五芒星と避雷針

深山瀬怜

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第一部

10 万華鏡と宝石ケーキ

「ああ、その民警さんならこの前面会に来てくれたよ。俺とユキチの体質のこととか色々教えてくれて」
「そうなんだ」
「色々世話になってるみたいだね」
 面会室では職員が目を光らせている。しかし和やかな会話を邪魔するつもりはないのか、極力気配を消そうと頑張っているのが見てとれた。
 ひとしきり玖堂の話をした後でユキチは口ごもる。家の話や学校の話をするのはいつも少し躊躇われた。蒼吉が事件を起こしたことで嫌がらせを受けたりしていることを蒼吉本人には言えない。やったことは事実だとしても、蒼吉も自分の体質に苦しんでいたのだということもわかっている。だからこそ、それは隠しておきたかった。
「あ、そうだ。万華鏡の話聞かせてよ」
「いいよ。今はキットも売ってるから、簡単なものならユキチでもすぐに作れるようになると思うよ。基本的には二枚以上の鏡を組み合わせるんだけど、三枚のものが一番多いかな。俺も自分で作るのは三枚のものだけなんだけど」
「そうなんだ」
「刃物を使えないから、鏡は用意してもらわないといけなくて……流石にあんまり難しい注文はできないからさ」
 本当は鏡の角度とかも色々変えられるんだ、と蒼吉は笑う。それができないから今は中に入れるビーズなどを工夫して万華鏡を作っているらしい。話しているうちに楽しくなったのか、蒼吉は職員に頼んで自分が作ったという万華鏡を持って来てもらっていた。蒼吉は随分と穏やかになったし、万華鏡の話をしているときは楽しそうだ。けれどその瞳が異様な熱を帯びているのが少し怖かった。害のないものに熱中しているのなら、それは喜ぶべきことなのではないかと思うが、前回ここで会った教誨師にカリグラを植え付けられたことがまだ記憶に新しかった。
「鏡像がどうなるのかって考えると、もうちょっと理科の勉強しておけばよかったと思ったりしてね」
 そう言いながら、蒼吉は自分が作った万華鏡をユキチに紹介する。大体はラップの芯のような筒の中に正三角形に組み合わせ鏡を入れ、のぞき穴と反対に取り付けたビーズなどが入ったオブジェクトを見るというものだ。ユキチは兄に勧められるがままに万華鏡を覗き込んでいった。
「ユキチはどれが好き?」
「そうだなぁ……このクリスマスみたいなやつとか」
 筒に張り付けられた紙は、おそらくクリスマスプレゼントの包装紙なのだろう。緑色の紙の上に小さなプレゼントやサンタのイラストが描かれている。
「ああ。具を緑系統でまとめたから筒も緑にしたかったんだけど、緑の紙がそれしかなくてさ。クリスマスそんなに関係ないんだよね」
「そうなんだ」
 ユキチは先に取り付けられた透明なケースの中身を見る。緑色のビーズやスパンコールが入っているらしい。もう一度のぞき穴から万華鏡を見ると、緑色の美しい模様が広がる。筒をくるくると回すとそれが移り変わっていくのが見えた。
(綺麗な色……)
 それは玖堂の瞳の色にも似ていた。妙に印象に残る、深い緑色の瞳。夢中で見ていると、くすりと笑った蒼吉に気が付いてユキチは慌てて万華鏡を目から離した。
「そんなに気に入った?」
「あ、うん……すごく綺麗だなって」
「そんなに好きならあげてもいいんだけど、規則があって難しいんだよね」
「べ、別にそこまでしてくれなくてもいいよ。せっかく作ったんだし」
「せっかく作ったんだから、喜んでくれる人の手元にあったらそれはそれで嬉しいことだよ」
 今度まで持ち出せるようにしておくよ、と蒼吉は笑った。不良、荒れている、という評価があったが、蒼吉はユキチに対してはいつも優しかった。
「じゃあそろそろ時間だから帰るね」
 和やかに手を振って、ユキチは面会室を出た。そのまま家に帰るため、最寄りのバス停まで歩いていく。
(……あれ?)
 ユキチは目をこすってから再び前を見る。
 バス停へと続く一本道。西日に照らされたアスファルトが白く濁って見えた。
(……目が疲れてるのかな)
 まぶたを閉じてから、もう一度目を開く。
 だが、事態は好転するどころか、急速に悪化していった。
 視界の四隅から、幾何学的な亀裂が走り始める。それはさっき面会室で覗き込んだ、あの美しい緑色の万華鏡の模様によく似ていた。現実の風景が、鏡合わせの虚像のように無機質に分割され、氷のように冷えていく。
 右側に見えていた電柱が、三つ、六つと増殖し、円環を描いてぐるぐると回り出した。左側の民家の生け垣は、鋭利な正三角形の断片となって、視界の中心に向かって規則正しく折り重なる。
「っ、なに、これ……」
 声を出そうとしたが、自分の声さえも、幾重にも反響して耳の奥を叩く。
 空はもはや青くはなく、エメラルドグリーンの、毒々しいまでの結晶体に埋め尽くされていた。
 景色が、物理的な重みを持って迫ってくる。
 平衡感覚が完全に消失して、地面がどちらにあるのかもわからない。
 ユキチの足元では、アスファルトの割れ目から緑色の液体が噴き出し、それが美しい花の形に結晶化しては、また別の模様へと姿を変えていく。
「あ……が、はっ……」
 喉の奥で、カチ、カチ、と万華鏡の筒を回すような乾いた音が響く。
 怖い。そのはずなのに、この美しさに心が惹かれてしまう。万華鏡の中に自分自身が閉じ込められたかのように、景色が美しく移ろっていく。
「あ……」
 意識が、何かに吸い込まれるように遠のいていく。
 ユキチの体から力が抜け、その場に倒れ込んでしまう。誰かに抱き止められた、と気がついたが、目を開けることができない。霞んでいく視界の中でユキチが見たのは――純白に輝く翼であった。

