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興凱湖(承前)
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■ 興凱湖(承前)
望萌は異世界教師の的外れな非難に鼻持ちならなかった。マーシャル・クリロフの接岸時刻も迫っている。風も出てきた。長々と不毛な議論に費やす余裕もない。彼女はひらひらと手を振って論争を打ち切った。
「わたしたちは野蛮なナチスドイツの女性ではありませんよ。エーデルヴァイス海賊団の流れを組む分派だという事を忘れないようにしてください」
そういうと、ジルバーフォーゲルの回収作業を監督し始めた。機体はあちこち焼け焦げて耐熱タイルも剥がれ落ちている。シホテリアニ隕石が大気圏離脱をあきらめた理由の裏にはジルバーフォーゲルと連合国軍X-33部隊の活躍があった。隕石の進路に珪酸ガラスを大量にばらまいて、オーマイゴッド粒子を散乱させた。その結果、隕石の自意識は天から降りそそぐ大量の啓示に思考をかき乱された。
「彼」は錯乱状態に陥った結果、本能的な部分である純粋面だけが辛うじて機能していた。それが拘留者達の願いに圧されてしまったという。
望萌は工兵たちが満身創痍の機体を分解する間じゅう、愛機と連合国軍の武勇伝をとつとつと語った。それぞれのパーツは梱包されてTWX1369の貨物車両に積み込まれた。
「わたしたちがビロビジャン上空で音楽活動をしている間にご苦労様でした。ところで、隕石はどうなっていますか?」
ハウゼルの問いにドイッチェラントの女性技師たちが液晶ディスプレイを図示した。
「四分五裂、いや七つに分解してウラジオストック周辺に落下しました。ほとんどが鉄で出来ているんですが、希少成分が含まれていましてね……」
彼女たちがいうには、テーナイト 、プレッサイト 、ラーバイツなどといった七種類の結晶が量子色力学の諸機能を分担する性質があるという。
「厄介なことになりました。高次知能集団と懐疑派は身柄確保できていないのでしょう? 渡すと一大事です」
技師が深く憂慮した。
「沼田コヨリの意識は飛び去ってしまったわ。TWXがアマルガムから離脱していくワールドノイズを観測している。おおかた彗星に回収されたのでしょう。問題は残る二人。川端エリスと――」
滑空音が望萌の言葉を遮った。ひゅるひゅると鳥が鳴くようなか細い声がする。
「あぶない!」
望萌がダイマー能力でジルバーフォーゲル回収部隊の周囲に防護場を展開した。
湿地帯が爆散し、ヤナギがゆらゆらと靡くと、何か大きな輪郭がいくつも蠢いた。それらははっきりと実体化すると、キャタピラを軋ませて迫ってくる。
関東軍の戦車連隊だ。日ソ中立条約を理由に満州の防衛兵力は南方に回され骨抜きになっていたが、それなりの兵力が残っていた。
「畜生め。よくも俺たちを騙したな」
ハンカ湖に堕ちた残留思念たちは見境なく銃を向けてきた。彼らを率いているのはマドレーヌ・フラウンホーファーである。もちろん、散々裏切られた日本兵がすんなりと彼女のいう事を聞くはずがない。それでもマドレーヌは男たちの帰巣本能を逆手に取って上手に操縦していた。
枢軸特急がさんざん垂れ流したユダヤポップスは日本人の耳に軍歌や演歌として聞こえた。物悲しい短調が彼らの琴線に触れたのだ。だ。その調べは、引き裂かれた夫婦の思い出や、遠ざかった故郷の日々をこれでもかと思い起こした。マドレーヌの姿は彼らには見えない。そのかわり、荒井吹雪のイメージを増幅してふんだんにまき散らした。
「売女、非国民め」
残留思念たちは荒井吹雪を憎悪対象とした。
「やめなさい。日本人が日本人に銃を向けるなんて!」
TWXの拡声器が望萌の想いを伝えるが、もちろん、耳を傾けるはずがない。榴弾砲がたわ言を吹き飛ばした。
