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第一部
14 師匠と弟子
パトカーの後部座席に深く身を沈めると、心地よい合成皮革の冷たさが、熱を持った体に染みた。隣に座るユキチは、緊張の糸が切れたのか、岬と短い会話を交わしたあとは泥のように眠りに落ちている。
パトカーが夜の帳を切り裂いて走り出す。
玖堂は窓の外を眺める。街灯は白と黒の階調となって流れていった。この視界が回復するにはしばらくかかるだろう。力を使いすぎた。玖堂は溜息を吐く。
「さっきはああ言ったけど、先に病院の方がいいかな?」
「いや、傷はほとんど治ってるからな」
「そうか。……それで、これはどういう状況だったんだ?」
「どこから説明すべきなんだろうなこれは……」
報告書には全て書くことになるだろう。教誨師としてティファリアが一部の受刑者などを洗脳していたこと。そしてその力を広げるためにユキチの体質を狙ってユキチを誘拐、ユキチの救出には成功し、天使を退けることには成功したが、捕縛はできなかった――それが大体の流れだ。
「概要はこんなところだ。俺もこっちに来てからのことしか知らないしな。……問題はこれからだ。あいつが洗脳してた人間にどんな影響が出るかは未知数だ」
天使をこれ以上追うのは難しい。それよりは後始末に注力した方がいいとも思う。しかしそれがどうなるかもわからなかった。
「……一応他の教誨師に引き継ぐってことになるだろうけどな。だが……こいつの兄貴にはどこまで説明するべきなんだろうな」
「あいつには隠さずに説明してやった方がいい。何もわからないことが一番恐ろしいだろうからな」
「そうか」
玖堂は短く答えた。ティファリアがやったことの全てが悪ではない。彼女に救われていた人間がいたのは事実だ。だからこそ真実を伝えるのは難しいことだった。玖堂は懐の煙草に手を伸ばしかけて、パトカー内であることに気づいて止めた。
その後、ユキチの自宅にユキチを送り届けて、ユキチの両親には簡単に事情を説明してから玖堂と岬は再びパトカーに乗り込んだ。
「……この前の電話のときは悪かったね」
「電話? 何の話だっけ」
「ほら、あの教誨師のこと聞かれたときに」
「ああ……」
玖堂は曖昧に答えて窓の外に目をやった。あのときの岬に何か謝ることなどあっただろうか。玖堂はそのまま続きを促した。
「結局こうなったわけで……玖堂くんが正しかったわけだからね」
「正しいとか正しいとかじゃねえだろ。俺はお前が持ってなかった情報を持っていて、それを元に判断しただけだ」
「でも玖堂くん、たとえあの教誨師が本当にいい方に向かわせることしか考えてなくても、それは違うって言ってただろうなと思ってね」
「……何を根拠に?」
「うーん、刑事の勘ってやつ?」
「あてにならねえな」
玖堂が言うと、岬は困ったように笑った。
「俺は他人をどうこうしようって傲慢な奴が嫌いなだけだ」
「そういうところなんだよねぇ」
「どういうところだよ。俺は好き勝手に生きていきたいだけだ。そんな顔をされるようなことはしてねえよ」
民警になったのも、自分にその力があって、試験に受かったからでしかない。他にもっと適性がある職業があるならそれを選んでも良かった。そのくらいのこだわりしかないのだ。志があったわけではない。少なくとも、誰かを守るために警官を目指したという岬の方が、心構えはよほど立派だ。
「そうか。それはそうと、実は頼みがあるんだけどね」
「そっちが本題か。人を持ち上げてないで早く言え」
「実は最近このあたりで色々事件があってね。本当はそれをどうにかして欲しくて玖堂くんを呼んだんだよ」
「そんなことだろうと思ったよ。……その理由も何となくわかったしな」
岬は少し驚いているようだった。岬の刑事の勘はさすがに怪異がらみには働かないということだろうか。
「引き寄せてる奴がいるからな。本人に自覚はないが」
「そこがそう繋がってくるのか……」
「できればあいつの両親の家系も洗っておきたいな。人の力を吸う奴と逆に垂れ流す奴が兄弟で生まれるってのは、普通の家系ではそうそう起きることじゃねえ。俺だって千年ぐらい前からなんやかんややってた家の生まれなわけだし。さっき会ったときは全くそういう気配は感じなかったけど、隔世遺伝みたいなこともあるからな」
