うつし世はゆめ―人間とダンピールと吸血鬼ですが家族やってます―

深山瀬怜

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呪われた一族

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「……誰のことも、殺したことなんてないくせに」

 紅羽の言葉が、空気に落ちた。

 その瞬間、榛斗の魔力の流れがわずかに乱れた。それはほんの一拍。だが、戦場では致命的になり得るほどの揺らぎだった。
 紅羽はその瞬間に体勢を立て直し、榛斗に炎の剣を向ける。肩も足も麻痺しているのか上手く動かすことができないが、気力と覚えている感覚だけで床を踏みしめる。

「……へえ」

 低く、喉の奥で笑うような声だった。
 黒い触手が床を擦り、ずるりと湿った音を立てて蠢く。

「それは、俺が紅羽を殺せないって思ってるってこと?」
「違うの?」

 紅羽は炎の剣を構え直す。心臓の鼓動がうるさい。それでも、視線は逸らさなかった。
 言葉は本心からのものではなかった。いや、本心ではないと言えば言い過ぎだろうか。けれど榛斗が自分を殺せないという確信があったわけではない。誰のことも殺したことがないというのも、ただ現時点での事実でしかない。

「違うなら、やってみればいい」
 
 全ての音が一瞬、掻き消える。ごり、と空間が歪んだような気配とともに触手が一斉に動いた。
 逃げ場を潰すように、床、壁、天井――全てを覆い尽くすように広がっていく。紅羽は踏み込み、炎の剣でそれを切り裂いた。焼け焦げた匂いが一瞬だけ立ち上る。
 更に一歩を踏み出そうとした瞬間、痛みで体が硬直する。それは戦いの場では致命的な隙だった。榛斗がその隙を見逃すはずはなかった。紅羽は再び床に倒され、その体を黒い触手に拘束された。拘束だけではない。触れた場所から細い糸のようなものが伸び、それが皮膚を侵蝕していく。

「――俺のことなんて、何も知らないくせに」

 黒い触手に、一斉に金の光が点る。否、それは全てが紅羽を睥睨する眼だった。
 紅羽は思わず息を呑む。逆光になっていて榛斗の表情は見えない。けれど見るまでもなかった。

