おにぎりと酒が導いた社畜の異世界転生 ~落ち武者守護霊の力を添えて~

浅沼

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転生後

8.元社畜エンジニア 怪異と遭遇

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「…あれ、何だろう?」
 私は思わず足を止め、その異形を凝視する。町のオブジェクトのようなものにしては、不規則に瞬いている。
「…まずいな。」
 黒田が急に真剣な顔になる。
「まずい?何が?」
「…“怪異”だ。」
 黒田が低い声で言う。その目は険しい。
「怪異?」
 “怪異”、前世の知識ではあるが、私はそれを知っている。怪異は不思議な現象や物などを広く指す、と。
「成仏できず、この世に留まり続ける霊のことだ。未練を持ちすぎた結果、時として力を持ち、他の霊や人間に影響を及ぼす存在になる。」
 それは夜の暗闇とは違う、より禍々しい黒い何かがさらに近づいてきた。近づいてくるにつれ、輪郭がぼんやりと浮かび上がり、人の形を成し始める。長いボサボサの髪が顔を覆い、見開かれた目は白目がなく、真っ黒な虚無の穴のようだった。鼻はなく、力なく開いた口からは冷たい息が漏れている。骨ばったガリガリの体に伸びきった爪、着ているボロボロのワンピースが、その女性の霊としての哀れな存在を物語っていた。
 怪異に初めて遭遇デビューを果たし、思考が停止をした。「人間って驚くと思考が停止するんだ」なんて思い始め、徐々に思考が戻ってくる。幽体離脱をしているというのに心臓の鼓動が早くなるような錯覚を覚えた。
 だが意外とホラーゲームをしたときのようには驚かない。勿論、その姿に恐怖を覚えるが、どことなく悲しみが漂っているように感じる。

「…黒田、あの怪異って、もしかして私たちを狙ってるの?」
「そうかもしれん。いや、違うな。おそらくお前に興味を持ったんだろう。」
「私に?」
「お前のように“特別な霊体”は珍しい。生きている赤子の体に戻ることができる。そんな存在は、怪異にとって興味の的になる。」
 怪異は、不規則に揺れる足取りでこちらに近づいてくる。その動きに合わせ、頭の中に聞こえるはずのない嗚咽が響き渡る。

「黒田…これ、ヤバくない?」
「下手に近づくな。あいつの未練に巻き込まれたら、抜け出せなくなる。」
「未練って、具体的にはどんなの?」
「怪異によって違う。だが、あいつのように強い存在は、何か激しい喪失感や絶望を抱えている場合が多い。」
 その時、怪異が足を止めた。そして、こちらをじっと見つめている――視線を感じるが、その黒い目では何を見ているのか分からない。

「…私の赤ちゃん?」
 かすれた声が闇を切り裂いた。
「…え?」
 思わず反応しそうになったが、黒田が鋭い声で制止する。

「言葉を交わすな。未練に引き込まれる。」

 だが、その声には切実さがあった。ただ怨念を撒き散らすだけの存在ではなく、何かを求めているような響きがした。
「…私の赤ちゃんはどこ…?」
 その声は次第に弱々しくなる。それでも、心を引っ張られるような力を感じた。

「黒田、あの怪異、なにか訳ありな気がする。」
「…わかっている。だが、下手に関わると、お前まで成仏できない霊の道連れにされるぞ。ひとまずこの場を離れよう。今のお前は赤ん坊なんだ。」
 黒田の言う通りだ。幽体離脱をしている今はアラサー女の姿だが、実際の体は赤子だ。

「そうだね、帰ろう。」
 私と黒田は家に帰ろうとした、がその時。怪異が私に顔を近づけてきた。その黒い目がじっと私を見据え、か細い声で囁く。

「あなた…私の…赤ちゃん…?戻ってきてくれたのね…」
 その言葉に、私は息を呑んだ。まるで魂を掴まれたような気がする。今の私の姿は前世の姿、即ちアラサー女の姿なはずだ、だが怪異は赤ちゃん判定をした。私の魂の入れ物は赤ちゃんだから赤ちゃん判定になってしまうのかもしれない。