***

「あれ……ここは……?」
 ユキチは天蓋付きのベッドの上で目を覚ました。とんでもなくふかふかのベッドから体を起こすと、部屋の中は純白で統一されているようだった。部屋の中央にある丸いテーブルと椅子も白、棚やその上に置いてあるぬいぐるみも白だ。そしてユキチ自身も見覚えのない白いチュニックを着せられていた。
 ここはどこなのだろうか。ユキチは倒れる前のことを思い出そうとしながら立ち上がる。真っ白な床に爪先がつくと、そこから波紋のように模様が広がり、消えていった。万華鏡を思わせる規則的なその模様だけがこの部屋にある色だった。
「綺麗……」
 ユキチは何度か爪先から広がる模様を楽しんでから、ベッドを離れる。体がやけに軽かった。
「あら、目を覚ましたのですね」
 ドアが開き、女が姿を現した。褐色の肌に銀色の長い髪、そして金色の瞳。以前兄との面会の帰りに会った教誨師・ティファリアだ。
「えーっと……ティファリアさん……?」
「そうです。覚えていてくれたのですね」
 ティファリアはガラスで出来ている、透明なティーセットをトレイに乗せて運んでいた。それを部屋の中央にある丸いテーブルに置く。ポットは夜空のような深い青色で満たされていた。
「あの……ここはいったい……?」
「私の家ですよ。バス停の近くで具合が悪そうにしていらしたので、ここまで運んだのです」
「えっ……それは、かなり重くないですか……?」
 中学生の平均的な身長と平均的な体重の持ち主であるユキチを、女性一人で運ぶのはかなり大変なのではないか。そう思って尋ねると、ティファリアは静かに笑った。
「力には自信があるのです。万華鏡を運ぶのにも力が要りますから」
「そうなんですか……ええと、すみません、ご迷惑をおかけして」
「いいんですよ。さあ、こちらへ。心も体も休まるお茶を用意しました。食べられそうならケーキもありますよ」
「あ、えーと……」
 ここにいてはいけない、と思った。
 ティファリアのテレイドスコープを覗いた結果、カリグラを植え付けられたことも覚えている。この部屋も白すぎて落ち着かない。それなのに、体がテーブルの方に引かれていく。
「遠慮することはありませんよ。ほら、とても綺麗な色をしているでしょう?」
 透明なカップに夜空のようなお茶が注がれていく。その色を目にした瞬間、ユキチは先程までここから逃げようと考えていたことも忘れ、椅子に座ってしまった。ティファリアはドーム状のケーキカバーを取る。ガラスのケーキスタンドの上にあるケーキは、白色をしていたが、それは見慣れたショートケーキのクリームの色とは違っていた。乳白色のガラスのような色に、キラキラと輝く宝石のような装飾。ティファリアがケーキナイフでそれを切り分けると、どこか硬質な音が響く。ケーキの断面からは生クリームと苺ではなく、銀色の星屑がこぼれる。
「綺麗……」
「そうでしょう? これはあなたの心も体も綺麗に、まっさらにしてくれるのよ」
「まっさらに……」
「そう、だからもう安心していいわ」
 ティファリアが優雅にお茶を飲み始める。ユキチも少しぼんやりとしながらティーカップを口に運んだ。
(美味しい……けど、何か……)
 少し、違和感があった。ユキチは首を傾げながら、胸のあたりに手をやる。違和感があるのはこのあたりだ。そしてその指先が、冷たい石に当たった。
「あ……」