何かの拍子に失われた力が復活することもある。玖堂の力も叔父が多少覚えがある人間だったから対応できたと言うだけで、家の誰もがほとんど持て余している状態だったのだ。
「不幸中の幸いかはわからないが、さっきの戦闘で大分奪ったからな。しばらくは猶予が出来た。その間にある程度コントロール出来るようになってくれればいいんだけどな」
「僕は素人だからよくわからないんだけど、そのコントロールっていうのは訓練すれば出来るようになるの?」
「完全には難しいんだけどな。まあでも、一番厄介な部分は片付いたからな。あとは本人にやる気があれば……時間はかかるがどうにかなる。本当は兄貴にの方にも訓練をつけたいところだが、民警じゃそこまで出来ないからな。それこそ教誨師ならできるだろうが……その手の知り合いはこっちで当たってみる」
ただしその教誨師が本人と合うかどうかはわからない。結局は自分に一番合う方法は自分で見つけるしかない。けれどそのための選択肢を提示することはできる。
「最終的には自分がどうなりたいかを自分で決めるしかない。そこをどうこうすることは俺には出来ねえよ」
玖堂がそう言ったところでパトカーが停まる。これから警察に提出するための書類を民警として作成しなければならない。今日はいつ帰れるんだろうかと玖堂は溜息を吐いた。
***
数日後、特に大きな仕事のないのんびりとした一日を過ごしていた玖堂は、電話の音で体を起こした。
「何だ?」
電話の主はユキチだった。あのあと家に帰ったはいいものの、さすがに色々ありすぎたせいか体調を崩していると聞いていた。しかし電話口の声は元気そうだった。
『えっと……今って、事務所開いてますか?』
「開いてるし、客もいないけど」
『じゃあ今から行っていいですか? 母がお礼にって菓子折を――』
「菓子折ねぇ。じゃあ茶でも用意しておいた方がいいか」
電話を切って、ちょうどお茶を入れ終わったところでインターフォンが鳴った。ドアを開けると紙袋を持ったユキチがなぜか緊張した面持ちで立っていた。
「この通り、暇してたところだ。そこに座れ」
「は、はい」
ユキチがソファーに腰を下ろす。ユキチが菓子折を玖堂に渡そうとすると、杏杏が顕現してそれを受け取った。
「おーい、いくら甘いものが好きだからって俺より先に受け取るな」
「いいじゃないですか、別に。みんなで食べましょうよ。だってみんな大変だったんですから!」
「まあそれはそうなんだけど」
杏杏は人見知りだが、それが解けると一気に打ち解ける。むしろ打ち解けすぎるようなところがある。先日ユキチにつかせていたから、そのときに話をしたのだろう。杏杏の主導で泪泪や飛飛も出てきて、五人でテーブルを囲むことになった。
「美味しいですねえ、これ」
「良かったです。お口に合うかどうかわからなかったので……」
「俺は苦いものとかの方が好きなんだが……まあ多数決するなら甘いものだな。甘いものも食えないわけじゃないし」
式神達はもらった高級なクッキーをつまんで嬉しそうにしている。それを微笑ましく見てから、ユキチは切り出した。
「さっき、兄のところに行ってきて……」
「そうなのか。一人でか?」
「そうですけど……」
「……この前大変なことになったルートなのによく一人で行けるなと思ってな」
玖堂はそう呟く。昔の自分だったら多分出来ないだろうと思ったからだ。少なくとも一か月は近付けなかっただろう。
「でも、天使はもういないんですよね?」
「殺したわけでもないし、警察に突き出したわけでもない。時間はかかるだろうがいずれ復活する可能性はあるからな。まあそれに関しては今のところ何の動きもないから別にいい。それで、兄貴は元気だったか?」
「……玖堂さんは僕よりも早く行ってるじゃないですか」
「そりゃあ、色々説明しねえといけなかったからな。まあそれを持って俺の責任からは外れたわけだが」
事情を説明して、他の人間に対応を引き継いだ。ティファリアの術の影響を継続して調査するのも、その力のコントロールを教えるのも別の人間が担当することになったのだ。
「新しい教誨師さん、つるっぱげのおっさんだって言ってましたよ」
「坊さんだから、そりゃつるっぱげだろうな。気が合うようならいいんだが」
