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逆の詞
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磐座は臥竜山の頂上近く、杉林の中にあった。
人の背丈ほどの黒い岩。表面に梵字が刻まれている。岩の周囲だけ霧が薄い。磐座を中心に、直径十メートルほどの空間が、霧の壁に囲まれた部屋のようになっていた。地面に草はない。歯もない。磐座の周囲だけが、ただの土だった。封印の残滓が、かろうじてこの場所を守っている。
黒崎は磐座の前に立った。山根の皮を下ろし、磐座の横に丁寧に置いた。
磐座に手を触れた。冷たかった。山中で唯一、温度を持たないものだった。周囲の木も地面も粘液も、すべてが体温のように温かいのに、磐座だけが冷たい。
磐座が——脈打った。店主が言っていたとおりだ。岩の下で何かの心臓が動いている。どくん。どくん。規則的な振動が手のひらに伝わった。
霧が動いた。磐座を囲む霧の壁が、波打った。内側に膨らみ、また戻る。呼吸のリズムで。霧自体が息をしている。
霧の壁の向こうに——気配があった。巨大な気配。山全体に広がる、一つの意識。霧が体であり、木々が手足であり、地面の歯が口であり、磐座が心臓。臥竜山そのものが、一つの生き物だ。
磐座の上に、それが現れた。霧の中から凝縮するように、形が生まれた。
顔だった。直径三メートルほどの、人間の顔のパーツを寄せ集めた顔。目が十三個。鼻が七つ。口が五つ。すべてが微妙にずれた位置に配置されている。すべてが微妙に動いている。目は瞬きし、鼻孔は開閉し、口は呼吸している。
一つ一つのパーツは人間のものだ。しかし配置が狂っている。額に口があり、頬に鼻があり、顎のラインに目が並んでいる。それらが同時に別々の動きをしている。
五つの口が同時に開いた。
声が出た。
何百もの声が重なった声。原田の声。折口の声。山根の声。明治の折居集落の人々の声。中世の修験者の声。何百年分の声が束ねられ、
「もっと」
「もっとくれ」
「もっと喰わせろ」
と叫んでいた。
黒崎はポケットから紙を取り出した。逆の詞を書き写した紙。
唱え始めた。声が出なかった。喉が締まっている。声帯が動かない。磐座の前で逆の詞を唱えようとした瞬間、体が拒否した。背中の目が暴れた。文様が熱を持ち、皮膚が焼ける感覚がある。
餓神が、黒崎の中の「自分の一部」を使って、逆の詞を妨害している。
黒崎は歯を食いしばり、声を絞り出した。
「——ふ、ぁ——」
声にならない。喉の奥で声が潰れる。背中が灼けた。煙が出ている。シャツの背中が焦げ、肉が焼ける匂いがした。文様が発光し、皮膚を焼いている。痛みが背骨を走った。
膝をついた。顔の前に、地面がある。磐座の根元の土だ。このまま倒れたら楽になる。あの甘い匂いに包まれ、温かい粘液に沈み、快楽の中で意識を手放せば——
「黒崎さん」
声が聞こえた。背後から。霧の中から。
朋美だった。霧を抜けて、宮本朋美が磐座の空間に入ってきた。
「ついてきたんか——帰れ。ここは——」
「帰りません」
朋美の声は震えていたが、目は黒崎を見据えていた。
「一人で行かせません。あたしにできることがあるなら——」
「ない。帰れ。ここにおったら喰われる」
「あたしはもう喰われてもいい。あなたが嘘つきでも、ヤクザでも、あたしはあなたに救われた。それだけは嘘じゃない。だから——」
朋美が黒崎の横に膝をついた。
「一緒に唱えます。あたし、あの祝詞は覚えとる。逆から唱えればいいんでしょう」
