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疾風の到達不能極(インレット)~ラーセン・マグナコア)⑪ Ich liebe Kuscheltiere
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■ 南極 ニュージーランド軍バンダ湖基地
時にコード1965 2月 ベトナム中部 プレイク
駐留アメリカ空軍のヘリコプター基地キャンプハロウェイが攻撃を受けた。当時、訪越中の米高官は北ベトナム政府による挑発行為と断定。時のジョンソン大統領は即日報復を決定した。既にトンキン湾に展開中だったアメリカ第七艦隊正規空母コーラル・シー、レンジャー、ハンコックの艦載機を中心とした航空戦力が北ベトナム中枢部に空爆を行った。
いわゆる北爆の開始である。
これを機にベトナム全土に爆弾が雨あられと降り注ぎ、服を焼かれた裸の女の子が泣きながら外国人記者に下腹部を撮影され、それがピュリッツァー賞を取る。
そして、多くの人命や家屋が失われ、戦争終結後も数え切れないほどのベトナム人が後遺症に苦しむなど、大きな爪痕を残した。
この北爆に対してベトナム人抵抗勢力は米軍施設を奇襲するなどゲリラ戦術を繰り返した。
面ではなく点で攻撃してくる解放戦線に手を焼いたアメリカ軍は彼らを空から駆除するためにAC-47を開発した。
口径7.6ミリの六連装機銃GAU-2Aを機体左舷に三基搭載し、夜ごと出没するゲリラは致死量の鉛を浴びた。
「夜空に君臨するドラゴンのファイアーブレスは解放戦線兵士をあっという間に沈黙させたのよ」
パンセ・ドゥーリットルは座席を取り払っただだっ広い貨物室を見やって独り言ちる。電動式のガトリング砲は毎分四千発という猛烈な勢いで地上目標を制圧射撃する。それは機関銃というよりも射程距離の長いショットガンといえる。
頭の後ろで蚊の鳴くような音が聞こえたと思った瞬間、純色の世界はフル回転していた。鈍い衝撃。彼女の顔に柔らかい肉が当たる。体臭と化粧が入り混じった独特の匂いでむせる。彼女が咳き込んでいると、密着していた肌が離れた。
そして、見知った顔が心配そうに覗き込む。
「危ないところだったわ」
声の主は体中のあちこちが焼けただれ、皮膚が剥がれ、ケロイド状の火傷を負っている。身に着けていた物はとっくに焼け落ちているが、辛うじて性別が判断できる。
「――エリス?! 無事だったの?!」
純色は青息吐息の宇宙人に肩を貸してやった。
「ええ……ライナー・ミルドラースは……辛うじて封じておいた……わ」
がっくりと膝をつくエリス。純色はそそくさとセーラー服とテニスウェアを脱ぎ、アンダースコートを履かせてやった。さすがにブルマ姿になると外套効果が薄れ、鳥肌が立つ。
「封じた……って、まだあのバケモノは生きているのね?」
ゼイゼイと息も絶え絶えに言う。エリスは体力を振り絞ってドラゴンブレスを遠ざけていた。TWX1369の外套効果は極限にまで高まり、搭乗資格のないヨーゼフを蚊帳の外に置いていた。純色がカロリーメーターを拾い上げ、反QCD粒子で外套を支えた。
それで、エリスは落ち着きを取り戻した。純色は介護ベッドを超生産し、楽な体操服に着替えさせる。
「そう。彼女はもう動物や植物でもない。古生物の塊よ。約三十万年前、日本人が中期旧石器時代と呼んでる時代の遺物」
エリスは言葉を区切ると吐いた。ブルーベリージャムのような粘液。額に脂汗をかいている。
「それってネアンデルタール人が闊歩していた頃じゃない。大丈夫?」
そして心配する純色の手を振り払った。「地球の医学は却って毒よ。それより黙って聞いて。あの女はもうアヌンナキに変質してる。お前たち地球人が恐れるネフィリムの原型なの。30万年前、南極大陸は間氷期の終わりにあった。これから冷え固まる大地に、私たちの故郷、地球人から見れば宇宙人の巣――から、アヌンナキは来た。それから先はお前たちもよく知っている陰謀史観」
まさか外来文明人からその言葉を聞かされるとは夢想だにしなかった。純色はエリスに呆れつつも応えた。