「まだよくわからないって。……でもやっぱりまだ万華鏡は好きだって」
「……それで不安になってんのか」
その感情はティファリアに植え付けられたものなのか、自分自身のものなのか、この状況ではわからなくなるのも無理はない。しかし玖堂は静かに笑った。
「綺麗なものを綺麗だと思うことに、他人の思惑が入り込むことはない。それは天使だって同じだ。あいつの万華鏡を見て綺麗だと思った奴が術にかかりやすかったってだけで、最初に綺麗だと思う気持ちは本人から湧いて出てきたものだ。それは断言してもいい」
「良かったです。『万華鏡作家になろうかな』とか言ってたから……」
「そうか。まあ、さっき言ったとおりだから、そのあたりは好きにやらせておけばいいさ」
「良かったです。それを聞いて安心しました」
ユキチはそれを聞きに来たのだろうか。それなら先程少し緊張していたのも頷ける。
「……でも、万華鏡を作るのは楽しいけれど、こんなに楽しくしていていいのかとも言ってて」
「お前にはそういうことも言うんだな」
「え?」
「いや、俺はまだ二回しか会ってねえし、そこまで自分の気持ちを言ってくれてるわけじゃないんだろうなとは思ってたが。……まあ何か言ってくる奴は出てくるかもしれないが、『もう二度と同じ過ちを犯さないように生きる』ことも償いのひとつではあるはずだろ」
玖堂は少し冷めた茶を飲んだ。これからどう生きるにしても、過去が付き纏ってくることに変わりはないだろう。逃げたくても逃げられるものではない。けれどこれからのために自分を整えて生きることすら否定されるいわれはないはずだ。
「その辺はまあ、そのうちつるっぱげのおっさんとでも話せばいいと思うけどな。それに自分が夢中になれるものを見つけることは、力のコントロールにも有用だし」
「そうなんですね。……それから、もうひとつ話があって」
「何だよ、改まって」
玖堂は湯飲みをテーブルに置いて尋ねる。ユキチは襟を正してから、意を決したように玖堂に頭を下げた。
「――弟子にしてください!」
お茶を口に含んでいなくて良かったと心の底から玖堂は思った。お茶を飲み込んでいなかったら噴き出すところだった。
「……今日は四月一日じゃないぞ」
「いや、嘘ではなくて」
「じゃあ何だよ、いきなり弟子って」
玖堂は溜息を吐く。これからもユキチとは関わっていくことになるだろうが、まさかユキチの方から弟子入りを志願されるとは思わなかったのだ。
「えっと……自分でも、戦えるようになったらいいのにって思って……それに、玖堂さんを見ててかっこいいと思って……」
玖堂は頭を抱えたくなった。しかし同時に現実なところに頭が回り始めた。
「いや、まあ正直あの霊力だったら普通に使えるようになるよな……今後のことを考えたら教えた方がいいのか?」
そもそも人にものを教えたことなどない。最初に入った民警会社こそ他人と一緒に仕事をする環境だったが、そこを命令違反でクビになったあとは式神たち意外とはあまり関わってこなかったのだ。もちろん部下も持ったことはない。
「……ちょっと前にも弟子にしてくれって言われたんだよなぁ」
「そうなんですか?」
「それはこっちに来る直前だったから断ったけどな……まさかこっちでも言われるとは」
しかもそのときとは違って断りにくい状況だ。自分が教えられるのかという問題と、それでもユキチのことを考えれば教えておいた方がいいかもしれないという問題がぶつかり合う。
「……わかった。俺が出来る範囲で教えてやる。ただ理論に関しては俺よりも杏杏の方が向いてるだろうな」
のんびりクッキーを摘まんでいた杏杏は、急に水を向けられて驚いていた。玖堂は落ち着くために煙草に火を点けながら言う。
「占いに使っている理論が、術を使うための理論の基本になるからな。まずはそっちから覚えた方がいいし、それに関しては俺よりも杏杏の方がはるかに詳しい」
「任せてください! 四千年の歴史? をたたき込んでやりますよ!」
「そこに疑問符をつけられると不安になるんだけどな。まあ、そういうわけだ。それ以外にも知っておいた方がいい知識はあるから、それは俺が教える。だが、戦闘に関しては――その力をコントロール出来るようになってからだな」
「力をコントロール……ですか?」