黒崎は朋美を見た。四十歳の女。夫を亡くし、息子を育て、インチキ宗教に縋り、それでも立っている女。
「死ぬかもしれんぞ」
「航太には、姉に預ける手配をしてきました」
黒崎は目を閉じた。ナイフを取り出した。
「一つ、頼みがある」
ナイフを朋美に差し出した。
「俺の背中を切ってくれ」
「背中を——」
「背中に、あいつの目がある。それを含む皮膚を切り取って、磐座の上に置く。あいつに味見をさせる。そのあいだに逆の詞を唱える」
朋美の顔が蒼白になった。しかし目は逸らさなかった。
「分かりました」
黒崎はシャツを脱いだ。背中を朋美に向けた。
背中の文様が発光していた。龍の刺青の上に浮かぶ幾何学模様。その中心に、黒い目が開いている。目が暴れている。左右に動き、上下に動き、朋美を見た。
「目の周り、十センチほどの範囲を切り取ってくれ。深さは皮膚の厚さぶんでええ。筋肉まで達する必要はない」
「……はい」
朋美がナイフを握った。手が震えている。
刃が背中に触れた。冷たい。
朋美が切り始めた。痛みが走った。
皮膚が裂ける感覚。肉に達する前の、皮膚だけの痛み。しかしその痛みの上に、別の痛みが重なった。背中の目が暴れ、周囲の皮膚を内側から食い破ろうとしている。文様が脈打ち、熱を持ち、ナイフの刃を押し戻そうとする。
「続けろ」
黒崎は歯を食いしばった。朋美がナイフを動かした。血が背中を流れた。温かい血。人間の血。
背中の目が——叫んだ。
音ではない。背中の皮膚を通じて、振動が体の中に響いた。目が周囲の皮膚を引っ張り、朋美のナイフに抵抗している。
朋美が声を上げた。ナイフを持つ手に粘液がかかったのだ。背中の傷口から、血に混じって黒い粘液が噴き出している。粘液が朋美の手を焼いた。
「っ——」
朋美は手を引かなかった。粘液で掌が焼けながら、ナイフを動かし続けた。
最後の一辺を切り終えた。皮膚が剥がれた。手のひら大の皮膚。目がまだ動いている。切り取られてもなお、目は開閉し、周囲を見回している。
朋美が皮膚を磐座の上に置いた。岩が——吸った。
皮膚が磐座の表面に沈み込んでいく。岩が皮膚を吸収している。目が岩の中に消えていく。
餓神が味見をしている。
今だ。
黒崎が声を出した。背中の痛みが、逆に声帯を解放した。苦痛が妨害を上回った。
逆の詞が口から出た。朋美も唱えた。祝詞を逆順にした音の連なりを、二人で唱えた。
磐座が振動した。心臓の鼓動が速まった。どくんどくんどくんどくん。
餓神の顔が歪んだ。十三の目が見開かれ、五つの口が叫んだ。何百もの声が一斉に「やめろ」と叫んだ。霧が暴れた。突風のように押し寄せ、黒崎と朋美の体を叩いた。立っていられない。膝をつき、地面に爪を立て、声を出し続けた。
朋美が黒崎の手を握った。焼けた掌で。
二人の声が重なった。黒崎は叫んだ。逆の詞の最後の一節を唱え終え、そして——自分の言葉を叫んだ。
「俺は何も信じちゃおらん。神も仏もない。けどな——この人らを喰わせるわけにはいかんのじゃ」
信仰ではなかった。祈りでもなかった。ただの人間の意地だった。嘘つきの、人を騙してきた、ヤクザの意地だ。
餓神は信仰を喰う。祈りを喰う。渇望を喰う。しかし——意地は喰えない。信仰でも祈りでもない、ただの「こうする」という決意は、餓神の歯に掛からない。
磐座が割れた。岩の中央に亀裂が入り、割れ目から黒い液体が噴き出した。温かい液体。血のように温かく、墨のように黒い。液体が磐座の周囲に広がり、黒崎と朋美の膝を浸した。
液体の中に——人の形が見えた。何十体も。黒い液体の中を泳ぐように、人の形をした何かが蠢いている。腕が伸び、顔が浮かび上がり、口が開く。
