翼が駆ける獣界譚

序章

翼、駆ける

あれから夜潮の言葉に何かを感じ取り、桃は「旅立つなら今しかない！」と思い立つ。
影響は受けやすい、そして何より行動的な彼女は自宅でもある屋敷へ戻ると自室に置いてあった剣の師と仰ぐ者より昇陽を護る剣であれ、と与えられた黒い太刀を手にする。
この太刀は無明黒鷹丸という銘を持ち昇陽最高峰の刀匠が鍛造したとされるもので昇陽にとっても国宝クラスの名刀。
何故、師がそんな刀を自分に手渡したかまでは分からない。
しかし桃は今こそこの刀を持ち昇陽を旅立つ時だと決意をした。


都を出て天に浮かぶ島国の果てを目指した。
天空貴族の名家の姫である自分が急に居なくなる事は騒ぎを起こすだろう、そんな事は百も承知。
だがこの機を逃せば外の世界を知る術はもうないだろう。

「絶対、昇陽の外を見てまた帰ってくる...皆、ごめん！行ってきます！！」

そんな言葉を呟きながら神速の翼が駆ける。
山も川も、その翼と速さがあれば何の障害でもない。
外の世界を見るという鋼の決意を決めた隼の少女は遂に島国の果てへと至り、目下に広がる大地を目指し大空へとその身を投じ自分に向かってくる重力の波の中、空を泳ぐように力強く翼を羽撃かせる。

昇陽は回っている。
その向き次第で、下に見える世界は変化する。
今はただ目下に見えるのは広く青い海と、金色にも似た色を放つ砂の荒野...。
恐らく、話には聞いていた風と砂、そして呪術の国・アメンルプト王国の領地であろう。
そう考えを巡らせながら最初に降り立つ地をアメンルプトへと決めて降下しつつ風を切り、身体を傾かせようとした時に海の方から何かが飛んでくるのを目にする。

「え？何、あれ？
....っ！こっちに向かってくる！？」


自分目掛けて飛んで来る黒く丸い物体を無明黒鷹丸を抜刀しすれ違いざまに斬るとその瞬間、それは轟音を立てて爆発を起こす。

「うわぁぁ！！こ、これ...まさか砲弾！？
という事はあの船は...」

砲弾の爆風にバランスを崩しながらもすぐに体勢を立て直し飛んで来た方を見ると一隻の豪奢な帆船が目に入る。
竜の頭を模した髑髏の黒い旗を掲げたその船は立て続けに砲弾を桃に向けて飛ばしてくる。
再び砲弾を両断し爆風に飛ばされる。

「危ないじゃん！何なの、あの船！？」

斬っても何度も砲弾を飛ばしてくる船。
以前、聞いた事があった。
海を駆け回り財宝を奪い殺戮と略奪を繰り返す
海の無法者、海賊。
昇陽で暮らしている自分には無関係、そう心の何処かで感じていたがそんな事は今はなく、目の前に居るその輩が自分に向かって砲撃をして来ている。
一体何発目だろう。海面や地上が近くなった頃、砲弾を交わす事にした桃は砲弾と並行するようにやたら正確に飛んで来る小さな鉛弾...恐らくは蒸気銃という武器から放たれる銃弾に気付く。
ガンヴェルク公国発祥とされるその武器は蒸気機関の技術と火薬を利用して高速で鉛の弾を飛ばす武器である。
武を重んじる国柄、昇陽は蒸気銃を嫌うものの自分達より高い階級の天空貴族は護身のために持っている事があり桃は詳細、躱し方も知っていた。
しかし疲労も見えて来た頃、不意に砲弾と銃弾が重なり爆発を起こすと体力的にバランスを崩してしまい身体が吹き飛ばされ大空を転がり落ちるようにアメンルプト国領の空へと落ちて行く。

「ヤバ.....ダメだ、爆風でバランス取れないし翼が動かない...終わった...」

海に落ちる様子はなく海賊船はいつのまにか砲撃や銃撃を止めている。
そして桃も熱風が吹き荒れる金色の大地へと急降下していくのが分かる。
そして重力がドッとその身に掛かり今にも大地へと叩きつけられる、といった瞬間その思いは裏切られ柔らかい草と水が身体への衝撃を和らげ多少の痛みはあるものの重篤な怪我は免れた。

そしてその安堵から桃は涼やかな空気の中、緊張と疲れから身体を休ませるように目を閉じるのだった。