「垂れ流しになっているのを外に出さないようにしたり、気付かれないように気配を隠したり。まずはそこからだ。戦えるようになったとしても、そこが改善されないと寄ってくるばっかりだからな。歩けば事件に当たる名探偵みたいな生活は嫌だろ」
想像したのか、ユキチが明らかに嫌そうな顔になる。そして力のコントロールが先だというのには他にも理由があった。
「逆に、コントロールさえ出来るようになればそのあとは結構すぐにできるようになるからな」
「そういうものなんですか?」
「結局使い方の問題だからな。今は一時的に力が減ってるから、今のうちに、まずは自分の力を意識できるようになるところから訓練だな。結局のところ、自分で自分に一番合う方法を見つける必要があるわけだし」
ユキチは首を傾げる。まだ自分に一番合う方法を見つけるというイメージは出来ていないのだろう。
「ま、しばらくは修行だな。とりあえずその菓子折の残りを全部食べてから、今後のカリキュラムでも考えるとしようぜ」
玖堂が煙草の煙をくゆらせながら言うと、ユキチは「はい!」と元気よく返事をした。その表情には、数日前までの、何かに怯え、ただ流されるのを待っていた少年の影はない。未だ白黒の視界の中で、ユキチの放つ霊力は、以前のような奔流ではなく、今は小さな、けれど確かな芯を持った灯火のように見えた。
「……とりあえず泪泪はユキチの適性をある程度見ておけ。俺のやり方が合うとはとても思えないからな」
「確かにユキチ様が縄を使うところは全く想像できませんね……」
軽口を叩き合いながら、事務所には穏やかな時間が流れる。色のない視界でも、そこに暖かな彩りがあることは確かに見て取れた。
天使の用意した完璧な万華鏡よりも、この少し歪な彩りを見ている方が楽しい。玖堂はこれからの少々騒がしい日々に思いを馳せて笑った。
「よし、ユキチ。まずはその……俺を『かっこいい』とか言う、おかしな感性を矯正するところから始めるか」
「えぇっ!? そこからですか!?」
「当たり前だろ。ガキが覚えていいジャンルじゃねえんだから」
玖堂は最後の一口の茶を飲み干すと、新しい日常の始まりを告げるように、煙草の火を静かに消した。
パトカーが夜の帳を切り裂いて走り出す。
玖堂は窓の外を眺める。街灯は白と黒の階調となって流れていった。この視界が回復するにはしばらくかかるだろう。力を使いすぎた。玖堂は溜息を吐く。
「さっきはああ言ったけど、先に病院の方がいいかな?」
「いや、傷はほとんど治ってるからな」
「そうか。……それで、これはどういう状況だったんだ?」
「どこから説明すべきなんだろうなこれは……」
報告書には全て書くことになるだろう。教誨師としてティファリアが一部の受刑者などを洗脳していたこと。そしてその力を広げるためにユキチの体質を狙ってユキチを誘拐、ユキチの救出には成功し、天使を退けることには成功したが、捕縛はできなかった――それが大体の流れだ。
「概要はこんなところだ。俺もこっちに来てからのことしか知らないしな。……問題はこれからだ。あいつが洗脳してた人間にどんな影響が出るかは未知数だ」
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「……一応他の教誨師に引き継ぐってことになるだろうけどな。だが……こいつの兄貴にはどこまで説明するべきなんだろうな」
「あいつには隠さずに説明してやった方がいい。何もわからないことが一番恐ろしいだろうからな」
「そうか」
玖堂は短く答えた。ティファリアがやったことの全てが悪ではない。彼女に救われていた人間がいたのは事実だ。だからこそ真実を伝えるのは難しいことだった。玖堂は懐の煙草に手を伸ばしかけて、パトカー内であることに気づいて止めた。
その後、ユキチの自宅にユキチを送り届けて、ユキチの両親には簡単に事情を説明してから玖堂と岬は再びパトカーに乗り込んだ。
「……この前の電話のときは悪かったね」
「電話? 何の話だっけ」
「ほら、あの教誨師のこと聞かれたときに」
「ああ……」
玖堂は曖昧に答えて窓の外に目をやった。あのときの岬に何か謝ることなどあっただろうか。玖堂はそのまま続きを促した。
「結局こうなったわけで……玖堂くんが正しかったわけだからね」