吹雪はダイマーフィールドを全開して彼らの矢面に立つ。無限軌道を軋ませて鉄の猛獣が至近距離に迫る。それまでにいくつもの銃弾が彼女の体をすり抜けていく。鬼神と化した兵士たちは、彼女の不条理に気づく余裕すらなく、ただひたすらに引き金を絞っている。銃弾が効かないと知るや、榴弾、迫撃砲、ありとあらゆる火力を浴びせたおす。だが、吹雪は微動だにしていない。
灌木が燃え上がり、湿地が沸騰し、硝煙と水蒸気が入り交じった世界にぽつねんと咲く一輪挿し。それが今の彼女だった。
「バケモノめ。なぜ死なん?!」
男たちの中には無敵の彼女に対する畏怖が芽生え始めた。しかし、それを表層意識が頑なに否定し、さらなる闘志を掻き立てた。
その隙に望萌は翼を広げて沖合のマーシャル・クリロフに飛んだ。こうも熱気が立ち込めていてはダイマー共感覚がうまく働かない。進路上の周囲を脱酸素して火薬類の燃焼を阻害する。錯綜する銃弾を回避しどうにか甲板に降り立った。船上では岸辺の騒ぎをとっくに把握しており、ハーベルトと祥子が対応策を協議していた。
「荒井先生が大変なの!」
息せき切って戦闘指揮所に駆け込む望萌。ハーベルトはしたり顔で対処方針を打ち出した。
「ダイマー能力を使いすぎると体に毒だよ。先生が死んじゃう~。ねぇ、ハーベルト~~」
いつもの通り祥子の「困った時のハーベルト頼み」が始まった。教師が好きなのか、自分に惚れているのかハーベルトは呆れ果てながらも、頭をフル回転させた。
「要するに、男たちの早合点に歯止めをかければいいんでしょう? そこでQCDよ!」
ハーベルトは望萌からシホテリアニ隕石の現状を聞くやいなや、早速その活用法を編み出した。
希少成分の一つであるプレッサイトにはウィドマンシュテッテン構造と言う独特な紋様がある。これはドロドロに溶けた鉄の塊――シホテリアニ隕石の主成分たる「隕鉄」――が、途方もない歳月をかけてゆっくりと冷え固まったものだ。
隕石の破片は有力なパワーストーンとして高値で取引されているが、このウィドマンシュテッテン構造を含んでいるかいないかで合成品かどうか真贋判定する。
「ウィドマンシュテッテン構造を含んだプレッサイトは反QCD力の”忍耐”を担っているのよ」
ハーベルトはさっそく手に入れたばかりのオモチャで遊び始めた。マーシャル・クリロフの通信機能が咆哮/脳炎ネットワークシステムを介してウラジオストック周辺をスキャンし始めた。するとナホトカ市とウラジオストクの間を流れるパルチザンスカヤ川流域に反応があった。
「ブレッサイト、落下地点、確認。残留思念とリンク。接続します!」
望萌が猛り狂った兵士たちの感情をブレッサイトに中継した。
その頃、荒井吹雪はスタミナ切れを起こしてダイマー能力が途切れがちになっていた。防護フィールド内に居合わせた女子工兵のうち、ダイマー能力に覚えのある者が支援してはいるが、もともとは作業の補助に使っているため、出力が期待できない。
焼け石に水だ。吹雪の孤軍奮闘がじり貧となり、フィールドが破られる寸前、救いの手が差し伸べられた。
「荒井先生。よくぞ頑張ってくれました」
「ハーベルト?!」
懐かしい声が崩れそうになった意識をしっかりと支える。
「もうひと押しです。その”忍耐力”を関東軍の皆さんに分配してあげてください」
吹雪の、ただひたむきな耐久力がネットワークを介して、兵士一人一人の心に染み渡る。
「同じ日本人。同じ民族に銃口を向けていいのですか。それがあなたの幸せですか」
「うるさい。売国奴」
「戦争は終わったのですよ」
「非国民め」
売り言葉に買い言葉。激しいやり取りがぶつかり合う。
そこにハーベルトの意思が力添えした。
「国土を護るみなさん。ありがとうございます。あなたたちの怒りはごもっともですが、その闘志は遠い未来の敵を倒すために取っておいてくださいませんか」
「「「何だと? 将来の敵だと!?」」
男たちは銃口をさげた。
ハーベルトはコード1986の未来を取り巻く敵対勢力を洗いざらい映像化して見せた。
「そうか……そういうことになるのか……」
残留思念たちは、意外な未来像に驚愕するとともに腑に落ちた様子で穏やかになった。
「わかった! 皇国の周辺にそのような不埒な勢力が跋扈するというのなら、相争っている場合ではないな」