「異星人干渉説?」
彼女は手あかにまみれた地球人遺伝子改良説を口にした。
「そうよ。アヌンナキは資源盗掘のために遣わされた支配階級で、ホモサピエンスは創られた労働力というわけ。でも、それこそ彼らが故意に残した俗説。本当のところは……」
川端エリスがそこまで暴露した時、爆発音が続いた。貨車が膨張しオレンジ色の火球が氷原を照らす。まるで枢軸軍を嘲笑うかのように鋼鉄の尖塔が遠ざかっていく。向かう先はアルクイーク・ノーヴォスチ号だ。
「対艦ミサイル! ハーベルトが準備していた対艦ミサイル。どうして?」
あり得ないことだ。Бастионによる攻撃が不発に終わったあと、残弾をハーベルトが厳重に封印した。火器管制装置の解除コードは限られた乗務員しか知らない。
「まさか?! 望萌?」
その答えは純色の側頭部に突き付けられた。外套効果を乗り越えて、ヨーゼフがすぐそばに立っている。手にしているのは南極石だ。
「ゆっくりと手をあげて後ろを向け。カロリーメータと衣服は捨てろ。パンツもだ」
純色は言われるままに体操服の丸首を両手で引っ張った。ビリっとポリエステル繊維が裂け、艶めかしいピンクが露になる。
「フムン。なかなかいい身体をしてる。おっと、羽根は広げるなよ。俺が手伝ってやる」
ヨーゼフはガラスケースのふちを純色の背中に這わせた。豆腐を切るようにレオタードとスクール水着が裂け、ストラップで束ねた翼があらわれた。フヨフヨした羽毛にタンクトップとスポーツブラが食い込んでいる。
「もう、それぐらいにしてあげたら」
望萌が機関車から降りてきた。やはり、ヨーゼフの側に付いたのだ。
「望萌……どうして……外套効果のスイッチを……」
エリスは横たわったまま、息も絶え絶えに言う。
「おっと、無理しなさんな。あいにく、宇宙人の治療法は知らねえんだ」
ヨーゼフが介護ベッドのそばにしゃがみ、目線を相手と同じ高さにする。
「望萌は俺にぞっこんなんだよ。異世界逗留者は一生男と結婚できない宿命だというね。だが、同棲は出来る」
見せつけるように望萌と腕を組む。
「言いたいことはわかるわ。終末期異論人は共通の敵だものね」
「そうだ。俺は強力な南極石を手中にしている。主成分のハロゲン化合物とジオマクロ分子を混合すれば琥珀以上の確率変動を得られるんだ。あとはわかるだろう? オメガバーズどもの『異論』を地球平面説で一蹴できる」
「一掃ではないのね?」
ヨーゼフの強弁にエリスはかすかな弱みを見つけた。彼は言葉を詰まらせた。
「……抜け目ない宇宙人だな。ああ、燃料が足りない。【マランツ】のホウ素12が利用できればの話だ。どうするね?」
男は純色をじろっと見やり、続いて空を仰いだ。マジックドラゴンが自由に飛び回っている。
無言の圧力が二人を追い詰める。
一人は地球人、彼女が首を縦に振れば一人の男が異世界のすべてを掌握する。彼の立場は枢軸で蔑まれた男から……そうだ、相応しい指示代名詞があるとすれば魔王だ。彼はありとあらゆる世界を支配する魔王となる。
二人目は異星人。
彼女は侵略の尖兵から反旗の振り手となり、今や被支配者の権益を代表している。彼女が首を横に振れば、やはり魔王が君臨する。
魔王ヨーゼフはワインをグラスでたしなむ様に二人の女を愛でた。有無を言わさず殺してしまうのはもったいない。そう言わんばかりに。
■
いっぽう、南極から離れた孤島で二人の女が自己解決に取り組んでいる。
ハーベルトは、ミュルダールに植え付けられた信条とは正反対の主義主張に苦しんでいる。ヌイグルミの祥子はびしょ濡れになりながらも、しっかりとハーベルトにしがみつく。
藤野祥子はカリフォルニアの大地で宇宙樹となって朽ち果てた筈だ。ところが、熱力学第二法則に反して蘇った。
「ごめんよう。ごめんよう。ボクがキミを困らせたんだ。ごめんよう。ごめんよう」
ハーベルトは良心の呵責に苛まれ、声をあげてのたうち回る。そして、根っからの負けず嫌いがイニシアティブを握った。
「うっさいわね! お前はリンドバーグ・ウォールでしょ? あたしの思い出を滅茶苦茶にいじるなんて!!」
