枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

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千億光年の夜景(ア・バード・ビューズ・ナイト)①

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 ■ 摂津県蜂狩市 聖イライサニス学園中等部定時教育課程

 しとしとと降り続く雨は焼け付いたアスファルトを洗い流す。焼け石に水という諺も時による。異常だった暑さもずいぶん弱まってきた。夜間中等舎の窓明かりに背の高い影が幾つもうごめいてる。雨風に乗って伝わる喧騒は御多分に漏れず新任教師に関する話題だ。根も葉もない噂から異性遍歴、スリーサイズに至るまで生徒の年齢相応の話題でもちきりだ。生徒はほとんど男性だ。戦中戦後の混乱とボケ防止を兼ねて入学した者や、いわゆるツッパリが資格試験の受験条件を満たすために通ってきている。受講態度はいたって真面目なもので、その反動が休憩時間にあらわれる。
 TWX666Ωは定刻通り、ハーベルトと別れてからきっかり一分後の時点に停車した。窓辺が一段と騒がしくなる。風吹は身をすくめた。枢軸特急は凡人に決して見えてはならない列車だ。生徒の中に勘の鋭い子がいるのだろうか。機会を作って遠回しに聞き出さねばならない。ハーベルトが祥子を寮に送り届けるのを見送った後、風吹はそっと車外に出た。
 風が強まってきた。横殴りの雨がコンクリートのアーチを濡らしている。その下は荒れ果てたゴミ捨て場になっていて、朽ち果てた模擬店の残骸や錆びたロッカーが放置してある。聞いた話では、そこは太平洋戦争当時の貨物駅で草むらの間にレールが埋もれている。雨でグチュグチュに濡れた土を靴先で掘り返ると指の骨か銃弾だかわからない欠片が出てきた。ハーベルトは蜂狩大空襲で標的となった軍需工場があったという。トワイライトエクリプスがユラユラと闇に溶けていく。風吹の衣服もゆらめいて、透き通るような素肌を露出させる。
 彼女はアンダーショーツが消え去る前に、そそくさと木陰に身を隠した。校舎の一階は無人の倉庫になっている。昭和63年と言えばすでに少子高齢化の兆しがみえており、使われなくなった教室が不用品で溢れかえっていた。確か、入ってすぐの所に下駄箱と忘れ物入れがある。そこからきつめのスクール水着を引っ張り出して、足を通した。今度はぶかぶかのブルマーと体操服を着こんで、長袖のジャージとトレパン履く。スキンヘッドは生徒たちにどう説明しようか、と悩んでいると授業開始五分前のチャイムが鳴った。
「いやだわ。もう!」
 彼女はダイマー能力を発動して校舎全体をスキャンした。さいわい、演劇部が使っている一角にウイッグが落ちている。一階の避難通路を通って三階の教室まで三分。
 チャイムが鳴ると同時にジャージ姿の女教師が玉の汗を浮かべて飛び込んだ。
 はぁはぁと色っぽい喘ぎ。半袖シャツに濃紺の生地が透けて見える。
「ごめんなさい。授業を始めましょう」
 彼女が黒板に向くと、ぴっちりとブルマーのラインが浮いている。平成時代に女性教諭がこんな格好をしていれば社会問題になるだろうが、昭和のおとなたちはこんな反応を示す。
「先生、ママさんバレー教室にでも通っているんですか?」
 中年の男が手をあげた。
「そうよ。この後、職員有志の水泳教室もあるの。教える側が『金づち』じゃ、シャレにならないでしょ」
「なるほど。もうすぐバルセロナ(五輪)も始まりますしね。子供達のために頑張ってください!」
「天野さんも”五時から男”でしょう。お勉強もしっかり頑張りましょう」
 風吹がやり返すと教室内に笑いが溢れた。

