失って初めて気付く恋心の小説

辻野 深月

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Lemon

Lemon (5)

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 少し遅れた昼食をとり、秋葉とのショップ巡りを再開する。

 台場は、意外と時間つぶしに困る場所だった。彼女や親子連れであれば充実した一日を潰せるのだろうが、知り合って間もない女友達と二人となると、その距離感ゆえに良い雰囲気を保ち続けるのが難しい。エリナとしかそういう経験をしたことのない雨宮にとって、商業施設は早くも退屈じみた場所となってしまっていた。

 秋葉はそのあたりに頓着しない……というより気にしないタイプのようで、自分勝手にぐいぐいとショップ巡りを進めてしまう。気遣いの手間が省けるのはいいことだったが、活動的なあたりがエリナに似ていて、それはそれで別の心配があった。

(これ、どっかでもう一度エリナとエンカウントする可能性でかいよなぁ……)

 不安でしょうがない。なにせ、禁断症状の如くフラッシュバックするあの日の夜と、襲いかかってくる虚脱感や眩暈めまいに気を配っていないといけないからだ。

「堪能したし、そろそろ会場のほうに向かう?」

 一通り――それこそ足が棒になるんじゃないかというくらいには歩いた頃、けろりとした様子で秋葉が言った。

「買い物はもういいのか」
「めぼしいものは手に入れたしね」

 衣服がぎっしり詰まった紙袋を指差す秋葉。荷物番は例によって雨宮だ。

「じゃあ、とりあえずロッカーを探すぞ」
「会場にあったよね」
「埋まってる可能性もあるけどな」
「確かめに行ってみようよ」

 秋葉の提案でZepp Divercity Tokyoにあるロッカーを物色することにした。

 開場まであと二時間はあるというのに、会場一帯は人だかりができはじめていた。持ち込んでいる物販の品目数は多くないが、この会場だけ参戦するファンもいるようで、三桁に上る物販列が形成されている。

 その物販列の横を追い抜くように階段を下り、会場の入口へ。その周囲にずらりと並ぶロッカーもすでに大半がHigh Twilightのライブに来たであろう若人たちに占拠されていて、使えるロッカーを探すのには骨が折れた。二つ並んで空いていたロッカーをどうにか見つけ、小銭とスマホとタオルをリュックから取り出し、残りの荷物を詰め込む。

「とりあえずこれで準備完了、か。あとは会場を待つだけだけど……」
「暇よね」
「買い物はもう済ませちまったしなぁ……」

 物販に用がない以上あとはただ開場を待つだけだが、屯して待つのも時間の無駄。普段なら買い物で時間を潰しているのだが、今日はもうあらかた用を済ませてしまっている。

「朝行ったカフェで適当に時間でも潰さない?」
「……だな」

 秋葉の提案で商業施設へ戻り、カフェで適当に珈琲を注文して席を確保する。

「そういえばさっきの彼女だけどさ。雨宮ってああいうのがタイプなの?」

 カフェモカに口を付けた秋葉が唐突に話題を振ってきた。

「……あれが嫌いな男子っているのか? 逆に」
「まぁ、いるんじゃない。まぶしすぎて見てられないっていうか、ずぅっと日向を歩いてきたような感じするよね。堂々としてて。眩いっていうかさ。ああいうのは、日陰でずうっと生きてきた人間には少しきついんじゃないかな。立場ってのがあまりにも違うじゃない。純粋な恋とか愛だけじゃないものを抱かずにはいられないっていうか」
「…………そう、かもな」

 それは否定できない。

「だからこそ、雨宮が知り合いだっていうのが信じられない。どんな手使ったわけ?」
「俺が学級委員にされてキレた日あったろ。その日、ゲーセンで知り合った」
「へぇ、意外」
「だろ?」
「雨宮がゲーセンにいくのが」
「そっちかよ……」
「リアルのゲーセンよりネットゲームとかしてそうだし」
「陰気くさくて悪かったな。あと、ネトゲーはしてないから」
「それにしても、あのなりでゲーセンねぇ……。流行の音ゲーとかでしょ?」
「ちげぇよ。対戦格闘ゲーム」
「なんか急にヤン女っぽいイメージ。でも、そうかぁ……なるほどそれで一緒にゲームして知り合いになった、と。加えてHigh Twilightのファンってことか」
「まぁ……そんなところだな」

 なんだかこそばゆくなってきて、雨宮は無意識のうちに頬を掻いた。自分の過去をほじくり返すのはどうにも苦手だ。

「そういや彼女の名前聞いてなかった」
「そんなもん知ってどうする」
「同じバンド好きなら友達になれるかなー、なんて思ってみたりして」
「……あっそ」
「そういうわけだから、彼女にあたしのこと紹介してよ」
「さっきの俺の話聞いてなかったのか? 気まずいから顔合わせないようにしてるって言ったじゃんか」
「友達として距離を復活させるためのきっかけだと思って協力してよ」
「なんて無責任なこといいやがる……」
「大丈夫だって。地雷は踏まないようにするからさ!」
「…………はぁ」