喰われた者たちの残骸だ。残骸が黒崎に向かって手を伸ばしてきた。何百もの手が液体の表面から突き出し、黒崎の腕を、足を、掴もうとする。
「もっと」「くれ」「一緒になろう」
黒崎は手を振り払った。朋美の手を握り締めたまま、逆の詞を繰り返した。
磐座の亀裂が閉じ始めた。液体が渦を巻き、磐座に吸い込まれていく。残骸も液体と共に引き込まれていく。手が、顔が、体が、渦の中に消えていく。
最後に——液体の表面に、一つの顔が浮かんだ。
山根の顔だった。山根が黒崎を見た。
空っぽの目ではなかった。山根の目だった。光があった。
山根の唇が動いた。声は出なかった。しかし唇の形で分かった。
「兄貴」
山根が笑った。あの軽薄な、犬のような笑顔だった。
そして液体に沈み、消えた。
磐座が閉じた。亀裂が消え、表面が滑らかに戻った。梵字がくっきりと浮かび上がっている。
霧が——引いていた。磐座の周囲から、霧が後退していく。山全体の霧が、山頂に向かって収束し、薄くなり、消えていく。
月が見えた。雲の切れ間から、十一月の月が白く光っていた。冷たい光が杉林を照らし、普通の山の普通の夜景が戻ってきた。
甘い匂いが消えていた。黒崎は朋美の手を握ったまま、磐座の前に座り込んでいた。
背中が痛んだ。切り取った場所から血が流れ続けている。朋美の掌も火傷で赤く腫れている。二人の血が、磐座の前の土に染み込んでいた。
山根の皮が、毛布の中にある。黒崎はそれに手を伸ばし、開いた。
皮は変わっていなかった。冷たく、薄く、空っぽのまま。しかし——表裏にあったはずの二つ目の顔が、消えていた。裏返しても、裏側はただの皮の裏だった。山根の顔は表に一つだけ。
目蓋が閉じていた。開きっぱなしだった目蓋が、閉じていた。黒崎は山根の皮を抱きしめた。
「……帰ろう」
朋美に言ったのか、山根に言ったのか、自分にも分からなかった。
人の背丈ほどの黒い岩。表面に梵字が刻まれている。岩の周囲だけ霧が薄い。磐座を中心に、直径十メートルほどの空間が、霧の壁に囲まれた部屋のようになっていた。地面に草はない。歯もない。磐座の周囲だけが、ただの土だった。封印の残滓が、かろうじてこの場所を守っている。
黒崎は磐座の前に立った。山根の皮を下ろし、磐座の横に丁寧に置いた。
磐座に手を触れた。冷たかった。山中で唯一、温度を持たないものだった。周囲の木も地面も粘液も、すべてが体温のように温かいのに、磐座だけが冷たい。
磐座が——脈打った。店主が言っていたとおりだ。岩の下で何かの心臓が動いている。どくん。どくん。規則的な振動が手のひらに伝わった。
霧が動いた。磐座を囲む霧の壁が、波打った。内側に膨らみ、また戻る。呼吸のリズムで。霧自体が息をしている。
霧の壁の向こうに——気配があった。巨大な気配。山全体に広がる、一つの意識。霧が体であり、木々が手足であり、地面の歯が口であり、磐座が心臓。臥竜山そのものが、一つの生き物だ。
磐座の上に、それが現れた。霧の中から凝縮するように、形が生まれた。
顔だった。直径三メートルほどの、人間の顔のパーツを寄せ集めた顔。目が十三個。鼻が七つ。口が五つ。すべてが微妙にずれた位置に配置されている。すべてが微妙に動いている。目は瞬きし、鼻孔は開閉し、口は呼吸している。
一つ一つのパーツは人間のものだ。しかし配置が狂っている。額に口があり、頬に鼻があり、顎のラインに目が並んでいる。それらが同時に別々の動きをしている。
五つの口が同時に開いた。
声が出た。
何百もの声が重なった声。原田の声。折口の声。山根の声。明治の折居集落の人々の声。中世の修験者の声。何百年分の声が束ねられ、
