枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

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疾風の到達不能極(インレット)~ラーセン・マグナコア)⑦ ぬいぐるみ心理学第一原理

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 ■ ぬいぐるみ心理学氷雪挽歌

「Бастион、発射!」
 地対艦ミサイル貨車の天蓋が開き、サイロから「城塞」の異名を持つミサイルが飛び上がる。南極の空を固体ロケットが焦がし、高度1万メートルを目指す。血に飢えたアクティブレーダー・シーカーが氷海に獲物を探し求める。アルクイーク・ノーヴォスチ号をまさぐろうとして、その動きを止めた。
 水平線がない。
 球体であるはずの大地がぷっつりと途絶えている。通常、ミサイルは三機一組で射出されるが、そのうちのリーダー機のみがレーダーを作動させ、僚機に指示をくだす。そのリーダー機は当識障害に陥った。水平線の向こうが奈落の落とし穴であることなど、丸い地球ではあり得ない。
 動作不良を起こしたミサイルは不安定な軌道を描いて氷山に激突した。
「地球が……丸くないですってええええ?!」
 素っ頓狂な声がダイマー共有聴覚を轟かす。対艦ミサイル墜落の一報はハーベルトの心に大打撃を与えた。彼女は墓穴を掘った。皮肉なことに地球平面説を証明してしまった。
 南氷洋に浮かぶ酷寒の島。そこでは氷河を蕩かす熱戦の火蓋が切り落とされた。ハーベルトはついさっきまで盟友だと信じていた日本人邨埜純色に裏切られたばかりか、信頼していた機関士にまで離反されてしまった。
 頼みの綱はハウゼル列車長ただ一人である。だが、今となっては枢軸特急を動かせる機関士は彼女一人だ。列車長を失えば、ハーベルトは生涯をこの世界で暮らす事になる。だから、安全な車内で生き延びてもらわねばならない。

