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Lemon
Lemon (1)
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やばい、と連絡があったのは翌日の早朝だった。
『なんか、事件があったっぽい』
エリナから白澄高校の惨状が実況のように雪崩れてくる。
――教室の窓ガラスが割れてるの。なんか、隣のクラスが、滅茶苦茶になってる。
――凄い騒ぎになってる。警備員いたはずなのに、変な話だよね。
――窓ガラスが割れた音で駆けつけたけど、逃げ足が速かったみたいで、捕まえられなかったみたい。防犯カメラにも映ってないみたいでさ。
「えらいことになってるな……」
登校してすぐに机に突っ伏した雨宮の喉から、眠気を纏った声が思わず漏れた。
寝ぼけ眼で矢継ぎ早に流れるエリナのメッセージを眺めていると、ときを同じくして教室が騒がしくなる。
「白澄、なんかヤバいらしいぞ!」
なんだ、どうした、と騒ぎ立てるクラスメイトたちが、声を上げたそいつのところへわらわらと集まり出す。そこへ担任が入ってきて、俄に騒がしくなった生徒たちに着席を促した。
そして全員の出欠を取ってから、担任が咳払いを一つ。
「あー、うん。もしかしたら既に知っているかもしれないが、隣の学区にある白澄高校で教室の窓ガラスが割られる事件があった。誰かが襲われたり怪我をしたということはないみたいだが、犯人はまだ捕まっていない。そんなわけだから君らも気をつけるように。それと、職員会議の結果、今週いっぱいは部活動禁止とすることが決まった。暗くなる前に下校するように」
「先生、犯人がどんな奴だったかって情報は?」
「ないよ。強いて言うなら、防犯カメラの映像で確認するに、身長は170あったみたいだが」
「凶器はなんなの?」
「白澄高校の野球部が外に放置していた金属バッドらしい。軍手か手袋を嵌めていたみたいで指紋は出てないそうだ」
「白澄の生徒なんじゃねぇの? 学校サボりたかったからっての、あり得るっしょ」
「その線も含めて事情調査している。詳しいことは先生も分からん」
クラスメイトが興味本位で次々と担任に質問をぶつけていく。教師陣もこの反応は想定内だったのだろう、担任は明かせることとそうでないことを慎重に振り分けながら言葉を選んで、矢継ぎ早に飛んでくる質問に答えていく。
唐突に訪れた非日常。対岸の火事とばかりに、その日は学校全体が浮ついていた。
白澄高校に友人や知り合いがいる生徒を起点に情報が拡散し、挙げ句の果てには根拠のないような噂まで流れはじめる。やれ、新入生が暴れただの、近隣で発生している連続強盗事件の犯人ではないかだの。果てには教育指導に疲れた白澄高校の教師ではないか、だの。
「…………あほくさ」
蚊帳の外にいるのをいいことに騒ぎ立てる生徒たちを尻目に、雨宮は今日も早退を決める。
三時間目と四時間目の間の行間休み。正午まであと小一時間という中途半端なタイミングで教室を抜け出し、下駄箱で靴を履き替える。
校門と建屋をつなぐ中庭まで来ると、桜の木の下に備え付けられたベンチに夏目がいた。学ランを着崩し、ワックスで固めた金髪が崩れないよう器用に腕枕をして、ぼうっと青い空を眺めている。
「よぉ、零央。なんかシケた面してんな」
「こんなところでなにやってんの、悠二」
「そっちこそいまからどこ行くつもりよ」
「見りゃあ分かんだろーが。帰るんだよ」
「どうせ午前で終わるってのに、なにもったいねぇことしてんの。あと小一時間くらい我慢しろよな」
「サボろうとしてたお前が言える口かよ」
「俺たちはこれから美術なの。課題をさくっと仕上げれば自由時間なわけ。だからこうしていられんの。零央のクラスは英語だろ? 出席取る人だったろ、先生。成績に響くぞ」
外見はチャラいくせに、こういうところだけしっかりしているタイプなあたりが気に食わない。いっそ外見そのままに悪びれてくれれば雨宮を眼中にいれることもなかったはずなのに。
