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第一部
7 万華鏡の少年と孤独の夢
嵜山蒼吉は、岬から話を聞いていたよりも随分落ち着いている人物に見えた。しかし第一印象で決めつけるのは危険だ。玖堂は蒼吉に楽にするように言った。
「先に言っておくが、俺との話は今後の君の処遇に影響を与えるものではない。ただ霊的現象の専門家として話を聞きに来ただけだ」
「はい」
「自分と、それから弟の体質についてはどのくらいわかっている?」
蒼吉はどこか自嘲的に笑った。その体質についても今は落ち着いているように見える。そばにいる他人から力を吸い取ってしまう体質。しかしそれを改善する方法も存在している。
「この状態になってから、教誨師の方に教えてもらいました。それで初めて腑が落ちたというか……俺の周りの人間が体調を崩しがちなのも、子供の頃から自分でコントロールできないほどに苛立ってしまうことがあるのも、この体質に原因があるんだって」
「そうだな。それに関しては間違いない」
教誨師の分析自体は合っている。玖堂も同じ判断を下すだろう。そしてその体質に応じた訓練を施すということになるのが一般的な流れだ。
「自分のせいで周りが体調を崩したりしているんじゃないかと思ってはいて……だから、弟のことも遠ざけていたんですが……」
「その話も聞いたのか」
「簡単に、ですけど……逆の体質だって」
「そうだな。ユキチに関しては、あれだけ垂れ流してるんだから、それを吸ったところで大きな影響はないはずだ」
それどころか、おそらくユキチにとっては多少奪われているくらいの方が霊に見つかりにくくなるだろう。しかし正確な情報がなければ全部を拒絶するというのも仕方のない話だ。
「今日は、自分が覚えている限りでいいから、これまで自分が考えていたことを聞かせてくれ。……まあ何回も話してて嫌になってるかもしれないけどな」
実際ライフヒストリーの類は何度も色々な人に聞かれているだろう。更生のためには、なぜ罪を犯したのかを支援側が知る必要があるし、自分自身の中でも整理が必要だろう。ただし何度も説明させられると流石に辟易するというのも理解できた。
「いいですよ。……子供の頃は、よく癇癪を起こすと思われていて……ずっと一緒にいた母が体調が悪くて扱いきれないと思っていたらしいです。俺としては何だかわからないほどぐちゃぐちゃで、とにかくイライラしていて……何が何だかわからなかった。そんな頃に弟が生まれて……思えば、確かにその時期はわりと母も元気だった気がします。でも癇癪自体はかなりあったと聞いています」
たまたま力を垂れ流す人間がそばにいただけで、その吸い取った力を持て余すところは解決していない。しかし近くに専門家がいなければ気付くのは難しいだろう。
「学校に行けば、疫病神って言われて……俺も薄々俺のせいなんだろうなと思って一人でいるようにしていました。でも力を持て余していて、衝動的に物を壊してしまったりと問題行動がかなり多くて……自分でもどうにもできなかったんです」
それは本人としてはおそらくかなり辛いことだっただろう。自分では制御できない力のせいなのに、その原因がわからないのだ。そしてユキチがいればよかったというものでもない。
「そんな感じだったけれど、何とか高校には進学して……でも、結局ずっと一人でいました。誰ともかかわらなければいいんだと思っていたのに因縁つけられて……途中で動かなくなったと思ったけれど止められなくて」
そして相手の命を奪ってしまったということだ。それは岬から聞いていた話と相違はない。玖堂は更に質問を投げかけた。
「ここに来てからはどうだ? 何か変わったことはあったか?」
「最初の頃は変わらなくて……先生にも怒られてばかりでしたけど、でも教誨師さんが親切に話を聞いてくれて……その人が教えてくれた万華鏡を見たり、自分で作ったりしているうちにだんだん気持ちが落ち着いてきて」