「祥子、よく聞きなさい。宇宙でも異世界でも、いざという時に頼れる相手は自分しかいないのよ」
 ハーベルトは反射的に失った相棒を叱咤する。何度も殺意を抱いたとはいえ、やはり自分にとって祥子はかけがえのない伴侶だったのだ。
 ”祥子。貴女が傍にいることを前提に戦うわ。いや、そこにいるのよ。そういう前提で戦う。でなきゃ、わたし、前に進めない”
 機関車にも似た鋼鉄のメンタルを持つハーベルトだったが、珍しく弱音を吐いた。ただし、それはおくびにも出さない。
 強面のまま、歯を食いしばる。凍った吐息が何となく見覚えのある顔を形づくる。
 ”ほうら、やっぱり、キミにはボクが必要なんだ。釜炊かまたきが……”
 こんもり積もった雪が風で吹き上がる。そこに祥子の白いシルエットが舞っていた。ショベルでガツガツと雪を掻きだす。それをすくってハーベルトにかけた。火炉に石炭をくべるがごとく、ザクザクと闘志が放り込まれる。
 ”弁を閉めたよ。あとはキミしだい……”
 シルエットは、額を拭うしぐさをした後、すうっと風に消えた。
「祥子……冷たッ!」
 バシッと頬に何かが当たった。コートの袖に砕けた雪がこびりついている。つかの間の白日夢を覚ましたものは雪玉だった。キグルミたちが、面白がってハーベルトを的にしている。
おこったわよおおお!」
 火を熾すとは、文字通りボイラーに点火することである。ハーベルトは吹雪でスカートがまくれるのも気にせず、走り出した。ダイマー能力で真正面の着ぐるみ少女に過酸化水素を浴びせかける。
「ひゃん☆」
 少女のモフモフが溶けて餅肌があらわになる。足元が泡立って隣にいる邨埜純色まで水浸しになった。転倒した際にカロリーメータを取り落とした。
「希アルカリ溶液はエステルを加水分解するのよ!」
 ハーベルトは威嚇すると、ヌイグルミの前衛が総崩れになった。
「着ぐるみの子をあんな風にするなんて、ひどい!」
 望萌が涙ぐむ。立ち往生している純色をヨーゼフ・ダッチマンが下がらせた。
「ヌイグルミを粗末に扱うとは、お転婆にも程がある」
 彼は例の裁縫箱を開封した。
 すると――。
 頬を切るような風がピタリと止んだ。氷河は消え失せ、ペンギンやアザラシはどこにもない。それどころかポカポカ陽気がハーベルトをやさしく包み込んだ。可愛らしい小鳥のさえずりや糖蜜の香りが鼻腔を刺激する。ハーベルトだけでなく、武装SSの女子たちもメルヘンの世界に戸惑っている。視界の隅をアゲハチョウがよぎった。
 どういう魔法を使ったのかはわからない。とにかく、マリオン島の生態系がガラリと一変した。
「騙されないで。構え筒、前進あるのみ!」
 違和感を覚えつつも、ハーベルトはヨーゼフに狙いを定めた。スコープを覗き、十字を急所に合わせる。そして、トリガーを絞った。
 気の抜けた発砲音とともに、銃が消滅した。
「キャハハ。あなた、何やってるのよ?」
 邨埜純色が笑いをこらえながらコンパクトを差し出す。そこには左目の周りに墨を塗ったハーベルトがいた。
 二の句が継げない。あっけにとられる彼女にヨーゼフが宣戦布告した。
「ヌイグルミ心理学 第一心象行動原理」
 謎めいた言葉とともに、ハーベルトは猛烈な竜巻に攫われた。そこはパステルカラーに塗り固められた室内。広さはおおよそ千平米。30メートル四方の床に絵本やヌイグルミや人形が散乱している。男の子が喜びそうなオモチャは一つもない。
 ここは一体。
 ハーベルトの疑問は声なき声が解決してくれた。
 ――子供部屋。
 ――――トロイメライ・フォン・シュリーフェン家の女児部屋。
「やぁい。汚い田舎の子」
「臭くて不潔な移民の子」
「やあい。やあい。やあい」
 残酷さの意味を知らない無邪気な声が記憶のかさぶたをえぐり取る。
「うっさいわね!」
「野蛮で騒々しいイナカもの~♪」
 あんただってイナカもんじゃない。人類発祥の地がどこだか知らない癖に!」
 ハーベルトはムキになって金切り声をあげた。
 彼女の実家にこうしたメルヘンチックな部屋はない。母親は生え抜きの職業軍人で彼女に母親たれと教育したものの、女子たれとは一言も言わなかった。
 当時のドイッチェラントは大分裂グロースシスマの渦中にあって、枢軸基幹同盟も机上の空論でしかなかった。エーデルヴァイス海賊団は統率力が脆弱で、内部闘争や異世界同士のいざこざで疲弊しきっていた。そこに彗星のごとく現れたのがエルフリーデ・ハートレーだ。無名の音楽家であった彼女は周囲の強力な後押しがあって興味のない政治の世界に足を踏み入れた。するとみるみる頭角をあらわして、大総統の地位に納まった。厭戦気分が盛り上がるなか、エルフリーデの右腕として強固な軍隊を指揮したのがハーベルトの母親 ミュルダール・トロイメライだ。
 ドイッチェラント人の女は女である以前に母でなければならない。そう言って娘のハーベルトに炊事洗濯掃除といった銃後の守りから最前列に立つための軍事教練まで徹底的にたたき込んだ。銃後も、前線も、女だけで守るのだと。
 そして、軍人の娘であるハーベルトは軍艦のオモチャに名前をつけ(たいていはアーデルハイド・デル・リアとか著名人物にあやかっている)、模型飛行機を片手に駆け回った。
 ゲルマニアの女の子は鉄砲や爆弾を我が子の様に愛でる。物心ついた頃からそう聞かされてきた。
「ヌイグルミなんか、ぬいぐるみなんか、縫い包みなんかーッ」
 ハーベルトはこのような空間を用意した存在にやり場のない怒りを覚えた。公開処刑されている。なぜなら、自分の怒鳴り声にクスクスのサラダが重なるからだ。誰かがいる。何者かがハーベルトの足掻きを観賞している。
 部屋の隅にクマの縫いぐるみがちょこんと座っている。つぶらな瞳にじっと見つめられてハーベルトは叫んだ。
「こっち見るなー」
 すると、熊が早口でまくし立てた。
「ねぇ。ハーベルト。貴女には悪いことをしちゃったわね」
「――おかあさん?!」
 いるはずのないミュルダール。亡き母親の声を借りて心理攻撃を苛む卑怯者。
 ハーベルトはダイマー能力で熊を燃やした。ぬいぐるみが爆ぜ、ばらばらになる。しかし、次の瞬間、ハーベルトの胸に熊が抱かれていた。
「やめて、おかあさん。わたし、ヌイグルミなんかいらない」
 ハーベルトはどんどん幼稚遅行していく。死んだ母親は彼女に何を求めているのか。何をたくらんでいるのか。
 だいいち、こいつはミュルダールじゃない。母は前進を口癖にしていた。ホーネカー女史の座右の銘だ。
 それなのに、過去の幻影で娘を苦しめる。
「おかーさん。ぬいぐるみはもういいからーーー。わたしに、せんしゃのおもちゃ、買ってよぉおおおお」
 百戦錬磨の勇将が鼻水涎を垂らしてただをこねている。
 いっぽう、ハーベルトの悶絶を冷静に観察する勢力がいた。
「ヌイグルミ心理学の第一原理は無関心との遭遇だ。人類は性別を抜きにして二種類ある。ヌイグルミと関わるか、無関係であるか。ぬいぐるみから隔絶した生活を送る者は自己矛盾を解決できず苦しんでいる。なぜなら、緩衝材となる他人の包容力を期待できないから。だから、悩みのぶつけどころに困っている」
 ヨーゼフ・ダッチマンが邨埜純色にハーベルトの内面を開設している、彼らはパステルカラーの子供部屋を外から観察している。
「それは、同時に熱力学第二法則と取っ組み合いしている枢軸基幹同盟も同じことですね」
「そうだ。ハーベルト、いや、愚直なるアクセンメヒテよ。何度でも言う。鉄の規律は過ちであると」
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