを隠せない。そういえば、ハーベルトが失踪する直前に水を欲しがっていた。
「わたしが死ぬ?」
夏希はぞっとする考えに思い当たった。手がかりを求めて文面を追う。
「……俺はこの世にいないのだろう。そこで、お前に頼みがある」
遺言を読み終えた夏希は吹っ切れたように晴れやかな声で内線電話を掛けた。医師に気分の回復と混乱を招いた謝罪を済ませた。
「もう、大丈夫よ。あたしが天福を襲名するんだもの」
稀代の奇術師は何を遺したというのか。
■ オレゴンシティ級ミサイル重巡洋艦ノーザンプトン
戦闘指揮艦ノーザンプトンは祥子の時間軸に存在する艦と違って大改装を施されている。Mk77火器完成システムを装備し、連装ミサイルランチャー二十四基、百四発の長距離対空ミサイル、八十四発の短SAM、ポラリス級弾道ミサイル八基、対潜哨戒無人ヘリコプターLAPSE。対潜誘導弾アスロック、Mk46魚雷。
極めつけに三八口径砲、ファランクス近接防空システム、ハープーン対艦ミサイルまで備え付け、一隻で優にG7先進国一つを滅ぼす能力を有している。
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だが、合衆国政府の高官たちは母国を焦土化しようなど微塵も考えていない。彼らが目指す場所は他にある。スクリューは真北に向いている。
白波蹴立てる航跡の真下をつかず離れず伊四百型潜水艦が追随する。
「自分たちだけ逃げようなんてズルい人たちだね。でも、南極なんかにロケットを隠してどうするのさ」
「ううん。祥子。氷に閉ざされた世界で液体燃料ロケットを打ち上げるなんて不可能よ。発射には快晴が必要なの」
「じゃあ、ブリザードが吹き付ける場所で何をしようってのさ。キミはすぐそうやってじらすんだから」
「猿ヶ森の通信環境を思い出して御覧なさい。南極大陸は人工の雑音が少ない場所なのよ」
ハーベルトは好奇心旺盛な少年の心を持つ祥子に色々な示唆を与えた。
「まもなく発射予定水域に到達します。作戦に変更はありませんね? 閣下」
五百蔵提督が念を押すと、ハーベルトは首を縦に振った。
「メーンタンク、ブロー。潜望鏡深度へ!」
千鶴子の指令が伝声管を通して艦内に浸透する。ほどなく、ごうんと船体が大きく揺れ、浮揚感がこみ上げてきた。
帝国潜水空母の魚雷発射管に圧搾空気が封入され、巨大なキャニスターが南氷洋を突き破る。流氷が緋色に輝き、黒煙の向こうに飛翔体が昇天した。
「ハーベルト。本当にあんなもので世界が救えるの?」
祥子が潜望鏡で神々しい光の矢を追っていたが雲間に隠れてじきに見失った。
「そうね。キューブラロスの第四段階は抑鬱。弾頭が緩和措置に役立つことを祈りましょう。せめて安らかに」
不吉な予言をするハーベルトに祥子はじれったさを感じた。
「そんなのないよ。バンダオリエンタルの二の舞はごめんだ。ボクはここの人たちを放っておけない!」
「じゃあ、好きになさい。ただし、貴女には鈴をつけておくわ。万一、シックスナイン・システムが作動したら問答無用で帰還させるわ」
ハーベルトは早口で何やら呟くと祥子が一瞬でハゲ散らかした。
「きゃあ。いきなり何するんだよう」
ハラハラと肩を滑り落ちていく髪を振り払うと、鏡の様な頭頂部に金色の輪が映った。それが円周を広げながら喉元に落ちる。一粒の光が咽喉のあたりで静止した。それは鈴を転がすような音を立てて消滅した。
「はい。新しいウイッグよ」
「なんだい? これが君の言う鈴?」
祥子が首を振りながらカツラを被るが、何も聞こえない。
「大丈夫よ。あなたがどこにいようとわたしにはちゃんと聞こえるから」、とハーベルトは耳を澄ますふりをした。
「わかったよ。ありがとう。やれるだけ足掻いてみるよ」