ハーベルトはスカートが盛大にまくれるのも躊躇せず、ヌイグルミを蹴ろうとした。クマの祥子はつぶらな瞳をキュッと閉じた。
そして、震え声で懇願する。
「やめて、やめて、ボクを蹴らないで! ボクが悪いんだ。ボクはヌイグルミだから、理由はわからない。けど、ボクに非があるのはわかっているよ。でも、ボクを蹴らないで。ヌイグルミを蹴らないで。ヌイグルミは蹴って遊ぶものじゃないから」
「うっさいわね! お前は蹴りものよ。蹴鞠よ。大日本帝国のキッズソングにも歌われているの。山寺の住職は猫を紙袋に詰めて蹴るのよ。クマを蹴ってもいいじゃない!」
祥子の視界に濃紺の生地が迫っている。
「ハーベルト、ブルマーが見えてるよ」
「うっさいわね! それで? ナチスドイツの女子同盟はブルマが見えるようなスカートを履いて軍事教練したのよ。活発なドイツ婦女の象徴よ。動きやすくていいじゃない!」
ハーベルトがシュートを決めようとすると、祥子が一言つぶやいた。
「いいんだ……」
「え?」
意外な言葉にハーベルトは足を止めた。
「いいんだ。正当性があれば他人の目はどうだっていいんだ。自分さえ正しければそれでいいんだ。ここはキミの心のなかだけど、人は心の中まで支配されないんだ」
自嘲していたヌイグルミが高尚なことをいう。
「あなたねぇ。何が言いたいの?」
クマは瞳に涙を浮かべて言う。
「他人にどう見られようとどうだっていいんだ。枢軸の女子は連合で破廉恥だって揶揄されるような振る舞いをしてるんだ。どうだっていいんだ。それは枢軸を守ろうという郷土愛のあらわれさ。だったら、ボクも平等に愛して。ボクは枢軸の娘だから!」
祥子がクンクンと甘えるような声でハーベルトに縋りつく。
「でも、前進……」
ハーベルトが振りほどこうとすると、祥子は妥協案を出した。
「ハーベルト。キミはお母さん思いの女の子だから、言いつけを守りたいんだね。ヌイグルミとじゃれている場合じゃないんだね」
祥子は追いつめるような視線をハーベルトに投げる。
「ボクは……ヌイグルミは嫌い?」
「いや、でも、あたしは……」
「ボクがクマだから? ヌイグルミは嫌いじゃ無い? クマじゃなかったら嫌いじゃない?」
「あのねぇ。あなた、そういう意味じゃ……」
ハーベルトが口ごもっていると、突然ヌイグルミが破裂した。
ふわふわした雪景色に真綿が舞い落ちる。
そこにスキンヘッドの天使がうつぶせていた。上半身はむき出しで腰から下は綿に埋もれている。
「祥子? 祥子なの?!」
ハーベルトはずぶずぶの地面をよろけながら駆けた。彼女の行く手を柔らかそうな丸っこい物体が塞いだ。
「なんなのよ、いきなり」
ハーベルトがよろめくと、もう一人、すっぽんぽんのハゲ天使が声をかけた。
「ハーベルト、貴女、生きていたのね?」
「列車長?」
ハーベルトはヌイグルミの戦車に跨ったハウゼルに目を丸くした。
「ヌイグルミ心理学第二原理をどうにか打ち破ったわ! 私は子供の頃にブレッヒマンを失って、タコ糸が切れたようになっちゃったけど、寄りかかる何かが必要なオンナなのよ」
そういうと、砲身にべったりと身を寄せた。
「っていうか、その戦車?」
「ハーベルト、あなたが出した答えよ。ヌイグルミ心理学とは本心と向き合うこと。あなたは鉄の規律に縛られて生きてきた。その反面、やるときはやりたい放題してきたわよね? あなたは使命感と自意識過剰のはざまでもっと自由に振舞いたいと悩んできた。その答えがこのコなのよ!」
裸の列車長は砲身できわどい部分を隠しながら断言した。
「この子って?」
首をかしげるハーベルト。祥子はぱっと起き上がり戦車に飛び乗った。
「戦車だよ! ヌイグルミの戦車。だって、オモチャはキミの友達、拠り所じゃん!」
「二人とも妥協を学んだのよ。わたしは彷徨う女、貴女は猛進に拘る女。ヌイグルミが軌道修正してくれた」
ハウゼルはそういうと砲塔――キューポラの中にもぐりこんだ。操縦席のたぐいはなく、カンガルーのようなポケットになっている。祥子と二人で温泉に漬かるような格好で首だけを出している。
「ちょ、列車長、まさか、これでTWXを取り戻す気?」