何かを作るような作業を通して更生を図ること自体はよく行われる。万華鏡もその一環と考えれば不自然なところはない。しかし、蒼吉から異質な力を感じるのは事実だった。ユキチの場合は玖堂には感知できないほど薄かったが、さすがに蒼吉には色濃く残っている。
「その万華鏡の話、もう少し詳しく聞いていいか?」
「いいですよ。最初は他の人とも一緒に万華鏡の展示会みたいな感じだったんです。部屋に机を置いて、万華鏡が並んでいて、自由に見ていいよって。高そうなものもあったので正直最初触るのが怖かったりもしたんですけど……大丈夫だから見てごらんって言われて。まあ他の人は万華鏡より教誨師さんの方を見ていましたけど」
「そうなのか。……美人なのか?」
「まあ、かなり……褐色美女って言うんですか? なかなかそういう人、この辺りにはいないし、そもそもこんなところに来るとは思わないじゃないですか。他の教誨師はおじさんばっかりだし」
「まあ、何なら中にはつるっぱげもいるだろうな」
教誨師はそれぞれの信仰に基づいて活動するため、十字教の教誨師もいれば、神道や仏教の教誨師もいる。仏教の教誨師は当然僧侶なので、剃髪している場合が多い。他の人に聞かれたら怒られそうな玖堂の発言に、蒼吉は年齢相応の笑顔を見せた。
「で、みんながその褐色美女教誨師に夢中になっている間、お前はその万華鏡を見たわけだ。それは何なら貸し切り状態だっただろうな」
「そうなんですよ。じっくり見ていても誰にも文句言われなかったです。万華鏡といっても色々なものがあって……俺はそれまで丸い筒のやつしか知らなかったんですけど」
「俺もあんまり詳しくないな。他にどんなものがあるんだ?」
「机に置いて……理科で使う顕微鏡みたいな感じで見る大きな万華鏡とか、四角いものとか……先に入っている具も、可愛い動物の形のものがあったりして」
それは純粋に興味深いが、見極めなければならないのはそこではない。玖堂は蒼吉の話を促した。
「その中に、机に置いて使うタイプのすごく大きなものがあって……それがすごく綺麗だったんです。スイッチを入れると模様が徐々に変わっていくんですけど、それを見ているとすごく気持ちが落ち着いて、その綺麗な世界に自分が溶け込んでいくようで……ずっと見ていたら、教誨師さんが『それが好きなの?』って話しかけてくれて……そこからその人が来る度に色々話をするようになって、許可をもらって自分でも簡単な万華鏡を作るようになって……。その万華鏡、結構重そうなものだったんですけど、俺が好きだからって毎回持って来てくれるんですよ」
「そこまで虜になる万華鏡なら、俺も見てみたいな。今度その美人教誨師に会ったら言っておいてくれよ」
もちろんそれはあくまで冗談で言っている。しかしその万華鏡を調べたいのは事実だった。経緯を聞いているだけではおかしなところはない。けれど明らかに蒼吉は精神に作用する何らかの術式の影響化にあるのだ。
(表面的にはいいことのように見えるのが厄介だな……)
だがその教誨師は、ユキチにはカリグラを植え付けている。人々を正しい方に導きたいという正義感でやっているわけでないことは明らかだ。正義感だったとしても問題ではあるが。
「そういえば、この前ユキチが来たときにあなたの話をしていましたよ」
「悪口言ってたんじゃないだろうな?」
「いえいえ。弟はあなたのことを随分信用しているみたいで。助けてもらったって言ってましたよ」
「仕事でやってるだけだ。俺じゃなくても民警なら誰でもそうするだろうな」
「そういうところが信用できるんだと思いますよ」
そのとき、面会時間の終了が知らされた。話すべきことは話したので、玖堂は立ち上がる。蒼吉も職員に連れられて戻っていったのだった。
***
『ああ、ティファリアさんのことだろ?』
事務所に戻った玖堂は岬に電話をかけていた。岬であれば問題の教誨師について何か知っているかもしれないと思ったのだ。
「知ってるのか?」
『俺が異動になる少し前からあそこに派遣されている教誨師で、十字教のシスターだな』
「会ったことはあるか?」
『会ったことはないな。話は聞いてるんだけどさ。あそこの少年院以外にも、刑務所とかにも教誨師として赴いてて、結構評判いいらしい』