「生まれた瞬間から呪いで死ぬことが決まっててさ、家の外の人間はこの家の人間だからって忌避するか、呪われてて可哀想って目をするかのどっちかでさ。家にいたって父親は浮気性のろくでなしだし、母親はそれに怯えてばかりで、使用人はおべっかばっかり使って見えないところで陰口三昧で、だからずっとさ、全員死ねばいいのにって思ってたんだ。こんな呪いなんかじゃなくてもっと酷い方法で、醜い中身を全部晒して、ぐちゃぐちゃになって、何もかもが壊れてしまえばいいって。全てめちゃくちゃにしてやりたいって、毎日すれ違う人間のことを頭の中で殺して、そうやって生きてきたんだ。
 それなのに何も知らない奴らは、俺の表面だけ見ていい子だって、あの家の子供とは思えないって、それなのに可哀想だって言うんだよ。俺はただ殺してないだけなのに。中身はどうせこの家の人間と大差ない、胎児を引きずり出してそれで力を得て喜んでいるような人間と同じなのにさ。誰もそれを知らないんだ。笑っちまうよな。俺が考えていることを知ったらどうせ俺のことを怖がるくせに。
 何がいい子だよ、可哀想だよ。俺はあんたら全員のことを殺してやりたいと思ってた。こうやって突き刺して、臓物を引きずり出して、体をバラバラにして、何もかも壊して、壊して、この世界で俺だけが生き残ればいい。
 誰よりも死にたくないって思ってるのに、何で俺が死ななきゃいけないんだよ。何で俺以外は明日があるってことを無邪気に信じられるんだよ。何で俺以外の人間はいつか自分の体が石になって完全に動かなくなって、体の中まで石になって、息もできなくなって死ぬ恐怖に震えないで済むんだよ。俺が何か悪いことしたのか? 生まれたことが罪なのか? この体に流れる血を全部抜いたら俺は助かるのか?
 可哀想だって言うなら、代わってくれよ。俺の代わりに死んでくれよ。そんなこともできないくせに何が可哀想だよ。自分は死なないって、明日もあさってもその先も生きてるって何の根拠もなく信じやがって、俺がどんなに惨めな気持ちになったかわかってんのかよ。そう言われてどんな顔すりゃいいんだよ。悲劇の主人公でも演じれば良かったのか? 諦めないで生きる方法を模索するって言っても誰も呪いが解けるなんて信じてなかったくせに。同情なんていらないんだよ。同情するんだったらその命を俺にくれよ。何にも考えないで毎日を浪費しやがって。
 わかってるよ。俺以外にだって似たような恐怖を味わってる人間はごまんといる。呪いじゃなくても病気で明日自分の体が動かなくなるかもしれないと思ってる奴だっている。でもそんなこと俺には関係ない。暢気に生きてる周りの奴ら全員に腹が立って仕方なくて、こんな家なのに二人目まで作る親の神経も疑ったし、しかも子供は女で。俺も女だったら良かったのにな。女だったら俺だってこんな思いしないで済んだのに。女なら女でこんな家だったら地獄だっただろうけどさ。
 姉さんに初めて会ったときも思ったよ。どの面下げて俺の前に現れたんだって。どうせお前は死なないくせに。普通に生きようと思えば生きられるはずなのにって。何で助けちまったんだろうな。あのまま放っておけば影に引き摺り込まれて死んでくれたのに。でも姉さんは俺がそのときのことを忘れてるって未だに思ってるし、誰も俺の言ってることを疑わないんだ。譲だって気付かなかった。本当は全部覚えてるんだよ。覚えてて、ああ、あのままついでに全員殺してやれば良かったって思ってたんだ。でも、そうだな……姉さんの人生はめちゃくちゃにしてやったよ。俺の姉なんかに生まれなければ普通に大手企業に就職して、そのまま穏やかに生きていられたかもしれないのにな。それでいいと思ったんだよ。俺のために苦しめばいいって。苦しんで死んでいけばいいって。
 ――これが本当の俺なんだよ、紅羽。
 紅羽が信じてた俺なんて本当はどこにもいない。今だって、俺は紅羽を傷つけて笑ってるんだ。このまま死ねばいいって思ってるんだ。
 ねえ、紅羽。紅羽は綺麗な花を見たらどう思う? 俺は綺麗な花を見ると踏みにじってやりたくなる。誰かの大切なものを、美しいものを、何もかもぶっ壊してやりたい。太陽も月も星も俺のところまで引きずり落としてやりたい。こんな世界は全部黒く塗りつぶされればいい。ずっとこんな感情で自分の中を真っ黒にして来たんだよ、俺は。
 紅羽にはわかるわけない。親に守られて、育ての親にも守られて、今だって誰かに守られてる。だからそんなに綺麗で真っ直ぐでいられる。反吐が出るよ。めちゃくちゃにしてやりたいよ、今すぐ、何もかも。いいよな、お前は。守ってくれる奴がいて。助けてくれる奴がいて。代わりに死んでくれる奴までいて。わかるわけないよなこんな気持ち。どうせこんなこと思ったこともないんだろ? それなのによくあんなことが言えたよね。
 それとも俺のこと信じてた? あのとき咄嗟に母親の腕を掴んだからって、俺に優しさが残ってるとでも思った? あんなの、自分だってどうしてそんなことしたのかわかんないんだよ。本気で殺してやりたかったのに。自分の手で突き飛ばしてやりたかったのに。人の忠告も聞かないでのこのこ二階に上がってくるような馬鹿な女、死んだってどうせ自業自得だよ。それなのになぁ……何であんなことしたんだろうなぁ。それで俺が誰も殺してないって思った? 今もまだ信じてる? だとしたらさぁ、本当に可哀想だね。紅羽だけじゃないね。みんな俺に騙されてさ、俺のために命までかけてさ。
 嬉しいよ、このままみんな俺のために死んでくれたらさ。だってずっと考えてたんだ。こうやったら殺せるって。壊れるところを想像してさ、今までただやってなかっただけなんだよ。やろうと思えばいつだってできた。
 ――ごめんね、紅羽。紅羽が本気で俺を助けようとしてのはわかってるよ。でもこれでわかっただろ? 全部無駄だったんだよ。紅羽が見てきた俺は、全て偽物だったんだよ」

 言葉とともに、榛斗の魔力が紅羽に重くのしかかった。息ができない。皮膚が破れて、血が流れる。それでも紅羽は何も言わなかった。言うことができなかった。榛斗の言葉を否定することも、肯定することも、何もできなかった。
 黒い刃を握った榛斗の手が、紅羽に向かって振り下ろされる。それは紅羽の腹部を貫通し、床にまで到達した。

「……榛兄……それでも、私は……榛兄のことが、好きだよ……」

 言葉とともに紅羽は血を吐き出す。限界が近い。視界が霞んで、そこにいるはずの榛斗の姿もほとんど見えなかった。
 
「榛兄が、どんなに最低な奴でも……全部嘘だったとしても……それでも、好きだよ」

 圧力が弱まる。紅羽の中の神がざわめいた。金の光が少しずつ数を減らす。何かが解けていくようなそんな気配と、遠のく意識の中で聞こえる、澄んだ風鈴の音。それは榛斗にも聞こえているだろうか。確かめる術は、今の紅羽にはなかった。