将兵らしき男性がマーシャル・クリロフに降臨した。
望萌は異世界教師の的外れな非難に鼻持ちならなかった。マーシャル・クリロフの接岸時刻も迫っている。風も出てきた。長々と不毛な議論に費やす余裕もない。彼女はひらひらと手を振って論争を打ち切った。
「わたしたちは野蛮なナチスドイツの女性ではありませんよ。エーデルヴァイス海賊団の流れを組む分派だという事を忘れないようにしてください」
そういうと、ジルバーフォーゲルの回収作業を監督し始めた。機体はあちこち焼け焦げて耐熱タイルも剥がれ落ちている。シホテリアニ隕石が大気圏離脱をあきらめた理由の裏にはジルバーフォーゲルと連合国軍X-33部隊の活躍があった。隕石の進路に珪酸ガラスを大量にばらまいて、オーマイゴッド粒子を散乱させた。その結果、隕石の自意識は天から降りそそぐ大量の啓示に思考をかき乱された。
「彼」は錯乱状態に陥った結果、本能的な部分である純粋面だけが辛うじて機能していた。それが拘留者達の願いに圧されてしまったという。
望萌は工兵たちが満身創痍の機体を分解する間じゅう、愛機と連合国軍の武勇伝をとつとつと語った。それぞれのパーツは梱包されてTWX1369の貨物車両に積み込まれた。
「わたしたちがビロビジャン上空で音楽活動をしている間にご苦労様でした。ところで、隕石はどうなっていますか?」
ハウゼルの問いにドイッチェラントの女性技師たちが液晶ディスプレイを図示した。
「四分五裂、いや七つに分解してウラジオストック周辺に落下しました。ほとんどが鉄で出来ているんですが、希少成分が含まれていましてね……」
彼女たちがいうには、テーナイト 、プレッサイト 、ラーバイツなどといった七種類の結晶が量子色力学の諸機能を分担する性質があるという。
「厄介なことになりました。高次知能集団と懐疑派は身柄確保できていないのでしょう? 渡すと一大事です」
技師が深く憂慮した。
「沼田コヨリの意識は飛び去ってしまったわ。TWXがアマルガムから離脱していくワールドノイズを観測している。おおかた彗星に回収されたのでしょう。問題は残る二人。川端エリスと――」
滑空音が望萌の言葉を遮った。ひゅるひゅると鳥が鳴くようなか細い声がする。
「あぶない!」
望萌がダイマー能力でジルバーフォーゲル回収部隊の周囲に防護場を展開した。
湿地帯が爆散し、ヤナギがゆらゆらと靡くと、何か大きな輪郭がいくつも蠢いた。それらははっきりと実体化すると、キャタピラを軋ませて迫ってくる。
関東軍の戦車連隊だ。日ソ中立条約を理由に満州の防衛兵力は南方に回され骨抜きになっていたが、それなりの兵力が残っていた。
「畜生め。よくも俺たちを騙したな」
ハンカ湖に堕ちた残留思念たちは見境なく銃を向けてきた。彼らを率いているのはマドレーヌ・フラウンホーファーである。もちろん、散々裏切られた日本兵がすんなりと彼女のいう事を聞くはずがない。それでもマドレーヌは男たちの帰巣本能を逆手に取って上手に操縦していた。
枢軸特急がさんざん垂れ流したユダヤポップスは日本人の耳に軍歌や演歌として聞こえた。物悲しい短調が彼らの琴線に触れたのだ。だ。その調べは、引き裂かれた夫婦の思い出や、遠ざかった故郷の日々をこれでもかと思い起こした。マドレーヌの姿は彼らには見えない。そのかわり、荒井吹雪のイメージを増幅してふんだんにまき散らした。
「売女、非国民め」
残留思念たちは荒井吹雪を憎悪対象とした。
「やめなさい。日本人が日本人に銃を向けるなんて!」
TWXの拡声器が望萌の想いを伝えるが、もちろん、耳を傾けるはずがない。榴弾砲がたわ言を吹き飛ばした。
吹雪はダイマーフィールドを全開して彼らの矢面に立つ。無限軌道を軋ませて鉄の猛獣が至近距離に迫る。それまでにいくつもの銃弾が彼女の体をすり抜けていく。鬼神と化した兵士たちは、彼女の不条理に気づく余裕すらなく、ただひたすらに引き金を絞っている。銃弾が効かないと知るや、榴弾、迫撃砲、ありとあらゆる火力を浴びせたおす。だが、吹雪は微動だにしていない。