「刑務所に女性の教誨師を行かせるのは珍しいな」
教誨師の連盟を作ったのが仏教の一宗派だったこともあるのか、そもそもこの国の教誨師は僧侶であることが多い。玖堂が蒼吉に言った言葉をそのまま使うのであれば、つるっぱげ率が高いということだ。もちろん女性刑務所などでの女性の教誨師の需要も高い。
しかし刑務所というのは、その性質上、罪を犯した人間が集まっている。その罪の種類は色々あるとはいえ、そこに若い女性を放り込むような措置は珍しいと言えた。
『でも結構うまくやってるらしいんだよな。彼女が派遣されたあと、受刑者が嘘のようにおとなしくなるって話も聞く』
「……お前はそれを不自然だと思わないのか?」
『まあ不自然だとは思うけどな。でもいい方向に向いてるわけだしなぁ……』
玖堂は溜息を吐いた。おそらく岬でなくてもそう言うだろう。特に警察からしてみれば、それまで荒れていた人間が大人しくなって、問題行動を起こさなくなるだけでありがたいだろう。
だが玖堂個人としては、精神に介入する術式を許容することはできなかった。
「……これがいい方に向けるだけなら、最悪見て見ぬふりもできたんだけどな」
『どういうことだ?』
「人の心を操作できるなら、悪人を善人にするだけじゃなく、善人を悪人にすることもできるだろ?」
『確かにそれはそうだなぁ』
「そいつの狙いはまだわからないが、少なくとも俺は気に入らねえな」
玖堂は煙草を灰皿に押し付けた。まるで自らの力を誇示しているようだ、というのは考えすぎだろうか。人間の心などどうとでも出来るのだと言っているような。
『会ってみるのか?』
「いや……もう少し調べてからだな。向こうは俺の存在に気付いているかもしれないし」
玖堂のことを把握していなくても、ユキチに勾玉を渡した人間がいることはわかっているだろう。相手がどんな存在かわからないうちに突っ込んでいくのは危険すぎる。
「とりあえず所属がわかっただけ助かった。また何かあったら連絡する」
玖堂は電話を切り、誰もいないことをいいことに事務所のソファーに横になった。少年院の中の気配を探ろうと気を張っていたせいで少し疲れてしまったのだ。普通にしていれば問題ないが、力を使えば後遺症が出てしまう。それは色が見えなくなるだけではあったが、色が見えないのは意外に不便なものだ。そうなる前に休むのが一番いい。
玖堂はそのまま目を閉じる。しかしすぐに目を開けて、がばりと上半身を起こした。
「――泪泪」
呼びかけると、すぐに泪泪は姿を現した。
「俺の目、何か変なところあるか?」
泪泪は布越しにじっと玖堂の目を見た。実際見ているかどうかはわからないが、確かに視線を感じる。そして何かを探られているような気配もあった。
「いえ、特におかしなところは」
「俺は万華鏡の実物は見てない。ユキチが見たっていうテレイドスコープもだ。……それなのに、目を閉じた瞬間に妙な色がちらついた」
「目ではないということは……他も調べてみましょうか?」
「ああ、そうしてくれ」
泪泪が頷き、玖堂の額に自分の額を合わせた。解析をやりやすくするためだ。泪泪は数秒そのままの姿勢でいたが、ゆっくりと体を離した。
「これは……移り香のようです」
「移り香か……まあ確かにそう考えるのが妥当だな。今日は話をしただけだし」
「ですが話すだけでこれだけ移るというのは」
「……かなりのめり込んでるみたいだしな、あの万華鏡に」
移り香ならしばらくすれば影響も消えるだろう。けれどこの状態で寝ると嫌な夢を見そうだった。
「助かった、泪泪」
「いえ。私はあなたの式ですから」
泪泪はそう言って隠形する。玖堂は立ち上がり、せめて部屋のベッドで寝ようと事務所を出たのだった。
***
夢の中には色がなかった。目の前にある林檎が赤いのか青いのかがわからない程度ならいいが、信号の色や路線図、その他にも色を使って識別さなければならないものは多い。
「泪泪」