「正しいとか正しいとかじゃねえだろ。俺はお前が持ってなかった情報を持っていて、それを元に判断しただけだ」
「でも玖堂くん、たとえあの教誨師が本当にいい方に向かわせることしか考えてなくても、それは違うって言ってただろうなと思ってね」
「……何を根拠に?」
「うーん、刑事の勘ってやつ?」
「あてにならねえな」
玖堂が言うと、岬は困ったように笑った。
「俺は他人をどうこうしようって傲慢な奴が嫌いなだけだ」
「そういうところなんだよねぇ」
「どういうところだよ。俺は好き勝手に生きていきたいだけだ。そんな顔をされるようなことはしてねえよ」
民警になったのも、自分にその力があって、試験に受かったからでしかない。他にもっと適性がある職業があるならそれを選んでも良かった。そのくらいのこだわりしかないのだ。志があったわけではない。少なくとも、誰かを守るために警官を目指したという岬の方が、心構えはよほど立派だ。
「そうか。それはそうと、実は頼みがあるんだけどね」
「そっちが本題か。人を持ち上げてないで早く言え」
「実は最近このあたりで色々事件があってね。本当はそれをどうにかして欲しくて玖堂くんを呼んだんだよ」
「そんなことだろうと思ったよ。……その理由も何となくわかったしな」
岬は少し驚いているようだった。岬の刑事の勘はさすがに怪異がらみには働かないということだろうか。
「引き寄せてる奴がいるからな。本人に自覚はないが」
「そこがそう繋がってくるのか……」
「できればあいつの両親の家系も洗っておきたいな。人の力を吸う奴と逆に垂れ流す奴が兄弟で生まれるってのは、普通の家系ではそうそう起きることじゃねえ。俺だって千年ぐらい前からなんやかんややってた家の生まれなわけだし。さっき会ったときは全くそういう気配は感じなかったけど、隔世遺伝みたいなこともあるからな」
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「不幸中の幸いかはわからないが、さっきの戦闘で大分奪ったからな。しばらくは猶予が出来た。その間にある程度コントロール出来るようになってくれればいいんだけどな」
「僕は素人だからよくわからないんだけど、そのコントロールっていうのは訓練すれば出来るようになるの?」
「完全には難しいんだけどな。まあでも、一番厄介な部分は片付いたからな。あとは本人にやる気があれば……時間はかかるがどうにかなる。本当は兄貴にの方にも訓練をつけたいところだが、民警じゃそこまで出来ないからな。それこそ教誨師ならできるだろうが……その手の知り合いはこっちで当たってみる」
ただしその教誨師が本人と合うかどうかはわからない。結局は自分に一番合う方法は自分で見つけるしかない。けれどそのための選択肢を提示することはできる。
「最終的には自分がどうなりたいかを自分で決めるしかない。そこをどうこうすることは俺には出来ねえよ」
玖堂がそう言ったところでパトカーが停まる。これから警察に提出するための書類を民警として作成しなければならない。今日はいつ帰れるんだろうかと玖堂は溜息を吐いた。
***
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「何だ?」
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『えっと……今って、事務所開いてますか?』
「開いてるし、客もいないけど」
『じゃあ今から行っていいですか? 母がお礼にって菓子折を――』
「菓子折ねぇ。じゃあ茶でも用意しておいた方がいいか」
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「この通り、暇してたところだ。そこに座れ」
「は、はい」
ユキチがソファーに腰を下ろす。ユキチが菓子折を玖堂に渡そうとすると、杏杏が顕現してそれを受け取った。
「おーい、いくら甘いものが好きだからって俺より先に受け取るな」
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「美味しいですねえ、これ」
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「俺は苦いものとかの方が好きなんだが……まあ多数決するなら甘いものだな。甘いものも食えないわけじゃないし」
