五芒星と避雷針

深山瀬怜

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第一部

5 呪いと免疫

「助けてください!」
 その日の依頼者は、事務所のドアを叩く音からして尋常ではなかった。
 入ってきたのは、青白い顔をした中年の男だ。高級そうなスーツは皺だらけで、その肩には、ユキチがたまにくっつけてくる黒い靄よりも一段とどす黒く、粘りつくような何かが張り付いていた。
「俺は……あの男に呪われているんです! 俺の方が上司にかわいがられてるからって、俺を妬んで」
 玖堂は男の話を聞きながら煙草をふかした。ここに来る前もこの手の依頼はあった。霊的なトラブルは民警に解決してもらえばいいと思っている人が多いのだ。
「実は数年前からずっとあいつに呪われていて……でも、このあたりには民警がずっといなかったから相談できなくて。民警が赴任したって聞いて……助けて欲しくて」
 どうしたものか、と玖堂は考えた。男の言っていることは半分本当だが半分嘘だ。呪われているというのは本当で、呪われている理由が嘘だ。
「……わかった。だが色々と準備がいるから、あさっての同じ時間にもう一度ここに来てくれ」
 玖堂が言うと、男は安堵の表情を浮かべた。そして黒く粘ついた呪いを引き連れながら帰っていったのだった。
「――解くのですか、あれを」
 男がいなくなってから、涼やかな声が玖堂に尋ねた。目元を布で覆い隠した式神――泪泪だ。
「何も言ってないのに解析したのか」
「必要かなと思いまして。いけませんでしたか?」
「いや。でも解析は負担がかかるからな。特にあんな呪いは」
 解析するだけでも危険だと判断して、いったん男を帰らせたのだ。玖堂は新しい煙草に火をつけて言う。
「呪いっていうのは核を破壊すれば解けるもの、とは言うが……核は見えたか?」
「いえ、おそらく術者の手元にあるものと。場所を解析しますか?」
「いや、それはいい。返り討ちにしてくるような術者だったら困るからな。手荒な方法にはなるが、あいつから無理矢理呪いを引き剥がして処理するのが一番いいだろうな。呪い返ししても、おそらく今度はこっちに返してくる」
 陰陽師が呪いを解く場合は、呪いをそのまま返すか、無理矢理引き剥がして対処するか、加持祈禱で症状を和らげるかになる。今回の場合、最初の方法は有効ではないだろう。
「嫌なんだよなぁ……呪いの力が強くても、素人がやってるなら穴はあるんだが」
 男を呪っているのは呪術師だ。誰かの依頼を受け、男をじわじわと苦しめている。このまま放っておけば男は数ヶ月の内に死ぬだろう。
「隙のない呪いだ。引き剥がすのもかなり苦労するだろうな」
 正直に言えばやりたくない。深い溜息を吐く玖堂を泪泪が気遣うように見ていた。
「どんな悪人でも、呪われても仕方ない理由があっても、民警としては呪殺を許容はできないからな」
 そこに迷いはない。だが、依頼人の嘘もまた許容できるものではなかった。
「……ついでにちょっと脅かしてやろうか。泪泪、俺はとりあえず警察の資料とかを洗ってみるから、お前は依頼人を直接調べてくれるか」
「わかりました」
 呪われた理由が嘘であることはわかったが、その理由の詳細まではわからなかった。男の言葉が嘘だとわかったのは、呪いが発している言葉が聞こえたからだ。
「あとは、ユキチに明後日はここに近付くなって言っておかないとな。あまり教育にいいもんじゃない」
 玖堂は携帯を取り出してユキチにメッセージを送った。