しかし式神の千里眼を借りれば、困ることはない。そう思ったが、視界に色は戻らなかった。自分の手を見て気付く。あまりにも小さい。それに周囲のものも大きい。いや、自分が小さいのだ。子供の頃の姿になっている。
この夢は何度も見た。変に現実的で、この時期はまだ式神がいなかったからと、式神の力は使えなくなっている。けれど夢であれば覚めればいい。
出口を探して歩き出す。しかし光のある方向がわからない。
(目で見るとわからないなら、気配を辿ればいい)
自分自身に言い聞かせるのに不安になる。こんな場所はもう大したことがないとわかっているはずなのに、体だけではなく心まで子供の頃に戻ってしまったようだった。
あの頃はいつもそうだった。自分の目に映るものを誰にも理解してもらえなかった。近くに怪異の友人や見える人がいれば別だったのだろうが、たまたまそういう存在もなかった。叔父は祓えるが見えはしない人だったから、この視界を共有することも出来なかった。
(だけど今は違うだろ)
叔父の助けも借りて、家に残っていた、まだ力のあった頃の先祖たちの記録を参考にしながら、自分で自分の道を切り拓いた。もうこんな思いはしなくていいはずなのだ。
普通の人間には見えないものが見えて、それを誰とも共有できない日々は孤独だった。両親はこの道に進ませたくはなかったようで、見えていても見えなかったことにしなくてはならなかった時期もある。それなのに悪意を持った霊や、子供にはどうしようもないことを頼んでくる霊ばかり寄ってくる。その不安をいまだに夢に見るのだ。
そのとき、目の前に美しい幾何学模様が広がった。色のない世界でそれだけが鮮やかに映る。ゆっくりと形を変えていくその模様に思わず目を奪われた瞬間、自分の中に何かがぬるりと入り込むのを感じた。
暖かな何かの気配は、凍り付いた心を溶かしてしまう。
玖堂は咄嗟に身を引いた。これは夢の中だが、夢の中の出来事が現実に作用することもある。入り込まれてしまうわけにはいかなかった。しかし子供の姿では式神どころか自分の術すらも使えないらしい。
(体は子供だけど、思考は普段と変わらない。……なら、子供の体でも出来ることなら、今の俺でも出来る)
思考がまだ正常なのは救いだった。目を閉じて、自分の身につけているものを探る。しかし探しているものは簡単には見つからなかった。
(これでいいか)
履いていたスニーカーから靴紐を抜き取る。目を閉じて、自分の皮膚の感覚だけを頼りに、それを使って自分の左手を縛った。片手だけ縛っても動けなくなるわけではないが、拘束が目的ではない。
(自分の体の感覚を、輪郭を意識しろ。自分ではないものは追い出せ)
自分の体の中から異物が抜け出していく様子を想像する。その気配が徐々に薄れていくのを感じると同時に、色のない世界が少しずつ崩れていった。
***
「……移り香でこれなのかよ。どうかしてるな」
ベッドの上で起きた玖堂は溜息を吐いた。自分の中に意識を向けてみるが、もう妙な気配はない。元々移り香であったため、あれで追い出せたのだろう。しかしそれでも侵蝕性が強いのは問題だった。
左手には何もない。けれど感覚はまだ残っていた。少し痛みすら感じるほどに縛ることにより、自分自身の輪郭は明確になる。生まれ持った瞳の力と合わせると、これが玖堂にとっては最もやりやすい方法だったのだ。そこから趣味が高じてしまっているのもまた事実だが、それはご愛敬だ。
「今日は緊急時以外は臨時休業ってことにするか……」
メールでも依頼は受け付けているし、事務所に直接来る客にわかるように緊急連絡先を書いておけばどうにかなるだろう。
「飛飛」
起き上がって呼ぶと、飛飛がその姿を現した。玖堂はその澄んだ青の瞳を見て言う。
「今日、ちょっと付き合ってくれるか?」
飛飛は首を傾げる。自分でいいのか、ということだろう。確かにこういうときにいつも付き合ってもらうのは泪泪だ。杏杏は見た目が幼いため、実年齢が自分よりはるかに上だとわかっていてもあまりやりたくない。
「今日はそういう気分なんだ」
飛飛は納得したように頷く。玖堂は部屋の換気をしながら、今日一日部屋の中に籠もる準備をし始めたのだった。