 ■ 聖イライサニス学園中等部女子寮

 ハーベルトが掃除用具入れに消えた後、祥子は自室で眠れない夜を過ごした。明日になるのが怖い。否が応でも長谷江や鈴原なるみと顔を合わせなければならない。だいたい、学校生活自体、彼女は望んでいない。しかも、ここは全寮制学校だ。逃れようがない。そして、枢軸特急乗務員という職務がつきまとう。ああ、いっそ、このまま永遠に夜が明けなければいいのに。
 そもそもの原因は自分の性別にある。星明りの下で自分を姿見に映した。濃紺ブルマの裾を指で引っ張って水平にする。
 ピンと背筋を伸ばしてみれば、丸刈りの男子中学生が短パンを履いた姿に見えなくもない。
 しかし、あごから胸元にかけて、喉仏の無いふっくらとした形状は違和感を隠せない。
 喉頭隆起のどぼとけは英語圏では「アダムの林檎」と呼ばれ、男性特有の身体的特徴である。祥子は鏡を割りたくなった。 
「どうして、こんな身体に生まれてきたんだろう!」
 閉塞感に耐え切れず、本棚によじ登る。ガラス一枚隔てた向こうは自由の世界。というわけにもいかない。女子寮は周辺道路から奥まった場所に建っている。ここから出る方法は二つしかない。学校にリンドバーグの壁を呼びよせるか、両親を退院させるか。かつては、三番目の選択肢もあった。
 ペントラペントラ、宇宙の友よ。そういえば、川端エリスを遣わした「集団」はどうしているのだろう。彼らは文明残滓の回収を目的としていた。まるで宇宙のユネスコ機関だ。祥子は父親からさんざん聞かされていた。
「だいたい、文化と名の付く事業にロクなものはない。はからずも俺は公立図書館の司書をやっているが、その裏事情はとても明るいものじゃない」
 彼は娘を悲観論者に育てまいと肝心な内容は濁したが、疑心暗鬼を生ずるには十二分の働きをした。
「本を書いたり、読ませたりするお仕事のドコが悪いの? まさか、本を買う予算がないから泥棒したりとか?」
 父親は娘の質問を親の職業に対する侮辱と取らず、無邪気な質問だと受け止めた。
「いいか。祥子。本に書いてあることが全てじゃない。本と言う物は時の政権が都合のいいように書かせるんだ。為政者にとって不利な史実や気に入らない批判は出版を許可しない。場合によっては作者を処刑したり本を焼き払ったりしていたんだ」
「そんな酷いことを?! 本は心を豊かにしてくれるって言ったじゃない」
「いいや。祥子。そうとも限らんさ。世の中が平和で権力者の居心地の良い状態なら民衆の声を制御できるさ。でも、抑えきれなくなる」
「だから、本を燃やすなんて無茶苦茶じゃない」
「最後に勝つのは野蛮な”物理的な”力だ。力による支配は破滅を招く。だから、そうならないように俺は本の番人をしているんだ」
 彼女は父親の言葉を思い出して、昂ぶる自分をなだめた。だいいち、力で状況打破しようたって、女の腕力じゃ話にならない。
「力か……」
 祥子は鏡の中の自分を凝視した。カツラを被ればクリクリ目玉の平均的な美少女で通るだろう。ハーベルトが言う通り、どう見ても女だ。女子は力の一極支配を好まない。共闘する。
 その双璧が枢軸と連合だ。どちらも女の指導者が率いている。
 じゃあ、彼女たちはなぜ相争わなければならないのだろう。
「世界が滅びてしまうというなら、手を取り合えばいいのに、どうして?」
 すると、思いがけない答えが返ってきた。『オンナの意地よ』
 だれ、と祥子が振り向いても、姿が見えない。
水素二量体ダイマー能力っていうのは便利なようで不便だね。ダダ漏れじゃないか。続きを聞きたいかい』
「ダイマー能力者? トルマリンソジャーナーなの? まるで、他人事のようだけど」
 祥子が声の主を探して、部屋の中をうろつく。東の空がさあっと明るくなった。
『枢軸も連合も大ウソつきの集まりさ。頭上の脅威を覆い隠している』
「これは……」
 思わず祥子は息を呑んだ。大きくて青白い星が夜空に髪をなびかせている。
『ヤンガードライアス彗星だよ。私は沼田コヨリ。懐疑派のリーダーさ』
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