式神達はもらった高級なクッキーをつまんで嬉しそうにしている。それを微笑ましく見てから、ユキチは切り出した。
「さっき、兄のところに行ってきて……」
「そうなのか。一人でか?」
「そうですけど……」
「……この前大変なことになったルートなのによく一人で行けるなと思ってな」
玖堂はそう呟く。昔の自分だったら多分出来ないだろうと思ったからだ。少なくとも一か月は近付けなかっただろう。
「でも、天使はもういないんですよね?」
「殺したわけでもないし、警察に突き出したわけでもない。時間はかかるだろうがいずれ復活する可能性はあるからな。まあそれに関しては今のところ何の動きもないから別にいい。それで、兄貴は元気だったか?」
「……玖堂さんは僕よりも早く行ってるじゃないですか」
「そりゃあ、色々説明しねえといけなかったからな。まあそれを持って俺の責任からは外れたわけだが」
事情を説明して、他の人間に対応を引き継いだ。ティファリアの術の影響を継続して調査するのも、その力のコントロールを教えるのも別の人間が担当することになったのだ。
「新しい教誨師さん、つるっぱげのおっさんだって言ってましたよ」
「坊さんだから、そりゃつるっぱげだろうな。気が合うようならいいんだが」
「まだよくわからないって。……でもやっぱりまだ万華鏡は好きだって」
「……それで不安になってんのか」
その感情はティファリアに植え付けられたものなのか、自分自身のものなのか、この状況ではわからなくなるのも無理はない。しかし玖堂は静かに笑った。
「綺麗なものを綺麗だと思うことに、他人の思惑が入り込むことはない。それは天使だって同じだ。あいつの万華鏡を見て綺麗だと思った奴が術にかかりやすかったってだけで、最初に綺麗だと思う気持ちは本人から湧いて出てきたものだ。それは断言してもいい」
「良かったです。『万華鏡作家になろうかな』とか言ってたから……」
「そうか。まあ、さっき言ったとおりだから、そのあたりは好きにやらせておけばいいさ」
「良かったです。それを聞いて安心しました」
ユキチはそれを聞きに来たのだろうか。それなら先程少し緊張していたのも頷ける。
「……でも、万華鏡を作るのは楽しいけれど、こんなに楽しくしていていいのかとも言ってて」
「お前にはそういうことも言うんだな」
「え?」
「いや、俺はまだ二回しか会ってねえし、そこまで自分の気持ちを言ってくれてるわけじゃないんだろうなとは思ってたが。……まあ何か言ってくる奴は出てくるかもしれないが、『もう二度と同じ過ちを犯さないように生きる』ことも償いのひとつではあるはずだろ」
玖堂は少し冷めた茶を飲んだ。これからどう生きるにしても、過去が付き纏ってくることに変わりはないだろう。逃げたくても逃げられるものではない。けれどこれからのために自分を整えて生きることすら否定されるいわれはないはずだ。
「その辺はまあ、そのうちつるっぱげのおっさんとでも話せばいいと思うけどな。それに自分が夢中になれるものを見つけることは、力のコントロールにも有用だし」
「そうなんですね。……それから、もうひとつ話があって」
「何だよ、改まって」
玖堂は湯飲みをテーブルに置いて尋ねる。ユキチは襟を正してから、意を決したように玖堂に頭を下げた。
「――弟子にしてください!」
お茶を口に含んでいなくて良かったと心の底から玖堂は思った。お茶を飲み込んでいなかったら噴き出すところだった。
「……今日は四月一日じゃないぞ」
「いや、嘘ではなくて」
「じゃあ何だよ、いきなり弟子って」
玖堂は溜息を吐く。これからもユキチとは関わっていくことになるだろうが、まさかユキチの方から弟子入りを志願されるとは思わなかったのだ。
「えっと……自分でも、戦えるようになったらいいのにって思って……それに、玖堂さんを見ててかっこいいと思って……」
玖堂は頭を抱えたくなった。しかし同時に現実なところに頭が回り始めた。
「いや、まあ正直あの霊力だったら普通に使えるようになるよな……今後のことを考えたら教えた方がいいのか?」
