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照永周防
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ノアは霊能者などではない。
照永周防はそう確信している。
「ねえ、あの池って外だったでしょ。あそこから出て行けばいいんじゃない?」
脱出方法を探していたのだ。照永にとっては至極当然の提案だった。
しかし、縮こまって震えていたはずの硯が、弾かれたように顔を上げる。
「嫌だ!」
唾を飛ばさんばかりの勢いに気圧される。
「な、何で」
「あそこに入ってないから言えるんだ、そんなこと。俺は二度と嫌だ。あの池は――あの水は、駄目だ。あの中を泳ぐなんて絶対にできねぇ」
何の説明にもなっていない。しかし、彼の声が、表情が、理屈を超えた説得力を有している。
彼の言葉を無視することもできるだろう。しかし、自ら先陣を切って飛び込んでみようとは思えない。自分以外の誰かが試してみてくれるなら。
考えることは皆同じだ。誰も「自分が」と言い出す者はいなかった。
あの異様な空間のことは頭に置きつつ。結局は、中断していた探索を再開することになった。
何者かが潜んでいるかもしれない、程度の危険予測はしていたが、まさかドアが異空間に繋がっているとは予想できなかった。先ほど以上に警戒するように、と互いに注意し合って、再度一階組と二階組に別れることにする。
「俺も行く」
布をかぶって震えていた硯も、話の間に多少回復したらしい。
立ち上がる彼に、そうだ、と照永は提案する。
「乾燥機とかあるんじゃない? 服もそこで乾かせば――」
言いながら、窓辺に吊るされている硯の服に手をやり。
指先に触れた感触に、思わずパッと手を引いた。
「何だ?」
「服が……」
訝し気な顔をする硯に、困惑しながら告げる。
「服が、乾いてるんだけど」
「何なんですかね、この別荘」
廊下に出るなり、頼が小さく呟いた。
この場には二人しかいない。話を振られた照永は、本当にね、とため息交じりに返す。
最初は、拉致でもされたのかと思った。目が覚めたら見知らぬ場所にいたのだから無理もないだろう。
実際のところ、状況は似たようなものだ。何者かの力でここに連れて来られて、外に出られなくなっている。拉致監禁。その割にはまだ冷静でいられているのは、身に迫る危険が感じられないのと、他のことに気を取られているのと。
「次はこっちのドアからでいいですか?」
「うん、いいと思う」
一緒に探索している頼は、先ほどまでより少し言葉数が増えた。
高校生だと言っていた。この年頃の少年は、遠慮を知らないか人見知りをするかの二極化する印象がある。五人揃っている時はあまり喋らない印象があった。人数が減った方が話しやすいのかもしれない。
一度集合する前に探索していたのは、玄関と、その横にあった和室だ。件の財布は和室で拾ったものだった。
順番に見ていくなら、次のドアは決まっている。
廊下の壁と同じ色合いで塗られたドア。見たところ、収納か何かだろうか。
目配せし合い、緊張した面持ちの頼がゆっくりとドアを開ける。――中には想像通りの物置スペースがあるだけだ。
とりあえず一息。
二階で見た異常な光景のせいで、ただドアを開けるだけのことに随分緊張を感じるようになってしまった。憂鬱ではあるが、それでもひとつひとつの部屋を調べないわけにはいかない。
「オレが見ます」
頼が率先して中に入る。人が二人入るほどの余裕はなさそうなので、照永は大人しく一歩引いて中の様子を観察することにした。
本音を言えば、自分で全てを見ておきたい。しかし「ここは私が」と押しのけるほどの理由も見つけられない。
二階組からスマートフォンを受け取れたのは幸いだったとはいえ、他の荷物はまだ何も見つかっていない。
見つかっては困るものが幾つかある。
もしも、あれらを他の誰かに――ノアに発見されてはことだ。
狭い物置には明かりがついていない。慎重な手つきで物色していく頼の背中越しに、照永は中の様子を観察する。
収納用のスペースといえど、置かれているものはさほど多くないようだ。和室を探った時にも感じたことだが、生活感というものがあまりない。別荘ならではと言える。
見える範囲にあるものは、バーベキュー用品や、赤ん坊の玩具のようなものや――かつて美也子がここで使っていたものだろうか。
「何かありそう?」
「んー……」
ごそごそと、小部屋の角まで覗き込んで。頼は振り返る。
「変わったものはなさそうです」
「そっか」
「照永さん、特に探してるものはありますか?」
「そうだなぁ……」
照永は、脳裏に自分の持ち物を思い浮かべる。当然だが、全て手元に戻って来なければ困る。
特に何かを挙げるなら――。
「……やっぱり財布かな。スマホと財布があれば、後は何とかなるでしょ」
「そうですよね」
頼にとってもその二つは生命線だろう。スマートフォンは今、彼の尻ポケットから頭を覗かせている。あとは財布を見つけたいはずだ。
「あと、」と照永は付け加える。
「カメラも見つけたいかな」
「カメラ? 持ってたんですか?」
「せっかくの旅行だから写真でも撮ろうと思ってたんだよね。そんなに立派なものじゃないけど、だからって失くしたくはないかな」
頼はふぅんと気のない反応を見せながら物置から出てくる。
その様子に、不審には思われなかったようだ、と照永は内心胸を撫で下ろす。