「おい、逃げるぞ。」
 黒田が低く叫ぶと、私の腕を掴むような気配がして走り出した。走りながらも、背後から怪異の声が追いかけてくる。

「逃げないで…私の赤ちゃん…帰ってきて…お願い…!」
 その声は怨念ではなく、必死な母親の叫びに聞こえた。

「黒田、これって本当に逃げるべきなの?あの怪異、私を自分の赤ちゃんだと思ってる。」
「あいつにとっての“赤ちゃん”は未練そのものだ。お前がそれを受け入れたら、あいつの世界に引き込まれる。」

「でも、助けられるなら助けたい。」
「お前にはまだその力がない。」
 黒田の言葉に押し切られる形で、私は走り続けた。音はしないものの、第六感で追いかけてきていると分かる。

「あと少しで家だ、このまま行くぞ」
 私達は家のドアを開けるまでもなく、スッとドアを通り抜けた。

「ここにいるよ…ずっとそばにいる…」
 姿は見えないがドアを抜ける直前、彼女はそう言った気がした。

「はぁ…はぁ…。どうやら、彼女は家に入ってこれないみたいね。」
 私の体は霊体のはずなのに、不思議と肩で息をしている。まるで全力疾走した後のようだ。

「ああ、そのようだ。この家には結界が張られているようだ。」
 黒田はまったく息切れする様子もなく、涼しい顔で答える。その冷静さに、どこかホッとする反面、妙に悔しい気持ちになる。さすが武士…いや、霊の先輩というべきか?どうやら霊体でも息を乱さないコツがあるらしい。

「結界って?」
 私は息を整えながら、黒田に尋ねた。

「詳しいことは分からないが、お前の母親が張っているようだ。」
「母親が?」
 思いもよらない言葉に驚く。黒田は少し考え込むように間を置き、言葉を続けた。
「お前の母親はただの人間じゃないのかもしれん。この結界、普通の人間は張らないだろうな。強い霊力を持つ者、あるいは特別な知識を持つ者の仕業だ。」
 私はある言葉を思い出した。
 ーーー「君の美貌と魔力、俺の屈強な肉体が受け継がれた子だ。絶対に強く美しく聡明に育つさ!」
 あの時はただの親バカだと思っていた。でも…今の黒田の言葉を聞き、お世辞ではないかもしれないと考えた。加えて寝室にあったのはまるで魔法使いが着るようなローブ。

「もしかしたら母親は魔法を使える人間で、その力で結界を張っているのかもしれない。」

「今はそれよりも、さっきの怪異だ。」
 黒田が話題を切り替える。彼の表情は真剣だ。
「あいつがここを諦めたわけじゃない。結界に阻まれている間に、こちらも対策を練らねばならん。」

 その時、家の外からかすかな音が聞こえた。
「トントン…トントン…」

「何の音?」
 私は思わず声を上げ、窓の方に目を向けた。

「先の怪異だ。」
 黒田が短く答える。
 窓を覗くと、そこにいたのはさっきの怪異だった。真っ黒い目をしたボロボロのワンピース姿の彼女が、ガラス越しに私たちを見つめている。黒一色の目はまるで底なしの闇を抱え、無表情の中に微かな哀しみが漂っていた。