「お洋服とカツラをどうにかしたいけど、コルヌコピアマシンは列車の中よ」
ハーベルトは仕方なく、モフモフした車体に乗り込んだ。
時にコード1965 2月 ベトナム中部 プレイク
駐留アメリカ空軍のヘリコプター基地キャンプハロウェイが攻撃を受けた。当時、訪越中の米高官は北ベトナム政府による挑発行為と断定。時のジョンソン大統領は即日報復を決定した。既にトンキン湾に展開中だったアメリカ第七艦隊正規空母コーラル・シー、レンジャー、ハンコックの艦載機を中心とした航空戦力が北ベトナム中枢部に空爆を行った。
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これを機にベトナム全土に爆弾が雨あられと降り注ぎ、服を焼かれた裸の女の子が泣きながら外国人記者に下腹部を撮影され、それがピュリッツァー賞を取る。
そして、多くの人命や家屋が失われ、戦争終結後も数え切れないほどのベトナム人が後遺症に苦しむなど、大きな爪痕を残した。
この北爆に対してベトナム人抵抗勢力は米軍施設を奇襲するなどゲリラ戦術を繰り返した。
面ではなく点で攻撃してくる解放戦線に手を焼いたアメリカ軍は彼らを空から駆除するためにAC-47を開発した。
口径7.6ミリの六連装機銃GAU-2Aを機体左舷に三基搭載し、夜ごと出没するゲリラは致死量の鉛を浴びた。
「夜空に君臨するドラゴンのファイアーブレスは解放戦線兵士をあっという間に沈黙させたのよ」
パンセ・ドゥーリットルは座席を取り払っただだっ広い貨物室を見やって独り言ちる。電動式のガトリング砲は毎分四千発という猛烈な勢いで地上目標を制圧射撃する。それは機関銃というよりも射程距離の長いショットガンといえる。
頭の後ろで蚊の鳴くような音が聞こえたと思った瞬間、純色の世界はフル回転していた。鈍い衝撃。彼女の顔に柔らかい肉が当たる。体臭と化粧が入り混じった独特の匂いでむせる。彼女が咳き込んでいると、密着していた肌が離れた。
そして、見知った顔が心配そうに覗き込む。
「危ないところだったわ」
声の主は体中のあちこちが焼けただれ、皮膚が剥がれ、ケロイド状の火傷を負っている。身に着けていた物はとっくに焼け落ちているが、辛うじて性別が判断できる。
「――エリス?! 無事だったの?!」
純色は青息吐息の宇宙人に肩を貸してやった。
「ええ……ライナー・ミルドラースは……辛うじて封じておいた……わ」
がっくりと膝をつくエリス。純色はそそくさとセーラー服とテニスウェアを脱ぎ、アンダースコートを履かせてやった。さすがにブルマ姿になると外套効果が薄れ、鳥肌が立つ。
「封じた……って、まだあのバケモノは生きているのね?」
ゼイゼイと息も絶え絶えに言う。エリスは体力を振り絞ってドラゴンブレスを遠ざけていた。TWX1369の外套効果は極限にまで高まり、搭乗資格のないヨーゼフを蚊帳の外に置いていた。純色がカロリーメーターを拾い上げ、反QCD粒子で外套を支えた。
それで、エリスは落ち着きを取り戻した。純色は介護ベッドを超生産し、楽な体操服に着替えさせる。
「そう。彼女はもう動物や植物でもない。古生物の塊よ。約三十万年前、日本人が中期旧石器時代と呼んでる時代の遺物」
エリスは言葉を区切ると吐いた。ブルーベリージャムのような粘液。額に脂汗をかいている。
「それってネアンデルタール人が闊歩していた頃じゃない。大丈夫?」
そして心配する純色の手を振り払った。「地球の医学は却って毒よ。それより黙って聞いて。あの女はもうアヌンナキに変質してる。お前たち地球人が恐れるネフィリムの原型なの。30万年前、南極大陸は間氷期の終わりにあった。これから冷え固まる大地に、私たちの故郷、地球人から見れば宇宙人の巣――から、アヌンナキは来た。それから先はお前たちもよく知っている陰謀史観」
まさか外来文明人からその言葉を聞かされるとは夢想だにしなかった。純色はエリスに呆れつつも応えた。
「異星人干渉説?」
彼女は手あかにまみれた地球人遺伝子改良説を口にした。