「もっと」
「もっとくれ」
「もっと喰わせろ」
と叫んでいた。
黒崎はポケットから紙を取り出した。逆の詞を書き写した紙。
唱え始めた。声が出なかった。喉が締まっている。声帯が動かない。磐座の前で逆の詞を唱えようとした瞬間、体が拒否した。背中の目が暴れた。文様が熱を持ち、皮膚が焼ける感覚がある。
餓神が、黒崎の中の「自分の一部」を使って、逆の詞を妨害している。
黒崎は歯を食いしばり、声を絞り出した。
「——ふ、ぁ——」
声にならない。喉の奥で声が潰れる。背中が灼けた。煙が出ている。シャツの背中が焦げ、肉が焼ける匂いがした。文様が発光し、皮膚を焼いている。痛みが背骨を走った。
膝をついた。顔の前に、地面がある。磐座の根元の土だ。このまま倒れたら楽になる。あの甘い匂いに包まれ、温かい粘液に沈み、快楽の中で意識を手放せば——
「黒崎さん」
声が聞こえた。背後から。霧の中から。
朋美だった。霧を抜けて、宮本朋美が磐座の空間に入ってきた。
「ついてきたんか——帰れ。ここは——」
「帰りません」
朋美の声は震えていたが、目は黒崎を見据えていた。
「一人で行かせません。あたしにできることがあるなら——」
「ない。帰れ。ここにおったら喰われる」
「あたしはもう喰われてもいい。あなたが嘘つきでも、ヤクザでも、あたしはあなたに救われた。それだけは嘘じゃない。だから——」
朋美が黒崎の横に膝をついた。
「一緒に唱えます。あたし、あの祝詞は覚えとる。逆から唱えればいいんでしょう」
黒崎は朋美を見た。四十歳の女。夫を亡くし、息子を育て、インチキ宗教に縋り、それでも立っている女。
「死ぬかもしれんぞ」
「航太には、姉に預ける手配をしてきました」
黒崎は目を閉じた。ナイフを取り出した。
「一つ、頼みがある」
ナイフを朋美に差し出した。
「俺の背中を切ってくれ」
「背中を——」
「背中に、あいつの目がある。それを含む皮膚を切り取って、磐座の上に置く。あいつに味見をさせる。そのあいだに逆の詞を唱える」
朋美の顔が蒼白になった。しかし目は逸らさなかった。
「分かりました」
黒崎はシャツを脱いだ。背中を朋美に向けた。
背中の文様が発光していた。龍の刺青の上に浮かぶ幾何学模様。その中心に、黒い目が開いている。目が暴れている。左右に動き、上下に動き、朋美を見た。
「目の周り、十センチほどの範囲を切り取ってくれ。深さは皮膚の厚さぶんでええ。筋肉まで達する必要はない」
「……はい」
朋美がナイフを握った。手が震えている。
刃が背中に触れた。冷たい。
朋美が切り始めた。痛みが走った。
皮膚が裂ける感覚。肉に達する前の、皮膚だけの痛み。しかしその痛みの上に、別の痛みが重なった。背中の目が暴れ、周囲の皮膚を内側から食い破ろうとしている。文様が脈打ち、熱を持ち、ナイフの刃を押し戻そうとする。
「続けろ」
黒崎は歯を食いしばった。朋美がナイフを動かした。血が背中を流れた。温かい血。人間の血。
背中の目が——叫んだ。
音ではない。背中の皮膚を通じて、振動が体の中に響いた。目が周囲の皮膚を引っ張り、朋美のナイフに抵抗している。
朋美が声を上げた。ナイフを持つ手に粘液がかかったのだ。背中の傷口から、血に混じって黒い粘液が噴き出している。粘液が朋美の手を焼いた。
「っ——」
朋美は手を引かなかった。粘液で掌が焼けながら、ナイフを動かし続けた。
最後の一辺を切り終えた。皮膚が剥がれた。手のひら大の皮膚。目がまだ動いている。切り取られてもなお、目は開閉し、周囲を見回している。
朋美が皮膚を磐座の上に置いた。岩が——吸った。
