失って初めて気付く恋心の小説

辻野 深月

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Lemon

Lemon (4)

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 Zepp Divercity Tokyoは、数年前にできたばかりの新しいライブ会場だ。

 老朽化の進む他のライブ会場が改築や改修工事でライブシーズンに一時閉鎖していく中で新築された会場は、収容人数は大きくないものの、やはり綺麗。

 High Twilightがこけら落としをしたときには隣接する商業施設の監視カメラが激しい振動に耐えきれず数台故障した、なんて逸話があったりもする。


 四月下旬の土曜日。週末。雨宮はそんなライブ会場に隣接する商業施設へと向かっていた。
 ゴールデンウィークの連休前だというのに親子連れや若いカップルで盛況なお台場は活気に満ち溢れている。
 早朝の電車に揺られ、雨宮はしかめっ面を浮かべながら東京テレポート駅を降りる。
 地下深くから地上へ顔を出すと、先に来ていた秋葉が雨宮へ向かって大きく手を振った。

「女子を待たせるなんて酷くない!?」
「待ち合わせの五分前だけどな」
「そんなの関係ない。というか女子と出かけようってのに心意気も感じないし、何よりあんた精気がない。学校にいるときより酷くない?」
「こちとら午前中は天敵なんだよ。低血圧でな」

 午前十時。お天道様はとっくに登っている時間だが、夜更かし常習犯である雨宮にとって、休日の午前に自宅から一時間以上も離れた場所で集合など罰ゲームに等しい。

「おかげで今日は七時起きだ。珈琲の一杯じゃあまるで目が覚めない。悪いけど、カフェとかで落ち着きたい」
「それじゃあ早速、お昼前に軽い食事でもしましょうか」

 そう言って先を行く秋葉。

「あちぃ……」

 雨宮は秋葉の背中を追うように歩きながら、うんざりした調子で一人ごちた。地面を照らし焦がす陽光の眩さに手をかざし、目を瞬く。

 四月にしては暑く、駅周辺に屯する老若男女の多くは春服というよりも夏服に近い格好をしている。夕方からはライブということもあって服装はかさばらないものを選んできたが、額に汗が滲むのは避けられない。

 暑いのは苦手だ。夏を連想させるし、夏は青春を想起させるから。

 日差しから逃げるように建物の中へと入ると、秋葉がカフェの入口で受付を済ませていた。

「こっちこっち」

 手招きに誘われるようにして入店する。有名なチェーン店は朝から買い物客でそこそこ混んでいた。家族を連れて自分は休憩中と思われる大人が近くのコンビニで買ったのだろう新聞を広げていたり、誰かと待ち合わせているのだろう若い男がスマホを弄くっていたり、週末を色濃く思わせる光景が視界いっぱいを埋め尽くす。

「雨宮、珈琲飲みたいんでしょ?」
「まぁ、そうだが……それじゃあ、アメリカンコーヒーのショートと厚切りトーストで」
「あたしは黒蜜きなこ抹茶ラテで」
「遅れた詫びと気を利かせてくれた礼だ。ここは俺が持つ」
「おお、それはありがたい。ありがと」

 確保していた二人席で朝食にありつく。普段は朝食もろくに摂取しない雨宮だが、激しい運動や音楽フェスの当日は別。家で朝食を取ることができない以上、こうして出先で腹を膨らませるのがいつもの行動スケジュールだ。エリナと午前中から合流していたときも、この我が儘だけは通させてもらっていた。

「ちゃんと朝食とればイライラも収まるんじゃね?」

 トーストに齧り付いていると秋葉が閃いたように呟いた。

「絶対そうじゃね? 栄養足りてないからイライラしてるんじゃん。雨宮って学校でキレてるの大体午前中だし」
「そりゃそうだろうな。午後は寝てるかそもそも学校にいないか、大抵どっちかだからな」
「とにかくちゃんとご飯たべなって」
「ご忠告どうも。でも、朝一番はとにかく胃が固形物を受けつけないんだよ」
「年寄りみたい」
「失敬な」
「実際そうじゃん」