「そうよ。アヌンナキは資源盗掘のために遣わされた支配階級で、ホモサピエンスは創られた労働力というわけ。でも、それこそ彼らが故意に残した俗説。本当のところは……」
川端エリスがそこまで暴露した時、爆発音が続いた。貨車が膨張しオレンジ色の火球が氷原を照らす。まるで枢軸軍を嘲笑うかのように鋼鉄の尖塔が遠ざかっていく。向かう先はアルクイーク・ノーヴォスチ号だ。
「対艦ミサイル! ハーベルトが準備していた対艦ミサイル。どうして?」
あり得ないことだ。Бастионによる攻撃が不発に終わったあと、残弾をハーベルトが厳重に封印した。火器管制装置の解除コードは限られた乗務員しか知らない。
「まさか?! 望萌?」
その答えは純色の側頭部に突き付けられた。外套効果を乗り越えて、ヨーゼフがすぐそばに立っている。手にしているのは南極石だ。
「ゆっくりと手をあげて後ろを向け。カロリーメータと衣服は捨てろ。パンツもだ」
純色は言われるままに体操服の丸首を両手で引っ張った。ビリっとポリエステル繊維が裂け、艶めかしいピンクが露になる。
「フムン。なかなかいい身体をしてる。おっと、羽根は広げるなよ。俺が手伝ってやる」
ヨーゼフはガラスケースのふちを純色の背中に這わせた。豆腐を切るようにレオタードとスクール水着が裂け、ストラップで束ねた翼があらわれた。フヨフヨした羽毛にタンクトップとスポーツブラが食い込んでいる。
「もう、それぐらいにしてあげたら」
望萌が機関車から降りてきた。やはり、ヨーゼフの側に付いたのだ。
「望萌……どうして……外套効果のスイッチを……」
エリスは横たわったまま、息も絶え絶えに言う。
「おっと、無理しなさんな。あいにく、宇宙人の治療法は知らねえんだ」
ヨーゼフが介護ベッドのそばにしゃがみ、目線を相手と同じ高さにする。
「望萌は俺にぞっこんなんだよ。異世界逗留者は一生男と結婚できない宿命だというね。だが、同棲は出来る」
見せつけるように望萌と腕を組む。
「言いたいことはわかるわ。終末期異論人は共通の敵だものね」
「そうだ。俺は強力な南極石を手中にしている。主成分のハロゲン化合物とジオマクロ分子を混合すれば琥珀以上の確率変動を得られるんだ。あとはわかるだろう? オメガバーズどもの『異論』を地球平面説で一蹴できる」
「一掃ではないのね?」
ヨーゼフの強弁にエリスはかすかな弱みを見つけた。彼は言葉を詰まらせた。
「……抜け目ない宇宙人だな。ああ、燃料が足りない。【マランツ】のホウ素12が利用できればの話だ。どうするね?」
男は純色をじろっと見やり、続いて空を仰いだ。マジックドラゴンが自由に飛び回っている。
無言の圧力が二人を追い詰める。
一人は地球人、彼女が首を縦に振れば一人の男が異世界のすべてを掌握する。彼の立場は枢軸で蔑まれた男から……そうだ、相応しい指示代名詞があるとすれば魔王だ。彼はありとあらゆる世界を支配する魔王となる。
二人目は異星人。
彼女は侵略の尖兵から反旗の振り手となり、今や被支配者の権益を代表している。彼女が首を横に振れば、やはり魔王が君臨する。
魔王ヨーゼフはワインをグラスでたしなむ様に二人の女を愛でた。有無を言わさず殺してしまうのはもったいない。そう言わんばかりに。
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いっぽう、南極から離れた孤島で二人の女が自己解決に取り組んでいる。
ハーベルトは、ミュルダールに植え付けられた信条とは正反対の主義主張に苦しんでいる。ヌイグルミの祥子はびしょ濡れになりながらも、しっかりとハーベルトにしがみつく。
藤野祥子はカリフォルニアの大地で宇宙樹となって朽ち果てた筈だ。ところが、熱力学第二法則に反して蘇った。
「ごめんよう。ごめんよう。ボクがキミを困らせたんだ。ごめんよう。ごめんよう」
ハーベルトは良心の呵責に苛まれ、声をあげてのたうち回る。そして、根っからの負けず嫌いがイニシアティブを握った。
「うっさいわね! お前はリンドバーグ・ウォールでしょ? あたしの思い出を滅茶苦茶にいじるなんて!!」
ハーベルトはスカートが盛大にまくれるのも躊躇せず、ヌイグルミを蹴ろうとした。クマの祥子はつぶらな瞳をキュッと閉じた。