 深い溜息を零しながら、雨宮は椅子に落ち着けた重い腰を少しだけあげて、尻ポケットからスマホを取り出し連絡してみる。

『ライブ来てるだろ? ちょっと顔、見せられない?』

 送り先はエリナ。もうそろそろ彼氏といてもいいだろうに、すぐに既読された。

『いいよ。まだ彼氏こないし。どこにいるの?』
『二階のカフェにいる』
『わかった。十分後にそっちいくよ』

 受信したメッセージを眺めながら、溜息を一つ。

「どうだって?」
「まだ彼氏が来てないなら暇つぶしにそっち行く、だってさ」
「やるじゃん。その子の彼氏に感謝しないとだね」

 俺にも感謝してほしいところだ、と思うが口にはしない雨宮。
 瞬く間に十分が過ぎ去って、スマホがメッセージを受信する。

『どこにいる?』
『カフェの一番奥。四人席』

 そう打ち返すや否や、死角からふっと現れる金髪長身の美女。

「あ、いたいた」

 エリナが雨宮へ向かって手を振り、それから視線が右へスライドする。
 ぴたりと止まる右手。浮かべた笑顔はそのままに近づいてくる。

「こうして会うのは久々だね、レオ」
「…………そう、だな」

 この数分でこうなる展開も、気さくに話しかけてくるだろうことも全部理解していた。だから覚悟もして。なのに、ただ相づちを打つだけでも息苦しい。ついこの間まではできていたのに、いまでは目を合わせることすらもできない。

「それと、あんたは……」
「あたしは秋葉かえでって言います。雨宮くんのクラスメイトで、チケットが偶然余ったって聞いたから今日ライブに誘ってもらったんです。すいません、急に呼び立てちゃって。あたしがどうしても会いたいって強引にお願いしちゃって」
「ああ、そういうこと……。アタシ、真田エリナって言います。エリナでいいわ」
「ええ、よろしくね、エリナ。立ってるのもなんだし、折角だからここでお茶していかない? 付き合ってる彼氏さん、まだ見えないんでしょ?」
「んー……そうね。そろそろ買い物にも飽きてきたし、ライブ前に休憩するってのも手かな」

 会計を済ませてきたエリナはブラックコーヒーを片手に、雨宮の対面へ腰を落ち着ける。

「エリナって白澄なんでしょ? なんか学校が大変みたいだけど、大丈夫?」
「事件当日は騒ぎになったけれど、数日もすれば落ち着いたわ。犯人が捕まっていないから雰囲気は以前のようにってわけにはいかないみたいだけれどね」
「なんか嫌だよね、自分の学校でそういうのが起きると」
「まぁ、そうだね。良い気分になる人はいないだろうね。アタシはちょっと感謝してるけど」
「なんで?」

 秋葉が小首を傾げる。まぁ、その反応も無理はない。

「学校は退屈なところってイメージしかなかったから、不登校だったんだよね。だけど、事件があってから、学校の様子がどうなってるか気になって通うようになっての。まぁ、彼氏ができたからってのもあるけど、案外楽しいって気付いたんだよね。授業は退屈だけど、面白い人が多いなって分かったの。自分の視野が狭かったんだなぁって思い知った感じ」
「それまでは雨宮とゲーセンで遊んでたって聞いたけど」
「ええ、まぁ、うん。あれはあれで楽しいけど、さすがにいまは学校優先かな。レオがいる前でこんなこと言うのは悪いと思ってるけど」
「別に構わない。俺も、エリナが付き合い始めてからは、ゲーセン行ってないし」
「そうだったんだ……、あれ、でも、アタシがゲーセン行かなくなったのって教えたっけ?」
「言われなくなって想像つくだろ普通。つうか俺も俺でやることができたからゲーセン行くのやめただけ。別にエリナが通わなくなったからじゃねぇよ。勘違いすんな」
「……なんか機嫌悪い? レオってば」
「あー、やっぱりエリナもそう思う? 最近の雨宮、ずっとこんな調子なんだよねぇ。どうしてなんだろうね。思い当たることない?」

 白々しい言葉を滑らせながらうっすらとほくそ笑む秋葉。
 これまで雨宮が秋葉に提供した情報でその原因が容易に想像つくだろうに、あえてエリナにその質問をぶつける意図が雨宮には分からない。当然、エリナは目を点にする。他人の感情に対する鈍感さは折り紙付きなだけに、これもまた雨宮にとっては目に見えていた反応。

「いやぁ……ごめん、分からない」
「本当に心当たりないの?」
「えっと、うん。というか、なんでアタシが知ってると思ったわけ?」
「ああ、そう……これはこれで思いやられるわね……」

 顎に手を当てて真剣に悩むエリナの姿をつぶさに観察し、しばらくしてから呆れたように肩を落としてみせる秋葉。エリナの反応が皮を被ったものではなく、紛れもない本心から出てきたものだと判断したらしかった。

「…………確認だけど、エリナの彼氏って雨宮ではないんだよね?」
「へっ? うん、そうだけど。急にどうして?」
「……いいえ。なんでもないわ。念のために確認しただけ」
「そう? ならいいけど。レオとは友達だよ」
「ですって、雨宮。はっきりして良かったわね」
「へいへい。そうでございますよ」

 針のむしろに座らされている気分の雨宮は背もたれに体重を預け、目を閉じる。
 こんな拷問に耐えられるはずがない。

 込み上げてくる吐き気との戦いに精一杯で、秋葉に話を振られても、首の一つだって動かせない。

「……あ、そろそろ待ち合わせの時間だ」
「まだ開場まで一時間もあるのに?」
「ライブ前に軽くご飯でも食べようって約束してたの。彼、昼までバイトだったから」
「そういうことか。あ、そうだ。連絡先交換しようよ」
「オッケー」

 雨宮がダウンしている間に、秋葉とエリナはチャットアプリの連絡先を交換する。

「うわー、感動。あたし、High Twilightが好きな同年代って雨宮しかいなかったから、すごい嬉しい」
「アタシもだよ。彼氏はそこそこってくらいでファンクラブには入ってないし、超嬉しい。それじゃあまたあとで連絡するよ。それじゃあまたね、かえで。それと、レオも」
「ん……ああ、おう。それじゃあ――ッ!」

 エリナにさよならの挨拶だけはしようと身体を起こした矢先だった。



「こんなところにいたのか、エリナ」
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