***

 二日後、約束の時間。事務所の空気は、窓を閉め切っているにもかかわらず、肌を刺すような寒気に満ちていた。
「……ひ、ひいいっ! 何なんですか、この縄は! 離せ、離してください!」
 事務所の中央に設置された器具に縛られて吊るされた男は涙目になって叫んだ。玖堂は黒い手袋をはめてゆっくりと男の顎を掴んで視線を合わせた。
「さっき説明してやっただろうが。これが俺のやり方だ」
「で、でもこんなの! 違法だ!」
「同意書にサインしたのはそっちだろ。『呪いを解いてくれるなら何でもいい』ってな。まあ多少趣味は入ってるが呪いは解いてやるよ」
 肩に乗った黒い粘液は、二日前よりも肥大化し、その正体がはっきりとわかるようになっていた。
「この呪いはプロの仕事だ。もう自分でもわかってるだろ? お前の中で呪いが暴れ回ってる。このままだとお前は近いうちに死ぬだろうな」
「だ、だから早く……!」
「術者はプロだが、そいつに依頼をした奴がいるはずだ。心当たりは?」
「だからそれは俺の同僚の……」
「嘘はいけねえな、兄ちゃん」
 呪いを解いてやると言っている玖堂にすら嘘をつくほど後ろめたいことがあるのだ。それが何なのか、霊的にも客観的な事実としても、もうわかっている。しかしそれだけは男の口から言わせなければならない。
「困るんだよなぁ、嘘を言われちゃ。解けるもんも解けない。お前、腹痛はらいたで医者のところに行って、昨日食べた牡蠣のことを秘密にするか? しないだろ?」
 とはいえ医者に嘘をつく人間というのは案外いるものだ。人は自分でわかっている罪を人に糾弾されるのを嫌う。腹痛の原因が禁止されていた痛飲だとわかっていたら、それを隠してしまうようなことだ。
「正直に言ってくれねえと解けないんだよ。安心しろ。民警にも守秘義務ってのはある」
 男が身じろぎをする。動けば動くほど締め付けが強くなるように縛っているので、そんなもので逃げられはしない。
「ち……違う、俺は何もしてない! あいつが勝手に……!」
「お前がやったことについてどうこう言うつもりはねえよ。ただ正直に言ってくれなきゃ困るって言ってんだ」
 軽く縄を引くと、締め付けが更に強まる。男はかすかに呻き声をあげて玖堂を睨みつけた。
「俺は悪くないんだ! あいつがあんなことくらいで……」
「だからその内容を説明しろって言ってるんだよ。死にてえのか?」
「こ……こんなの横暴だ! こんなことして許されると思ってんのか?」
「助けてほしいって言ったのはそっちだし、同意ももらったはずだけどなぁ」
 玖堂はネクタイをほどき、ワイシャツのボタンをいくつか外した。開いた胸元からのぞく肌の色とは明らかに違う色に男の顔が引きつる。
「そっちがそんな態度なら、こっちもやり方変えてもいいんだぜ? これでも穏便にやろうとしてんだ」
 玖堂は笑いながらワイシャツを脱ぎ捨てる。肩から背中にかけての鮮やかな和彫りに男は怯みながらも玖堂を睨みつけた。
「お前……民警のくせに……!」
「警察と違って、その辺は緩いんだよ」
 玖堂の上半身には五聖獣の刺青が刻まれている。もちろんこれは意味があって入れているもので、反社会的勢力と関係があるわけではない。しかしそこから受ける印象を利用することはあった。本来は反社会的勢力と関わりがある者は民警にはならないと法律で決まっているが、男はそれを知らないのだろう。
「正直に言った方が身のためだぜ?」
「下請けの、小さな工場の社長を騙して……それで……でも、死ぬなんて思わなかったんだ」
「へえ、それで?」
「それで、って……?」
「そりゃそうだろ。死人が呪術師に依頼するかよ。自分で直接呪った方が早いし確実だ。依頼人は生きた人間なのは確定してるんだよ」
 騙された社長ではなく、その関係者が依頼人だ。泪泪の解析でそれが誰なのかもわかってはいる。だが男の口からそれを聞く必要があった。
「その社長さんの遺族がいるな。子供は……もう独り立ちしてるか」
 男の表情を見ながら玖堂は言う。答えはわかっているが、男の思考を一定の方向に動かす必要がある。この男の罪を、男自身に自覚させるために。
「それから、奥さんか。後妻で、社長さんより十五歳若い。でも昔からの付き合いで、お前とも知り合いだった」
「どうして……」
「その呪いが教えてくれてんだよ。えーと……その社長の四十九日のときか」
「や、やめろ……俺は……!」
「美人の未亡人ってのは、そりゃあ美味そうに見えるよなぁ?」
 男が息を呑む。その動きに合わせて縄が軋んだ。
「悲しみに漬け込んで女を味わって、でもその女は真実を知っちまった。あんたが自分の夫を死に追いやった張本人だってな」
 ぎりぎりと縄が男の体に食い込んでいく。おそらく呼吸もしづらくなっているだろう。血流が堰き止められ、男の顔が青ざめていく。
「お前は人をだまして、成功も女も手に入れたってわけだ。たいしたタマじゃねえか」
「そ……そうだ! 俺は何も悪いことなんてしていない! ただあいつが勝手に死んで、俺は慰めてやっただけだ!」
「そうか」
 玖堂が小さく笑った瞬間、縄がぎしり、と音を立てた。
「や……やめ、俺は悪くな……ぎぃあああああッ!」
 男が叫び、口から黒いものを吐き出した。玖堂はその様子を冷静に見つめる。
「その呪いは表面に張り付いていると思いきや、既にお前の体の中に根を張ってる。それを全部吐き出したら終わりだな」
「そ、そんな……こんなの……」
「死ぬよりマシだろ?」
「無理だ、こんなの……! 助けてくれよ! お前民警だろ!?」
「だから助けてるじゃねえか。現在進行形で、お前の命を」
 男は苦痛の涙を流しながら、黒い塊を口からごぼりと吐き出した。呪いの塊であるそれは、この部屋にあらかじめ仕掛けてある術により浄化されていく。このまま待っていれば男の呪いは解ける。しかしそれまで続く苦痛に男が耐えられるかは考慮していない。
「感謝してほしいもんだな。ちゃんとこの縄にも俺の力を流してお前を助けようとしてやってんだからさ」
 かなりの苦痛は伴うが呪いは解けるはずだ。玖堂は喚いている男に繋がる縄を軽く引いて言った。
「仕組みとしては免疫の働きに近いかもな。人間の体がウイルスやら何やらが入ってきたときにそいつを攻撃して体を守るように、お前の中の呪いとお前の体が戦っている。俺はその戦いに手を貸してやってるんだ。免疫が働いてるときは熱が出たり咳が出たり吐いたりするだろ。それと同じだ」
「っ……こんなの、俺が訴えたら……」
「別にいいぜ? 俺は俺の仕事をしただけだって答弁してやるさ。それとももう死んでもいいからやめてくれって懇願するのか?」
「てめぇ……ッ!」
「痛みなく何でも手に入ると思ったら大間違いだ」
 男が吐き出すものの量が多くなっていく。あらかじめ用意していた術式では対処できなかったものは飛飛が淡々と処理していった。玖堂はドア側から差し込んでいる光に一瞬目を細めながら思案する。
(しかし、深く食い込んでいる上に人間業とは思えない呪いだな)
 泪泪の解析で術者の手元にある呪いの核がどんなものかはわかった。しかしわかったところで破壊は不可能であると判断するしかなかった。
(液体を核にして核の破壊を防ぐ術式は聞いたことがあるが、粉末状の核それぞれを呪いにして大量に送り込むなんて普通は無理だろ) 
 噂だけは聞いていたその呪術師を思い浮かべて玖堂は笑った。まともにぶつかって勝てる相手ではない。だから呪われた本人の霊的な免疫に頼る方法を選んだのだ。
白月しらつき黒霞くろかか――正直、もう二度と対処したくねえ呪いだな)
 男が最後の黒い塊を吐き出す。そのあまりの激痛からか、男は失禁していた。飛飛による処理が完了したのを確認した玖堂は男を縛り上げていた縄を解いてやった。男は力なく床に蹲り、玖堂を虚ろな目で見上げた。
「おめでとさん。これで晴れて呪いは解けた。お前はこれで死なずに済む。まあ呪いと一緒に違う毒も抜けちまったかもしれねえが、死ぬよりマシだろ」
 男の顔には何の色も浮かんでいない。命は助けたが、彼を彼たらしめていた毒気のようなものも呪いと一緒に排出されてしまっていたが、玖堂はそれを止めることはしなかったのだ。
「体が汚れちまったな。シャワーを貸してやる。あと服も歩いて家に帰れる程度のやつは貸してやるよ」
「あ……おれ、は……」
「死なずに済んだんだから、これからは真っ当に生きろよ」
 玖堂はそう言って、簡易的な式を使って男を強引に浴室まで運ばせた。男が何もしなくてもあとは式たちがシャワーを浴びさせてやるだろう。
「片付けねえとなぁ……」
 魔法の中には部屋を綺麗にするようなものもあるらしいが、玖堂は魔法を使えない。式たちに手伝わせるにしても、ある程度は自分で片付けをするしかなかった。
「まあ後片付けはやれば終わるからいいとして……」
 玖堂は溜息混じりに事務所の扉に目をやる。脱ぎ捨てたワイシャツを羽織って、ソファーに体を預ける玖堂の目はどこか寂しげであった。
「……来るなって言ったんだけどなぁ」