氷山をくり抜いた駅に潜水空母が浮上すると祥子は鉄砲玉のようにTWX666Ωに乗り込んだ。列車は猛スピードで内壁のトンネルに消えた。その外側には大海原が広がっているのだが、異世界逗留者と凡人の線路は必ずしも交差しない。
祥子を見送ったあと、ハーベルトは艦長室に料理とワインを運ばせた。封を切り、茜色に染まる氷河を肴に最期の晩餐を捧げる。
「ブライトリングの黄泉路に」
五百蔵が音頭を取るとグラスが弔鐘のように鳴る。
「「「ブライトリングの黄泉路に」」」
■ オーストラリア 大鑽井盆地 スペースX社専用宇宙空港 ギャラクシーベイ・オブ・オセアニア
直射日光に輝く銀翼は創業者一族不知火家の未来を象徴している。不完全燃焼の欠陥を克服したベンチャースターは危機管理に敏感な富裕層のニーズをつかみ、順調に受注残を積み上げていた。格納庫をいくつも渡り歩き、フライトの打ち合わせに忙しく駆け回る高美をようやく捕まえた時には、とっぷりと日が暮れていた。
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「何も話す事はないわ。あのバカ女は砂に埋もれて死ねばいいのよ」
祥子は手短に鳴き砂の興業的な用途を伝えてみた。反応は鈍いどころが、高美は祥子を疫病神扱いしだした。
「夏希とキミが組めば鬼に金棒だよ」
「フン。こんな時に大衆が娯楽を欲して? あんた、バカ? ニュース見てるの?」
荷捌き場のモニタースクリーンがニュース専門チャンネルに切り替わった。北米大陸の暴動は燎原の火の広がりをみせ、ヨーロッパに飛び火した。富裕層は欧米に見切りをつけて、続々とオーストラリアに渡来している。
「みんなが逃げ場を求めてる。ベンチャースターの未来は前途洋洋よ」
高美は黒光りする耐熱タイルを見上げて強がった。
「でも、地球を捨ててどこへ行こうってのさ? 火星? 冥王星? 人間はそこまで飛べるロケットを持っていないよ」
祥子が冷水を浴びせると、高美は一笑に付した。
「ヤッボォ~ル、ハ~トレ~~。だっけ?」 彼女はゲルマニア式の敬礼でおどけて見せる。
「ええ?」
一瞬、その真意をはかりかねる祥子。だが、強い口調で高美のたくらみを撥ね付ける。
「ダメだよ。そんなことは大総統が許さない。自分の運命は自分で拓かなきゃ!」
「ふぅん? 平然と見捨てる事が『前を向く』こと?」
女は常に戦場にいる。家庭で、職場で、女同士で常に揺さぶり、駆け引きを強いられる。祥子は返答に窮した。
形勢優位と見るや、高美はもう一枚カードを切った。
「貴女が嫌と言っても、ゲルマニアに行った人達がノーと言わせないからねぇ」
「猿ヶ森の難民?! じゃあ、彼らは君が?」
「もちろん。右と言えば右を向くわ。もう一つ、いいことを教えてあげる」
「――ッ?!」
高美が指を鳴らすと格納庫にアメリカ兵が満ち溢れた。全員が突撃銃を構えている。
「北米大陸で暴れている人たちはみ~んな連合の人々。貴女って鈍感なのねえ」
気づいておくべきだったのだ。なぜ、高美が易々とベンチャースターを入手できたのか。
「こいつを今すぐ射殺して! 命乞いの模様は撮影してね♪」
いうまでもなく高美の前で祥子が縛り上げられる。、
「ハ~ベルとぉーーーー!!」
祥子の禿頭に銃口が突き付けられる。
「その調子よ。泣きっ面に蜂。いい絵が撮れるわぁ~~」
不知火高美は喜色満面でハンディーカムを回した。
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あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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