そして、震え声で懇願する。
「やめて、やめて、ボクを蹴らないで! ボクが悪いんだ。ボクはヌイグルミだから、理由はわからない。けど、ボクに非があるのはわかっているよ。でも、ボクを蹴らないで。ヌイグルミを蹴らないで。ヌイグルミは蹴って遊ぶものじゃないから」
「うっさいわね! お前は蹴りものよ。蹴鞠よ。大日本帝国のキッズソングにも歌われているの。山寺の住職は猫を紙袋に詰めて蹴るのよ。クマを蹴ってもいいじゃない!」
祥子の視界に濃紺の生地が迫っている。
「ハーベルト、ブルマーが見えてるよ」
「うっさいわね! それで? ナチスドイツの女子同盟はブルマが見えるようなスカートを履いて軍事教練したのよ。活発なドイツ婦女の象徴よ。動きやすくていいじゃない!」
ハーベルトがシュートを決めようとすると、祥子が一言つぶやいた。
「いいんだ……」
「え?」
意外な言葉にハーベルトは足を止めた。
「いいんだ。正当性があれば他人の目はどうだっていいんだ。自分さえ正しければそれでいいんだ。ここはキミの心のなかだけど、人は心の中まで支配されないんだ」
自嘲していたヌイグルミが高尚なことをいう。
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クマは瞳に涙を浮かべて言う。
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「でも、前進……」
ハーベルトが振りほどこうとすると、祥子は妥協案を出した。
「ハーベルト。キミはお母さん思いの女の子だから、言いつけを守りたいんだね。ヌイグルミとじゃれている場合じゃないんだね」
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「ボクは……ヌイグルミは嫌い?」
「いや、でも、あたしは……」
「ボクがクマだから? ヌイグルミは嫌いじゃ無い? クマじゃなかったら嫌いじゃない?」
「あのねぇ。あなた、そういう意味じゃ……」
ハーベルトが口ごもっていると、突然ヌイグルミが破裂した。
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「なんなのよ、いきなり」
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「列車長?」
ハーベルトはヌイグルミの戦車に跨ったハウゼルに目を丸くした。
「ヌイグルミ心理学第二原理をどうにか打ち破ったわ! 私は子供の頃にブレッヒマンを失って、タコ糸が切れたようになっちゃったけど、寄りかかる何かが必要なオンナなのよ」
そういうと、砲身にべったりと身を寄せた。
「っていうか、その戦車?」
「ハーベルト、あなたが出した答えよ。ヌイグルミ心理学とは本心と向き合うこと。あなたは鉄の規律に縛られて生きてきた。その反面、やるときはやりたい放題してきたわよね? あなたは使命感と自意識過剰のはざまでもっと自由に振舞いたいと悩んできた。その答えがこのコなのよ!」
裸の列車長は砲身できわどい部分を隠しながら断言した。
「この子って?」
首をかしげるハーベルト。祥子はぱっと起き上がり戦車に飛び乗った。
「戦車だよ! ヌイグルミの戦車。だって、オモチャはキミの友達、拠り所じゃん!」
「二人とも妥協を学んだのよ。わたしは彷徨う女、貴女は猛進に拘る女。ヌイグルミが軌道修正してくれた」
ハウゼルはそういうと砲塔――キューポラの中にもぐりこんだ。操縦席のたぐいはなく、カンガルーのようなポケットになっている。祥子と二人で温泉に漬かるような格好で首だけを出している。
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しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
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