「……こんなつまんねぇ場所で授業受けたって頭が良くなるわけじゃねぇからな」
「それで塾にいくとか自主勉しに図書館にでも向かうんだったら止めやしねぇけどさぁ」
「冗談やめろよ。そんな真面目にみえるか? つうか、そもそも塾なんて行ってねぇよ」
夏目が深い溜息を零した。
呆れて物も言えないという顔で雨宮を一瞥する。
「零央ってほんと、どうしようもねぇ奴だな」
「勝手に言ってろ」
そう吐き捨てる声に険が混ざる。
「どうせ俺は誰にも求められちゃいねぇんだ。構ってくれるな」
「今日はなんだか一段を機嫌が悪そうだな。真田となんかあったのか?」
「……っ、なんも、ねぇよ」
不意打ちを食らって、雨宮は返事に詰まった。
エリナに対する気持ちは一晩でどうにか清算したつもりだったのに、どうやらまだ未練のようなものが微かに蟠っていたらしい。
そして、その隙を、この友人は見逃さない。
「なんかあったんだな」
「……別に、マジでなにもない。なにもないことが明らかになったってだけ。俺とエリナはいたってクリーンな関係なの。友達なわけ。それ以上でも以下でもないってわけ」
「たったいまエリナに聞いたわ。あいつ恋人できたんだってな――うおっ!?」
雨宮は間髪を入れずにベンチを蹴り上げた。
「~~~~~~っ」
右足のつま先から太ももにかけて鈍い痛みが走る。考えるまでもなく当然のことだったが、気持ちを堪えることなんてできなかった。ほとんど反射的な動作は強い意志があっても止められない。
夏目が驚いた顔をして飛び起きる。
「びっくりするじゃねぇか。つうか零央、その反応さぁ……さては真田のこと――」
「っ……だから、なんにもなかったって言ってんだろ。悠二が想像してるような簡単な言葉で片付けられるもんじゃねぇんだよ。俺とエリナは」
「なら、どんな関係なわけさ。友達以上で恋人未満だったのが、親しい友達って関係性になったってだけじゃねぇの?」
「…………灰」
「ハイ?」
夏目が眉を顰めた。
「なんだって?」
「灰、っつったんだよ。灰色の、灰」
「……なんだそりゃ」
笑うに笑えないとばかりに夏目が鼻を鳴らす。
その反応はどこまでも正しいし、分かってもらうつもりは皆目なかった。
灰色。セピア色。どこまでも色彩の枯れた単調な景色。希望なんてどこにも感じられない、感情の死んだ世界。
雨宮とエリナの間に青春なんてものは存在しない。
この数週間の出来事は全部が嘘で、偽りで、まがい物だ。
自分の気持ちに気付かないふりをして、溺れることのない浅瀬で戯れていただけのこと。
どう足掻いたところで無駄なことだった。
窒息するような、落ちるような、それでいて這い上がって来られなくなるような甘酸っぱい関係になんてなれるはずがなかったのだ。
「誰にも分かってもらうつもりはないけど、エリナと俺は、どうあったって恋人同士みたいなことにはならなかったんだよ。はじめから分かりきってたことだ」
「それがベンチを蹴り上げることとなんの関係があんだよ」
「悠二が素っ頓狂で的外れなことを考えたからだ。惚れてたのか、ってか? 勘違いすんじゃねぇ」
雨宮はそう吐き捨てて、夏目に背を向ける。
うかれやがって。
どいつもこいつも馬鹿みてぇ。
付き合ってられるか。
「そういうわけだから。じゃあな」
「………ちなみにどこいくんだ」
「どこでもいいだろ」
「……死ぬのだけは勘弁な」
真剣味を帯びた声を掛けられて、雨宮は苦笑した。
「もうやってらんねぇからって、流石にあの世はねぇって」
「いまのお前、そういう危うさを纏ってる。だから呼び止めたんだ。エリナに彼氏ができたからって自暴自棄になるとか、そういうのはナシな」
「……それこそ本当に冗談やめろって。失恋してそのショックで自殺しましたとか、マジで笑えないっての。つうかさ、マジで馬鹿みたいじゃん。乙女じゃあるまいし、生憎とそんな感傷に浸れるほど恋に恋してないから」
そもそも、するだけの権利だって端から存在していなかった。
だから、怒りも悲しみも、抱くことすら許されない。