***

 ドアの外にも、異様な空気が漏れ出しているように感じられた。今日は来るなと玖堂に厳命されていた。けれどなぜかここに来てしまったのだ。
(で、でも……来ちゃダメって言われたし……客が来るって言ってたから、邪魔したらダメだし……)
 そう思って踵を返そうとするが、体が動かない。昨日から少し変な感じだ。昨日、兄の蒼吉の面会に行ったあとから、何故かやってはいけないと思ったことほどやりたくなってしまうのだ。
(少しだけならいいさ。中を見てしまえ)
 そう何かが囁く。ユキチはその声に負けて、事務所の扉を細く開けた。その瞬間に飛び込んできたのは、想像を絶する光景だった。
 全身を縛られて、ポールを組み合わせたような何かの器具に吊された男が苦痛の声を上げ、時折口からごぼりと黒い塊を吐き出している。それを冷静に見ながら男に話しかけている玖堂の上半身には、極道の人間のような鮮やかな彫り物が刻まれていた。
 それはユキチが今までに目にしたことがないほどの恐ろしい光景に見えた。玖堂はあくまで冷静に男に声をかける。その声はどこか冷えていて、これまで自分に向けられていたものとは全く違っていた。
「ひっ……あ、あ……」
 ユキチは声にならない悲鳴を上げ、震える手で口を塞ぎながら急いでドアを閉め、一目散にその場から逃げ出すしかなかった。怖かった。けれど何が怖いのか、自分でも説明がつけられなかった。玖堂の鍛えられた体に刻まれた刺青と、男を縛り上げていた縄。それが頭から離れない。
(僕も……あんな風に……?)
 だから玖堂は躊躇っていたのか。今更になってその意味を悟る。あれが彼のやり方なのだ。そう考えると、今まで見てきた玖堂という人物がわからなくなった。
 ユキチはそのまま家まで逃げ帰り、布団を頭からかぶって目を閉じた。しかし先程見た衝撃的な光景は、いつまで経っても頭から離れていこうとはしなかったのだった。
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