「先に言っておくが、俺との話は今後の君の処遇に影響を与えるものではない。ただ霊的現象の専門家として話を聞きに来ただけだ」
「はい」
「自分と、それから弟の体質についてはどのくらいわかっている?」
蒼吉はどこか自嘲的に笑った。その体質についても今は落ち着いているように見える。そばにいる他人から力を吸い取ってしまう体質。しかしそれを改善する方法も存在している。
「この状態になってから、教誨師の方に教えてもらいました。それで初めて腑が落ちたというか……俺の周りの人間が体調を崩しがちなのも、子供の頃から自分でコントロールできないほどに苛立ってしまうことがあるのも、この体質に原因があるんだって」
「そうだな。それに関しては間違いない」
教誨師の分析自体は合っている。玖堂も同じ判断を下すだろう。そしてその体質に応じた訓練を施すということになるのが一般的な流れだ。
「自分のせいで周りが体調を崩したりしているんじゃないかと思ってはいて……だから、弟のことも遠ざけていたんですが……」
「その話も聞いたのか」
「簡単に、ですけど……逆の体質だって」
「そうだな。ユキチに関しては、あれだけ垂れ流してるんだから、それを吸ったところで大きな影響はないはずだ」
それどころか、おそらくユキチにとっては多少奪われているくらいの方が霊に見つかりにくくなるだろう。しかし正確な情報がなければ全部を拒絶するというのも仕方のない話だ。
「今日は、自分が覚えている限りでいいから、これまで自分が考えていたことを聞かせてくれ。……まあ何回も話してて嫌になってるかもしれないけどな」
実際ライフヒストリーの類は何度も色々な人に聞かれているだろう。更生のためには、なぜ罪を犯したのかを支援側が知る必要があるし、自分自身の中でも整理が必要だろう。ただし何度も説明させられると流石に辟易するというのも理解できた。
「いいですよ。……子供の頃は、よく癇癪を起こすと思われていて……ずっと一緒にいた母が体調が悪くて扱いきれないと思っていたらしいです。俺としては何だかわからないほどぐちゃぐちゃで、とにかくイライラしていて……何が何だかわからなかった。そんな頃に弟が生まれて……思えば、確かにその時期はわりと母も元気だった気がします。でも癇癪自体はかなりあったと聞いています」
たまたま力を垂れ流す人間がそばにいただけで、その吸い取った力を持て余すところは解決していない。しかし近くに専門家がいなければ気付くのは難しいだろう。
「学校に行けば、疫病神って言われて……俺も薄々俺のせいなんだろうなと思って一人でいるようにしていました。でも力を持て余していて、衝動的に物を壊してしまったりと問題行動がかなり多くて……自分でもどうにもできなかったんです」
それは本人としてはおそらくかなり辛いことだっただろう。自分では制御できない力のせいなのに、その原因がわからないのだ。そしてユキチがいればよかったというものでもない。
「そんな感じだったけれど、何とか高校には進学して……でも、結局ずっと一人でいました。誰ともかかわらなければいいんだと思っていたのに因縁つけられて……途中で動かなくなったと思ったけれど止められなくて」
そして相手の命を奪ってしまったということだ。それは岬から聞いていた話と相違はない。玖堂は更に質問を投げかけた。
「ここに来てからはどうだ? 何か変わったことはあったか?」
「最初の頃は変わらなくて……先生にも怒られてばかりでしたけど、でも教誨師さんが親切に話を聞いてくれて……その人が教えてくれた万華鏡を見たり、自分で作ったりしているうちにだんだん気持ちが落ち着いてきて」
何かを作るような作業を通して更生を図ること自体はよく行われる。万華鏡もその一環と考えれば不自然なところはない。しかし、蒼吉から異質な力を感じるのは事実だった。ユキチの場合は玖堂には感知できないほど薄かったが、さすがに蒼吉には色濃く残っている。
「その万華鏡の話、もう少し詳しく聞いていいか?」