そもそも人にものを教えたことなどない。最初に入った民警会社こそ他人と一緒に仕事をする環境だったが、そこを命令違反でクビになったあとは式神たち意外とはあまり関わってこなかったのだ。もちろん部下も持ったことはない。
「……ちょっと前にも弟子にしてくれって言われたんだよなぁ」
「そうなんですか?」
「それはこっちに来る直前だったから断ったけどな……まさかこっちでも言われるとは」
しかもそのときとは違って断りにくい状況だ。自分が教えられるのかという問題と、それでもユキチのことを考えれば教えておいた方がいいかもしれないという問題がぶつかり合う。
「……わかった。俺が出来る範囲で教えてやる。ただ理論に関しては俺よりも杏杏の方が向いてるだろうな」
のんびりクッキーを摘まんでいた杏杏は、急に水を向けられて驚いていた。玖堂は落ち着くために煙草に火を点けながら言う。
「占いに使っている理論が、術を使うための理論の基本になるからな。まずはそっちから覚えた方がいいし、それに関しては俺よりも杏杏の方がはるかに詳しい」
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「力をコントロール……ですか?」
「垂れ流しになっているのを外に出さないようにしたり、気付かれないように気配を隠したり。まずはそこからだ。戦えるようになったとしても、そこが改善されないと寄ってくるばっかりだからな。歩けば事件に当たる名探偵みたいな生活は嫌だろ」
想像したのか、ユキチが明らかに嫌そうな顔になる。そして力のコントロールが先だというのには他にも理由があった。
「逆に、コントロールさえ出来るようになればそのあとは結構すぐにできるようになるからな」
「そういうものなんですか?」
「結局使い方の問題だからな。今は一時的に力が減ってるから、今のうちに、まずは自分の力を意識できるようになるところから訓練だな。結局のところ、自分で自分に一番合う方法を見つける必要があるわけだし」
ユキチは首を傾げる。まだ自分に一番合う方法を見つけるというイメージは出来ていないのだろう。
「ま、しばらくは修行だな。とりあえずその菓子折の残りを全部食べてから、今後のカリキュラムでも考えるとしようぜ」
玖堂が煙草の煙をくゆらせながら言うと、ユキチは「はい!」と元気よく返事をした。その表情には、数日前までの、何かに怯え、ただ流されるのを待っていた少年の影はない。未だ白黒の視界の中で、ユキチの放つ霊力は、以前のような奔流ではなく、今は小さな、けれど確かな芯を持った灯火のように見えた。
「……とりあえず泪泪はユキチの適性をある程度見ておけ。俺のやり方が合うとはとても思えないからな」
「確かにユキチ様が縄を使うところは全く想像できませんね……」
軽口を叩き合いながら、事務所には穏やかな時間が流れる。色のない視界でも、そこに暖かな彩りがあることは確かに見て取れた。
天使の用意した完璧な万華鏡よりも、この少し歪な彩りを見ている方が楽しい。玖堂はこれからの少々騒がしい日々に思いを馳せて笑った。
「よし、ユキチ。まずはその……俺を『かっこいい』とか言う、おかしな感性を矯正するところから始めるか」
「えぇっ!? そこからですか!?」
「当たり前だろ。ガキが覚えていいジャンルじゃねえんだから」
玖堂は最後の一口の茶を飲み干すと、新しい日常の始まりを告げるように、煙草の火を静かに消した。
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「男児さん」
女の人は、交際4年の彼・侑征を、聞いたこともない名前で呼ぶ。5歳くらいの女の子が「パパ」と言い、その頬を彼の手が打った。
「私、この人の妻です。あなたとも、一緒に暮らして構いません」
女の子に腕を噛まれ、救急外来で包帯を巻かれた夜。駆けつけた190センチの兄と家に戻り、私は三人を追い出した。
ところが日付が変わったあと、合鍵で戻ってきた彼が、書斎で眠る私の肩に手をかける。
噛みついて、兄を呼んで、110番は自分で押した。あとは、法律に裁いてもらう。
なのに公判の前日、山の町から出てきた彼の母は、日に焼けた腕を組んで言い放つ。
「嫁なんだから、あの子を家に帰すのが先でしょう」
籍を入れた覚えも、嫁になった覚えもない。
判決を聞く法廷には、あの母親も来る。
全八話。