 至極残念なことに否定はできない。

「いやさぁ、ぶっちゃけそういうところをもっとちゃんとしていけば雨宮はもうちょっとマシになるんじゃないかなって思うよ? さっきも自然に謝罪して感謝して驕ったりできてるわけだしさぁ、意識を少し変えれば人気もでるんじゃないかなぁ」
「……別に人気者になりたいわけじゃないし、もっと言えば俺は静かに三年間過ごしていたかった。なのに、どこぞの馬鹿野郎が学級委員に推薦しやがって……それで全部ご破算だ」
「あー……あれば災難だったよねぇ。さすがに同情する」

 秋葉が抹茶ラテを啜る。

「……折角の休日で学校の不満はやめよう。そんな理不尽も不満も吐き出して暴れるためのライブに来てるんだ。そういや飯を食い終わったら買い物する以外に予定組んでないけど、どっか行きたい所あるか?」
「適当にウィンドウショッピング。ここって場所は決めてないけど、フィーリングでいい感じだったらいくつか夏物を見繕うつもり」
「……ふぅん」

 珈琲を喉奥へ流し込みながら適当に相づちを打っておく。
 そういえばエリナもウィンドウショッピングが好きだった。彼女の場合は冷やかしが大半だったが、秋葉はどうだろうか。


 朝食を終えて、早速お店を巡る。

 商業施設に入っている店舗の大多数は服飾店で、うち七割以上が女性向け。小柄で活発な秋葉はその雰囲気に違わない店を中心に物色をし、雨宮はその後ろをついて回る。

「女子の服って、なんでこんなに種類あるんだろな」
「そんなの決まってるじゃない。女子の数だけショップはあって当然だからよ。むしろ足りないくらい。みんな個性の塊なんだから、無限にあったっていいくらい」
「そんなもんか」
「一般的な話だけどさ、お洒落ってやっぱり女子のものだと思うし。自分をより良く見せたいとか、異性にアピールしたいとか、スタイリッシュに決めたいとか、信条があるの。だって、自分が世界で一番可愛いし、格好良いし、最高の存在だって信じたいもの」

 そう語る秋葉の口調はどこか熱を帯びたようで。

「ライブ会場でも一定数そういうのいるよ? 自分が一番可愛いから、ボーカルやベースの眼に焼き付くような、記憶に残るような、そういう格好をしてくるのが。男だってアイドル相手にそういうことを本気で考えたりする人がいるわけじゃん。それが独占欲なのか承認欲求なのかは知らないけど」
「……まさか、秋葉もそうなのか?」
「そんなわけないじゃん。氏が売れてるバンドのボーカルとかベースなんて死んでもごめんって感じ。外見も内面も価値観も何もかもが全然釣り合い取れないもの。友達以上にはなれたって、恋人とかそういうのは絶対無理。自分が世界から埋没しちゃう覚悟とか、どんな境遇になってもその人のことを支えるんだって、そういう覚悟が決まってないとさ、まるで違う世界を生きてる人の隣を歩くなんて不可能なんだよ。そんな精神的な強度のある女なんて地球から見た一等星くらい珍しいよ」

 型落ちの春物ジャケットを物色しながら秋葉が続ける。

「つうかそもそもライブ会場で演者にアピールなんてしてどうするの。自分が楽しむためのライブなのに、演者に一目置かれるとか覚えてもらうとか、そんな欲求を満たすためにライブに通うとかマジでコスパ悪すぎるでしょ」
「コスパ、ね」

 確かにそうかもしれない、と女性向けの細いジーンズを一瞥しながら復唱してみせる。

「別にHigh Twilightのメンバーがイケてないわけじゃないけど、あたしなんかとじゃ釣り合いが取れてないもの。そういう境遇の違いって、正直きついし……。というか、なんか変な話しちゃったね。気持ち切り替えて次のお店いきましょ。ここの服、センスはいいんだけどあたしと相性悪そうだし」