「いいですよ。最初は他の人とも一緒に万華鏡の展示会みたいな感じだったんです。部屋に机を置いて、万華鏡が並んでいて、自由に見ていいよって。高そうなものもあったので正直最初触るのが怖かったりもしたんですけど……大丈夫だから見てごらんって言われて。まあ他の人は万華鏡より教誨師さんの方を見ていましたけど」
「そうなのか。……美人なのか?」
「まあ、かなり……褐色美女って言うんですか? なかなかそういう人、この辺りにはいないし、そもそもこんなところに来るとは思わないじゃないですか。他の教誨師はおじさんばっかりだし」
「まあ、何なら中にはつるっぱげもいるだろうな」
教誨師はそれぞれの信仰に基づいて活動するため、十字教の教誨師もいれば、神道や仏教の教誨師もいる。仏教の教誨師は当然僧侶なので、剃髪している場合が多い。他の人に聞かれたら怒られそうな玖堂の発言に、蒼吉は年齢相応の笑顔を見せた。
「で、みんながその褐色美女教誨師に夢中になっている間、お前はその万華鏡を見たわけだ。それは何なら貸し切り状態だっただろうな」
「そうなんですよ。じっくり見ていても誰にも文句言われなかったです。万華鏡といっても色々なものがあって……俺はそれまで丸い筒のやつしか知らなかったんですけど」
「俺もあんまり詳しくないな。他にどんなものがあるんだ?」
「机に置いて……理科で使う顕微鏡みたいな感じで見る大きな万華鏡とか、四角いものとか……先に入っている具も、可愛い動物の形のものがあったりして」
それは純粋に興味深いが、見極めなければならないのはそこではない。玖堂は蒼吉の話を促した。
「その中に、机に置いて使うタイプのすごく大きなものがあって……それがすごく綺麗だったんです。スイッチを入れると模様が徐々に変わっていくんですけど、それを見ているとすごく気持ちが落ち着いて、その綺麗な世界に自分が溶け込んでいくようで……ずっと見ていたら、教誨師さんが『それが好きなの?』って話しかけてくれて……そこからその人が来る度に色々話をするようになって、許可をもらって自分でも簡単な万華鏡を作るようになって……。その万華鏡、結構重そうなものだったんですけど、俺が好きだからって毎回持って来てくれるんですよ」
「そこまで虜になる万華鏡なら、俺も見てみたいな。今度その美人教誨師に会ったら言っておいてくれよ」
もちろんそれはあくまで冗談で言っている。しかしその万華鏡を調べたいのは事実だった。経緯を聞いているだけではおかしなところはない。けれど明らかに蒼吉は精神に作用する何らかの術式の影響化にあるのだ。
(表面的にはいいことのように見えるのが厄介だな……)
だがその教誨師は、ユキチにはカリグラを植え付けている。人々を正しい方に導きたいという正義感でやっているわけでないことは明らかだ。正義感だったとしても問題ではあるが。
「そういえば、この前ユキチが来たときにあなたの話をしていましたよ」
「悪口言ってたんじゃないだろうな?」
「いえいえ。弟はあなたのことを随分信用しているみたいで。助けてもらったって言ってましたよ」
「仕事でやってるだけだ。俺じゃなくても民警なら誰でもそうするだろうな」
「そういうところが信用できるんだと思いますよ」
そのとき、面会時間の終了が知らされた。話すべきことは話したので、玖堂は立ち上がる。蒼吉も職員に連れられて戻っていったのだった。
***
『ああ、ティファリアさんのことだろ?』
事務所に戻った玖堂は岬に電話をかけていた。岬であれば問題の教誨師について何か知っているかもしれないと思ったのだ。
「知ってるのか?」
『俺が異動になる少し前からあそこに派遣されている教誨師で、十字教のシスターだな』
「会ったことはあるか?」
『会ったことはないな。話は聞いてるんだけどさ。あそこの少年院以外にも、刑務所とかにも教誨師として赴いてて、結構評判いいらしい』
「刑務所に女性の教誨師を行かせるのは珍しいな」
教誨師の連盟を作ったのが仏教の一宗派だったこともあるのか、そもそもこの国の教誨師は僧侶であることが多い。玖堂が蒼吉に言った言葉をそのまま使うのであれば、つるっぱげ率が高いということだ。もちろん女性刑務所などでの女性の教誨師の需要も高い。