世界に絶望するなんてもってのほかだ。
「……なんつうか、救いようがねぇな」
「…………っ」
憐憫の眼差しを向けてくる夏目の言葉を無視して、雨宮は逃げるように校門を出た。
『なんか、事件があったっぽい』
エリナから白澄高校の惨状が実況のように雪崩れてくる。
――教室の窓ガラスが割れてるの。なんか、隣のクラスが、滅茶苦茶になってる。
――凄い騒ぎになってる。警備員いたはずなのに、変な話だよね。
――窓ガラスが割れた音で駆けつけたけど、逃げ足が速かったみたいで、捕まえられなかったみたい。防犯カメラにも映ってないみたいでさ。
「えらいことになってるな……」
登校してすぐに机に突っ伏した雨宮の喉から、眠気を纏った声が思わず漏れた。
寝ぼけ眼で矢継ぎ早に流れるエリナのメッセージを眺めていると、ときを同じくして教室が騒がしくなる。
「白澄、なんかヤバいらしいぞ!」
なんだ、どうした、と騒ぎ立てるクラスメイトたちが、声を上げたそいつのところへわらわらと集まり出す。そこへ担任が入ってきて、俄に騒がしくなった生徒たちに着席を促した。
そして全員の出欠を取ってから、担任が咳払いを一つ。
「あー、うん。もしかしたら既に知っているかもしれないが、隣の学区にある白澄高校で教室の窓ガラスが割られる事件があった。誰かが襲われたり怪我をしたということはないみたいだが、犯人はまだ捕まっていない。そんなわけだから君らも気をつけるように。それと、職員会議の結果、今週いっぱいは部活動禁止とすることが決まった。暗くなる前に下校するように」
「先生、犯人がどんな奴だったかって情報は?」
「ないよ。強いて言うなら、防犯カメラの映像で確認するに、身長は170あったみたいだが」
「凶器はなんなの?」
「白澄高校の野球部が外に放置していた金属バッドらしい。軍手か手袋を嵌めていたみたいで指紋は出てないそうだ」
「白澄の生徒なんじゃねぇの? 学校サボりたかったからっての、あり得るっしょ」
「その線も含めて事情調査している。詳しいことは先生も分からん」
クラスメイトが興味本位で次々と担任に質問をぶつけていく。教師陣もこの反応は想定内だったのだろう、担任は明かせることとそうでないことを慎重に振り分けながら言葉を選んで、矢継ぎ早に飛んでくる質問に答えていく。
唐突に訪れた非日常。対岸の火事とばかりに、その日は学校全体が浮ついていた。
白澄高校に友人や知り合いがいる生徒を起点に情報が拡散し、挙げ句の果てには根拠のないような噂まで流れはじめる。やれ、新入生が暴れただの、近隣で発生している連続強盗事件の犯人ではないかだの。果てには教育指導に疲れた白澄高校の教師ではないか、だの。
「…………あほくさ」
蚊帳の外にいるのをいいことに騒ぎ立てる生徒たちを尻目に、雨宮は今日も早退を決める。
三時間目と四時間目の間の行間休み。正午まであと小一時間という中途半端なタイミングで教室を抜け出し、下駄箱で靴を履き替える。
校門と建屋をつなぐ中庭まで来ると、桜の木の下に備え付けられたベンチに夏目がいた。学ランを着崩し、ワックスで固めた金髪が崩れないよう器用に腕枕をして、ぼうっと青い空を眺めている。
「よぉ、零央。なんかシケた面してんな」
「こんなところでなにやってんの、悠二」
「そっちこそいまからどこ行くつもりよ」
「見りゃあ分かんだろーが。帰るんだよ」
「どうせ午前で終わるってのに、なにもったいねぇことしてんの。あと小一時間くらい我慢しろよな」
「サボろうとしてたお前が言える口かよ」
「俺たちはこれから美術なの。課題をさくっと仕上げれば自由時間なわけ。だからこうしていられんの。零央のクラスは英語だろ? 出席取る人だったろ、先生。成績に響くぞ」
外見はチャラいくせに、こういうところだけしっかりしているタイプなあたりが気に食わない。いっそ外見そのままに悪びれてくれれば雨宮を眼中にいれることもなかったはずなのに。
「……こんなつまんねぇ場所で授業受けたって頭が良くなるわけじゃねぇからな」
「それで塾にいくとか自主勉しに図書館にでも向かうんだったら止めやしねぇけどさぁ」