皮膚が磐座の表面に沈み込んでいく。岩が皮膚を吸収している。目が岩の中に消えていく。
餓神が味見をしている。
今だ。
黒崎が声を出した。背中の痛みが、逆に声帯を解放した。苦痛が妨害を上回った。
逆の詞が口から出た。朋美も唱えた。祝詞を逆順にした音の連なりを、二人で唱えた。
磐座が振動した。心臓の鼓動が速まった。どくんどくんどくんどくん。
餓神の顔が歪んだ。十三の目が見開かれ、五つの口が叫んだ。何百もの声が一斉に「やめろ」と叫んだ。霧が暴れた。突風のように押し寄せ、黒崎と朋美の体を叩いた。立っていられない。膝をつき、地面に爪を立て、声を出し続けた。
朋美が黒崎の手を握った。焼けた掌で。
二人の声が重なった。黒崎は叫んだ。逆の詞の最後の一節を唱え終え、そして——自分の言葉を叫んだ。
「俺は何も信じちゃおらん。神も仏もない。けどな——この人らを喰わせるわけにはいかんのじゃ」
信仰ではなかった。祈りでもなかった。ただの人間の意地だった。嘘つきの、人を騙してきた、ヤクザの意地だ。
餓神は信仰を喰う。祈りを喰う。渇望を喰う。しかし——意地は喰えない。信仰でも祈りでもない、ただの「こうする」という決意は、餓神の歯に掛からない。
磐座が割れた。岩の中央に亀裂が入り、割れ目から黒い液体が噴き出した。温かい液体。血のように温かく、墨のように黒い。液体が磐座の周囲に広がり、黒崎と朋美の膝を浸した。
液体の中に——人の形が見えた。何十体も。黒い液体の中を泳ぐように、人の形をした何かが蠢いている。腕が伸び、顔が浮かび上がり、口が開く。
喰われた者たちの残骸だ。残骸が黒崎に向かって手を伸ばしてきた。何百もの手が液体の表面から突き出し、黒崎の腕を、足を、掴もうとする。
「もっと」「くれ」「一緒になろう」
黒崎は手を振り払った。朋美の手を握り締めたまま、逆の詞を繰り返した。
磐座の亀裂が閉じ始めた。液体が渦を巻き、磐座に吸い込まれていく。残骸も液体と共に引き込まれていく。手が、顔が、体が、渦の中に消えていく。
最後に——液体の表面に、一つの顔が浮かんだ。
山根の顔だった。山根が黒崎を見た。
空っぽの目ではなかった。山根の目だった。光があった。
山根の唇が動いた。声は出なかった。しかし唇の形で分かった。
「兄貴」
山根が笑った。あの軽薄な、犬のような笑顔だった。
そして液体に沈み、消えた。
磐座が閉じた。亀裂が消え、表面が滑らかに戻った。梵字がくっきりと浮かび上がっている。
霧が——引いていた。磐座の周囲から、霧が後退していく。山全体の霧が、山頂に向かって収束し、薄くなり、消えていく。
月が見えた。雲の切れ間から、十一月の月が白く光っていた。冷たい光が杉林を照らし、普通の山の普通の夜景が戻ってきた。
甘い匂いが消えていた。黒崎は朋美の手を握ったまま、磐座の前に座り込んでいた。
背中が痛んだ。切り取った場所から血が流れ続けている。朋美の掌も火傷で赤く腫れている。二人の血が、磐座の前の土に染み込んでいた。
山根の皮が、毛布の中にある。黒崎はそれに手を伸ばし、開いた。
皮は変わっていなかった。冷たく、薄く、空っぽのまま。しかし——表裏にあったはずの二つ目の顔が、消えていた。裏返しても、裏側はただの皮の裏だった。山根の顔は表に一つだけ。
目蓋が閉じていた。開きっぱなしだった目蓋が、閉じていた。黒崎は山根の皮を抱きしめた。
「……帰ろう」
朋美に言ったのか、山根に言ったのか、自分にも分からなかった。
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