しかし刑務所というのは、その性質上、罪を犯した人間が集まっている。その罪の種類は色々あるとはいえ、そこに若い女性を放り込むような措置は珍しいと言えた。
『でも結構うまくやってるらしいんだよな。彼女が派遣されたあと、受刑者が嘘のようにおとなしくなるって話も聞く』
「……お前はそれを不自然だと思わないのか?」
『まあ不自然だとは思うけどな。でもいい方向に向いてるわけだしなぁ……』
玖堂は溜息を吐いた。おそらく岬でなくてもそう言うだろう。特に警察からしてみれば、それまで荒れていた人間が大人しくなって、問題行動を起こさなくなるだけでありがたいだろう。
だが玖堂個人としては、精神に介入する術式を許容することはできなかった。
「……これがいい方に向けるだけなら、最悪見て見ぬふりもできたんだけどな」
『どういうことだ?』
「人の心を操作できるなら、悪人を善人にするだけじゃなく、善人を悪人にすることもできるだろ?」
『確かにそれはそうだなぁ』
「そいつの狙いはまだわからないが、少なくとも俺は気に入らねえな」
玖堂は煙草を灰皿に押し付けた。まるで自らの力を誇示しているようだ、というのは考えすぎだろうか。人間の心などどうとでも出来るのだと言っているような。
『会ってみるのか?』
「いや……もう少し調べてからだな。向こうは俺の存在に気付いているかもしれないし」
玖堂のことを把握していなくても、ユキチに勾玉を渡した人間がいることはわかっているだろう。相手がどんな存在かわからないうちに突っ込んでいくのは危険すぎる。
「とりあえず所属がわかっただけ助かった。また何かあったら連絡する」
玖堂は電話を切り、誰もいないことをいいことに事務所のソファーに横になった。少年院の中の気配を探ろうと気を張っていたせいで少し疲れてしまったのだ。普通にしていれば問題ないが、力を使えば後遺症が出てしまう。それは色が見えなくなるだけではあったが、色が見えないのは意外に不便なものだ。そうなる前に休むのが一番いい。
玖堂はそのまま目を閉じる。しかしすぐに目を開けて、がばりと上半身を起こした。
「――泪泪」
呼びかけると、すぐに泪泪は姿を現した。
「俺の目、何か変なところあるか?」
泪泪は布越しにじっと玖堂の目を見た。実際見ているかどうかはわからないが、確かに視線を感じる。そして何かを探られているような気配もあった。
「いえ、特におかしなところは」
「俺は万華鏡の実物は見てない。ユキチが見たっていうテレイドスコープもだ。……それなのに、目を閉じた瞬間に妙な色がちらついた」
「目ではないということは……他も調べてみましょうか?」
「ああ、そうしてくれ」
泪泪が頷き、玖堂の額に自分の額を合わせた。解析をやりやすくするためだ。泪泪は数秒そのままの姿勢でいたが、ゆっくりと体を離した。
「これは……移り香のようです」
「移り香か……まあ確かにそう考えるのが妥当だな。今日は話をしただけだし」
「ですが話すだけでこれだけ移るというのは」
「……かなりのめり込んでるみたいだしな、あの万華鏡に」
移り香ならしばらくすれば影響も消えるだろう。けれどこの状態で寝ると嫌な夢を見そうだった。
「助かった、泪泪」
「いえ。私はあなたの式ですから」
泪泪はそう言って隠形する。玖堂は立ち上がり、せめて部屋のベッドで寝ようと事務所を出たのだった。
***
夢の中には色がなかった。目の前にある林檎が赤いのか青いのかがわからない程度ならいいが、信号の色や路線図、その他にも色を使って識別さなければならないものは多い。
「泪泪」
しかし式神の千里眼を借りれば、困ることはない。そう思ったが、視界に色は戻らなかった。自分の手を見て気付く。あまりにも小さい。それに周囲のものも大きい。いや、自分が小さいのだ。子供の頃の姿になっている。
この夢は何度も見た。変に現実的で、この時期はまだ式神がいなかったからと、式神の力は使えなくなっている。けれど夢であれば覚めればいい。
出口を探して歩き出す。しかし光のある方向がわからない。