カメラは絶対に取り戻さなければならない。金銭的なことはどうでもいい。もしもあれが他の誰かの手に渡ったら。特に、ノアの手に渡ってしまったら。
照永周防はそう確信している。
「ねえ、あの池って外だったでしょ。あそこから出て行けばいいんじゃない?」
脱出方法を探していたのだ。照永にとっては至極当然の提案だった。
しかし、縮こまって震えていたはずの硯が、弾かれたように顔を上げる。
「嫌だ!」
唾を飛ばさんばかりの勢いに気圧される。
「な、何で」
「あそこに入ってないから言えるんだ、そんなこと。俺は二度と嫌だ。あの池は――あの水は、駄目だ。あの中を泳ぐなんて絶対にできねぇ」
何の説明にもなっていない。しかし、彼の声が、表情が、理屈を超えた説得力を有している。
彼の言葉を無視することもできるだろう。しかし、自ら先陣を切って飛び込んでみようとは思えない。自分以外の誰かが試してみてくれるなら。
考えることは皆同じだ。誰も「自分が」と言い出す者はいなかった。
あの異様な空間のことは頭に置きつつ。結局は、中断していた探索を再開することになった。
何者かが潜んでいるかもしれない、程度の危険予測はしていたが、まさかドアが異空間に繋がっているとは予想できなかった。先ほど以上に警戒するように、と互いに注意し合って、再度一階組と二階組に別れることにする。
「俺も行く」
布をかぶって震えていた硯も、話の間に多少回復したらしい。
立ち上がる彼に、そうだ、と照永は提案する。
「乾燥機とかあるんじゃない? 服もそこで乾かせば――」
言いながら、窓辺に吊るされている硯の服に手をやり。
指先に触れた感触に、思わずパッと手を引いた。
「何だ?」
「服が……」
訝し気な顔をする硯に、困惑しながら告げる。
「服が、乾いてるんだけど」
「何なんですかね、この別荘」
廊下に出るなり、頼が小さく呟いた。
この場には二人しかいない。話を振られた照永は、本当にね、とため息交じりに返す。
最初は、拉致でもされたのかと思った。目が覚めたら見知らぬ場所にいたのだから無理もないだろう。
実際のところ、状況は似たようなものだ。何者かの力でここに連れて来られて、外に出られなくなっている。拉致監禁。その割にはまだ冷静でいられているのは、身に迫る危険が感じられないのと、他のことに気を取られているのと。
「次はこっちのドアからでいいですか?」
「うん、いいと思う」
一緒に探索している頼は、先ほどまでより少し言葉数が増えた。
高校生だと言っていた。この年頃の少年は、遠慮を知らないか人見知りをするかの二極化する印象がある。五人揃っている時はあまり喋らない印象があった。人数が減った方が話しやすいのかもしれない。
一度集合する前に探索していたのは、玄関と、その横にあった和室だ。件の財布は和室で拾ったものだった。
順番に見ていくなら、次のドアは決まっている。
廊下の壁と同じ色合いで塗られたドア。見たところ、収納か何かだろうか。
目配せし合い、緊張した面持ちの頼がゆっくりとドアを開ける。――中には想像通りの物置スペースがあるだけだ。
とりあえず一息。
二階で見た異常な光景のせいで、ただドアを開けるだけのことに随分緊張を感じるようになってしまった。憂鬱ではあるが、それでもひとつひとつの部屋を調べないわけにはいかない。
「オレが見ます」
頼が率先して中に入る。人が二人入るほどの余裕はなさそうなので、照永は大人しく一歩引いて中の様子を観察することにした。
本音を言えば、自分で全てを見ておきたい。しかし「ここは私が」と押しのけるほどの理由も見つけられない。
二階組からスマートフォンを受け取れたのは幸いだったとはいえ、他の荷物はまだ何も見つかっていない。
見つかっては困るものが幾つかある。
もしも、あれらを他の誰かに――ノアに発見されてはことだ。
狭い物置には明かりがついていない。慎重な手つきで物色していく頼の背中越しに、照永は中の様子を観察する。
収納用のスペースといえど、置かれているものはさほど多くないようだ。和室を探った時にも感じたことだが、生活感というものがあまりない。別荘ならではと言える。
見える範囲にあるものは、バーベキュー用品や、赤ん坊の玩具のようなものや――かつて美也子がここで使っていたものだろうか。
「何かありそう?」
「んー……」
ごそごそと、小部屋の角まで覗き込んで。頼は振り返る。
「変わったものはなさそうです」
「そっか」
「照永さん、特に探してるものはありますか?」
「そうだなぁ……」
照永は、脳裏に自分の持ち物を思い浮かべる。当然だが、全て手元に戻って来なければ困る。
特に何かを挙げるなら――。
「……やっぱり財布かな。スマホと財布があれば、後は何とかなるでしょ」
「そうですよね」
頼にとってもその二つは生命線だろう。スマートフォンは今、彼の尻ポケットから頭を覗かせている。あとは財布を見つけたいはずだ。
「あと、」と照永は付け加える。
「カメラも見つけたいかな」
「カメラ? 持ってたんですか?」
「せっかくの旅行だから写真でも撮ろうと思ってたんだよね。そんなに立派なものじゃないけど、だからって失くしたくはないかな」
頼はふぅんと気のない反応を見せながら物置から出てくる。
その様子に、不審には思われなかったようだ、と照永は内心胸を撫で下ろす。
カメラは絶対に取り戻さなければならない。金銭的なことはどうでもいい。もしもあれが他の誰かの手に渡ったら。特に、ノアの手に渡ってしまったら。
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