「だから私は……榛兄に、生きてて欲しい……目の前で家族が死ぬところは、もう……見たくないよ……」

 片腕が解放される。けれど傷ついた腕は重く、思うように動かすことはできない。震えながら持ち上げたそれを握り返す手があった。人の肌の質感はない。けれど石になったはずのそれにところどころ綻びのようなものもあった。

「……紅羽、俺は」

 その声は震えていた。膨れ上がっていた魔力が収まっていく。

「死にたくなかった。……俺以外の人間が持ってる、明日が、欲しかった」

 沢山の感情と言葉が剥がれた後の、最後に残ったものが落とされる。紅羽は呼吸を整えて、榛斗の手を強く握った。

「何で過去形なの?」
「……え?」
「みんな、榛兄を死なせないために、明日笑って家に帰るために、戦ってるんだよ。そのためにここまで来たんだってこと……忘れてた?」

 紅羽の問いは、責めるためのものではなかった。ただ事実を拾い上げるような、あまりにも静かな声だった。
 榛斗は、答えられなかった。
 
 握ったままの紅羽の手に、力が入る。黒い刃は消えきらず、半ば霧のように揺らぎながら、彼の腕にまとわりついていた。

「……忘れてたわけじゃない」

 掠れた声だった。

「でも……途中から、何も、わからなくて」

 金の光が、ひとつ、またひとつと消えていく。徐々に元の様子を取り戻していく部屋の中で、紅羽の血が床に広がっていった。
 紅羽の中の神がゆっくりと羽を動かしているのがわかる。紅羽は目を閉じ、心の中だけで問いかけた。

(力を貸してくれるの?)
(いいものを見せてもらったからな)

 風が起こる。紅羽の中に紅羽のものではない強い力が満ちていくのがわかった。使うのは今だ。榛斗が繋いだ命で、今度はその命を繋ぎ止める。

「……榛兄」

 榛斗を引き寄せ、その首筋に牙を立てる。その身から溢れ出していた禍々しい神の力が静かに相殺されていくのを感じた。
 黒い触手と金の目が対抗する力を感じる。押さえつけるのではなく、宥めるように、神が起こした風は肥大して歪んだ力を吹き飛ばして行った。

「殺しはしない。我の力では殺せぬ。……だがもう、終わりにしよう」

 紅羽の喉を借りて、神がそう告げる。歪に蓄えた力だけが消えていき、部屋の中からは黒い触手も金の目も消えていく。
 そして紅羽はゆっくりと、榛斗の首筋から牙を離した。
 体の中から大きな力が抜け出していく。崩れ落ちそうになった紅羽の体を、榛斗の腕がしっかりと支えていた。

***

「――使ったのか、嬢ちゃん」

 強い風が風鈴を揺らす。うるさいほどの音は、しかし真っ直ぐな響きだった。
 一進一退の攻防を続けながら、その力を少しずつ削いでいくことには成功していた。だがこのまま続けるにはあまりにも時間がかかり過ぎると危惧していたところだった。冬弦の腕を這っていた黒い糸が消えていき、小さな黒い箱に金の目も黒い糸も収束していく。冬弦は笑みを浮かべた。

「……これでやっと、核に届く」

 おそらくこれまでは箱とほぼ融合してしまっていたのだろう。ここまであまりにも時間が経ちすぎていた。何度も繰り返されてきた、供物として胎児を捧げ、恩恵と呪いを受けることによって肥大し続けた歪みを、今ここで終わらせる時が来たのだ。
 冬弦が力を込めると、掌におさまるくらいの球体が現れた。碧都がそれを見て尋ねる。

「これが核?」
「そうだ。これを壊せばこの呪いは終わる」

 その言葉が終わり切る前に、艶のない黒い球体に罅が入った。そして風鈴の音と共に、まるで花火のように散って消えていく。その静かで美しい光景に碧都は息を呑んだ。

「終わったか――」

 その言葉と共に冬弦が膝をついた。碧都は慌ててその体を支える。

「冬弦さん!」
「大丈夫だ。少し……いやかなり疲れただけだ」

 冬弦はそう言いながら腕を確認する。傷はほとんどないが、呪いに侵蝕された皮膚の一部が黒く染まっていた。

「……これはこっちでなんとかする。色々後始末が必要だからな。お前は嬢ちゃんたちのところに行ってやれ」
 
 碧都は頷く。冬弦の手には黒い箱がまだあったが、それからはもう何の気配も感じることはできなくなっていた。
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