(目で見るとわからないなら、気配を辿ればいい)
自分自身に言い聞かせるのに不安になる。こんな場所はもう大したことがないとわかっているはずなのに、体だけではなく心まで子供の頃に戻ってしまったようだった。
あの頃はいつもそうだった。自分の目に映るものを誰にも理解してもらえなかった。近くに怪異の友人や見える人がいれば別だったのだろうが、たまたまそういう存在もなかった。叔父は祓えるが見えはしない人だったから、この視界を共有することも出来なかった。
(だけど今は違うだろ)
叔父の助けも借りて、家に残っていた、まだ力のあった頃の先祖たちの記録を参考にしながら、自分で自分の道を切り拓いた。もうこんな思いはしなくていいはずなのだ。
普通の人間には見えないものが見えて、それを誰とも共有できない日々は孤独だった。両親はこの道に進ませたくはなかったようで、見えていても見えなかったことにしなくてはならなかった時期もある。それなのに悪意を持った霊や、子供にはどうしようもないことを頼んでくる霊ばかり寄ってくる。その不安をいまだに夢に見るのだ。
そのとき、目の前に美しい幾何学模様が広がった。色のない世界でそれだけが鮮やかに映る。ゆっくりと形を変えていくその模様に思わず目を奪われた瞬間、自分の中に何かがぬるりと入り込むのを感じた。
暖かな何かの気配は、凍り付いた心を溶かしてしまう。
玖堂は咄嗟に身を引いた。これは夢の中だが、夢の中の出来事が現実に作用することもある。入り込まれてしまうわけにはいかなかった。しかし子供の姿では式神どころか自分の術すらも使えないらしい。
(体は子供だけど、思考は普段と変わらない。……なら、子供の体でも出来ることなら、今の俺でも出来る)
思考がまだ正常なのは救いだった。目を閉じて、自分の身につけているものを探る。しかし探しているものは簡単には見つからなかった。
(これでいいか)
履いていたスニーカーから靴紐を抜き取る。目を閉じて、自分の皮膚の感覚だけを頼りに、それを使って自分の左手を縛った。片手だけ縛っても動けなくなるわけではないが、拘束が目的ではない。
(自分の体の感覚を、輪郭を意識しろ。自分ではないものは追い出せ)
自分の体の中から異物が抜け出していく様子を想像する。その気配が徐々に薄れていくのを感じると同時に、色のない世界が少しずつ崩れていった。
***
「……移り香でこれなのかよ。どうかしてるな」
ベッドの上で起きた玖堂は溜息を吐いた。自分の中に意識を向けてみるが、もう妙な気配はない。元々移り香であったため、あれで追い出せたのだろう。しかしそれでも侵蝕性が強いのは問題だった。
左手には何もない。けれど感覚はまだ残っていた。少し痛みすら感じるほどに縛ることにより、自分自身の輪郭は明確になる。生まれ持った瞳の力と合わせると、これが玖堂にとっては最もやりやすい方法だったのだ。そこから趣味が高じてしまっているのもまた事実だが、それはご愛敬だ。
「今日は緊急時以外は臨時休業ってことにするか……」
メールでも依頼は受け付けているし、事務所に直接来る客にわかるように緊急連絡先を書いておけばどうにかなるだろう。
「飛飛」
起き上がって呼ぶと、飛飛がその姿を現した。玖堂はその澄んだ青の瞳を見て言う。
「今日、ちょっと付き合ってくれるか?」
飛飛は首を傾げる。自分でいいのか、ということだろう。確かにこういうときにいつも付き合ってもらうのは泪泪だ。杏杏は見た目が幼いため、実年齢が自分よりはるかに上だとわかっていてもあまりやりたくない。
「今日はそういう気分なんだ」
飛飛は納得したように頷く。玖堂は部屋の換気をしながら、今日一日部屋の中に籠もる準備をし始めたのだった。
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それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
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