 それは、玖堂に渡されたあの勾玉だった。肌身離さずにつけているうちに馴染んで、つけていることすら忘れかけていたのだ。ティファリアがそれを見て目を細める。
「それはあなたにとって、大切なものなのかしら?」
「正直、まだよくわからないけど……多分」
 会ってからそれほど時間は経っていない。けれど何度も助けてもらった。それは仕事だからというだけでなく、彼自身がユキチと同じ体質であるからというのも聞いた。けれど自分には見せなかった怖い部分もある。何よりもその緑の瞳に、いつか絡め取られそうな自分が恐ろしい。色々な感情が混ざり合って、結果的に玖堂に関する感情は「よくわからない」になってしまうのだ。
「でも、彼は――あなたにはふさわしくない」
「え?」
 ティファリアがユキチの勾玉に触れた瞬間、それは粉々に砕け散った。翡翠と瑪瑙の破片が、スローモーションのように白い床に散らばる。
「あ……」
 ユキチの喉から、掠れた声が漏れる。大切なものを守っていた糸が、ぷつりと切れたような感覚があった。
「こんなものはあなたにはふさわしくありません」
 ティファリアの声は、どこまでも澄んでいて、同時に恐ろしく冷たかった。彼女が指をひと振りすると、床に落ちた勾玉の破片は、まるで最初から存在しなかったかのように光の粒子となって消えていく。
「さあ、もっとお茶を召し上がれ。ケーキも食べてちょうだい」
 ユキチは言われるがままに、再びカップを口にした。
 今度は、先ほど感じた違和感が消えていた。ただ、温かい液体が食道を通り、爪先まで浸透していく。
(……そうだ。玖堂さんは、怖い人だ)
 ぼんやりとした思考の海に、朧気な記憶が波紋のように広がる。くたびれた雰囲気から乖離している、鋭すぎる緑の瞳。体に刻まれた刺青。人を縛り上げて笑みを浮かべていた横顔。
 ここには、そんな恐怖は存在しなかった。この白い部屋、この温かいお茶。全てが優しくユキチを包み込む。
「もう怖いことは何もないわ」
 ユキチは頷き、皿に乗せられた白いケーキを口に運んだ。それは舌に乗せた瞬間に甘く優しく解けていく。
(あれ……何だか、眠く……)
 目をこするユキチを見て、ティファリアは微笑んだ。
「まだ馴染んでいないのね。大丈夫よ。これを食べてから、少し眠りましょう」
「はい……」
 頭に霞がかかったようで、ユキチは何も考えられなかった。ただ、ティファリアに言われるがままにケーキとお茶を口に運ぶ。ケーキを食べきってお茶を飲み干した頃には、もう半分意識は落ちていた。
「さあ、しばらくお眠りなさい。残りのケーキは冷やしておくわ」
「はい……また、食べたいです……」
「ふふ、いい子ね。それじゃあ、おやすみなさい」
 ティファリアは手早くテーブルの上を片付けて、トレイにティーセットを乗せて部屋を出て行く。眠気に耐えられなくなったユキチは、再び天蓋付きの真っ白なベッドに戻った。
(背中が……少し、熱いような……?)
 ユキチが首を傾げた瞬間に、ばさり、と音が聞こえた。不思議に思って自分の背中を見ようとすると、純白の小さな翼が見える。まるで天使の翼だ。
(……ああ、これでいいんだ……)
 何故か、そう思った。
 意識がさらにぼんやりしてきた。もう眠くて何も考えられない。ユキチはゆっくりと目を閉じて、ふかふかのベッドに体を預けた。
(もう……何でもいいや……)
 その思考を最後に、ユキチは意識を手放す。穏やかな寝息を立てるユキチの羽根は、その呼吸に合わせるようにわずかに揺れていた。

