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断絶の航悔(スーパー・カリフォルジリスティック・エクスピアリ・ドーシャス⑩ 別名「休戦の客車」後編
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■ サンクトペテルブルク郊外 避暑地ツァールスコエ・セロー
エカテリーナ宮殿は夏別荘としての機能を満たすため55間もの部屋があったという。贅を尽くした内装は燃えるような黄金で出来ている。いや、本当に火を噴いている。立ち込める煙から一目散に逃げていく人々。ただ一人の訪問客を除いて。その男は小柄でがっしりした顔立ちにアフリカ人の血が見て取れる。もうもうたる黒煙が男の身体をすり抜けていく。彼はエチオピアの貴公子でありながら美貌に欠いている。その割にプレイボーイとして幾人もの女を侍らせていた。
そして、決闘に敗れた屈辱の眠りから醒めた今も、乙女の憧憬であり続ける。
2419Dからフサークが飛び降りた。旅人の外套効果が二人を劫火から守っている。
「詩か? 俺の詩が欲しいのか? お前はロシア文壇の太陽を拝みたいのか? いいだろう!!」
乞うるような女の目線に切符のいい声が答えた。
彼、アレクサンドル・プーシキンは両腕を広げ、うっとりするような美声で「いのちの駅馬車」を暗誦し始めた。
「Хоть тяжело подчас в ней бремя……」
抄訳 駅馬車は重荷を運ぶ時も、普段と変わらず足取りは軽やか。
勇敢な馭者はプラチナブロンド。時の守護者はわき目も降らずに旅客を運ぶ。
すると、壁画の焦げ目から強い樹脂香を持った白煙が噴き出した。ここにあるはずのない琥珀が燃えている。
とうに死んでいるはずの男は、生きている運命量子色力学者と遜色のない存在感を示している。仮想の琥珀から巻き起こる確率変動の渦が異世界の住人を隧道へいざなっている。
彼が祖先から受け継いだ血の気の多さとプライドの高さはロシア人の精神的支柱である。脈々たる意志がチベット密教でいう光明となってワールドノイズをかき混ぜた。逆巻く確率がコード1986とコード2047をつなぐ。
それの尖端は図らずもアドルフ・ヒトラーが遺した予言の一節を模倣していた。彼はひっそりとした山荘で侍従たちをねめつけるように睨み、下品な内容をほのめかした。
「余だ。終末の時には『余、そのもの』を象った物が火を噴いて滅びをもたらすのだ。わかるかね? 諸君。『余、自身だ』。やがてアメリカもソ連も、連合国に反目する勢力も、こぞって『余、自身』の力を崇拝し、狂ったように『それ』を製造する」
それを聞いた者たちは顔を背けるどころか、恍惚としたという。
歴史の皮肉か、彼ではなくソ連邦随一の詩人が巨大なうねりを牽引している。プーシキンを取りまくう女たちの情念が年輪となってワールドクラスを突き破る。そのはざまを休戦の客車が疾走する。
「いいぞ、食堂車2419D。その調子だ。生命の樹をリストビャンカまで連れてこい」
イチゲロフはリュプヴィーとモーリアに服を脱ぐよう命じた。二人は言われるままに肌を突合せ、絶頂に達した。その肉体はイチゲロフの吐いた光線に焼き払われた。互いの魂が混ざり合い、融合して永遠の絆を結ぶ。
イチゲロフはそれを丈夫で細長い幽子情報系(ソウス)の綱に変えた。確率変動の渦流はいつしか見事な針葉樹に様変わりしている。
「これぞ、ヴ・リルの力だ」
イチゲロフは「リュプヴィーとモーリアの綱」を生命の樹にくくりつけ、2419Dをもやう。
休戦の客車は針葉樹を機関車にして、日本人墓地を、リストビャンカの街を貫いた。
「フサーク。お前の望み通り、【集団】まで送ってやろう」
イチゲロフは琥珀の間の天井に空いた大穴から、空高くどこまでも駆けていく列車を見送った。
エカテリーナ宮殿は夏別荘としての機能を満たすため55間もの部屋があったという。贅を尽くした内装は燃えるような黄金で出来ている。いや、本当に火を噴いている。立ち込める煙から一目散に逃げていく人々。ただ一人の訪問客を除いて。その男は小柄でがっしりした顔立ちにアフリカ人の血が見て取れる。もうもうたる黒煙が男の身体をすり抜けていく。彼はエチオピアの貴公子でありながら美貌に欠いている。その割にプレイボーイとして幾人もの女を侍らせていた。
そして、決闘に敗れた屈辱の眠りから醒めた今も、乙女の憧憬であり続ける。
2419Dからフサークが飛び降りた。旅人の外套効果が二人を劫火から守っている。
「詩か? 俺の詩が欲しいのか? お前はロシア文壇の太陽を拝みたいのか? いいだろう!!」
乞うるような女の目線に切符のいい声が答えた。
彼、アレクサンドル・プーシキンは両腕を広げ、うっとりするような美声で「いのちの駅馬車」を暗誦し始めた。
「Хоть тяжело подчас в ней бремя……」
抄訳 駅馬車は重荷を運ぶ時も、普段と変わらず足取りは軽やか。
勇敢な馭者はプラチナブロンド。時の守護者はわき目も降らずに旅客を運ぶ。
すると、壁画の焦げ目から強い樹脂香を持った白煙が噴き出した。ここにあるはずのない琥珀が燃えている。
とうに死んでいるはずの男は、生きている運命量子色力学者と遜色のない存在感を示している。仮想の琥珀から巻き起こる確率変動の渦が異世界の住人を隧道へいざなっている。
彼が祖先から受け継いだ血の気の多さとプライドの高さはロシア人の精神的支柱である。脈々たる意志がチベット密教でいう光明となってワールドノイズをかき混ぜた。逆巻く確率がコード1986とコード2047をつなぐ。
それの尖端は図らずもアドルフ・ヒトラーが遺した予言の一節を模倣していた。彼はひっそりとした山荘で侍従たちをねめつけるように睨み、下品な内容をほのめかした。
「余だ。終末の時には『余、そのもの』を象った物が火を噴いて滅びをもたらすのだ。わかるかね? 諸君。『余、自身だ』。やがてアメリカもソ連も、連合国に反目する勢力も、こぞって『余、自身』の力を崇拝し、狂ったように『それ』を製造する」
それを聞いた者たちは顔を背けるどころか、恍惚としたという。
歴史の皮肉か、彼ではなくソ連邦随一の詩人が巨大なうねりを牽引している。プーシキンを取りまくう女たちの情念が年輪となってワールドクラスを突き破る。そのはざまを休戦の客車が疾走する。
「いいぞ、食堂車2419D。その調子だ。生命の樹をリストビャンカまで連れてこい」
イチゲロフはリュプヴィーとモーリアに服を脱ぐよう命じた。二人は言われるままに肌を突合せ、絶頂に達した。その肉体はイチゲロフの吐いた光線に焼き払われた。互いの魂が混ざり合い、融合して永遠の絆を結ぶ。
イチゲロフはそれを丈夫で細長い幽子情報系(ソウス)の綱に変えた。確率変動の渦流はいつしか見事な針葉樹に様変わりしている。
「これぞ、ヴ・リルの力だ」
イチゲロフは「リュプヴィーとモーリアの綱」を生命の樹にくくりつけ、2419Dをもやう。
休戦の客車は針葉樹を機関車にして、日本人墓地を、リストビャンカの街を貫いた。
「フサーク。お前の望み通り、【集団】まで送ってやろう」
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