「…開けて…」
 ガラス越しに聞こえるはずのない声が、頭の中に響く。

「絶対に窓を開けるな。」
 黒田の低い声が警告を発する。怪異の視線は私を引き寄せるようだった。私はその場から離れたかったが、体が動かない。

「…赤ちゃん…。私の…」
 その声は切実で、胸の奥を掻き乱すような響きを持っていた。

「おい!」
 黒田が私の肩を掴むような感覚がした。その瞬間、視線が怪異から外れ、ようやく体が動く。

「ありがとう。あれ…危なかったかも。」
「危ないどころか、あと少しで引き込まれていた。」
 黒田の表情には緊張が浮かんでいる。

「少なくともこの家にいる間は安全だが、アレと目を合わすな。今のように”持っていかれる”ぞ。」
「分かった。」
 私は緊張で手をぎゅっと握りしめた。

「しかし、怪異をこのまま放置すれば、霊体のお前にも赤ん坊の体にも悪影響が出る。何か手を打たなければならない。」

「手を打つ…どうやって?」
 私は手掛かりがないか辺りを見回す。家の中に何かあるのだろうか。それとも、私の記憶の中にヒントが隠されている?その時、黒田が外に目をやり、つぶやくように言った。
「見ろ、日が昇り始めている。奴の気配も薄くなってきた。」
 言われて外を見ると、確かに空が赤みを帯び始めていた。怪異の姿も、少しずつかき消されるように薄れていく。

「基本的に霊は夜に活発になる。日が昇っている間は怪異としての力を発揮できない。」
「つまり、昼間なら安全ってこと?」
「そうだ。だが、夜がまた来る。昼間の間に準備を整える必要がある。」

 私はしばらくその場に立ち尽くしたあと、ふと自分の体を意識した。霊体であるはずなのに、妙に体が重い感覚がある。
「黒田…私、なんだか体に引き戻されそうな感じがする。」
「それは赤子の体が目を覚まそうとしているんだろう。昼の間はお前の霊体を戻す時間かもしれん。」

「戻るって…どうなるの?」
「簡単に言えば、赤子としての体に魂が戻る。お前にとっては“現実”に戻るんだ。」

 私は黒田の言葉に戸惑いながらも、引き込まれる感覚に抗えなくなっていた。そして、次の瞬間――
 視界が一気に暗くなり、気づけば柔らかい布の感触と、温かさに包まれていた。目を開けると、ぼんやりした光景の中に、赤ちゃん用のベッドの縁が見えた。

「これ…赤ちゃんの体に戻ったってこと?」
 私は霊体から赤子の体に戻り、ふかふかのベッドの中で目を覚ました。周りの光景はぼやけていて、視界が狭い。赤子の感覚というのはこんなにも不自由なのか、と戸惑いながらも、どこか懐かしかった。
(…赤子シキ、さっきぶりね)
 布団の中から小さな手を動かしてみる。そのぎこちなさに思わず苦笑した。

 しかし、その瞬間――何か寒気のようなものが背中を駆け抜けた。
「…なんだろう、この感じ。」
 霊体だった時ほどはっきりとした感覚ではない。でも、確かに何かが近くにいるような、不気味な気配を感じる。

「おい、大丈夫か?」
 声が聞こえた。黒田の姿は見えないが、頭の中で彼の声が響く。

「黒田、まだいるの?怪異の気配が消えたわけじゃないみたい。」
「当たり前だ。日が昇っているから奴の力は弱まっているが、完全に消えるわけじゃない。むしろ、昼間はその存在感が隠れている分、余計に不気味だ。」

 黒田は少し間を置いて、話を続けた。
「今のお前は赤子の体に戻っているから、直接動けない。昼の間に、俺が代わりに調べてくる。」

「調べるって、何を?」
「まずはこの家の結界についてだ。お前の母親が張ったという話だったが、具体的な仕組みや目的がわからん。この家のどこかに、手掛かりがあるはずだ。」

「待って!一人で平気なの?」
「心配するな。この家の中なら危険は少ない。結界がある限り、怪異は直接干渉できないはずだ。」

 黒田が調査を始めると、私は赤子の体でじっとしているしかなかった。でも、じっとしている間にも、あの寒気のような感覚が何度も背中をぞわりとさせる。

「…まだいるのね。」
 視界の端で揺れる影。それが怪異の気配であることに疑いの余地はなかった。日中の弱まった状態でも、その存在感は私を圧倒するほどだった。

「何を求めているの…?」
 私は無意識に言葉をつぶやいていた。

 その瞬間、頭の奥に直接響く声があった。
「…赤ちゃん…戻ってきて…」

 思わず小さな体を震わせる。怪異の囁きは消えるどころか、むしろ昼間の方が私の中に染み込むようだった。
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