***

 異変に気付いた瞬間、玖堂は跳ね起きた。代わる代わる玖堂を様子を見ていたらしい式神たちも同時に反応する。
「……クソ天使め、やりやがったな」
 玖堂は思わず悪態を吐く。泪泪はすぐに場所の解析をかけていた。
「場所が辿れないようにされています。もう少し深く潜って探ります」
「ああ、そうしてくれ」
 ユキチに渡していた勾玉は、勾玉に負荷がかかった場合に玖堂にその居場所を知らせるように術が組み込まれている。しかしそれも出来ないほどに破壊された形跡があった。玖堂も簡単に壊されるような術は組んでいなかった。だが天使の高圧縮の魔力には耐えきれなかったのだ。
 玖堂は起き上がって準備を始める。泪泪はまだ解析を続けているが、すぐに動けるようにしたかった。
 そのとき、仕事用の電話が鳴った。見覚えのない固定電話の番号だ。玖堂はすぐに電話を取った。
『嵜山と申します。ユキチがそちらに行っていないでしょうか?』
 その声と内容からして、相手はユキチの母親だろう。玖堂は声の調子を悟られぬように淡々と答えた。
「今日はこっちには来ていないですね」
『そうですか……今日、昼から兄の面会に行くと言って家を出て、いつもなら夕方には帰ってくるのに……携帯もつながらなくて……蒼吉のところにも連絡したんですが、面会時間が終わってすぐに出たと言われて』
「……警察には連絡を?」
『ええ、派出所の佐藤さんに……佐藤さんも探してくれているんですが……』
「わかりました。こちらでも探してみます」
 玖堂は電話を切って溜息を吐いた。ユキチはある程度自分の行動を親に言っていたらしい。玖堂とのこともある程度は伝わっているのだろう。
「兄貴の面会に行って、少年院を出たところまでは確実だな。出入りの確認はしっかりやっているはずだ。そのあと……家に帰ろうとしたなら、バスを使うはずだ。バスに乗ったかどうかは定かじゃないが……」
「バスには乗っていないと思われます。勾玉の気配がその手前で途切れているので」
「そこで何かがあって、あのクソ天使に連れ去られたってところか。何が天使だ、普通に誘拐じゃねえか」
 玖堂は苛立ちを隠すことなく煙草に手を伸ばした。傍らに控える飛飛が主の静かな怒りを感じ取ってその目を険しくした。
「おおよその位置は割り出せました。ただ――」
「どうせ異空間かなんか作ってんだろ? 座標さえ特定できれば無理やり破る」
「かしこまりました」
 準備を整えた玖堂は部屋を出ようとするが、その瞬間視界が鮮やかに歪む。壁に手をついた玖堂の肩を飛飛が支えた。杏杏が玖堂を見上げながら言う。
「また体温が下がっていますね……追加の薬を飲めばしばらくはもつと思いますが……」
「なら追加を頼む。どうせ時間をかければ状況が悪化するだけだろ」
 杏杏は迷いながらも薬を玖堂に手渡した。玖堂は水でそれを飲み干してから再びドアを開ける。
「とりあえず足取りが途絶えた近くまで車で向かうぞ」
 玖堂の言葉に式神たちは真剣な顔で頷いた。

***

 嵜山さきやま諭吉ゆきちにとって、外の世界は恐ろしいところだった。母の胸に抱かれて穏やかに過ごしていればよかった時期でさえ、人の目には見えないものが自分に近付いてこようとしているのがわかった。蒼吉が近くにいるときはそれも抑えられたが、そうでないときは日常的に黒い影の恐怖に晒されていた。
 外の世界は恐ろしい。
 けれどそれを理解してくれる人は誰もいなかった。
 いつしかそれのことを他人に言うことはなくなっていった。言っても誰もわかってはくれない。言うだけ無駄だ。むしろ頭がおかしいと思われて良くないことが起きる。ユキチはただ黙って恐怖に耐えることを覚えたのだった。
 誰にも理解されない恐怖に耐えながら、それでも笑顔を作って生きて来た。笑っている方が怖いものも寄ってこないとわかってからは、意識的にそうしていた。
 けれどその均衡は、蒼吉が起こした事件で崩れてしまった。
 道を歩けば近所の人の囁き声が聞こえた。
 すれ違いざまに冷ややかな視線を投げかけられ、下駄箱や机には「人殺し」と書かれた紙が入っていた。自分が殺したわけではない。ユキチは何も知らなかったのに、まるで自分が人を殺したかのように言われた。
 けれど自分よりも、両親に向けられた言葉の方がつらかった。
 人殺しを育ててしまった親は同罪なのだ、と言う人さえいた。家の壁に落書きをされたりポストに嫌がらせの手紙を投函されることもあった。派出所に勤めていた岬がずっと気にかけてくれたおかげで表立った嫌がらせは終わったが、それでも陰で噂されたり、冷たい目を向けられることは変わらなかった。
 せめて自分だけは笑っていようと思っていた。
 けれどそれに疲れている自分がいることもわかっていた。
 目の前で綺麗な幾何学模様が移り変わっていく。これから目にする景色が全部こうだったらいいのに。
「私が手伝ってあげます。だから、あなたはこの光を届けるのです」
 ティファリアがユキチの手を取って言う。周囲に張り巡らされた鏡に映る彼の姿は大きく変化していた。純白の翼だけでなく、その髪の色も白くなり、瞳は藍玉アクアマリンを嵌め込んだように煌めいている。
「この光を広げなきゃ……」
 もう、怖いものなど何もない世界に。
 美しいものだけがある世界に。
 ユキチはティファリアの手を取って外に飛び出して行った。
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