灌木が燃え上がり、湿地が沸騰し、硝煙と水蒸気が入り交じった世界にぽつねんと咲く一輪挿し。それが今の彼女だった。
「バケモノめ。なぜ死なん?!」
男たちの中には無敵の彼女に対する畏怖が芽生え始めた。しかし、それを表層意識が頑なに否定し、さらなる闘志を掻き立てた。
その隙に望萌は翼を広げて沖合のマーシャル・クリロフに飛んだ。こうも熱気が立ち込めていてはダイマー共感覚がうまく働かない。進路上の周囲を脱酸素して火薬類の燃焼を阻害する。錯綜する銃弾を回避しどうにか甲板に降り立った。船上では岸辺の騒ぎをとっくに把握しており、ハーベルトと祥子が対応策を協議していた。
「荒井先生が大変なの!」
息せき切って戦闘指揮所に駆け込む望萌。ハーベルトはしたり顔で対処方針を打ち出した。
「ダイマー能力を使いすぎると体に毒だよ。先生が死んじゃう~。ねぇ、ハーベルト~~」
いつもの通り祥子の「困った時のハーベルト頼み」が始まった。教師が好きなのか、自分に惚れているのかハーベルトは呆れ果てながらも、頭をフル回転させた。
「要するに、男たちの早合点に歯止めをかければいいんでしょう? そこでQCDよ!」
ハーベルトは望萌からシホテリアニ隕石の現状を聞くやいなや、早速その活用法を編み出した。
希少成分の一つであるプレッサイトにはウィドマンシュテッテン構造と言う独特な紋様がある。これはドロドロに溶けた鉄の塊――シホテリアニ隕石の主成分たる「隕鉄」――が、途方もない歳月をかけてゆっくりと冷え固まったものだ。
隕石の破片は有力なパワーストーンとして高値で取引されているが、このウィドマンシュテッテン構造を含んでいるかいないかで合成品かどうか真贋判定する。
「ウィドマンシュテッテン構造を含んだプレッサイトは反QCD力の”忍耐”を担っているのよ」
ハーベルトはさっそく手に入れたばかりのオモチャで遊び始めた。マーシャル・クリロフの通信機能が咆哮/脳炎ネットワークシステムを介してウラジオストック周辺をスキャンし始めた。するとナホトカ市とウラジオストクの間を流れるパルチザンスカヤ川流域に反応があった。
「ブレッサイト、落下地点、確認。残留思念とリンク。接続します!」
望萌が猛り狂った兵士たちの感情をブレッサイトに中継した。
その頃、荒井吹雪はスタミナ切れを起こしてダイマー能力が途切れがちになっていた。防護フィールド内に居合わせた女子工兵のうち、ダイマー能力に覚えのある者が支援してはいるが、もともとは作業の補助に使っているため、出力が期待できない。
焼け石に水だ。吹雪の孤軍奮闘がじり貧となり、フィールドが破られる寸前、救いの手が差し伸べられた。
「荒井先生。よくぞ頑張ってくれました」
「ハーベルト?!」
懐かしい声が崩れそうになった意識をしっかりと支える。
「もうひと押しです。その”忍耐力”を関東軍の皆さんに分配してあげてください」
吹雪の、ただひたむきな耐久力がネットワークを介して、兵士一人一人の心に染み渡る。
「同じ日本人。同じ民族に銃口を向けていいのですか。それがあなたの幸せですか」
「うるさい。売国奴」
「戦争は終わったのですよ」
「非国民め」
売り言葉に買い言葉。激しいやり取りがぶつかり合う。
そこにハーベルトの意思が力添えした。
「国土を護るみなさん。ありがとうございます。あなたたちの怒りはごもっともですが、その闘志は遠い未来の敵を倒すために取っておいてくださいませんか」
「「「何だと? 将来の敵だと!?」」
男たちは銃口をさげた。
ハーベルトはコード1986の未来を取り巻く敵対勢力を洗いざらい映像化して見せた。
「そうか……そういうことになるのか……」
残留思念たちは、意外な未来像に驚愕するとともに腑に落ちた様子で穏やかになった。
「わかった! 皇国の周辺にそのような不埒な勢力が跋扈するというのなら、相争っている場合ではないな」
将兵らしき男性がマーシャル・クリロフに降臨した。
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