 カワイイが売りのショップを出る。
 これで二桁を超す数を巡ったことになるが、どうにも秋葉のお眼鏡にかなう服は見当たらない様子。

 そうして次の店へと入った直後だった。

「なっ……」

 雨宮は咄嗟に、夏物の女性用上着が陳列された一列へと身を隠し、顔だけを覗かせる。

 視界の端。
 見慣れたゴールド。

「なんで……、いや……」

 想像は容易にできたはずだ。

 同じライブに行く予定だったし、先日、彼氏と行くからって、エリナはそうメッセージを寄越していたじゃないか。

 腰元まで伸びる艶やかな金髪を頭のてっぺんで一つにまとめ、肩口が大きくあいたキャミソールのような露出の高い服を着て、エリナは陳列されている上着をあれこれと試着していた。

 彼氏が会場に来るまで一人で時間を潰しているのだろうか……。
 そして気付く。このお店の名前。彼女が一等お気に入りにしている、スタイリッシュな服を中心に取り扱っている人気ブランド。ここにもテナントとして入っていたのか。入店してから気付くとか、鈍感極まりない。

「どうした?」

 怪訝な顔をして秋葉が声を掛けてきた。
 雨宮は口元で人差し指を立てて声を制する。

「あいつ、この前話した友達。いまは顔を合わせたくない」
「それってあたしと一緒にいるから?」
「ばっ……ちげぇよ。そんなんじゃねぇ。ただ、いまはあいつと距離を置いてるんだ。だから面と向かって掛ける言葉もねぇし……。それに、万一あいつの彼氏と鉢合わせになったりしたら気まずいだろ。」
「……ふぅん。それって本心?」
「な、なんだよ。疑ってるのかよ」

 訝しげな視線を維持したまま、下から覗き込んでくる秋葉。
 後ろめたいことなんてありはしないのに、糾弾されているような気分になり、雨宮は堪らず視線を逸らす。

「…………まぁ、別にいいけど。あたし、他人の恋愛事情には深く突っ込まない主義だし。だけどそうやって目を逸らしていても、物事は悪くなるだけだよ」
「なんのことだよ」
「しらばっくれるなら勝手にすれば? どうせあたしには関係ないことだしね」
「…………っ」

 秋葉の声がいちいち、心の芯にまで突き刺さる。

「彼女、出て行ったわね」

 振り返り、エリナのいた場所へと視線を戻したが、秋葉が口にするとおり、既に店のなかに姿はなかった。

「にしても……雨宮があんな美女と知り合いとか冗談みたい。あの外見スペックで白澄とか、中々いないんじゃないかな。羨ましい……って、嫉妬してる場合じゃなかった。感じの良い服見つけたから買ってくる。雨宮、ちょっと待ってて」
「おう」

 一足先に店を出た。

 その刹那、

「う、あっ……」

 鼻を掠める、嗅ぎ慣れた香水の酸っぱさ。
 その残り香が、あの夜のことを掘り起こす。

 何も得られず、ただ失っただけの一夜を。


「うっ……」

 立ちくらみを覚えて、雨宮は脇にあったベンチへと腰を下ろし、目を閉じて深呼吸を繰り返す。口で息を吸って、吐く。顔を上げて、ぼやける天上をぼうっと見つめた。そうやって無心を取り戻す。

 エリナと顔を合わせなくなってから、ふとしたことで動悸のようなものに襲われるようになっていた。まったくもって酷い有様だが、病院にお世話になるのは御免だったから、対症療法でなんとか乗り越えている。

 けれど、それだっていつまで保つ続けられるかわかったものではない。日に日に症状が酷くなっているような気もする。病状が和らいで快調に向かう兆しはいまのところまるでゼロだ。本当に勘弁してほしい。こんな大事なライブ当日に。

「雨宮、次いくよ次……って、なんか顔色が酷いけど大丈夫?」

 右から心配そうに上からのぞき込んでくる秋葉の顔。

「心配はいらない。少しすればすぐに元通りになる」
「元に戻ってもさして調子は変わらないんじゃないの」

 うるさいな、と返し文句を口にしようとして、やめた。
 不安げな眼差しを前につっけんどんな返答もどうかと思ったからだ。

 代わりに、どうでもいい一言を口元に滑らせる。

「秋葉って、感情が顔に出やすいタイプだよな」

 直後。

「ばかじゃないの」という言葉と共に、ぱしん、と脳天を優しくはたかれた。
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