「冗談やめろよ。そんな真面目にみえるか? つうか、そもそも塾なんて行ってねぇよ」
夏目が深い溜息を零した。
呆れて物も言えないという顔で雨宮を一瞥する。
「零央ってほんと、どうしようもねぇ奴だな」
「勝手に言ってろ」
そう吐き捨てる声に険が混ざる。
「どうせ俺は誰にも求められちゃいねぇんだ。構ってくれるな」
「今日はなんだか一段を機嫌が悪そうだな。真田となんかあったのか?」
「……っ、なんも、ねぇよ」
不意打ちを食らって、雨宮は返事に詰まった。
エリナに対する気持ちは一晩でどうにか清算したつもりだったのに、どうやらまだ未練のようなものが微かに蟠っていたらしい。
そして、その隙を、この友人は見逃さない。
「なんかあったんだな」
「……別に、マジでなにもない。なにもないことが明らかになったってだけ。俺とエリナはいたってクリーンな関係なの。友達なわけ。それ以上でも以下でもないってわけ」
「たったいまエリナに聞いたわ。あいつ恋人できたんだってな――うおっ!?」
雨宮は間髪を入れずにベンチを蹴り上げた。
「~~~~~~っ」
右足のつま先から太ももにかけて鈍い痛みが走る。考えるまでもなく当然のことだったが、気持ちを堪えることなんてできなかった。ほとんど反射的な動作は強い意志があっても止められない。
夏目が驚いた顔をして飛び起きる。
「びっくりするじゃねぇか。つうか零央、その反応さぁ……さては真田のこと――」
「っ……だから、なんにもなかったって言ってんだろ。悠二が想像してるような簡単な言葉で片付けられるもんじゃねぇんだよ。俺とエリナは」
「なら、どんな関係なわけさ。友達以上で恋人未満だったのが、親しい友達って関係性になったってだけじゃねぇの?」
「…………灰」
「ハイ?」
夏目が眉を顰めた。
「なんだって?」
「灰、っつったんだよ。灰色の、灰」
「……なんだそりゃ」
笑うに笑えないとばかりに夏目が鼻を鳴らす。
その反応はどこまでも正しいし、分かってもらうつもりは皆目なかった。
灰色。セピア色。どこまでも色彩の枯れた単調な景色。希望なんてどこにも感じられない、感情の死んだ世界。
雨宮とエリナの間に青春なんてものは存在しない。
この数週間の出来事は全部が嘘で、偽りで、まがい物だ。
自分の気持ちに気付かないふりをして、溺れることのない浅瀬で戯れていただけのこと。
どう足掻いたところで無駄なことだった。
窒息するような、落ちるような、それでいて這い上がって来られなくなるような甘酸っぱい関係になんてなれるはずがなかったのだ。
「誰にも分かってもらうつもりはないけど、エリナと俺は、どうあったって恋人同士みたいなことにはならなかったんだよ。はじめから分かりきってたことだ」
「それがベンチを蹴り上げることとなんの関係があんだよ」
「悠二が素っ頓狂で的外れなことを考えたからだ。惚れてたのか、ってか? 勘違いすんじゃねぇ」
雨宮はそう吐き捨てて、夏目に背を向ける。
うかれやがって。
どいつもこいつも馬鹿みてぇ。
付き合ってられるか。
「そういうわけだから。じゃあな」
「………ちなみにどこいくんだ」
「どこでもいいだろ」
「……死ぬのだけは勘弁な」
真剣味を帯びた声を掛けられて、雨宮は苦笑した。
「もうやってらんねぇからって、流石にあの世はねぇって」
「いまのお前、そういう危うさを纏ってる。だから呼び止めたんだ。エリナに彼氏ができたからって自暴自棄になるとか、そういうのはナシな」
「……それこそ本当に冗談やめろって。失恋してそのショックで自殺しましたとか、マジで笑えないっての。つうかさ、マジで馬鹿みたいじゃん。乙女じゃあるまいし、生憎とそんな感傷に浸れるほど恋に恋してないから」
そもそも、するだけの権利だって端から存在していなかった。
だから、怒りも悲しみも、抱くことすら許されない。
世界に絶望するなんてもってのほかだ。
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